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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
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四 顔合わせ

 アスカはどこまで知っているのだろうか?

 まさか、蒼龍帝がエイナ母娘の秘密まで漏らすとは思えないが……。

 エイナの表情が強張ったのは、当然であった。


「えと、あの……その件については、一切他言無用と固く命じられています」

 エイナはそう言いながら、女将軍の顔色を窺う。

 だが、アスカは表情を変えず、溜息をついただけだった。


「まぁ、そうだろうな。

 シド様も詳しいことは、何も教えてくださらなかった。

 しかし、相手が吸血鬼となれば――私の出番ではないか?」

「ああ、そう言えば、アスカ様が吸血鬼と戦われたという噂は、聞いたことがあります。

 ですが相手は化け物、いくらアスカ様が強くとも、人間では敵わないと思うのですが……どうやって倒したのですか?」


 アスカは天を仰いだ。

「エイナと同じだよ。私もこの件に関しては、明かすことを厳禁されている。

 確かにエイナの言うとおり、奴ら――特に真祖となれば、桁外れに強い。

 だが、四帝であるシド様は、私が例外だということをご存じのはずだ。

 だから、派遣されなかったことが不満でならない」


 エイナは内心驚いた。彼女が戦ったのは、真祖の眷属に過ぎない。

 それでも母の助けがなければ、とても勝てなかっただろう。

 しかし、アスカはまるで真祖と戦ったことがあるような口ぶりである。


「今回は時間的な制約があって、第四軍に支援を請うことができなかったんです。

 とにかく、吸血鬼が王国に入り込もうとする計画は潰したはずです。

 もし、また同じようなことが起きたら、その時はアスカ様と一緒に戦いたいです。

 それなら、このようなじれったい思いをしなくて済みますもの」


 アスカは小さく笑った。彼女が表情を変えるのは珍しい。

「ふふっ、確かにな。

 そうだ、面白いものを見せてやろう。エイナは防御魔法を使えるな?」

「……はい」


「ちょっと庭に出て、物理防御の結界を張ってみせてくれ」


 エイナはアスカの意図が掴めないまま、庭に降りた。

 芝生の上に立つと、使い慣れた呪文の詠唱に入る。

 気のせいではなく、術の進み方が以前よりも円滑になっている。


 もちろん多重詠唱を使用しているのだが、その速度自体は前と変わらない。

 その呪文に対応する、身体の反応――魔力の引き出しや、血流に乗せて螺旋状に魔力を練る効率が上がっているのだ。

 これも、吸血鬼と闇の中で戦ったことで、自分の吸血鬼化が進んだ影響なのだろうか? エイナの心に不安がよぎった。


 ちょうどそこに、シャワーを浴びたセシルが戻ってきて、アスカが振り返った。

「セシル、お前は魔法というものを見たことがないだろう?

 いま、エイナに頼んで、防御魔法を見せてもらうところだ。

 せっかくだから、魔法がどんなものか体験してみろ」

「本当ですか!?」

 セシルの顔に、ぱっと笑顔がはじける。


「エイナ、準備はどうだ?」

「大丈夫です。もう術は発動しました」


「よし、セシル。エイナに打ち込んでみろ」

 アスカは娘に長剣を手渡した。

「でもお母様、これ真剣ですよ。危なくありませんか?」


 アスカは笑いながら、エイナに「――だ、そうだが?」と声をかける。

 エイナも笑い返した。

「セシル、平気だから思い切りやってもいいわよ」


 鞘をさらりと払い、抜身の長剣を手にしたセシルが庭に降りる。

「あああっ、まだおぐしも乾いていませんのに……」

 どこからかメイドの嘆く声が聞こえてきた。


 セシルはエイナから二メートルほどの距離で対峙し、剣をぴたりと正眼に構えた。

 基本に忠実で、剣先は静止して微動だにしない。


「本当に打ち込んでもよいのですか?」

 セシルはまだ決心がつきかねているようだった。

 エイナは防御魔法を発動していると言ったが、彼女の目には何の変化も見られない。

 相手は武器も持たず、だらりと両手を下げているだけである。


「防御結界は私を中心とした、半径一・二メートルの球形で張られているわ。

 うっかり飛び込むと、弾き返されるから気をつけてね」

 エイナが恐れるどころか、落ち着いた声で自分を気遣ったことで、セシルの闘志に火がついた。


 セシルは無言で芝生を蹴り、飛び込みざまに剣を振り下ろした。

 彼女の長剣は、肩口から袈裟がけに相手を両断する――はずだった。

 だが、剣はエイナの身体に届く前に、奇妙な感覚とともに弾き返された。


 セシルは自分の力に自信を持っていた。

 両親にはまだ敵わないが、幼年学校の同級生(全員が年上)相手なら、技術云々の前にまずその剛腕で薙ぎ倒すことができる。

 その剣が、あっさりと弾かれたのだ。

 目に見えない盾があるという感じではなく、真綿かゴムの塊りに打ち込んだ感触だった。


 剣を弾かれたことで、両腕も撥ね上げられたが、下半身が崩れなかったのはさすがであった。

 彼女はすばやく剣を引くと、右肩から相手に突っ込んだ。

 エイナに忠告されたのに、体当たりと同時に胴を両断しようとしたのだ。


 案の定、目に見えない空気の壁によって、今度は身体ごと吹っ飛ばされ、セシルは芝生に尻餅をついた。

 彼女は足もとに転がっている長剣を見つめ、呆然としていた。

「これが……魔法?」


 誰かの気配を感じて、ふと顔を上げたセシルの視界がかげった。

 上から母が見下ろしていたのだ。


「どうだセシル、魔法とは厄介なものだろう?

 帝国が相手となると、こうした術を操る魔導士と戦わねばならん」

「ですがお母様、これでは最初から勝負にならないではありませんか?」


「ふふ、果たしてそうかな?」

 アスカは小さく笑うと、エイナの方へ振り向いた。


「次は私が打ち込む。構わぬか?」

 彼女はいつの間にか剣を手にしていた。

 鎧を着用している時に、常にいている長大な剣である。


「私は平気ですけど……結果は同じだと思います」

「では、行くぞ」


 アスカと対峙したエイナの背に、ぞくっとする寒気が走った。

 セシルとは圧迫感がまったく違う。

 だが、いくらアスカが武芸の達人で、常人離れした剛腕の持ち主であろうと、物理防御魔法を抜くことはあり得ない。

 そうは思うのだが、エイナは説明のつかない恐怖を感じていた。


 アスカの動きは無造作だった。

 幅の広い長剣を大上段に構えると、半歩踏み出し「ふんっ!」という気合とともに、それが振り下ろされた。


 防御障壁自体は、術者であるエイナの目にも映らない。

 だが、彼女はそれが切られた(・・・・)ことを実感した。

 結界内に充満していた魔力が、その切り口から一気に外に逃げ、空気の抜けたゴム風船のように萎んだのだ。

 アスカは一瞬で距離を詰め、剣をエイナの首筋にぴたりと当てた。


 今度はエイナが呆然とする番だった。

 彼女はアスカの剣が、古代にドワーフが鍛え、エルフが何重にも祝福を封じたものだと知らない。

 それが魔法であろうと切り裂き、吸血鬼に再生を許さない致命傷を与えることもである。


 アスカは剣を鞘に収めると、悪戯っぽく笑った。

「エイナ、お前にはまだまだ知らないことがある。

 明日から始まる軍の生活もその一つだ。よく学ぶがよい」


 アスカはエイナに背を向けると、家の中へ戻っていった。


      *       *


 翌月曜日、早めの朝食を済ませたエイナは軍服に着替え、アスカ・ゴードンとともに蒼城へと向かった。

 登城すると、将官であるアスカとゴードンは、そのまま上級将校が集まる定例会議に向かってしまった。


 エイナは第四軍の人事部に案内されると、そこで山のような書類を書かされることとなった。

 着任報告、馬の引き渡し、軍の将校寮に入るための手続き、第四軍の制服(通常軍服が二着と、第一種、第二種礼装)の受領、その他「こんなものまで?」と思うような書類が、大量に用意されていた。


 人事部の空いている机を借りてそれらの書類を書き込み、サインをしている間に、幹部将校会議が終わったらしく、エイナは第一野戦大隊の隊長であるアレフ・ケルヒャ中佐の個室に呼ばれた。

 彼女は猛烈な勢いで書類にサインをし終わると、更衣室に駆け込み、支給されたばかりの軍服に慌てて着替えた。


 王国軍の制服は基本的に同じデザインだが、各軍団ごとに明確な特徴がある。

 それは、胸ポケットの徽章の上に付けられた、金属プレートの違いである。

 それは〝胸当て〟と呼ばれ、名目上は防具とされているが、実際には装飾品である。


 このプレートは、各軍団によって色が決まっていて、第四軍の場合は、美しいコバルトブルーのメッキが施されている。

 真新しい制服に身を包んだエイナは、案内の若い兵士に連れられて大隊長室に向かった。


 中に入ってみると、執務机の椅子に座っている大隊長の他に、三人の男たちが待っていた。

 エイナは緊張しながら部屋の入口で気をつけの姿勢を取り、きれいな敬礼をした。


「参謀本部付け魔導少尉エイナ・フローリー少尉、軍命により第四軍第一野戦大隊に着任いたしました!」


 彼女の着任申告に、ケルヒャ中佐は立ち上がって答礼を返した。

 執務机の左右に並んでいた将校たちも、同じく敬礼をもってエイナを迎える。


「ご苦労であった。

 君の異動に関しては、蒼龍帝閣下の強い要請があったと聞いている。

 我々如きに閣下の深慮は窺えないが、四か月という短期間とはいえ、魔導将校――しかも実戦を経験している者が、我が部隊に配属されることは、実に有意義であると信じて疑わない。

 我が野戦第一大隊は、第四軍でも最も結束が高く、将校から一兵卒に至るまでが家族のような信頼で結ばれていると自負している。

 君が配属される若い新兵たちを、見事に教育してくれることはもちろん、君自身もよき経験を積んで、自らの成長の糧とすることを祈念している」


 中佐の流れるような訓示は、簡潔で力強く、エイナに対する信頼と励ましに満ちたものであった。

 緊張を隠せなかったエイナの目には、思わず涙が滲んでくる。


 大隊長は続いて、三人の男たちの紹介に移った。

 彼らは大隊を構成する三つの中隊を指揮する隊長たちで、大尉が一人と中尉が二人であった。

 そのうちの一人が第三中隊長のミラン・オラール中尉で、エイナの直接の上司となる。


 各中隊長とも面通しが終わると、彼らは大隊長室を辞した。

 エイナはミラン中尉の後に続き、第三中隊が使う士官室に連れていかれた。


 部屋に入ると、またしても三人の男たちが待ち受けていた。

 だが、その徽章を見ると、エイナと同じ少尉であることが分かって、彼女は少し安堵した。

 恐らく、彼らは同僚となる小隊長たちなのだろう。


 エイナは部屋の入口で、再び申告を行おうとした。

 しかし、中隊長はにやにやしながら手を払い、それを制した。


「そう硬くならんでいい。

 大隊長は訓示で大隊が『家族だ』とおっしゃられていたが、あれは少し違う。

 君も辺境の出身らしいから分かるだろうが、大隊はいわば〝本家〟だ。

 各中隊は分家に当たり、その中の小隊こそが、本当の家族となる。

 つまり、ここに集まった各小隊長は君の兄で、それぞれが自分の家族を持っていると思えばよい。

 君はその末の妹で、今日から新しい家庭を持つことになる……というわけだ」


 中隊長は言葉を切ると、不意にしかつめらしい表情になった。

「ただ、実際のところ、こいつらは全員独身だ。

 油断をしていると、すれ違いざまに尻を撫でられるかもしれん。

 君の尻の安全に軍は関知しないから、十分に留意して自衛を図るように!」


 エイナは吹き出しながら、敬礼で応えた。

「はっ、ご忠告ありがとうございます!

 ですが、残念ながら自分はまだ殿方に尻を撫でられた経験がありません。

 この中隊にお世話になる間で、それがいかなる感触か、ぜひ味わってみたいと存じます」


 誰かが〝ひゅう〟と口笛を鳴らした。

「しかし、自分は魔導院で六年、参謀本部で一年半余、厳しい訓練を受けて参りました。

 格闘術にはいささか自信がありますので、不意に触られれば、身体が反射的に動きます。うっかり腕を折ることがあっても、何卒お許しください!」


 三人の若い少尉たちは、大きな笑い声を上げた。

 そして、その中の一人がエイナの前に歩み寄り、片手を差し出してエイナの手を握った。

「第一小隊長のクリフォード・グレイズ少尉だ。クリフと呼んでくれ」


 残りの二人もクリフに続いた。

「第二小隊長のアルバート・ヘイリー少尉。みんなは俺をバートと呼んでいる。よろしくな」

「第三小隊長のモーガン・オラールだ。俺の場合はそのままのモーガンでいい」


 中隊長がぱんぱんと手を叩いた。

「よし、これで顔合わせは終わりだ。三人は退室してよろしい。

 ああ、モーガンは例の新兵たちに、ここに出頭するよう伝えてくれ」

「了解です、中隊長」


 各小隊長が部屋を出ていくと、中隊長は執務机を回って椅子に腰を下ろした。

「あいつらは二十歳から二十三歳とまだ若いが、それなりの年数、小隊を率いてきた経験者だ。

 部隊指揮のことで困ったら、遠慮せずに相談してみろ。

 それと、公的な場以外では名前で呼んでいい。年上だ、先輩だということは気にするな。

 我々も、お前のことはエイナと呼ぶ。いいな?」


「はい。皆さん気さくな方で、安心しました」

「言っておくが、新任者との挨拶で、さっきみたいな握手をするのはないぞ」


「は?」

「分からんのか? こういう場合は、敬礼するのが軍の常識だろう。

 あいつらは、エイナが何も知らないのをいいことに、手を握って喜んでいただけだ」


「あ……」

「やれやれ、この分だと、お前が尻を撫でられる日も遠くないな」


 エイナが赤面していると、士官室の扉がノックされた。

「入れ」


 中隊長の返事に扉が開き、先ほど出ていった第三小隊長のモーガンが顔を覗かせた。

「中隊長、新入りを連れて参りました」

「ご苦労、少尉は戻ってよろしい」


「はっ、失礼します!」

 モーガンは敬礼をして、後ろに渋滞していた男たちを小突いた。


「何をしている、さっさと中に入らんか!」

 少尉に気合を入れられ、男たちがぞろぞろと部屋の中に入ってきた。

 彼らはもたもたしながらどうにか整列し、ぎこちない敬礼をした。


 一番端の背の高い男が、代表して申告を行った。

「お、ウォルシュ・オルコット二等兵以下六名、お呼びにより出頭いたしました」


 敬礼をしている男たちは、全員が顔にあどけなさが残る若者だった。

 真新しい軍服が、どうにも様になっていない。


 エイナは少なからず驚き、思わず中隊長に訊ねてしまった。

「えと、あの……彼らが私の部下なのでしょうか?」


 ミラン中尉はあっさりとうなずいた。

「そうだ。何か問題でも?」

「あ、いえ――しかし、小隊に先任下士官が配属されると、自分は聞いております」


「ああ、コンラッド曹長か。

 彼は君の代わりに、今週の任務割りを受け取りに行っているはずだ。

 そう時間はかからないから、すぐに来るだろう」


「では、この六名が、曹長を除いた部隊全員なのでしょうか?」

「そういうことになる」


 エイナは軽い眩暈めまいを覚えた。

 小隊は軍隊の最小組織であり、軍を支える屋台骨である。

 その編成は、隊長である士官とそれを支える下士官が各一名、そして兵卒が十名から十一名……というのが標準である。


 つまり、エイナが率いる第四小隊の総勢は、定員を大きく割り込む八名しかいない――ということなのだ。

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