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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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二十九 黒い女

 ユニ、エイナ、カメリアの三人は、オオカミの背に乗って現場に向かった。

 夜目の利くエイナが、カメリアの魔法が吸血鬼に命中し、さらに上空からカー君が火球で焼き払ったことを確認したからだ。

 八十メートル程度の距離なら、オオカミたちは十数秒で到着できる。


 三人の女たちは、激しく揺れるオオカミの背中にしがみついていたので、その間にシルヴィアがジルドにとどめを刺そうとして、突然倒れたことを知らない。

 しかし、夜闇を切り裂くようなカー君の咆哮によって、何らかの異変が起きたことには気づいた。


 エイナはロキの背から、明かり魔法を放った。

 強烈な光が上空に打ち上げられて小麦畑を照らし、彼女たちにも現状が呑み込めた。

 シルヴィアがうつ伏せに倒れ伏し、土にまみれた金髪が乱れて広がっていた。

 その周りをカー君がぐるぐると回り、ひんひんと悲し気な声を上げている。


 ユニとエイナがオオカミから滑り降り、シルヴィアのもとに駆け寄った。

 カメリアは、肩の怪我を気遣ったヨミがのそのそ歩くので、到着が大幅に遅れた(カメリアが走るよういくら命令しても、オオカミは頑として聞き入れなかった)。


「シルヴィア、しっかりして!」

 エイナがシルヴィアを抱き起して揺すぶった。


「カー君、何が起きたの? 吸血鬼はどこ!?」

 ユニは素早くシルヴィアの状態を確認しながら、カー君には目もくれずに怒鳴った。

 シルヴィアには外見上の傷はなく、出血も認められなかった。

 耳の下に指を押し当てると、しっかりとした鼓動が感じられるし、鼻からは規則正しく息が吐き出されている。


 ユニはシルヴィアを抱きかかえているエイナを手で制し、そっと土の上に寝かせた。

 そして、今度は手足を順に持ち上げて、骨折の有無を確認する。


「命には別条ない。大きな怪我もしてないみたいね。

 多分、軽い脳震盪を起こしているんだと思うわ。しばらく動かさない方がいい」


 ユニはそう診断を下すと、エイナと顔をくっつけて安堵の溜息を洩らしたカー君を睨みつけた。

「あたしは質問したはずよ、カーバンクル。

 その頭にまともな脳みそが入っているなら、さっさと答えてちょうだい!

 何が起きたの? 吸血鬼はどこにいったの!?」


 ユニの詰問に、カー君はしどろもどろになった。

『えっと、それが……僕にもよく分かんないんだよ。

 シルヴィアは吸血鬼の首を刎ねて、それでも死なないから、バラバラに切り刻むっていってたの。

 そしたら、あいつ(・・・)が突然現れて、後ろからシルヴィアの首に手刀を当てたんだ。

 僕がシルヴィアを助けようと飛びかかったら、そいつは消えちゃって、気がついたら吸血鬼も姿を消していたんだ』


あいつ(・・・)って、新手の吸血鬼?」

『多分……違うと思う。

 吸血鬼と似た雰囲気があったけど、闇の一族特有のぞくっとする感じはなかった。

 でも、絶対怪しいよ! なんたって、シルヴィアを襲ったんだから』


「姿は見たんでしょ? 顔は見たの?」

『それが……一瞬のことだったし、黒づくめで大きな帽子を被っていたから、顔は見えなかったの。

 でも、女にしては割と背が高かった。シルヴィアと同じくらいかな?』


「え! そいつ、女だったの?」

『うん、女の人の匂いがしたから……』


「しかし妙だな……」

 遅れて到着し、周辺を調べていたカメリアが、側に寄ってきて話に加わった。


「状況から考えて、その女が瀕死の吸血鬼を救ったのだろう?

 背後から不意打ちができたのなら、なぜシルヴィアを殺さなかった?

 カーバンクルが吸血鬼じゃないと言うからには、そいつは人間だということになる。なぜ人間が吸血鬼の味方をする?」


 ユニは肩をすくめた。

「さあ……その女に直接訊いてみないと、何とも言えないわね。

 でも、あんたの言うとおり、現時点では敵と見做した方がよさそうね」


「あら、それは困るわ」

 ユニの耳朶に暖かな吐息がかかり、不意に女のささやき声がした。


「!」

 ユニは息を呑み、一瞬で振り向いた。

 その手にはナガサ(山刀)が握られ、いつの間にか背後に立っていた、女の首元に突きつけられていた。


 だが、女はナガサの鋭い刃を、右手の親指と人差し指の二本だけで挟んで受け止めていた。

 ユニが力を渾身の力をこめて引こうとしても、ナガサはぴくりとも動かない。


「おお、怖い! いきなり切りつけるなんて、危ないわよ」

 上空には、ユニが出した明かり魔法が煌々と輝いていたが、女はつばの広い帽子を被っているため、陰となって顔がよく見えない。

 ただ、真っ赤な紅を引いた唇の端が、きゅっと上がっていることだけは、見てとれた。


「よくご覧なさい。あなたのナガサ、刀身が青く光っていないでしょ?

 あたしは敵じゃないわよ、ユニさん」

「ずい分と詳しいじゃない? それに、あたし自己紹介をした記憶なんてないわよ」


「そりゃあ、お互い様よ。

 あなただってしつこく嗅ぎ回っていたでしょ。気づいていないと思った?

 それだけ熱心な求愛者なら、どんな人か気になるのが、人情ってもんじゃない?」


「…………!」

 ユニは一瞬、言葉を失った。今の言葉で、相手が誰であるかを覚ったのだ。


 女は相手の害意が失せたと判断したのか、ナガサから指を離してくれた。

 ユニも右手を引き戻し、物騒な武器を腰の鞘に刀身を戻した。

 そして、改めて女の姿をまじまじと眺めまわした。


 つばの広い黒い帽子で顔を隠し、長く黒いマントで全身を覆っているので、身体も見えない。

 かろうじて、黒い編み上げブーツを穿いた足元と、背負った長刀の柄が左肩から覗いているのは確認できる。


 ユニが彼女を見るのはもちろん初めてだが、その出で立ちには馴染みがあった。

 帝国南部の農村で、何度も話に聞いた姿そのものだったからだ。

『マントと帽子を身に着け、全身が黒ずくめで、長刀を背負ったぞっとするような美女』


 ユニはいきなり女の腕を引っ掴み、唖然としているエイナとカメリアに背を向け、その場から連れ出した。

 そして、肩を抱くようにして、背の高い女をかがませる。

 ユニは彼女の耳に顔を寄せ、掠れた声でささやいた。


「あんた、〝吸血鬼狩り〟のアデリナ――って言うより、エイナのお母さんでしょ!」

「あらあら……」

 女がくすくすと笑い、それに答えようとした時、背中から声がかけられた。


「えと、あの、お母さん……ですか?」


「ひっ!」

 ユニが悲鳴を上げて振り向くと、いつの間に近寄ったのか、そこにはエイナが立っていた。

 彼女は今にも泣きそうな顔で、両手を胸の前で組んでいる。


 ユニは慌ててアデリナを突き飛ばすと、今度はエイナの肩を抱いてさらに五、六歩先へ歩いた。


「いいこと、エイナ!

 お願いだから、今は他人の振りをしてちょうだい!

 あんただって、母親がダンピールだってことは、秘密にしておきたいでしょ?

 シルヴィアはいつ目を覚ますか分からない。それ以上に、カメリアに知られるのが一番まずいわ。

 後で必ず二人きりにしてあげるから、今は我慢してちょうだい。いいわね!!」

「そうよぉ! 帝国の軍人に〝吸血鬼の子〟だって知られたら、お母さん困っちゃうわ」


「ぎゃっ!」

 いきなり耳元でささやかれたユニは、再び悲鳴を上げて跳び上がった。


「もうっ、あんたたち親子は!

 お願いだから、気配を消して近づくのは止めてちょうだい!」


 ユニは立ち上がり、エイナとアデリナの手を引いて、カメリアの方へと戻った。

「ずい分と堂々とした内緒話だったな。お前たち、知り合いだったのか?」

 三人を迎えたカメリアが、疑うような声を上げた。

 そして、凄みのある目つきでユニを睨んだ。


「どういうことか、説明してもらえるんだろうな?」


 ユニは大きな溜息をついた。

「えーっとね、その説明ってのが、もの凄く難しいのよ!

 まず、第一に彼女の名は、アデリナ。苗字は事情があって明かせない。

 それで、あたしは彼女と会うのは初めてだけど、噂は聞いて知っている。

 アデリナは有名な吸血鬼狩りよ。だから、彼女がここに現れたのも、何となく想像がつくわ。

 ただ、詳しいことは何も分からない。説明してほしいのは、あたしも同じよ」


 アデリナはユニに紹介されると、ようやく帽子を取った。

 明かり魔法の光に照らされ、ようやくその素顔が見えた。

 エイナとよく似た大きな目をしており、髪の色も同じ黒だった。

 しかし、娘に比べるとずっと成熟した大人の女で、とてつもなく美しかった。


「初めまして、帝国の軍人さん。ただ今ご紹介にあずかりました、アデリナと申します。

 お願いだから、あまり睨まないでちょうだいね。怖くておしっこ漏らしそうだわ」

「ふん、ふざけた口を利く娘だな。

 とにかく、じっくり話を聞かせてもらおう!」


「そうね……立ったままじゃ何だから、座りませんこと?」

 アデリナはそう言って、すっと地面に横座りになった。

 カメリアも躊躇せず、どかっと腰をおろして胡坐あぐらをかく。土の上でもまったく気にせずに座れるのは、いかにも軍人らしかった。


 エイナも黙ったまま、腰をおろして膝を抱えた。ただ、彼女の目はアデリナの顔を見詰めたままで、涙いっぱいに溜めていた。

 ユニも座ったが、彼女もエイナと同様、アデリナの顔から目を離せなかった。


 ユニは何年もの間、アデリナのことを調べ、跡を追い続けていた。

 彼女がエイナを産んだのは、三十歳に近い年齢のはずだった。エイナはいま十九歳だから、アデリナは五十に近いということになる。

 それなのに、ユニの目の前にいる女は、どう見ても二十代半ば、あるいは後半としか思えなかった。


 エイナは十年ぶりに母親に会った興奮で、少女時代の記憶のままの母に対し、まだ何の疑念も抱いていないようだったが、冷静になればこの異常さに気づくだろう。

 それにしても、この見た目は無茶苦茶である。何も知らないカメリアが、アデリナを年下と見做して〝娘〟呼ばわりしたのも当然であった。


      *       *


「まず、ジルドとかいう吸血鬼はどうした!」

 まず最初に、カメリアが尋問口調で詰め寄った。


「逃げたわ……って言うか、見逃してあげたと言った方が正確かしら」

 アデリナは顎に人差し指を当て、可愛らしく小首をかしげた。仕草までも娘そのものである。


「だが、奴は私の魔法をまともに受けて、ぐちゃぐちゃになっていたはずだ。

 カーバンクルの言うことを信じれば、シルヴィアによって首まで刎ねられたと言うではないか。

 そんな状態で、どうやって逃げることができた?

 それ以前に、止めを刺そうとしていたシルヴィアを、なぜ貴様は襲ったのだ?」

「やだぁ、それだと、まるであたしが〝悪者〟みたいじゃない。

 違うのよ。あたしは、そのシルヴィアちゃんを――いえ、あなたたち全員を救ってあげたのよ。いわば命の恩人ね」


「ふざけたことを抜かすな!

 奴は瀕死の状態で、反撃する力などもう残っていなかったはずだ!」

「ジルドはね」

 アデリアはうなずき、顎に当てていた人差し指を立てて、左右に振ってみせた。


「でも、そこが甘いのよ。

 あなたたちの戦いは、こっそり覗いていたわ。

 ねえ、エイナちゃん。あなたが出した炎系の魔法って、ジルドに通じなかったでしょ?」


 エイナは鼻をすすり上げながら、こくんとうなずいた。声を出したら泣いてしまいそうだった。


「ジルドは真祖じゃないのよ。あくまで眷属に過ぎないわ。魔法を無効化する能力なんて、持ってるわけないのよ。

 あれは、あいつの主人である、ベラスケスの能力だわ。

 ほら、ジルドは粘性のある闇を身にまとっていたでしょ? ベラスケスはあれを利用して、自分の眷属を守っていたのよ」


 だが、カメリアの追及は続いた。

「しかし、そのベラスケスとやらは、帝国の南部に巣食う吸血鬼であろう?

 南部のどこにいるかは知らんが、少なくともここから七、八百キロ、下手をしたら千キロも離れているかもしれない。そんなことが可能だとは、にわかには信じがたいな」


「吸血鬼にとって、闇の世界では距離や時間なんて意味を持たないのよ。

 ベラスケスは有力な眷属を失い過ぎたの。

 だから、ジルドを王国に派遣するに当たって、万が一にも彼が滅びないよう、保険をかけたのね。

 満足に再生ができなくなっていたジルドの残骸を、連れて行ったのは人の形を成した闇だったわ。それはベラスケス本人の姿だと言い換えてもいいわね」


 アデリナはいったん言葉を切り、呼吸を整えた。

「さて、ここで問題です。

 もし、シルヴィアちゃんが、あのままジルドに止めを刺そうとしていたら、ベラスケスはどうしていたでしょう?」

「あの闇が、シルヴィアと戦っていた……のか」


「あら、惜しい。でも、あの闇はジルドとベラスケスをつなぐ、魔法の通路みたいなもので、それ自体に戦闘能力なんてなくってよ。

 だから、本当に緊急事態で眷属を救う必要が生じたら、ベラスケス本人が出てくるしかなくなるのね」

「千キロも離れているのにか?」


「だーかーらぁ、距離は関係ないって言ったでしょ!

 もちろん、そんな無茶をすれば、いくら真祖でもごっそりと寿命を削る羽目になるから、滅多にできることじゃないわ。

 だけど、今のベラスケスにとって、残り少ない直系の眷属は、絶対に失いたくない手駒なのよ。だから、リスクを覚悟で出てきたでしょうね。

 そして、もし彼が現れたなら、その原因を作ったあなたたちを、絶対に許さないわ」

「真祖とは、そんなに強いのか?」


「ええ。いくらあなたたちが魔導士や召喚士であっても、勝ち目はないわね。

 あたしがいたとしても、自分の身を守って逃げるのが精一杯だわ。

 だから、あたしはシルヴィアちゃんを止めて、ジルドを見逃したの。

 あたしが〝命の恩人〟だって言った意味、分かってくれた?」


「……ああ。ひとまず貴様の言うことは信じよう」

 カメリアは渋々とうなずいた。


 カメリアは艶然と笑ってみせた。

「あら、素直じゃないのね。もっと褒めてくれてもいいのよ?」


 だが、その細められた目の奥には、ぞっとするような冷たい光が宿っていた。

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