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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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三十一 強襲

 森の中は朝靄で白く煙っていた。

 エイナたちは夜明け前には畑を出発し、森の中を十キロ近く奥にある、メド爺さんの炭焼き小屋を包囲していた。


 今は朝の五時を回っており、もう太陽が低く昇っているはずだった。

 あと三十分もしないうちに、その角度が高くなり、朝日が小屋を照らすはずである。


 攻め手のエイナたちは、吸血鬼たちの待ち伏せを予想し、十分に警戒しながら接近した。

 相手だって当然襲撃を予想しているだろうから、罠を仕掛けていない方が不自然である。

 だが実際には、炭焼き小屋にたどり着くまで、何事も起こらなかった。


 人間側は少し拍子抜けしつつも、さらに警戒の度を上げて監視を続けていた。

 しかし、敵の動きはなく、小屋はひっそりとして物音ひとつ聞こえてこない。

 様子を窺っているうちに、陽の光が小さな空き地を照らし出し、朝靄もすっかり消えてしまった。


 大きな包囲の輪を形成しているユニのオオカミたちからは、周辺に敵の気配を感じないという報告しか入ってこない。

 小屋の中に吸血鬼がいるという点では、カー君とアデリナの意見が一致していた。


『すんごく邪悪な気配が二つ、ほかにも二、三人の吸血鬼の気配がするけど、これは下っ端みたい』

 カー君が顔をしかめてみせた。


「さすが精霊族の感覚は鋭敏ね。その見立てで合ってると思うわ。

 でも、妙な話ね……こちらの襲撃を大人しく待てるような奴らかしら?」

 アデリナは首をかしげた。


「じゃあ、このままじっとしてるの? あたしの趣味じゃないわね」

 巨木の陰から小屋を窺いながら、ユニがからかうような声を出した。


 アデリナがにやりと笑い返す。

「偶然ね。あたしも黙って足を開くより、上で動く方が好みなのよ」


 シルヴィアが顔を赤くし、エイナはきょとんとしている。

 カメリアは苦々しい表情を浮かべた。

「若い娘の前で、よくそんな下品な冗談が言えるな?

 だが、ひと当てして反応を見るのは賛成だな」

 彼女の周囲には、すでに偶力で圧縮され、石のような硬さになった森の土が、数個浮遊していた。


「じゃあ、打ち合わせどおりに頼むわ。

 メド爺さんが悲しむから、破壊は最小限にしてね」

 ユニがカメリアの肩を、ぽんと叩いたのが合図となった。


「任せろ!」

 カメリアが言い終わらぬうちに、黒い土の塊りが唸りを上げて飛んでいった。

 一つは直進して、頑丈そうな木の扉に激突し、小屋の内部に吹っ飛ばした。

 扉自体は無事だったが、それを戸口の枠に止めていた蝶番をもぎ取ったのだ。


 残る二つは左右に分かれ、閉じられた蔀窓しとみまどの板を粉砕して、中に飛び込んだ。

 内部で何かが壊れたような音が、五十メートルも離れた森の中まで聞こえてきた。


 ユニとエイナはオオカミに乗って茂みを飛び出し、シルヴィアはカー君に跨って上空に舞い上がる。

 アデリナだけは自分の足で走り出したが、驚いたことにオオカミたちと互角の速度だった。

 彼女たちは小さな広場をあっという間に駆け抜ると、ライガから滑り降りたユニが、まっ先に小屋に飛び込んだ。


 あまり広くない炭焼き小屋の内部は、滅茶苦茶になっていた。

 ぶち破られた窓は、すでにテーブルと食器棚で塞がれ、何者かが扉を持ち上げて元に戻そうとしていた。

 その前に飛び込んできたユニに、扉が投げつけられたが、彼女は素早く身をかわして床を転がった。


 扉を投げた男が、意味をなさない怒号を上げて襲いかかった。

 その伸ばした両腕が、ぼとりと床に落ちた。

 両者の間に割って入ったアデリナがくるりと回転すると、腕に続いて男の首が吹っ飛んだ。

 黒いマントから出た彼女の右手には、刀身の短い剣が握られている。

 首を刎ねられた男の身体は、急激に萎んで崩壊を始めた。


 薄暗い部屋の隅から黒い影が跳ね上がり、天井を蹴って上からアデリナに飛びかかってきた。

 同時に、別の男が正面から突っ込んでくる。


 床に転がっていたユニが身を起こし、握っていたナガサを投げた。

 青白い燐光を放つ山刀は、上から襲ってきた男の右目に突き刺さった。

 顔を押さえて落ちてきた男の腹に、アデリナのブーツの底がめり込む。

 戸口から外へ蹴り出された男は、降り注ぐ朝日をまともに浴び、絶叫しながらのたうち回り、みるみるうちに灰と化した。


 一方、正面から突っかかってきた男は、蹴りを放ったアデリナに組み付くことに成功した。

 剣を持つ方の手首を掴んで動きを止め、肩で体当たりしながら、拳を顎のあたりに叩き込もうとした。

 吸血鬼の怪力で人間をまともに殴れば、顎が砕け、顔の半分がぐちゃぐちゃに潰れるはずだった。

 だがその寸前、アデリナの左手が男の拳を受け止めた。


 女の手は小さく指は細い。それなのに、男の大きな拳はぴくりとも動かせなくなった。

 男は腕を引き戻そうとしたが、アデリナはそれを許さない。

 彼女の白い指に力が入り、男の拳に指先がめり込んで血が噴き出した。


 アデリナは男の手を、一気に捻り上げた。

 男の肘関節が破壊され、腕の骨が折れて皮膚を突き破った。

 そして、彼女は男の腕を無造作に引きちぎると床に捨て、自分の右手をなおも押さえている方の手首を掴んだ。

 アデリナは恐ろしい力で男の手首を握り潰し、無理やり引き剥がした。


 堪らずに飛び下がった男に、彼女は片足を大きく踏み込み、右手の剣を振るった。

 弧を描く刃先があまりに速く、ユニは剣の軌跡を視認できなかった。

 ほんの少しの間をおき、〝ごとん〟と重い音を立てて男の首が落ちた。


 アデリナは素早く周囲を見渡した。

「こいつらは雑魚ばかりね。

 それより、ジルドともう一人の幹部がいないわ。どうやら逃げられたみたい」

 彼女は血と脂で汚れた剣を、マントで拭ってから鞘に戻した。


「もう倒しちゃったんですか?」

 少し遅れて入ってきたエイナが、呆れたような声を出した。


「ほとんどアデリナ一人でだけどね」

 ユニが肩をすくめる。


「そういや、オークの娘たちはどこかしら?」

「この小屋の中にはいないようね。気配が感じられないわ」


 エイナが小屋の奥の扉を開けて確認してみたが、そこはトイレと物置で、やはりオークの姿はなかった。

「ジルドが連れていったのかしら?」

「う~ん、あいつらは闇に潜ったんだと思うけど、オークは闇に入ったら人間と同じように意識をなくすの。

 そんなお荷物を抱えて逃げるような余裕、多分なかったんじゃないかしら」


 すると、ユニとアデリナの話にエイナが口を挟んだ。

「えと、あの……ひょっとして、援軍で小屋が手狭になって、炭焼き窯の中に移されたんじゃないでしょうか?

 あそこなら、三人くらい入れますから」

「なるほどね、そっちを見てみましょうか」


 三人は外に出てカメリアと合流し、エイナの案内で炭焼き窯に向かった。

 シルヴィアは上空を旋回したままで、空からの監視を続けている。

 窯は小屋から少し離れた森の中に築かれていた。

 一緒についてきたライガが、地面をしきりに嗅ぎながら、不機嫌そうな声を出した。


『ああ、オークくせえ! 間違いなく、この中にいるぞ』

 オオカミたちはオークが知性を持っていようと、基本的に彼らが嫌いなのだ。


「吸血鬼の気配はしますか?」

 エイナがアデリナの方を振り返った。

「いいえ。どうやらオークだけみたいね」


 エイナが窯の扉板を外し、ユニが先に入った。エイナとアデリナがそれに続く。

 カメリアとライガは警戒するため、外に残った。


 狭い通路を腰をかがめて進んで窯の中に入ると、すぐに特徴的なオークの体臭が鼻をついた。

 エイナがすぐに魔法で明かりを出した。

 窯の奥の壁に、縛られた三人のオークが身を寄せ合って、壁にへばりついていた。


 突然ついた明かりと、人間たちを恐れているようだった。

 ユニが前に出て、彼女たちの前にしゃがみ込む。


「ワァダ、ユニ。ヨベ? ワァンダ、ンガ、ヒヅネガオン」

 彼女は自分を指さし、ゆっくりと奇妙な言葉を話した。

 三人の娘たちは激しくうなずき、目から涙をぼろぼろ溢れさせた。

 ユニは腰のナガサを抜いて、彼女たちを縛っている縄を切り始めた。


 エイナが感心したように訊ねた。

「ユニさん、オークの言葉を喋れるのですか?」

「簡単な単語を並べるくらいだけどね。ジャヤから習ったのよ」


 自由になって立ち上がったオークの娘たちは、ユニやエイナとあまり背丈が変わらない。粗末な貫頭衣を着ただけの素足で、ガタガタと震えている。

 オークとしては、まだ子どもの範疇に入るのだろう。


「取りあえず、この子たちを外に出しましょう」

 ユニはオークの娘の手を引いて、出口へと向かおうとした。


 その姿が、ふいに消えた。

 手を握っていたオークの娘も同じだった。

 まるで、地面に吸い込まれたようだった。


「え?」

 何が起きたのか分からず、エイナは無意識に一歩、踏み出した。

 その足がずぶりと地面にめり込み、彼女は底なし沼に落ちたように沈んでいった。


      *       *


 気がつくと、そこは暗闇の中だった。

 空間の中にいるというより、粘っこい液体に浸かっている感じであったが、呼吸は楽にできた。

 これは身に覚えのある感覚――闇の通路に潜った時と同じであった。

 周囲を見回すと、近くにユニとオークの娘たちが倒れている。

 そして、黒いマントに身を包んで立っている、アデリナの姿も見えた。

 全員、同じ闇の空間に引きずり込まれたのだろう。


 闇の中には明かりなどないが、彼女たちの姿はそれ自体が発光しているように、はっきりと見えた。

 エイナは明かりの魔法を唱えてみた。確かに明かりは出現したが、ただそれだけで、周囲の闇が照らし出されることはなかった。

 エイナがアデリアの側に行こうとすると、足を動かさなくともすっと身体が移動した。


「えと、あの……これって、吸血鬼が使う〝闇の通路〟ですよね?」

 エイナはおずおずと母に訊ねた。


「そうね。オークの娘たちは餌で、あたしたちはまんまと罠にかかったみたい。

 あの子たちは気を失っているだけだから、あまり心配いらないわ」

「でも変です。私は闇の通路を使って、この炭焼き窯の中に出たことがあります。

 あの時は、オークの村へと続く道筋が、はっきりと知覚できました。

 でも、今は何も感じません」


「それは、ここが私の世界だからだ」

 ふいに聞き覚えのある男の声が響いた。

 振り返ると、いつの間に現れたのか、すぐ近くにジルドと見知らぬ女が立っていた。


「世界……というのが大げさならば、私が生み出した結界だと言ってもいい。

 どこにもつながっていない、ひとつの部屋のようなものだな。ただし、無限の広さを持っているがね」

 ジルドは含み笑いをして、隣に立つ女の方を見た。


「紹介しよう。この女はイザベラという。ベラスケス様にお仕えする、私の同僚だ」

 女は優雅な仕草で礼をしてみせた。

「イザベラよ、お嬢さん。どうかお見知りおきを……と言っても、アデリナの方は会うのは三度目ね」


「さて、こちらが自己紹介したのだ。

 そちらのお嬢さんにも名乗っていただこうか?」


 前に出ようとしたエイナを抑え、アデリナが代わりに答えた。

「このはエイナよ」


「そうか……」

 ジルドは短い口髭を摘まみながら、小さくうなずいた。


「エイナ嬢とは昨夜お手合わせを願ったが、王国の魔導士であったな。

 単刀直入に訊こう。

 なぜ、この闇の中で人間が意識を保っていられる?」

「そうよ。そこのアデリナなら分かるわ。汚らわしいダンピール、吸血鬼の出来損ないだもの。

 だけどエイナ、あんたの臭いはただの人間だわ。これはどういうことなの?」


 答えようとするエイナを、再びアデリナが制した。

「だって、エイナはあたしの娘だもの。別に不思議はないわ。

 あたしたちを闇に引きずり込めば、あたし以外は気を失うから、二対一で勝てると踏んでたんでしょう?

 お生憎あいにくさまね」


「嘘をお言いでないよ!」

 イザベラがわめく。


「ダンピールの子は、吸血鬼の能力をほとんど失って、ただの人間と変わらなくなる。

 闇に潜れるなんて話、聞いたこともないわよ!

 どうせ怪しげな魔法でも使っているんでしょう? この嘘つき!」


「イザベラ、そのくらいにしておけ。

 人間の魔導士が一人増えようと、どうせ足手まといになるだけだ。結果は変わらぬさ」

「ああ、分かっている。ここでアデリナを始末すれば、ベラスケス様がどれだけお喜びになることか!」


「あら、大した自信だこと。

 あたしの娘は、その辺のボンクラ魔導士とは出来が違うのよ。そっちこそ引導を渡してやるから、覚悟しなさい!」


 エイナはとっくに気づいていた。

 さっきから母が自分に発言を許さなかったのは、呪文を唱える時間を稼ぐためだ。

 エイナは音が洩れないよう、口の中で静かに詠唱を続けていた。ここは吸血鬼にも効果がある、炎系の魔法一択である。


 アデリナが吸血鬼にも聞こえるよう、大声で叫んだ。

「いい、エイナ? ここは意志の力が支配する世界よ!

 あなた(・・・)がジルドを倒すの! その意志を貫きなさい!!

 あたしはイザベラと決着をつける!」


 彼女は背負っていた長刀に右手を伸ばした。

 左に突き出た柄を握ると肩に担ぎ、ぐるりと弧を描くように抜き放つ。

 わずかに湾曲した片刃剣の刀身は、一メートルを超していた。

 かなりの重量があるそれを、アデリナは右手だけで軽々と振り回し、大上段に構えた。人間離れした膂力である。


 次の瞬間、アデリナだけでなく、イザベラの姿までも消えていた。

 彼女たちが動きがあまりに速く、視覚情報として入ってこないのだ。

 エイナの耳には、アデリナの剣と、イザベラの長く伸びた鋭い爪が打ち合う、乾いた音だけが響いてくる。


 エイナも覚悟を決めた。

 母に言われるまでもない、父の敵は自分が取らねばならない。

 彼女は右手をすっと上げ、特大のファイア・ボールを撃ち出した。

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