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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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二十五 炭焼き小屋

「……いつから気づいていたの?」

 ユニは酷く疲れたような顔をしていた。


「両親が――というより、母が父と出会う以前から、吸血鬼狩りをしていたという話を聞いてからです。

 父は爆裂魔法が使えるほどの魔導士ですから、まだ分かります。

 ですが、いくら母が武術の達人であったとしても、普通の人間が吸血鬼と戦えるはずがありません。

 私の治癒力や闇に潜る能力のことを考え合わせると、母が私よりもさらに強い能力、即ち吸血鬼のそれを受け継いでいる……という答えしか出てきません」


 ユニは小さく溜め息をついた。

「証拠はないの。あたしが二度も帝国に渡って調べた結果、〝そうじゃないか〟って推測しただけなのよ。

 あたしは吸血鬼に襲われ、あなたのお母さんに救われたという村を回って、丹念に村人たちの話を聞き取ったの。

 あなたのお母さんはダンピールっていう、吸血鬼と人の間に生まれたハーフだと思うわ。

 滅多にあることじゃないらしいけど、過去に何度か出現した記録が残っているそうよ」


「母の父、つまり私の祖父は、オルロック伯爵ですか?」

「分からない。でも、可能性はあるわね。

 ごめんなさい。さっきも言ったように、あたしは物証を何も持っていないのよ。

 いつか、エイナがお母さんと再会した時に、直接彼女の口から聞くしかないわね」


 エイナはこくんとうなずいた。その答えは、予想していたのだろう。

「分かりました。軍ではどこまでこの話を知っているのですか?」

「あたし以外では、蒼龍帝とマリウスだけよ。女王陛下も知らないはずだわ」


「そう言えば、ユニさんに調査を命じたのは、シド様でしたね?」

「ええ。蒼龍帝は、あなたが最初に闇の通路を使った話を聞いた時から、この可能性に気づいていたわ。

 若いけど、恐ろしい人ね。

 エイナはシルヴィアに打ち明けるつもりなの?」


 彼女は首を横に振った。

「いえ。母に会って、確かなことが分かるまでは、黙っているつもりです」


 ユニはようやく笑みを取り戻した。

「それがいいわ。

 とにかく、エイナに吸血鬼の血が流れているとしても、それは薄いものだわ。

 あんたは普通の人間とあまり変わらないんだから、あまり悩まないことね」

「はい。それじゃ、ちょっと行ってきます!」


 エイナも微笑み返し、吸血鬼が消えたという床の上に立った。

 足元の闇が、ねっとりとした粘液のように波立ち、彼女の身体をゆっくりと呑み込んでいった。


      *       *


 エイナが闇の世界に潜るのは、これが四度目である。

 実を言うと、オークの住居に入った時に、彼女はすぐに闇の入口に気づいていた。

 暗がりの中に、淡い青色の光が浮かんでいたからだ。

 だが、オークの家族はもちろん、ユニやジャヤもそれに気づく素振りを見せなかった。

 どうやら、吸血鬼の痕跡は、エイナにしか見えていないらしい。


 闇に全身が沈み込むと、例によって重力の喪失とともに、上下前後左右の方向感覚が一切失われた。

 しかし、今回は蒼白い光の痕跡が、この場からずっと遠くまで続いているのが見えた。


『これを辿たどっていけば、オークの女の子たちを幽閉している場所に行けるはずね』

 エイナはそう確信し、足を踏み出そうとした。

 ところが、その前に身体が移動していることに気がついた。と言っても、周囲の風景は真っ暗なままだし、顔に空気が当たるわけでもない。

 ただ、足元の光の跡が、もの凄い勢いで自分の方に向かってくるのが見えた。


 彼女が慌てて後ろを振り返ると、光跡が遥か遠くまで続いていて、どんどんと流れていく。

 それでやっと、光ではなく自分自身が移動していると気づいたのだ。

 この前、オルロック伯の案内で闇に潜った際、『行き先がはっきりイメージできれば、それだけでよい』と言われたとおりである。

 今回は行き先は分からなくても、〝目に見えている光跡を追いたい〟というエイナの意志が大切なのである。


 体感時間で十分ほどであろうか、エイナの移動が不意に止まった。

 延々と続いていた細い光跡が途切れ、同時に彼女の身体が浮き上がり、頭が半分地面に出た。

 周囲は真っ暗だったが、今までの闇の世界とは、雰囲気がまったく違う。

 ひんやりとした空気に乗って、乾いた木と灰の臭いが鼻腔をくすぐった。


 普通の人間なら何も見えなかっただろうが、エイナは夜目が利いた。

 これも吸血鬼の血の恩恵なのだろう……彼女は改めてそう気づいた。

 そこは土とレンガでできた、小さなトンネルのような場所だった。


 エイナは腕を出して、灰が薄く積もった床に手をつき、身体を闇の中から引き上げた。

 先の方にレンガ造りの通路があり、その奥から微かに外光が入ってきている。

 通路は狭く、人一人が屈んでやっと通れるくらいの高さしかない。


 この通路の奥が、どうやら出口らしい。

 潜り込んだ彼女が手で押してみると、わずかな抵抗を感じただけで、扉はばたんと外側に倒れた。


 外から強烈な光が差し込んできて、エイナは思わず目をしばたたいた。

 扉だと思っていたのは単なる木の板で、穴を塞ぐだけのものだった。


 エイナは四つん這いになって外に出た。手や膝が、煤で真っ黒に汚れていた。

 立ち上がって振り返ると、ようやくこの構造物の正体が掴めた。

 辺境育ちのエイナは、それをよく知っていた。炭焼きの窯である。

 炭焼きの季節は冬であるから、夏の今は放置されているのだろう。


 炭焼き窯があるということは、近くに炭焼き人が寝泊まりする小屋が、必ずあるはずだ。

 エイナは慎重に森の中を進んでいった。


 案の定、二十メートルと進まない内に、樹木を切り拓いた小さな空き地が現れ、そこにちんまりとした丸太小屋が建っていた。

 小屋の周りを、赤い花を咲かせた低木が取り囲んでいるのが印象的であった。

 丸太小屋の蔀窓しとみまどは閉じられていて、人気は感じられない。

 今は夏だから、人がいるなら必ず窓を開けて、風を通しているはずである。


 エイナは巨木の陰から顔を覗かせ、そっと小屋の様子を観察しただけで、戻ろうと決心した。

 今は昼間だから、吸血鬼の活動時間ではない。

 だが、閉め切った小屋の中なら、吸血鬼が起きて見張っていることが十分に考えられる。

 うかつに近づいて彼らに警戒されては、計画そのものが台無しになってしまう。


 彼女は再び炭焼き窯に入り、内側から入口を板で塞いでから、再び闇の通路の中に沈み込んだ。

 帰途もあっという間に移動を完了し、エイナはもとの掘立小屋の床から、ぽこんと頭を出した。

 すぐ側にユニが立っていて、手を差し伸べてくれた。


 エイナは冷たい土間の上に転がり出ると、足を開いたままうつむいて、どうにか呼吸を整えた。

 オルロック伯の言うことを信じれば、闇の通路を使うことで、エイナは寿命を縮めていることになる。

 全身に感じる気持ちの悪い倦怠感は、そのせいなのかもしれない。


「大丈夫? それで、どうだった?」

 ユニがエイナの背中をさすって按じながら、かすように訊ねてきた。

 エイナは顔を上げ、どうにか笑顔を作ってみせた。


「思ったとおりです。

 吸血鬼は、辺境のどこかの村近くにある、炭焼き小屋に潜んでいるみたいです。

 多分、オークの娘たちも、そこに囚われているのだと思います」


「辺境に? いや、……ああ! そういうことね」

 一瞬驚いたユニだったが、すぐに納得したようにうなずいた。

 吸血鬼たちは、できるだけ人目につかない場所に潜伏する必要があった。

 炭焼き小屋は大森林の中、と言っても、せいぜい森の境界から五キロ程度入ったところにあるのが普通だ。


 ちなみに、タブ大森林は針葉樹林であるため、辺境で生産される炭もそれを原料としている。

 針葉樹炭は着火性が非常に良いので、すばやく屋内を暖めることができる。ただし、その分燃焼時間は短くなる。

 一方で、広く普及している広葉樹林炭は火持ちがよく、料理屋などで重宝されていた。

 辺境で生産される炭は、ほとんどが地元で暖房用に消費されるため、針葉樹炭で問題はないのだ。


 とにかく、原料を森に依存しているので、必然的に炭焼き小屋は森の中に作られる。

 つまり普段、里人が出入りする(薪や山菜等を採るため)浅い地域よりも、奥まった場所にあるのが普通なのだ。


 村とは隔絶された森の中で暮らすため、炭焼き人は変わり者が多い。

 冬の間だけ炭を焼き、それ以外の季節は村で農耕に従事する者もいるが、多くはそのまま炭焼き小屋を拠点として動物を狩り、毛皮や肉を売って生計を立てている。


「いくら吸血鬼が闇の通路を使えても、何百キロも離れた帝国の本拠地まで往復するはずがないわ。

 オークの村と無理なく行き来ができて、人目につかない森の一軒家。

 足を延ばせば餌となる人間が住んでいて、人質に与える食糧も奪うことができる。

 辺境の炭焼き小屋は、うってつけの場所よね。

 それで、その小屋の特徴は何か覚えている?」

「えと、あの……ごく普通の丸太小屋でしたけど、家の周りにたくさん赤い花が咲いていました。

 遠目から見ただけですが、多分、サルスベリの花だと思います」


「ああ、なるほどね。

 それなら、キルト村のメド爺さんの小屋だわ。

 あたしの住んでいるカイラ村より、だいぶ南の小さな開拓村ね」

「どうしてそこまで分かるんですか?」


 エイナが驚きの声を上げたのを見て、ユニが少し得意そうに鼻をうごめかした。

「あたしが何十年、辺境で暮らしていると思っているの?

 辺境のどんな村だって、十回以上は行っているのよ。

 メド爺さんはお花が好きでね、小屋の周りにたくさんサルスベリを植えて自慢していたわ。

 吸血鬼にやられていなければいいんだけど……」


「とにかく、場所が分かったなら、すぐに行動を起こさないとね。

 シルヴィアたちと合流しましょう!」


      *       *


 エイナが闇の通路を使って、偵察に費やしたのは一時間ほどだった。その内移動には二十分しか使っていない。オークの里からキルト村までは、百二十キロも離れていたのに、である。

 二人がオークの住居から出ると、ちょうどシルヴィアとカメリアが村に戻ってきたところだった。


 川で髪と身体を洗って、予備の服に着替えたカメリアは、見違えるほどさっぱりとした格好になっていた。

 シルヴィアから上等の石鹸を借りたらしく、ふんわりと花の香りすら漂っていた。

 彼女はかなり上機嫌で、檻の中では険しかった顔が、ずいぶんと穏やかになっていた。

 顔の汚れがなくなったお陰で、鼻の周りのそばかすが目立っていて、皺にさえ目をつぶれば、少し男の子っぽい少女(実際は一児の母だが)のようだった。


 彼女たちは再び宿舎に集合し、エイナから人質の居場所が推定できたと明かされた。

 カメリアとジャヤは、なぜそれが分かったのか不思議がったが、この二人に闇の通路のことを教えるわけにはいかない。

 エイナは「軍機に関わること」だからと、質問を突っぱねざるを得なかった。

 シルヴィアは何となく察したらしく、何も言わなかった。


 ユニが床の上に地図を広げると、すかさずエイナが魔法で明かりを呼び出した。

「あたしたちがいるのがここ。キルト村はこのあたりね。それで、問題の炭焼き小屋は、この辺りかしら」

 彼女はそう説明しながら、地図の上に×印をつけた。


「今はまだ、十時くらいよね。うちのオオカミたちの足なら、夕方になる前に着けるわ。

 シルヴィアはカー君に乗って、キルト村に先乗りしてちょうだい。

 肝煎きもいりと交渉して宿を確保するのと、情報収集ね。

 メド爺さんの消息と、最近村で不審死や行方不明者がなかったか、訊き出してほしいの」

 シルヴィアがうなずきながら地図を覗き込み、頭の中に位置関係を叩き込む。


「誰かオークの戦士を同行させてはいただけないでしょうか?」

 ジャヤが申し出た。


「それは不可能よ。さすがにあたしのオオカミたちでも、オークを乗せては走れないわ。

 それに、人間の村に行くのよ? オークが現れたらパニックになるのが目に見えている。

 だから、ジャヤも連れて行けないの」

「でもっ! それでは人質の子たちとの通訳ができません」


「大丈夫よ。女の子たちは、全員あたしとオオカミたちのことを知っているでしょう?

 あたしの顔を見れば、助けに来てくれた味方だって分かってくれるわ」


 ジャヤは渋々納得し、人質となった三人の女の子の名前を伝え、「くれぐれも頼みます!」と何度も頭を下げた。


「私はどうするのだ?

 この村には、馬がいるようには思えないが……」

 カメリアが少し不満そうに訊ねた。


 ユニがにやにやしながら答えた。


「何を言ってるのよ、話をちゃんと聞いていた?

 あんたもオオカミに乗るのよ。

 マグス大佐なんか、結構上手に乗りこなしていたわよ。

 お○○○が腫れて痛いって、散々文句を言ってたけどね!」

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[気になる点] ユニはライガ、エイナはロキ。 シルヴィアがカー君だから、ハヤトとトキがカーン少将の騎乗候補。 となると…… 1/4の確率で、マグス大佐が嫉妬するなぁ。 あと3/4で「うちの子が一番」…
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