三十 母娘
「それで、アデリナと言ったな? お前は何故、ここが分かった?
それに『命の恩人』と抜かすのなら、最初から助勢しても罰は当たるまい。
なぜぎりぎりまで傍観していた?」
カメリアの尋問はなおも続いた。
その内容は、ユニとしても知りたいことばかりなので、彼女はあえて口を出さなかった。
エイナの方は、冷静に状況を分析できる精神状態ではなく、ただ母の顔を見て、懐かしい声を聴くだけで、胸がいっぱいになっていた。
「そうねぇ、〝あなたたちの実力を見極める〟ため……かしら?
吸血鬼について、あまりに無知だってことを除けば、あなたたち、結構〝いい線〟いってたわよ。
『なぜここが分かった?』は愚問よね。
あたしは〝吸血鬼狩り〟だもの、ジルドみたいな大物が王国に現れたのなら、追わずにはいられないわ」
「だから、その情報はどうやって掴んだと訊いている」
「あのねぇ、カメリアさん、訊けば何でも教えてもらえると思っているなら、ちょおっと甘いわね。
まぁ、あたしはベラスケスとは、昔から因縁があってね。
あいつが十年以上前から、王国に手を出そうとしてたこと、知ってたの。
だからそれなりに網を張っていて、奴らは今回、それにまんまと引っかかったってわけ。
情報獲得の手段は教えられないわ。商売上の秘密なの」
「待て! 『十年以上前から』って……貴様、一体いつから吸血鬼狩りをしているんだ?
――って言うか、そもそも何歳なんだ!」
「やだぁ! 女性に歳を訊くなんて、失礼じゃないこと?」
アデリナは同意を求めるように、ユニにすり寄った。
ユニはしなだれかかる彼女の身体を、肩で〝どん〟と撥ね返し、溜息をついた。
「この女の年齢については、追及しても無駄よ。
さっきも言ったけど、あたしはアデリナのことを調べたことがあって、いろいろと知っているのよ。
彼女、帝国南部の農村の間じゃ、結構な有名人よ。吸血鬼戦に関して十分な経験と実績があることは、あたしが保証するわ」
ユニがやんわりと諭すと、カメリアはハッとなった。
「そっ、そうだ! 肝心なことを忘れていた!
貴様っ、帝国人なのに、なぜ王国にいるのだ!?」
ユニはうんざりしたように、身を乗り出したカメリアの顔を押し戻した。
「あー、だからねぇ! 細かい事情は、この際目をつぶってちょうだい!
それより、今後の方針が先決だわ」
そして、にこにこしているアデリアに対し、真面目な顔を向けた。
「アデリナさん。
あなたが知っているかどうか分からないけど、あたしたちは吸血鬼に捕らえられている、オークの娘たちを助けなきゃならないの」
「そうみたいね。
そもそも。ジルドが王国に送り込まれたのも、オークを吸血鬼化するための実験だものね」
「そこまで知っているなら、話が早いわ。
あたしたちはどう動くべきか、あなたの意見を聞きたいの」
「そうねぇ……人質を救出すること自体は、そう難しくないと思うわ。
でも結局のところ、派遣された吸血鬼を倒さなければ、同じことが繰り返されるだけね。
いいえ、追い詰められたジルドは、もっと荒っぽいことを仕掛けてくる可能性が高いかも……」
「だけど、ジルドを滅ぼそうとしても、ベラスケスが出てくるんでしょう?」
「うーん、それなんだけどねぇ……。
いい話と悪い話の両方があるんだけど、どっちから聞きたい?」
ユニは肩をすくめた。
「いい話から」
「分かった」
アデリナが微笑み返す。
「ベラスケスは、ジルドを守らせていた闇を通して、こっちの様子を覗いていたわ。
だから、あたしの存在にも気づいてしまったの。
あたしが奴の出現を恐れているように、ベラスケスも自分の居場所を知られることを、極端に嫌がっているのよ。
あいつにつながるあの闇で、あたしはそれを探ることができるの。
で、ここからが〝いい報せ〟なんだけど、そんな事情があって、ベラスケスはあの闇を引っ込めたわ」
「つまり、もうジルドは魔法を防げないってこと?」
「そういうこと」
アデリナの言葉に、やっとエイナが反応して顔を上げた。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている彼女の顔を、アデリナはマントの裾で優しく拭ってやった。
「エイナちゃん、よく聞いて。
ジルドはあなたが倒すのよ。そして、そのことをお父さんのお墓にご報告しなさい。
あたしの言っている意味、分かるわね?」
エイナはしばし呆然としていたが、いきなり何かを理解したように、頬が紅潮し、瞳に意思の光が戻ってきた。
「はい、必ず! この命に代えても……!」
「そういうことは、軽々しく言うものじゃなくってよ。
それに、今のあなたならジルドだって倒せるわ。だから、あたしは手伝わない。いいわね?」
エイナは唇が白くなるほど噛みしめ、無言でうなずいた。
カメリアはこの会話を胡散臭そうに聞いていた。
アデリナが現れてからの異常な反応といい、エイナが何かを隠していることは間違いないと思ったのだ。
「えー、それでぇ……悪い方の話って、何かしら?」
ユニがわざとらしく挙手をして、カメリアの注意を逸らす。
「今の話の続きだけど、ベラスケスはジルドに与えていた助力を打ち切ったわけ。
でも、だからと言って、大事な直系眷属を見殺しにする気もないわ。
それで、代わりに援軍を送り込んできたの。多分、あらかじめ後詰として近くで待機させていた、別の幹部でしょうね」
「そんなことまで分かるのか?」
カメリアが少し呆れ気味に訊ねた。
「そのくらいの探知能力がなくちゃ、吸血鬼狩りなんてできないわ」
アデリナは得意そうに鼻をうごめかす。
「ベラスケスのところには、もう五人しか直系眷属が残っていないわ。
そのうちの二人が集まったのよ。
確かに手強いけど、両方とも滅ぼせば、ベラスケスの弱体化は決定的になるわ。王国への手出しも、諦めざるを得ないでしょうね。
幹部級の眷属の数が揃わなくては、国家召喚士の幻獣とまともに戦えっこないもの」
アデリナは、一同の顔を見回した。
「夜明けを待って、炭焼き小屋に向かいましょう。
それまで四時間くらいあるから、今のうちに少しでも休んでいるといいわ。
ジルドに回復の時間を与えるのは癪だけど、逆に言えば、それまでは向こうも攻めてこないはずよ」
* *
彼女たちはアデリナの提案に従い、小麦畑の中で仮眠を取った。
オオカミたちとカー君、そしてアデリナは起きていて、警戒に当たることとなった。
ユニとカメリアは、乾いた土の上に寝転がると、あっという間に寝息を立て始めた。
どんな状況でも可能な時に休めるのは、経験のなせる技である。
それに対して、エイナはどうしても眠ることができなかった。
やはり父は事故ではなく、殺されたのだ。母は身を隠しながら、秘かにジルドを追っていたのだろう。
だが、本当に自分は父の敵を討てるのだろうか?
彼女の頭の中では、思考が堂々巡りをするばかりだった。
一時間ほどして、エイナは音を立てないよう、そっと起き上がった。
そして、彼女たちから離れて立っている、アデリナの方に歩いていった。
夜闇に浮かび上がるアデリナのシルエットは、案山子のようで、長いマントが夜風に吹かれ、ゆらゆらと揺れている。
アデリナはエイナの動きに、最初から気づいていたようだった。
彼女が傍に近づくと、マントを広げて冷えた身体をすっぽりと包み込んだ。
マントの中で、エイナはアデリナにしがみつき、顔を押しつけてきた。
アデリナがその背中を優しく撫で、小さな声でささやいた。
「黙っていなくなって、ごめんね。あなたには、辛い思いをさせたわ」
彼女の豊満な胸に押しつけられたエイナの顔が、いやいやをするように左右に動いた。
そして、マントの中からくぐもった声が聞こえてきた。
「……分かってるの。
一緒にいたら、私まで危険になるからなんでしょう?」
「そうね、それも大きいけど……。
結局、ダンピールなんかが、人並みに暮らすこと自体、無理な相談だったんだわ。あたしは中途半端な化け物だものね」
「お願いだから、自分のことをそんな風になんて言わないで! お母さんはお母さんよ」
「そうじゃないわ。
エイナの〝クロエお母さん〟は、お父さんと一緒に死んだの。あたしは吸血鬼が人間の女に産ませた、醜い怪物に過ぎないわ。
ソドル村での十年は、あたしの願望が生み出した幻なのよ。あたしみたいな化け物に、そんな幸せを望む権利なんか、初めからなかったの。
だから、あたしはその罰を受けた。
ねっ、あなたの優しいお母さんは、あの時に消えてなくなったのよ。
化けの皮を剥がされたあたしは、人間であるエイナとは暮らせないの」
「違うわ! 嘘よ! お母さんは何も変わっていないわ!」
マントの分厚い布地を通して、エイナのすすり泣く声が聞こえてくる。
アデリナは悲しそうに首を振った。
「そうよ。あなただって気づいているんでしょう?
あたしはエイナが七歳の時から、全然変わっていないわ。ダンピールは二十代の半ばで成長も老化も止まるの。
もちろん、吸血鬼みたいに不老不死じゃないのよ。
ダンピールの存在自体が珍しいから、あまり記録が残っていないけど、およそ百五十から二百年くらいは生きるみたい。それも、ずっと若いままの姿でね。
もっとも、死んだ瞬間に一気に皺くちゃの老人になるんだって。
あたしは、エイナが思っているより、本当はもっとお婆ちゃんなの。
実の娘にも、ずっと嘘をついていたのよ」
マントの中からは、何も返事がなかった。
「あたしはエイナを捨てた、最低の化け物よ。
化け物ならそれらしく、好きなように生きようと思ったの。
あたしはニコルを殺したベラスケスを、決して許さない。
何年かかろうと、あの吸血鬼とその眷属を、一匹ずつ滅ぼして塵に変えてやると決心した。その望みが叶うのなら、この世界がどうなろうと構わない」
アデリナはいったん言葉を切り、マントの中でエイナをきつく抱きしめた。
「もちろん、エイナのことは、できるだけ見守っているつもりよ。
だけど、あなたのお母さんだった、クロエはもうどこにもいないの。残酷だけど、それだけは諦めてちょうだい」
アデリナは一方的に話し続けたが、相変わらずエイナの返事はなかった。
ただ、声を殺したすすり泣きだけが、いつまでも続いていた。
* *
「まったく、酷い目に遭ったものだ……」
炭焼き小屋の中で、ジルドは粗末な椅子に座ってぼやいていた。
身体の再生はほぼ完了し、白髪頭の年配者の顔とは似合わない、引き締まった裸身が見事だった。
カーバンクルの火球で全身を焼かれ、衣服も下着も失ってしまったのだ。
テーブルの向かい側では、黒いドレスを着た三十代くらいの女が、汚物でも見るような目でジルドを見ていた。
「いいかげん服を着たらどうだ、着替えはあるんだろう?
私はお前の萎びた○○○を見るために、こんなクソのような僻地に来たわけではないぞ」
ジルドは不貞腐れたような笑いを浮かべた。
「ああ、俺だって目の前にいるのが若い処女だったら、旗竿みたいにおっ勃ててみせるさ。
だが、クソのような僻地にうんざりだという点では、同意見だな。
そもそも、この計画はイザベラが進言したものだ。最初からお前が来ればよかったのだ」
イザベラと呼ばれた女は、足を組み直しながら顔を歪め、床に唾を吐いた。
整った顔で美人と言えるのだろうが、栗色の髪をひっつめにし、きつい目付きと高い頬骨のせいで、親しみがまったく感じられない。
「ベラスケス様の決定に異を唱えるつもりか? 大した忠誠だな。
貴様が選ばれたのは、一番王国の事情や地理に詳しいからだ。
何しろ、十年以上もあの吸血鬼狩りの尻を追いかけて、無駄な時間を浪費したのだからな。その程度の役には立つだろう、という思し召しだ。
それがどうだ? このざまだ。
たかが人間の魔法使いに、いいように嬲られて、恥ずかしいとは思わんのか?」
「ふん、そう思うのなら、お前一人で奴らを片付けてくればよかろう」
「そうしたいところだがな……。だが、アデリナが現れたとなれば、そうはいくまい。
認めたくはないが、あれは手強い」
「しかし、俺は目も耳も失っていて分からなかったが、本当にあの女が現れたのか?
これまで十年以上、俺たちの手から逃れ続けていたのだぞ?
俄かには信じがたいな……」
「ベラスケス様が見たとおっしゃるのだ。疑うのは不敬であろう!」
「別に疑ってはおらん。俺は驚いているのだ。
だが、吸血鬼狩りが一枚噛んでいるのなら、あの魔導士たちが、こちらの動きを掴んでいることもうなずけるな」
「ああ。どうせ、この小屋のこともバレているんだろう。
奴らは夜明けとともに襲撃してくるに違いない。どうするつもりだ?
もう、ベラスケス様のお力は借りられない。炎魔法の直撃を受ければ、死なないまでも再生に時間がかかるぞ」
イザベラの懐疑的な口調に、ジルドは余裕を見せた。
「案ずるな、策はある。聞くか?」
女が赤い紅を塗った唇の端を吊り上げると、鋭く伸びた白い犬歯が顔を覗かせた。
「よかろう。聞こうではないか」