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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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三十二 闇の戦い

 白く輝く光球は、これまでエイナが見たこともない速さで、ジルドに向かっていった。


 アデリナが言ったとおりである。

 エイナがいるこの闇の空間は、そこに存在する者の意志を可能な限り実現しようとする。

 敵に魔法を当てようとするエイナの意志が、魔法効果にも作用しているのだ。


 だが、その条件は相手のジルドにとっても同じである。

 吸血鬼は、光球が当たる直前に姿を消した。

 ほとんど同時に、エイナの背中にぞくっとした悪寒が走る。

 彼女は振り返りもせず、前方に跳躍して位置を変えた。


 わすかに遅れ、エイナが消えた空間の背後にジルドが出現した。

 彼の長く伸びた爪が、エイナがいるはずだった空間を切り裂いたが、それは空振りに終わった。


 エイナはだんだんと分かってきた。

 確かにこの闇の中では、自分の思いどおりに身体を動かすことができる。

 しかし、それにも限界というか、物理的な制約が存在するのだ。


 つまり、相手の背後を取ろうとしても、そこへの移動には一定の時間がかかる。極めて高速ではあるが、瞬間移動できるわけではないのだ。

 そして、その気配はエイナの鋭敏な感覚で捉えることができた。


 彼女はぎりぎりで危機を逃れ、ジルドから大きく距離を取った。

 ジルドは相手がどこに移動したのか、把握するまでにわずかな時間を要した。

 その間に、エイナは魔法の軌道を操作して、再びジルドに向かわせる。


 当然、ジルドはそれを避けて、再びエイナの背後を取ろうとした。

 だが、それは彼女が仕掛けた罠だった。


 エイナはこの短い時間で、この世界の仕組みを完全に把握していたのだ。

 ジルドの現在地に魔法を撃ち込むのでは、何の意味もない。

 それは、あくまで囮だった。


 彼女はジルドが背後に回る気配を感じる前に、すでに移動していた。

 そして自分がいた場所に、身代わりとなる新たなファイア・ボールを発生させた。


 ファイア・ボールのような高等魔法の場合、複数起動は不可能とされている。

 だが、エイナはこの闇の空間内ならば、それが実現できると踏んでいた。

 そして、その読みは正しかった。


 移動速度が凄まじいだけに、五感が脳に伝える情報が追いつかない。

 つまり、高速移動を止めて、いったん静止しないと周囲の状況が掴めないため、そこにわずかな時間差が発生する。

 エイナの背後に出現したジルドは、そこにいるはずのエイナの代わりに、炸裂する爆炎を目撃することになった。


 自分が罠にはまったと気づいた時には、もう手遅れだった。

 ファイア・ボールはジルドを取り込む結界を発生させ、その内部に凄まじい高熱を発生させた。

 結界内の酸素が一瞬で消費され、数千度の炎が襲いかかる。

 ジルドの皮膚は紙のようにめくり上がり、肉が焼け、血と脂が沸騰して蒸発する。

 鼻から口から入り込んだ熱気が気道を焼き、肺胞を爛れさせた。


 エイナは、自らの勝利を確信した。「私は父の敵を討ったのだ!」と。

 しかし、高揚感に打ち震える彼女に、冷水が浴びせられた。


 魔法の持続時間である十数秒が経過し、結界とともに荒れ狂う炎が消失すると、そこにはジルドが立っていたのだ。

 肉も臓器も焼けて灰となり、骨格しか残らないはずなのに、ジルドは肉体を完全に保持していた。

 衣服は焼けて消滅していたが、筋肉が盛り上がった逞しい肉体は、オオカミのような獣毛に覆われていた。


 半ば獣人と化したジルドは、白い牙を剥き出しにして醜い笑いを浮かべた。

「貴様のことは誉めてやろう。ダンピールの娘にしては、信じがたい能力だ。

 闇の空間に入ったのも、初めてではないな? 適応があまりに早すぎる」


「魔法が……効かなかったの?」

 エイナは『信じられない』といった顔で、思わず本音を洩らしてしまった。


「どうした、俺が無事で驚いているのか?

 心配するな、貴様の魔法は確かに効いたぞ。

 ああ、熱かったとも。貴様は全身を焼かれる苦痛を味わったことがあるか?

 熱かった!

 熱かったぞぉ!!

 生きたまま身を焼かれる苦痛を、舐めんじゃねえぞ!

 このド畜生がぁぁぁーーーっ!!」


「いいか! 下等な人間である貴様に教えてやろう!!

 お前の魔法は、外界とは比べ物にならないほどの威力を発揮した。それは自分でも感じているだろう?

 だがな、俺の方の再生能力も、桁違いに上がっているのだ、馬鹿野郎!

 つまり、貴様がいくら魔法を撃とうと、俺様には通じんのだ!」


「どうだ、試してみるか?

 人間である貴様の魔力と、真祖直系の眷属であるこの俺様の再生能力、どちらが先に尽きるかを!」


      *       *


 アデリナの長刀が弧を描き、空間を切り払った。

「残念、ハズレだねぇ!」


 イザベラが高笑いを響かせ、長く伸びた爪を突き出す。

 爪がアデリナのマントを掠めた時には、もうそこに相手の姿はない。


「どこを狙っている!」

 からかうようなアデリナの声のしたあたりを、吸血鬼の手刀がぐ。


 両者は目まぐるしく位置を変え、何もない闇に向かって剣を振るい、爪で刺突し続けた。

 敵を視認してから攻撃したのでは、逃げられるのが目に見えている。

 彼女たちは、相手が出現するであろう地点を予測して、そこに攻撃を加えていた。


 お互い闇の世界には十分に慣れているから、いかに相手の裏をかくかが勝負だった。

 当然、予測した攻撃が当たることもある。

 アデリナの剣は、何度も吸血鬼の身体を切り裂いた。

 手首を切り飛ばし、眼球を潰し、乳房を裂いた。

 しかし、致命傷を与えない限り、相手はあっという間に再生してしまう。


 一方、イザベラの爪も、アデリナの身体に深い傷を負わせていた。

 吸血鬼の爪は数センチの長さだが、突き出された瞬間にいきなり伸びる。

 場合によっては三十センチほどまで飛び出してくるので、避けようとしても間合いが掴みにくかった。


 アデリナの分厚いマントは穴だらけになっていて、足を伝わって落ちてくる血で、彼女のブーツは赤黒く染まっていた。


 一般的に(・・・・)、ダンピールはある程度の再生能力を持っている。

 しかし、それは親である真祖に比べ、どうしても劣る。

 回復が遅れて血を失い続ければ、ダンピールといえども体力を消耗して、動けなくなってしまうのだ。


 延々と続く戦いは、着実にアデリナの身体に疲労を蓄積させていった。

 呼吸が乱れ、肩が大きく上下するようになった。長刀を握る手が、ぷるぷると細かく震えているのが、傍目にも分かった


「どうした、もうへばったのかえ? ざまぁないね!」

 闇の中で哄笑が響いた。


 二人は高速での移動合戦をいったん止め、数メートルの距離で睨み合っていた。

 アデリナは呼吸を整えようと唾を呑み込み、無理やり笑顔を作った。

「あなた、ベラベラとよく喋るわね?」


「おや、気に障ったかい?

 そうさ。あんたと違って、あたしには余裕があるからね」

「じゃあ、ひとつ訊いていいかしら?」


 イザベラは意外だという表情を浮かべた。

「何だい? 言ってみな」


「あなたの見た目、あたしより年上……そうね、三十歳前後に見えるけど、吸血鬼になった年齢っていくつだったの?」

「失礼ね。まだ二十九の時だったわよ!」


 二十九も三十もあまり変わりないように思えるが、そこは女性にとっては大問題である。

「あら、それはごめんなさいね。

 ベラスケスが眷属にしたってことは、当然、あなたはその時に処女だったわけよね?

 真祖が女を眷属にする時は、犯して処女を奪うのが定番だもの」

「それがどうした? ベラスケス様に初めてを捧げるのは、至上の悦びなのよ!

 あんたみたいな中途半端なまがい物には、一生そんな名誉は訪れないでしょうけどね」


「ふ~ん、つまり、あなたは二十九っていう〝いい歳〟まで処女だったわけだ。

 あなたたちの住む帝国の田舎じゃ、娘は十五、六で嫁に行くのが普通よね。二十歳過ぎたら〝行き遅れ〟って笑われるわ。

 あなたはその歳まで貰い手がなく、恋人すらいなかったわけね。

 そこそこ美人なのに、よっぽど性格が悪かったのかしら?」

 

「言いたいことはそれだけか? この腐れ○○○がぁーっ!」


 耳をつんざくような甲高い絶叫に、圧倒されたわけでもなかろうが、いきなり背後に現れたイザベラに対する反応がわずかに遅れた。


 ぎゅんと伸びた爪を、アデリナは長刀の鍔元でどうにか払った。

 吸血鬼の左手を撥ね上げた瞬間、その下を掻い潜って右手が滑り込んだ。

 鋭い爪が深々と刺さって背中に抜け、アデリナは堪らずに身体を折り、口から血の塊りを吐き出した。


 確かな手応えにイザベラの口が端が吊り上がり、白い犬歯が剥き出しになった。

 だが、前のめりになったアデリナも、その瞬間に相手の二の腕をがっちりと掴んでいた。

 万力のような握力で、アデリナの指が肉の中に潜り込み、鮮血が噴き出す。


 イザベラは完全に捕まってしまったのだ。

 右手はダンピールの肺腑を貫いていたが、腕を握り潰されて動かすことができない。

 左手は首元に押しつけられたアデリナの剣を、食い止めることで精一杯だった。


「往生際の悪い女だねぇ!」

 イザベラは口汚くわめくと膝を高く上げ、相手の腹に前蹴りを叩き込んだ。

 アデリナは数メートルも後ろに蹴り飛ばされた。


「ふんっ!」

 イザベラが血の混じった唾を吐き、右手をぶるんと振ると、骨が砕け、ちぎれかけた腕は、もう再生していた。


 うずくまっているアデリナに向けて、イザベラはわざとゆっくり歩いていった。

「あたしの爪はねぇ、鉄でも切り裂くんだよ。人間の剣なんざ、あっさりと叩き折れる。

 あんたのその剣、どこで手に入れたんだい?」


 時間の猶予を与えられたアデリナは、剣にすがりながら、どうにか立ち上がった。

「あら、知りたいなら、地獄に行って悪魔にでも聞いてみたら?」

 穴の開いた肺に血が溜まり、少し喋っただけで、彼女は激しく咳き込んだ。


「立っているのもやっとのくせに、よくそんな強がりが言えたもんだね?

 待ってな、いま楽にしてあげるよ!」


 イザベラは予備動作なしに、いきなり動いた。

 アデリナの視界から吸血鬼の姿が消える。

 彼女は気力を振り絞り、剣の柄を握る手に力をこめた。


 右か左か、それとも後ろか? あるいは上か?

 深手を負った今、予測を外せば敗北――すなわち死が待っている。


 一秒の十分の一にも満たない刹那、数十年にわたって吸血鬼と戦い続けてきた、彼女が勘がささやいた。

「下!」


 アデリナは杖代わりに突き立てていた長剣を、ずぶりと押し込んだ。

 闇の世界に上下左右の区別はなく、もとより地面など存在しない。

 彼女が立っている下にも、無限の空間が広がっているはずだった。

 だが、吸血鬼は本能的に地下に潜りたがる。相手の下から不意打ちをするのが得意なのだ。

 身体に染みついた習性は、闇の世界だからといって、変わるものではない。


「があぁぁーーーーーっ!!」


 絶叫が響き、泥のような闇の中から鋭く伸びた爪に続いて、イザベラが飛び出してきた。

 肩口から入った長剣が吸血鬼の身体を貫いて、一メートルもの刀身の切っ先が股間から覗き、滝のような血が流れ落ちた。

 アデリナは両手で柄を握りしめると、肩に担ぐようにして強引に剣を持ち上げた。


 アデリナの黒いドレスを突き破って、片刃の刀身が飛び出した。

 派手な血しぶきが噴き出し、吸血鬼の半身が縦に裂かれたのだ。

 アデリナは身体を回転させ、自由を取り戻した剣を大きく振り回した。


『この勢いでイザベラの首を刎ねる!』


 真祖の眷属は首を落としても、即座には滅びない。

 だが、大きなダメージを受けることは間違いなく、再生にも時間がかかる。

 もちろんアデリナは、そんな時間を与えるつもりなどない。


 イザベラは身体を大きくのけぞらせ、ぎりぎりでダンピールの剣をやり過ごした。

 急激な動きで、閉じかけていた傷口が開いて、噴水のように血が撒き散らされた。

 相手は振り抜いた剣から片手を離し、手首を返して逆手で斬り上げようとしている。


 吸血鬼は態勢を崩しながらも、片足を軸にして回し蹴りを放った。

 再びアデリナを蹴り飛ばして、いったん距離を取ろうとしたのだ。

 アデリナの方も同じ手を喰らうつもりはない。

 腹を引っ込めて攻撃をかわし、逆に一歩踏み込もうとする。


 しかし、彼女はそのまま前につんのめり、どうっとうつ伏せに倒れた。

 マントの下に血溜まりができ、それがみるみる広がっていく。

 イザベラは両手を腰に当ててふんぞり返ると、アデリナの後頭部を足で踏みつけた。


 そのつま先からは、華奢な婦人用革靴を突き破って、二十センチほども伸びた爪が飛び出している。

 吸血鬼は蹴りを放った瞬間に足の爪を伸ばし、アデリナの腹部を切り裂いていたのだ。


「上手く避けたつもりだったんでしょう? 残念だったわねぇ!

 あたしらはね、足の爪だって自在に伸ばせるんだよ!

 どうだい、腹が裂かれて内臓が溢れ出る気分は?

 あはははははは! 最高だろう!?」


 イザベラはアデリナの頭をぐりぐりと踏みにじり、耳の辺りを蹴った。

 そして身をかがめ、今度は片手で彼女の髪を鷲掴みにすると、そのまま高く持ち上げた。


「ふん、これが何人もの仲間を殺した〝吸血鬼狩りのアデリナ〟かい?

 噂ほど大したことないのね。……いえ、あたしという相手が悪かったと言うべきかしら?」


 イザベラはゲラゲラと笑いながら、頭上高く持ち上げたアデリナを振り回した。

 相手は虫の息なのか、呻き声すら上げられない。

 吸血鬼はもう片方の手で彼女の胸倉を掴み直すと、がくがくと頭を揺さぶって、頬に平手打ちを喰らわせた。


「どうせ、まだ死んじゃいないんだろう? これからあたしが殺してやるから、ありがたく思いな!

 あんたの娘がまだジルドに殺されていなかったら、遺言くらいは伝えてやるよ。

 さぁ、何とか言ってみろよ! このあばずれが!」


 アデリナの顔は、怪力の吸血鬼から容赦のない平手打ちを何度も受け、無残に腫れあがっていた。

 涙が滲んだ目は、膨らんだ瞼で糸のようになっていたが、その中で瞳がぐるりと動いた。

 そして、アデリナはわずかに唇を動かし、掠れた声を出した。


「言いたいことは、それ……だけなの?」


「なに?」

「聞こえなかったかしら? 言い残すは、それだけかと訊ねたのよ。

 もしジルドがまだ生きていたら、あんたのいまの言葉を伝えてあげるわ」


「貴様、頭がいかれたのか?

 それとも、この期に及んでまだ強がりを抜かすのか!」

「強がり……じゃないのよ。

 真祖の直系である、あんたの仲間たちは、どうしてダンピールのあたしに敗れてきたと思うの?」


「ほう、このあたしに、偉そうに講釈を垂れる気かい?

 いいだろう、聞いてやるから、その秘密とやらを言ってみるがいい!」


 アデリナの腫れた唇に、にやりと笑みが浮かんだ。


「簡単……なことよ。

 それはねえ、ベラスケスがクソだからよ!!」

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