三十五 盗賊団
エイナたちが落とされた闇は、ジルドが開いた固有空間であった。
地上とつながる出入り口は、彼の手によって封じられていたのだが、その消滅によって開放された。
エイナとアデリナは、意識を失っているユニとオーク娘たちを担いで、存在そのものが不安定になってきた世界から脱出した。
炭焼き窯の中に戻って身体を揺さぶると、ユニとオークたちはすぐに意識を取り戻した。
彼女たちは闇に取り込まれたことを覚えていなかったので、きょとんとした表情だった。
エイナとアデリナは、混乱しているユニたちを連れて、とにかく窯の外に出た。
明るい世界に出ると、カメリアが少しホッとしたような顔で出迎えてくれた。
「ああ、オークの娘たちは無事だったんだな」
カメリアがそれしか言わないので、エイナは首を傾げた。
「えと、あの……私たちが窯に入って、どのくらい経ちました?」
「どれくらいって、五分程度だろう。それがどうかしたのか?」
エイナは息を呑んだ。
闇に落とされてからの戦闘で、相当の――体感的には一時間近く経過していたはずだった。
エイナはいまだに上空を旋回しているカー君に向かい、大きく手を振った。
「シルヴィアー、もう降りてきていいわよーー!
吸血鬼は二人とも倒したわーー!」
その言葉に、今度はカメリアの方が目を剥いた。
「おい待て! 倒したって、どういうことだ?」
一同は小屋の前の草地で、車座になって座り、エイナが闇の中で起きた出来事を説明した。
カメリアは闇の世界の存在そのものを知らない。そして、エイナとアデリナが吸血鬼の血を引いていることの秘密にする必要がある。
そのため、説明はかなり大雑把にならざるを得ない。
当然、カメリアが納得するわけがなく、彼女はさまざまな質問をしてきた。
結局、返答に窮したエイナに代わって、ユニが〝軍事機密〟を盾に、すべて突っぱねることとなった。
「あんたには、協力をしたら帝国に帰してあげると約束したけど、そこまで教える義理はないわ。
吸血鬼の秘密を知りたいのなら、帝国が調べればいいでしょ」
* *
吸血鬼を倒したとはいえ、彼女たちにはオークの娘たちを、村まで送り届けるという仕事が残っていた。
「それで、アデリナさんはどうするつもり?
あたしたちと一緒に来てくれると嬉しいんだけど……」
アデリナにそう訊ねながら、ユニはちらりとエイナの顔を見た。
ユニはオオカミたちの報告で、エイナが昨日の深夜、アデリナと話し込んでいたことを知っていた。
そうはいっても、エイナにはもう少し、親子二人きりの時間を設けてやりたい。
そう思っての言葉だった。
だが、アデリナは目深にかぶった帽子のつばを引き下げ、首を横に振った。
「お誘いは嬉しいけど、こっちもそんなに暇じゃないのよ。
ジルドとイザベラを倒した以上、もう王国に用はないしね。
あたしは帝国に戻ることにしたわ」
「だったら、なおさらよ。
オークの娘たちを村に帰したら、あたしはカメリアと一緒に森を北上して、ボルゾ川まで送る約束になっているの」
カメリアもうなずいた。
「大体、お前だって正規の入国者ではあるまい。どうやって国へ帰るつもりだ?」
「あら、吸血鬼狩りにそんなことを訊く?
あたしにとって、国境なんか何の意味もないわ」
ユニは溜め息をついた。
「そう……仕方ないわね。
あなたを蒼龍帝に引き合わせたかったんだけど、残念だわ。
王国としては、吸血鬼に関する情報をもっと知りたいのよ」
アデリナは人差し指で、ユニの鼻先をきゅっと押した。
「やぁよ。偉い人って苦手だもん。
あたしは王国の行く末に興味はないし、何の思い入れもないわ」
「そこに大事な人が暮らしていても?」
エイナはアデリナの白くて長い指を、手の甲で払った。
きれいに整えられた爪が、ついさっきまで長く伸び、吸血鬼の女を粗挽き肉になるまで切り刻んでいたことを、ユニは知らなかった。
「何を言いたいのか知らないけど、ここでベラスケスの直系眷属を討ったことは、あたしにとっては好機なの。
恐らくあいつには、もう王国にちょっかいを出す余裕なんてないでしょうね。
でも、絶対とは言えないわ。
だけど、あたしが帝国に戻って、昔のようにベラスケスの縄張りを荒らし始めたらどうかしら?」
ユニにはアデリナが何を言わんとしているか、痛いほどに分かった。
これ以上引き止めるのは、野暮というものだろう。
その時である。ユニの頭の中に、ライガの声が響いた。
『おい、ユニ!
面白いものが出てきたぞ。ちょっと来てくれ』
ユニは立ち上がり、ほかの者たちに「オオカミが何かを見つけたらしい」と説明した。
ライガが人間たちを案内したのは、小屋周りの空き地を少し外れた森の中だった。
オオカミたちが輪になって、夢中で地面を掘り返している。
女たちがその後ろから覗き込むと、全員が「うっ!」と呻いて顔を押さえた。
オオカミたちが掘った穴から、酷い死臭がむわっと立ち上っていたのだ。
ユニはまったく動じずにオオカミの間に割って入った。片膝を突いて手を伸ばし、死体の上の土を払う。
「吸血鬼にやられたわね……首筋に牙の跡がある。三人、いや四人はいるか。
あんたたち(オオカミのこと)、悪いけど死体を引っ張り出してくれる?」
「いや、重力魔法を使った方が早い。ユニ、オオカミたちを下がらせてくれ」
カメリアがそう声をかけた。彼女もユニ同様、まったく顔色を変えていない。
腐りかけの死体など、戦場で飽きるほど見てきたのだ。
「ユニ先輩、死体を掘り出して、どうするのですか?」
シルヴィアが青い顔をして、小声で訊ねた。
「検視をするのよ。
あんたとエイナは、オークたちを連れて小屋の中に戻っていなさい」
「いっ、いえ! あたしにも見学させてください」
「あんまり気持ちのいいもんじゃないわよ。
裸にして身体中を調べるの。肛門に指を入れて掻き回してみる?
……まぁ、男のアレを見たいだけなら、別に止めないわよ。
勃起している死体も珍しくないからね」
「あ……いえ、やっぱり遠慮しておきます」
* *
エイナとシルヴィア、そして三人のオークの娘は炭焼き小屋に入ったが、どうにも気まずかった。
お互いに相手の言葉が分からないから、会話もできない。
仕方がないので、エイナとシルヴィアは戦闘で滅茶苦茶になった小屋の中を片付け始めた。
オーク娘たちも、人間が何をしているのかをすぐに理解して、慌てたように手伝ってくれた。
仕事を始めるとやることは単純なので、自然に意思の疎通ができる。
オーク娘たちは役に立つのが嬉しいのか、人懐っこい笑顔を浮かべて、とても楽しそうだった。
エイナたちの顔にも自然と笑みが浮かび、彼女たちはすっかり打ち解けることができた。
小屋の中がかなり片付いたところで、ユニとカメリアが戻ってきた。
二人は元に戻されたテーブルと椅子に、どっかと腰を下ろして溜め息をついた。
「お疲れさまです。何か分かりましたか?」
ユニ手にしていた布包みをテーブルの上に乗せ、中身を広げて見せた。
それは結構な枚数の銀貨や銅貨、それに宝飾品の類だった。
「驚いたわ。
ねえ、シルヴィア。あたしたちが村で今回の事件のことを、どう説明していたか覚えてる?」
「ええと、確か盗賊団の一味が娘を誘拐して、炭焼き小屋に入り込んだ……ってことにしていましたよね?」
「そう。その嘘が半分現実になっちゃったのよ。
あの埋められていた死体、まず間違いなく盗賊だわ」
「えっ、何で分かるんですか?」
「まず、着ていた服――明らかに農民の野良着じゃない。かといって、商人とかまともな勤め人とも違うの。
見た目は洒落てるけど、実際はぺらっぺらの安物。いかにも遊び人が好みそうだったわ。
そしてその服を脱がしたら古傷だらけ。明らかに刃傷沙汰でできた縫い傷が、あちこちにあった。
そして、一緒に埋められていた荷物を漁ってみたら、この始末よ」
ユニはテーブルの上に散らばった品々を、顎で指し示した。
「お金はともかく、やくざ者には分不相応な物ばかりですね。
一流品とは言えませんが、そこそこに値が張りそうです」
シルヴィアは貴族の娘だけあって、宝飾品に関しては目が肥えている。
「そっ。つまり、あの死体の連中は、空き巣や強盗、追剥をしていたんでしょうね。
それで追手がかかったのか、身を隠すのにぴったりの炭焼き小屋を見つけて、これ幸いと入り込んだでしょう。
そこに運悪く、吸血鬼がやってきた。
奴らにとっちゃ、食事付きの隠れ家が用意されていたんだもの、そりゃあ喜んだと思うわ。
キルト村で吸血鬼の被害が出ていなかったという謎も、これで説明がつくわね」
「それで、その……やっぱり勃ってました?」
小声でユニにささやくシルヴィアを、エイナが引っぱたいて咳ばらいをした。
「そっ、それで! 私たちはこれからどう動くべきでしょうか?」
ユニは気乗りのしない表情で答える。
「あんまり変わらないわ。
あたしたちはとにかく、オークの娘たちを村まで送り届ける。
ただし、シルヴィアにはカー君と一緒に、いろいろ動いてもらうことになるわね」
「ひょっとして、また伝令ですか?」
「そうよ。飛行幻獣を召喚した者の運命だと思って諦めなさい。
あんたもアラン少佐がどれくらいこき使われたか、すぐ側で見てたんでしょう?」
「ええ、まぁ……」
「今からあたしが概要報告を作るから、シルヴィアはそれを持って蒼龍帝のもとへ飛んでちょうだい。
あとは、報告を読んだ彼の指示にしたがうのよ。
あたしたちに合流しろと言われるかもしれないけど、多分、報告書にシド様の意見をつけて、参謀本部に届けるように命令されるんじゃないかしら」
「また王都ですかぁ……」
「文句を言わないの!
ああ、それと、蒼城市に向かう前に、キルト村に寄ってちょうだい。
メド爺さんに事情を説明して、これを渡して欲しいの」
ユニはそう言って、テーブルに広げられた硬貨の中から、銀貨を十枚選んでシルヴィアの前に寄せた。
「これは?」
「小屋の修理代ね。近くに死体を埋めた迷惑料も入れれば、こんなものでしょ」
「でも、これって盗品ですよね? 勝手にそんなことをしていいんですか?」
「あんた、軍に修理代を申請するのに、どんだけ手間と時間がかかるか知ってるの?
こういうのは、臨機応変って言うのよ」
ユニは悪びれずに言い放つと、背嚢から紙の束を取り出し、さっそく報告書を書き始めた。
* *
シルヴィアとアデリナが出発すると、エイナたちもオークの村へ向かう準備を始めた。
ちなみに、アデリナは馬に乗ってきたとのことで、置いてきた場所に戻ると言っていた。
馬が逃げずに待っていると、信じて疑わないような口ぶりだった。これもダンピールの特殊能力なのかもしれない。
ユニ、エイナ、カメリアの三人は荷物をまとめてしまえば、それで準備は終了である。
問題は三人のオーク娘たちだった。
ユニのつたない通訳で、何とかオオカミに乗って村に向かうことを説明したのだが、彼女たちはそれを酷く怖がったのだ。
もともとオークは動物に乗る習慣がなく、馬や牛といった乗用にも使える家畜を飼うこともしない。
しかも、オオカミはオークにとって恐ろしい天敵ですらある。
彼女たちは、「歩いていく!」と言って聞かなかったが、それでは時間がかかり過ぎて現実的ではない。
恐怖にかられている娘たちを、簡単な単語を並べるだけのユニのオーク語で説得するのは、至難の業だった。
結局、ユニが匙を投げたところで、小屋の片付けで仲良くなったエイナの出番となった。
娘たちの目の前で、彼女はロキに〝伏せ〟をさせ、その上に跨って悪戯を始めた。
長い毛を引っ張って編んでみたり、耳を摘まんでぱたぱた動かして見せる。
口の端に指を入れて思い切り横に広げる。両前脚を握って万歳や拍手をさせたりと、やりたい放題だった。
最後にはロキに大きく口を開けさせ、その中に自分の頭を突っ込んで見せた。
ロキは涙目になりながら、エイナの意地悪を辛抱強く耐え続け、オオカミが仲間に対しては、まったく危害を加えないことを実演したのだ。
オーク娘たちは顔をくっつけてひそひそ相談し、ようやくオオカミに乗ることを承諾した。
彼女たちがまだ十代前半で、好奇心旺盛な年頃だったことも幸いしたのだろう。
娘たちは、小柄なユニやエイナとあまり変わらない身長だったが、体重の方は倍以上あった。
そこで、群れの中でも体格が大きい、ライガ、ハヤト、トキの三頭がオークたちを運ぶことになった。
ユニはライガを譲ったので、ヨーコ(ロキの母親)に乗ることにした。
すったもんだの揚句、一行はどうにか出発した。
最初はオークたちを気遣って、ゆっくりと歩を進めていたが、オークの娘たちは若いだけあって、すぐにオオカミに順応した。
そのため、徐々に速度を上げることができ、結局、一泊したものの、二日目の午前中にはオークの村に到着できた。
オークの村では、攫われた娘たちが、元気な姿で帰ってきたことで、大変な騒ぎとなった。
その日は昼から夜遅くまで、村を挙げての祝いの宴が繰り広げられ、功労者であるユニとエイナはもちろん、仲間を殺した罪人であるカメリアでさえも、オークたちから感謝の言葉が伝えられ、その前に食べ物が積み上げられた。
特に、それまでオークと王国の橋渡し役をしてきたユニに関しては、まさに神のような扱いとなっていた。
ジャヤを通して、吸血鬼はすべて斃され、村が再び襲われる心配がなくなったことも伝えられたが、オークたちの尊敬の眼差しは、実際に吸血鬼を倒したエイナよりも、ユニに向けられてしまった。
宴は深夜にまで及んだが、人間たちは夜の十時過ぎにはその場を辞し、宿舎になっている掘立小屋に退散した。
彼女たちは大いに飲み食いしたが、オークの料理は正直に言うとかなり素朴なもので、ある程度で食べ飽きてしまう味であった。
飲み物の方も、水に果汁を搾っただけの代物である。
オークの文化にも酒は存在したが、彼らは欲望に弱く、酒に溺れる傾向があったので、この部族では酒造が禁止されていた。
ユニは干し草を敷いた寝床に潜り込みながら嘆くのであった。
「南部密林のダウワース王のとこじゃ、ちゃんとお酒が飲めるのよね。
もし今、冷えたビールが飲めると言われたら、悪魔に魂を売ってもいいわ!」
隣の寝床から、カメリアのからかうような声が聞こえた。
「吸血鬼が〝血を吸わせてくれたら、ビールを飲ませてやる〟と言ったら、どうするんだ?」
ユニは間髪入れずに答えた。
「決まってるじゃない。あんたをふん縛って差し出すわ。
『ちょっと不味そうですけど、この年増女で我慢してください』ってね!」