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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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二十六 騎乗訓練

「こっ、これ(・・)に乗るのか……?」


 カメリアは、目に前にでんと寝そべっているオオカミを前に、立ちすくんでしまった。

 見た目はオオカミそのものなのだが、何しろデカい。尻尾を含めた体長は、馬よりも上だろう。


 ユニはその横で、腕組みをして偉そうに立っていた。

「素人がオオカミに乗って、いきなり森の中を走るなんて、本当は危なくて嫌なんだけどね。

 贅沢は言ってられないわ。ここで練習して馴れてちょうだい。

 まずは跨ってみて」

「ま、待て。鞍はつけないのか? 手綱は?

 あぶみもなしに、どうやって踏ん張るのだ?」


「そういうのは、この子たちが嫌がるの。動きが妨げられるからね。

 つべこべ言わずに早く乗って」

「本当に大丈夫なんだろうな……まさか、噛んだりしないわよね?」

 カメリアの表情が不安で曇り、語尾が弱気になっている。


「ひょっとしてあんた、犬とか怖い人?

 ほら、よくいるじゃない。小さいころに犬に追いかけられたのがトラウマになったとか……」

「そそそ、そんなことはないぞっ! 無礼なことを言うな」


 カメリアは顔を赤くして、寝そべっているオオカミに跨ってみせた。

 ユニがその腕を握って、前の方に手をつかせた。


「首のあたりの毛をぎゅっと掴んで。大丈夫、強く握っても痛がらないわ。

 肘は少し曲げて、身体はやや前傾させる。

 膝の内側で胴を挟んでしっかり締めるのが、身体を安定させるコツね。

 足はぶらぶらさせずに、軽く脇腹につけて。

 出発する時は、踵で軽く蹴って合図をするの。止まる時は、首の毛を両手で軽く引っ張ればいいわ」

「立たせる時はどうするのだ?」


 カメリアは言われたとおりの姿勢を取りながら、そう訊ねた。

 やっぱりオオカミが怖いのか、思ったより素直な生徒ぶりである。


「立ってと言えば、ちゃんと聞いてくれるわよ」

「え! こいつら、言葉が分かるのか?」


「こいつらとは失礼ね、この子はヨミって言うの。

 雌だけど、軍隊で言えばうちの群れの副隊長に当たるわ。

 多分、一番賢いし、二番目に優しい。不慣れなあんたには、ちょうどいいでしょう?

 それと言葉の件だけど、うちのオオカミたちは、あたしの耳を通して人間の言葉を聞くことができるのよ。

 あたしが近くにいなくても、簡単な言葉なら理解してくれるわ」


「え、ええと……ヨミ?

 私はカメリアだ、よろしく頼む。ちょっと立ってくれないか?」

 カメリアが身体を傾け、横から覗き込むように声をかけると、ヨミがのそりと立ち上がった。

 そして、振り返って『これでいいの?』という顔をして、尻尾をばさばさ振ってみせた。


 ユニが慣れた仕草で巨大なライガに飛び乗り、カメリアの横に並ぶ。

「じゃあ、まずは歩いてみて」


 カメリアが軽く踵で合図すると、ヨミはゆっくり歩き始めた。

 彼女たちが騎乗の練習をしているのは、村の広場だったが、周囲には大勢のオークたちが物珍しそうに見物をしていた。

 カメリアを乗せたヨミがのそのそと近づいていくと、慌てたようにオークたちが後ずさり、人波が崩れた。


「曲がりたい方の毛を引っ張れば、そっちへ行ってくれるわよ」

 横からユニが声をかける。

「基本的に、進路はオオカミが自分で判断するから、方向指示は大雑把でいいわ。

 円を描きながら、今度は駆足をやってみて」


 カメリアが先ほどより少し強めに脇腹を蹴ると、ヨミは駆足に移った。

 すぐにユニが並走してきた。


「そう、結構揺れるから、膝のバネで上下動を吸収して。

 うん、やっぱり馬に乗り慣れている人は勘がいいわね。

 背骨が当たってあそこが痛いから、自然に腰が浮くでしょう?

 それがオオカミに乗る時の基本姿勢よ」

「りっ、理屈は分かるが、この格好を続けるのは、かなりきついな!」


 広場を何周かして、訓練が終わった。

 ヨミから降りたカメリアは膝ががくがくして、思わず尻餅をついてしまった。

 ユニが苦笑いをして、手を差し伸べる。


「多分、キルト村に着いたら、もう歩けなくなると思うけど、次の朝までには復活してね。

 そうでなくちゃ、あんたを連れて行く意味がなくなるわ」


 ユニの手を払いのけ、自力で立ち上がったカメリアは平静を装った。

「心配するな。これでも鍛えている。

 大体の感じはつかめたから、何とか対処できるだろう」


 そして、彼女の言葉が嘘ではないことを、ユニたちは知るのであった。


      *       *


 準備を整えたユニとエイナ、それにカメリアは、早めの昼食を腹に詰め込んでから出発した。

 シルヴィアとカー君は、カメリアが騎乗訓練をしている間に、一足先に飛び立っていた。


 初心者のカメリアがいるとはいえ、明るいうちにキルト村に着かなくてはならないから、オオカミたちはかなり速度を上げた。


 森の中を走るのは、練習とはまるで違う。

 木の根や倒木を避けるため、いきなり方向を変えたり、高く跳躍することもある。

 身体がいきなり横に振られたり、跳ね上がったりするから、騎乗に慣れているエイナでも大変だった。

 しかし意外なことに、カメリアは危なげなくヨミを乗りこなし、一度も振り落とされなかった。


 最初の休憩を取った時、ユニはこっそりヨミに訊ねてみた。

『カメリアはどんな感じ?

 思ったよりうまく乗っていて、後ろから見ていて驚いたわ』

『びっくりしたのはこっちよ。あの、子どもみたいに小柄だから、練習の時から軽いなとは思ってたの。

 だけど、走り出してみたら、不自然なくらいに体重を感じないのよ。

 ひょっとして彼女、魔法を使ってるんじゃないかしら?』


『ははぁん……多分、自分に重力魔法をかけているのね。

 よくそんなことを考えつくわね』

 ユニは感心したように唸った。なるほど、実質的に体重を軽くすれば、それだけ下半身にかかる負担が軽減される。

 だが、不安定な状態で、自分自身にだけ魔法を作用させ続けるのは、簡単なことではあるまい。


『それなら、あんまり手加減する必要はなさそうね』

『そうでもなさそうだけど……』


 ヨミはちらりと視線を動かした。

 オオカミの目には、草の上で芋虫のように転がったカメリアが、背を反らせて呻いている姿が映っていた。


      *       *


 エイナたちは、午後の五時前にキルト村に到着した。

 今は夏だから、陽が落ちるまでは、まだかなりの時間があった。


 キルト村は支郷だが、もう八十年以上前に開拓が始まり、今ではそこそこ大きな村になっていた。

 周囲は頑丈な丸太の塀で囲まれ、ちょっとした砦の雰囲気がある。

 村の大門は街道側にあって警備も厳重だが、森林側の裏門は農作業から帰ってくる村人が多いので、まだ開けられたままになっていた。

 門番をしていた男は、ユニとオオカミたちがやってくると、笑顔で迎えてくれた。


「よお、ユニ! 久し振りじゃないか。

 午後に変な獣に乗った娘っ子がやってきて、夕方までにあんたが来るって知らせてくれたんだ」

「その〝娘っ子〟は、今どこにいるの?」


 男はのんびりと答える。

「ああ、ガボットの家にいるはずだよ」


 ユニは首を捻った。

「ガボット……って、誰だっけ? あたしの知ってる人?」

「ああそうか、ガボットのカミさんが、炭焼きのメド爺さんの娘って言えば分かるかい?

 金髪の姉ちゃんは、メド爺さんと会ってるはずだよ」


「爺ちゃんが村にいる!? 何で炭焼き小屋じゃないの?」

 ユニがいきなり大声を上げたので、門番は目を剥いた。

「そうかぁ、ユニは知らないんだっけ。

 爺さんは去年腰を痛めたんだよ。それで娘のクレイプが猟は危ないからって、無理やり家に引き取ったんだ。

 冬の炭焼きの方は、続けているんだがね」


「そうなの……、でもよかった!

 教えてくれてありがとう。あたしたちも行ってみるわ」


 ユニは門番の男から家の場所を教えてもらい、村の中に入った。

 エイナとカメリア、そしてライガが後に続く。

 ほかのオオカミたちは、いつものように村の外で適当に休むつもりで、それを見送っていた。


「おおい、ユニ!」

 門番が後ろから声をかける。


「このオオカミたち、俺の畑で休ませてくれないか!」

「分かった。そう言っておくわ」

 ユニが振り返って手を振った。


 オオカミたちが排泄した場所には、シカやイノシシといった作物を食い荒らす害獣が近寄らなくなるので、農民に喜ばれるのだ。

 乾燥させたオオカミの糞は、ユニの重要な収入源の一つになっているくらいだ。


 村に入ると、夕食の準備をするいい匂いがあちこちから漂ってきた。

 村の中を流れるせきでは、農作業から帰ってきた男たちが集まり、顔や足の汚れ、農具の泥などを落としている。

 すれ違う村人たちは、顔見知りであるユニとライガには笑顔だが、エイナとカメリアに対しては〝よそ者〟用の表情を見せた。


 教えられたガボットの家は、ごくありきたりの農家だった。

 家の軒下には、カー君がだらしなく寝そべっていて、村の子どもたちが遠巻きにして眺めている。


 扉をノックするとすぐに開き、中年の女が顔を出した。彼女がクレイプなのだろう。

「ああ、やっぱりユニさんかい。

 あんたの知り合いってが来ているよ。中にお入り」


 ユニが礼を言って家に入ると、居間のテーブルにシルヴィアと小柄な老人が向かい合って座っていた。

 二人とも、ユニの顔を見ると笑顔を浮かべた。


「ユニ先輩、思ったより早かったですね!」

「おお、ユニ! わしの小屋に盗賊が隠れているそうじゃないか!」

 二人が腰を浮かし、同時に口を開いた。


 事前の打ち合わせで、村の肝煎きもいりには、『強盗団の一味が女児を誘拐し、メド爺さんの炭焼き小屋に押し入った』ということにしていた。

 ユニとエイナたちは、第四軍の依頼で犯人の行方を追っていて、それを突き止めたところだ……という設定である。


 当たり前の話だが、吸血鬼の存在を明かしたら村はパニックになるし、ましてや人質がオークと知れれば、逆に村人が暴徒に豹変する恐れすらある。

 情報を制限するのは当然であったが、メド爺さんが村にいたのは想定外だった。


 ユニは空いている椅子に腰をおろした。

「メド爺ちゃん、シルヴィアから話は聞いたと思うけど、爺ちゃんの小屋に悪党が潜んでいるの。

 あたしたちは、そいつらを捕まえに来たんだけど、相手の抵抗が考えられるの。

 場合によっては、小屋や窯に被害があるかもしれないけど、許してちょうだい。

 ちゃんと軍には報告して、被害の補償が出るようにさせるわ」

「ああ、構わんとも。小さな女の子を誘拐するなんざ、人間のすることじゃねえ!

 遠慮せずに暴れてくれ」


 ユニは手を伸ばし、爺さんの皺だらけの手を握った。

「ありがとう! 必ず人質の子は助けてみせるわ。

 だから、爺ちゃんは絶対に小屋の様子を見に行ったりしちゃ駄目よ!

 あたしたちは顔を出せないかもしれないけど、ことが済んだら、必ず報せを届けるって約束する」

「ああ、あんたがそう言うなら、もちろん信じるさ」


「ありがとう。でも、本当によかったわ!

 あたし、爺ちゃんが悪党に殺されたんじゃないかって、すごく心配したのよ」

 ユニはそう言って、老人の白髪頭をぎゅっと胸に抱きしめた。


 そして邪魔をしたことを詫び、彼女たちは慌しく外へ出た。

 この家の主婦でもあるクレイプは、これから帰ってくる夫と息子たちのために夕食を作らなくてはならない。

 大勢の客が居座っては、明らかに迷惑である。


 ユニはその足で役屋に行き、肝煎に挨拶をしてから、シルヴィアが確保してくれた宿に向かった。

 と言っても、この村には宿屋などなく、火を使わないことを条件に、肝煎の種籾小屋を貸してもらったのだ。

 食事は肝煎の女房が作って、小屋まで運んでくれた。


 周囲は薄暗くなってきたから、彼女たちはそそくさと食事を済ませた。

 カメリアは、傍目にも気の毒なくらいに疲れて眠そうだったが、一同は寝る前の打ち合わせを行った。


 まず、村に最近、不審死や行方不明者がなかったかの確認が行われた。

「それが……肝煎の話だと、それらしい事件は起こってないらしいの」

 シルヴィアがそう説明したのだが、どうも歯切れが悪い。


「変ね。吸血鬼たちはこんな遠方まで出張ってきて、オークの村から女の子をさらっているのよ。

 炭焼き小屋が無人だったとすれば、村の人間を襲って血を補給しないと、とても持たないはずだわ。

 本当に犠牲者は出てないの?」

 エイナが率直な疑問を口に出した。


 だが、シルヴィアは首を振った。

「もしそんなことがあれば、絶対に肝煎の耳に入るわ。

 大きな町だったら別だけど、この村じゃ全員が顔見知りだから、信じていいと思う。

 ただね、三日前に食糧の盗難事件は起きてるのよ。

 結構な量だったらしいけど、犯人の痕跡は何ひとつ見つかっていないそうよ」


「それって、現場は調べてみたの?」

 今度はユニが訊ねる。


「いいえ、話を聞いただけです。そんな時間はなかったですから」

「じゃあ、明日の朝一番に調べてみましょう。

 ライガとカー君がいれば、吸血鬼の仕業なのかが分かるかもしれないわ」


「その現場検証が終わったら、すぐに炭焼き小屋に向かいましょう。

 吸血鬼は太陽の光に弱いけど、特に朝日を嫌うらしいわ。

 まず小屋を包囲したら、カメリアの投石魔法で扉と窓をぶち破って、中に光を入れる。

 敵が混乱しているところに突入して、あたしは人質の救出、エイナとカメリアは協力して吸血鬼の殲滅を担当。

 カメリアが重力魔法で敵の動きを止め、エイナが攻撃魔法でとどめをさす段取りね。

 下っ端はオオカミたちでも対処が可能だけど、第二世代の相手は、あんたたち二人が頼りよ。

 カメリアとカー君は、状況に応じて不利な方に加勢してちょうだい」


「かなり大雑把な作戦だが、そんなもので大丈夫なのか?」

 カメリアが指揮官らしい懸念を口にした。


「あたしたちは寄せ集めなのよ。連携訓練もしていないのに、細かい作戦を立てたって上手くいくはずないわ。それより臨機応変よ!

 さぁ、分かったら寝ましょう。今のあたしたちは、疲れと眠気でろくに頭が回っていない。

 明日の朝になって、もっといい案が浮かんだら、また検討すればいいわ」


 現実的なユニの意見に、まっ先に賛成したのはカメリアだった。

 それくらい、彼女は疲弊していたのだ。


      *       *


 麦わらの寝床に潜り込み、全員が泥のような眠りに落ちているなか、シルヴィアがふと目を覚ました。

 誰かに呼ばれたような気がしたのだ。


『よかった。やっと起きたね。さっきから何度も呼んだんだよ』

『その声……カー君なの?』


 カー君は眠りを必要としないので(彼がよく寝ているのは、あくまで趣味)、小屋の外で不寝番をしていたのだ。

 その彼がシルヴィアを起こしたということは、何かがあったのだ。

 ぼんやりしていた彼女の意識が、徐々に覚醒してきた。


『すごく嫌な気配がする! 多分、吸血鬼が村に入り込んでいるんだと思う。

 みんなを起こした方がいい。できるだけ静かにね』


 シルヴィアの背中に冷たいものが走り、彼女は血相を変えて、藁の中から飛び起きていた。

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