表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士物語  作者: 湖南 恵
第六章 北限の防人
194/359

三 朝稽古

 その日の夕方五時過ぎ、アスカとゴードンは連れ立って帰ってきた。

 愛娘がひと月ぶりに帰ってくるのが分かっているから、仕事を早めに切り上げたのだろう。

 エイナはメイドと一緒に、夫妻を出迎えた。


「ああ、エイナか。思ったより早く着いたのだな」

 アスカは巨大な軍馬の上から声をかけた。

 馴れた仕草で馬から降りると、トレードマークとなっている全身鎧フルプレートが、ガチャガチャと音を立てる。


「はい。天気にも恵まれて、道中何もありませんでしたから。

 お言葉に甘えて、今日明日はお世話になります」

 エイナは手綱を取って、馬の鼻筋を撫でた。


「第四軍勤務は四か月の期限付きなんだろう。

 よかったら、このまま家に下宿したらどうだ?」

 頭髪を剃り、浅黒い肌をしたゴードンも下馬して、白い歯を見せた。


「いや、それはエイナのためにならんだろう」

 アスカがぼそりと言う。

「大将閣下のおっしゃるとおりです。

 軍の寄宿舎に空きがあるそうですから、月曜からはそこに入る予定です」


 アスカは少し困ったような表情を浮かべた。

「今は勤務外だ。大将だの閣下はやめてくれ。

 ただのアスカでよい」


 馬の手綱は馬丁に渡され、彼らは庭を横切って玄関へ向かった。

「それで、セシルは帰ってきたのか?」


 ゴードンがそわそわしてメイドに訊ねると、ナタリーはくすくす笑いながらうなずいた。

「はい、旦那様を驚かすために、扉の陰に隠れてますわ」

「図体は大きくなったのに、いつまでも子どもだなぁ……」


 そう言いながらも、彼はとても嬉しそうだった。

 そして、玄関の扉を開けた途端に飛びついてきたセシルに、大げさに驚いてみせた。

「びっくりさせるな、セシル! こいつめ、心臓が止まるかと思ったぞ!!」


 丸坊主の大男と巨大な娘が抱き合っている姿は、少し異様な光景だった。

「まったく、どちらが子どもなんだか分からんな……」

 アスカが苦笑いを浮かべながら、エイナにささやいた。


 セシルはだらしない寝間着ではなく、娘らしい華やかなワンピースを身にまとっていた。

 帰ってきた二人は、それぞれ着替えるために自分の部屋に入り、セシルは「お手伝いする!」と言って、母親についていった。

 アスカの場合、軍服の上に全身鎧を纏っているので、着脱が大変なのだ。


 エイナは手持無沙汰なので、リビングのテーブルにつき、お茶の準備で動き回っているメイドたちと、たわいのないお喋りに興じていた。

 アスカはゆったりとしたガウンのような部屋着に着替えて現れ、汗を流すために浴室に向かった。

 ゴードンも普段着になって戻ってきたが、後ろから付いてきたセシルに、切れ目のないお喋りを浴びせかけられていた。


 セシルの話は幼年学校のことで、教官に褒められたこと、叱られたこと、そして級友の男の子たちの話題だった。

 男子生徒の話になると、それまでにこにこしていたゴードンの表情が、目に見えて強張るのが面白かった。


 リビングにアスカが戻ってくると、入れ替わりにゴードンがシャワーを浴びに向かう。

 セシルはアスカにはあまり話しかけず、少しするとどこかへ行ってしまった。

 アスカと二人きりになったエイナは、少し心配そうな表情で訊ねた。


「お嬢さんとは、普段からあまりお話しにならないのですか?」

「いや、そんなことはないぞ。

 ただ、私は無口な性質たちだから、セシルの方で気を遣ってくれるのだ。

 あの子は私と違ってお喋りだから、私が受ける被害はゴードンが一手に引き受けてくれている」


「それを聞いて安心しました」

「あの子はエイナが来ると聞いて、この休暇をずい分楽しみにしていたようだ。

 何しろ、学校には他に女子がいないらしくてな、歳の近い話し相手に飢えているらしい。

 エイナも気をつけた方がいい。

 今は私たちがいるから我慢しているが、きっと夜には寝室に忍び込んできて、気が済むまでお喋りをしていくはずだ」


 二人が世間話をしていると、遠くの方からメイドの悲鳴が聞こえてきた。

「セシルお嬢様ーっ、いけません!」


 どたばたとした物音が響き、腰にタオルを巻いただけのゴードンがリビングに飛び込んできた。

「せっ、セシルの奴が素っ裸で風呂に入ってきた!」


 大声でアスカに訴える夫に、アスカは大きな手でこめかみを押さえた。

「裸なのはお前だっ!

 若い娘の前で、何という格好で出てくるのだ、恥を知れ!」

 ゴードンは目を背けているエイナにハッと気づき、慌てて廊下に引っ込む。


「まったく! あのは自分の身体が大人になっているという、自覚が足りん。

 何度言っても性懲りもなく……」

 大きく溜息を洩らすアスカを、エイナは引きった笑いを浮かべて慰めた。


「まぁまぁ、セシルはまだ十二歳ですもの。

 お父様と仲がいいのは良いことですよ」


      *       *


 その日の夕食は、メイドたちが腕によりをかけた豪勢なものだった。

 セシルは顔を真っ赤にして喋りまくり、アスカとゴードンは楽しそうに娘の話に聞き入っていた。


 エイナは旅の疲れもあって、早々に客用寝室に引っ込んだが、アスカの予想どおりに寝間着姿のセシルがやってきた。

 彼女はベッドに上がり込んで、夜遅くまでエイナを質問攻めにした。


 セシルの興味は王都での暮らしのこと、美味しい料理やお菓子の店、最新のファッション、そして恋愛話だった。

 目まぐるしく変わる少女の話題に、エイナはついていくのがやっとで、乗り物酔いをした気分になった。

 結局、日付が変わりかけた頃に見回りにきたメイドに見つかり、セシルは強制的に自室に戻された。

 解放されたエイナは気絶したようにベッドに倒れ、夢も見ずに爆睡することになった。


 翌朝、エイナが目覚めたのは七時過ぎだった。夜明けとともに起きる王国の人間としては、寝坊と言われても仕方のない時刻である。

 彼女は薄手の白いブラウスに、膝下丈のチェック柄のスカートという普段着に着替え、顔を洗って階下に降りていった。

 リビングに顔を出すと、ばったりとメイドのナタリーに出会った。


「あらエイナ様、お早うございます。よく眠れましたか?」

「お陰さまでね。みんなはもう起きているの?」


「ちょうどお庭で〝朝稽古〟をなさっていますわ。

 よかったら、テラスでご一緒なされますか? 熱いコーヒーをお持ちしますよ」

「稽古?」


「ええ、セシルお嬢様が寄宿舎にお入りになられる前は、朝の日課でしたの。

 何だか久しぶりで、昔に戻った気分ですよ!」

 ナタリーは嬉しそうな笑顔で、エイナを庭に面したテラスに案内した。


 屋根のかかったテラス席には、ゆったりとしたガウンを肩にかけたアスカが座り、香り高いコーヒーのカップを片手に庭を眺めていた。

 その視線の先では、先端を綿の入った革で包んだ稽古用の〝たんぽ槍〟を手にした、ゴードンとセシルが向かい合い、激しく打ち合っていた。


 エイナがアスカに朝の挨拶をして向かいに座ると、ナタリーがすぐに熱いコーヒーを淹れたカップをテーブル置いてくれた。


 父娘の稽古はかなり激しいものであった。

 エイナもそれなりに武術の心得があるから、それがすぐに分かった。


 堅いがよくしなる木製の槍が、カンカンという小気味いい音を立てて打ち合わされ、わずかでも隙があれば、鋭い突きが繰り出される。

 刃のない槍といっても、まともに打たれれば打撲では済まず、喉や鳩尾みぞおちなどの急所を突かれれば、絶息しかねない。


 だが、ゴードンは槍の達人だけあって、娘の攻撃を余裕でさばき、一方のセシルも容赦のない打ち込みをぎりぎりでかわし続けた。

「凄いですね……十二歳であれですか。

 セシルは私よりも強いかもしれません」


 溜息を洩らすエイナに、アスカは小さな笑みを浮かべる。

「何なら、この後セシルと立ち会ってみるか?」


 エイナはぶんぶんと首を振る。

「遠慮します。明日から勤務なのですから、五体満足で臨みたいです。

 セシルはいつもこんな稽古をしているのですか?」

「ああ、ゴードンと私との三分五本勝負だ。

 あの子はずいぶんと強くなったぞ」


 アスカがちらりと目を遣ったテーブルの上には、砂時計が置かれていた。

 その砂がもうじき落ち切るというタイミングで、ゴードンの槍が腰を支点にして回転し、うなりを上げてセシルの足を払った。

 彼女が思わず転倒した次の瞬間、ゴードンの槍先がぴたりと喉元に突きつけられ、セシルが降参をした。


「それまで!

 どうしたセシル、これで四連敗だぞ。幼年学校の緩い稽古で腕が鈍ったか?

 次、五本目!」

 アスカが表情を変えずに娘を煽り、砂時計を反転させた。


 セシルは荒い息を整えながら、唇を噛む。

 その瞳が、火を吹くような激しさで父親を睨みつけている。

 再び激しい打ち合いが再開された。


 五本目もゴードンが押し気味だった。

 やはり体力的に父親に劣るセシルは、肩で息をするようになり、槍の構えがぴたりと定まらなくなった。

 そこをゴードンの槍が容赦なく攻め立てる。


 だが、それはセシルの誘いであった。

 繰り出される鋭い突きを、彼女は身体の柔軟性を活かして紙一重でかわすと、相手の槍を絡めて撥ね上げた。

 ゴードンが構えを戻そうとする、ほんのわずかな隙をセシルは見逃さない。

 地を蹴って飛び込むと、地面すれすれから槍を突き上げた。


 ゴードンは身をよじって肩を貫かれるのを避けたが、セシルの槍は彼の太い腕をしたたかに突いた。

 これにはゴードンも堪らず、思わず槍を落としてしまった。


「それまでっ!」

 アスカが鋭く叫び、二人はさっと引き下がって礼をした。


 だが、頭を上げた次の瞬間、セシルは憤怒に満ちた表情で父親に詰め寄った。

「お父様なら、今の突きをかわせたはずです!

 勝ちを譲られても、セシルは嬉しくありません!!」


 目に涙を滲ませて抗議する娘の頭を、ゴードンがぽんぽんと叩く。

「確かにな、避けることはできた。

 だが、今のセシルの突きは普通の奴なら絶対に喰らう。

 お前も知っているように、俺の槍術は傭兵時代に覚えた我流混じりだ。

 実戦では役に立つが、それは正規の技術を身体に叩き込んだ上でなければ、かえって害になる。

 セシルはまだ基礎ができていない。そういう文句は、俺に勝ち越してから言うことだ。分かったな」


 セシルは悔し涙をぼろぼろと零しながら、こくんとうなずいた。

 やはり、根は素直な少女なのだ。


 ゴードンはテラスに戻ってきて、アスカの隣の椅子にどっかりと腰をおろした。

 すぐにメイドが硬く絞ったタオルを手渡す。

 ゴードンは首筋の汗を拭いながら、大きな息をついた。


「まったく! セシルの相手はだんだんきつくなるな。

 俺が大きな顔をしていられるのも、あと何年なのか怪しくなってきたぜ」

 彼は庭の芝生に座り込んで、手足を伸ばして柔軟をしているセシルに目を遣った。


 エイナは感心したようにうなずいた。

「シルヴィア――前に一緒にお世話になった私の友人ですが、彼女は魔導院で十二年間、一度も武術で主席を譲ったことがないなんです。

 でも、セシルはその彼女にほとんど引けを取らない腕前だと思います」


 ゴードンは露骨に嬉しそうだった。

「ああ、恐らく槍に関しては、学校でも敵なしだろうな。教官以外に相手になる奴はいないはずだ。

 それで慢心するところがないのが、あいつのいいところだ」


「剣術もそのくらい上達すればいいんだが……」

 アスカが立ちあがり、ガウンを脱いで椅子の背にかけた。

 そして、立てかけてあった木刀を持って、庭に降りていった。


「え、もう次をやるんですか?」

 エイナが驚くと、ゴードンが白い歯を見せた。

「ああ、セシルの体力は母親譲りで化け物だ。心配いらんさ」


 その言葉どおり、セシルはアスカの姿を見上げると、ぴょんと起き上がって、嬉しそうに木刀を受け取った。

 そこからまた、三分五本の稽古が始まったが、結果は圧倒的だった。

 セシルは一分と持たずに打ち込まれ、あっさりと五本連取されてしまったのだ。


 木刀の稽古は槍以上に危険である。

 もちろん稽古であるから、頭を狙うことはしないが、まともに木剣が入れば、どこであろうと骨が砕ける。

 その点でいえば、セシルの負けはいずれも受け損ねで、直撃は巧みに避けていた。

 唸りをあげて襲ってくるアスカの剣は暴力そのもので、それを一分以上受け続けるセシルの技は、驚嘆に値するものだった。

 自分だったら、一撃で吹っ飛ばされているだろう――そう思うと、エイナの背筋が寒くなる。


「参りました」

 手首を押さえて膝をついたセシルが、五本目も降参すると、アスカは汗ひとつかかない顔で娘を見下ろした。


「太刀筋は悪くない。

 ――が、お前の一撃は軽いのだ。

 せっかくよい体格をしているのだから、もっと剣に体重を乗せなければもったいない。

 そこを直せば、もう少しいい勝負ができるだろう」


「一撃を重くするには、どうしたらよいのでしょう?」

 娘の問いに、アスカは困った表情を浮かべた。


「まぁ、その……何だ。とにかく剣を振ることだな。

 ひたすら打ち込みを続ければ、何となくできるようなる……はずだ、多分」

「はぁ……」


 二人のやり取りを見ていたエイナは、ゴードンにそっとささやいた。

「アスカ様、あまり教えるのが得意ではなさそうですね」

「ああ、そうなんだ」


 ゴードンはもう十五年近く、第四軍の武術教官を務めている。

 教え方が上手いのは当然で、その結果は娘のセシルに見事に表れていた。


 ようやく戻ってきたセシルに、ゴードンが声をかける。

「朝飯前にシャワーを浴びてこい」


「お父様は?」

「俺はお前が上がった後だ! また入って来られたらたまらん」


「でも、あたしはお父様の背中を流したいです!

 小さい時はいつもそうしていたではありませんか?」

「馬鹿野郎! そんな恥ずかしいことができるか!

 さっさと行ってこい!」


      *       *


 セシルがいなくなって、テラスにはエイナとアスカ夫妻だけが座っている。

 昨日も夫妻とはいろいろな話をしたが、そこに軍務の話題は上らなかった。

 エイナが一番聞きたいのはそこである。彼女は思い切って、自分から切り出してみた。


「えとあの、アスカ様? 明日からのことなんですけど……」

「ん? ああ、明日は一緒に登城しよう。

 月曜日は朝一で上級将校の会議がある。

 大隊長以上は全員出席だから、それが終わったら第一野戦大隊長のケルヒャ中佐に引き合わせる。

 その後は、中佐の指示に従ってくれ。

 恐らく各中隊長、小隊長に紹介され、エイナの部下たちにも会えるだろう」

 アスカがぶっきらぼうに予定を告げた。


 ゴードンが補足するように付け加える。

「第一野戦大隊は、アスカが長いこと率いていた部隊でな。第四軍では一番の精鋭部隊とされている。

 エイナは第三中隊の第四小隊長を任されるはずだ。

 第三中隊長はミラン中尉といって、若いが堅実な指揮をする男だな。

 第四小隊に配属される先任下士官は……ええと、誰だっけ?」

「コンラッド曹長だ」

 アスカが答える。


「コンラッドは四十歳を過ぎた、大隊でも古参の一人だ。

 分からないことは彼に頼れば間違いないだろうな」

「それで、私の部下となる者たちは?」


 アスカは首を振った。

「私もそこまでは知らんのだ。

 今年度の入隊者で、つい最近、軍学校の訓練を終えたばかりだとは聞いている。

 エイナも不安だろうが、まぁ、そう気に病むな。どうにかなるものだ」


 アスカはいったん言葉を切ると身をかがめ、声を落とした。

 それより、シド様から伺ったのだが、南部で吸血鬼と戦ったそうだな?」


 エイナの表情が、一瞬で強張った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ