二十二 集落
『そう言えば……』
『ユニ先輩が南部密林で知性を持ったオークを発見したのよ』
エイナはシルヴィアがそう自慢していたことを思い出し、少し呆れていた。
『まったく、あの人はどこにでも顔を出すんだから……』
ジャヤはなおも話を続けた。
「父王は人間の文字も書けましたので、ユニさん宛ての手紙を大公国の商人に託したのです。
それで、彼女が間に立ってくれて、私たち部族と王国との間で、臣従の契約が結ばれました。
私たちにはかなり広い範囲の狩場が認められた代わりに、そこに侵入してきた理性を持たないオークや、ゴブリン、そして人間をも、捕らえて殺すよう求められたのです」
「ありがとう、やっと事情が呑み込めたわ。
じゃあ、あなたたちが知っている召喚士って、ユニ先輩のことだったのね?」
「はい。ユニさんは、私たちのことを心配してくれて、その後も様子を見るために、時々訪れているのです」
「なるほどね……」
シルヴィアはうなずきながら考えていた。
ユニはそこまでお人好しではない。オークたちを定期的に訪ねていたのは、恐らく参謀本部の依頼なのだろう。
オークたちが人間を信じ切っていないように、王国もまたオークを監視しているに違いない。
「それで、私たちが捕らえた女、カーンと言いましたっけ?
彼女がいつでも檻を破り、村を全滅させることができるという話は、本当なのでしょうか?」
「嘘ではありません」
エイナが真剣な表情になって、ジャヤの手を握った。
「カーン少将はわざと捕まって、あなた方の情報を得ようとしたのだと思います。
知性を持ったオークが存在するという事実は、帝国にとって重大ですから」
「それは、なぜでしょう?」
ジャヤが首を傾げたのも無理はない。
彼女は知識として帝国の存在を知っていたが、オークと帝国には何の接点もなかったのだ。
「帝国は、かつてオークを兵士にする計画を立てたことがあります。
当時は辺境にもっと多くのオークが現れていましたが、すべて理性を持たない獣のような連中でした。彼らがいくら強くとも、命令も理解できなくては兵士にできません。
それで、帝国はオークを召喚しようと試みたのです。
直接幻獣界から召喚したオークなら、ちゃんと理性を持っていますし、召喚士とは意思の疎通ができます。
そして、捕らえた獣オークに子を産ませ、召喚オークの手下となるよう教育を施そうとしていました」
これはもう二十年近くも昔、エイナが生まれる前の話で、彼女も魔導院で習ったことだ。
一方、ジャヤはこの邪悪な計画に酷くショックを受けたようだった。
「人間がそんなことを……!
ですが、女オークもいないのに、どうやって子孫を増やしたのですか?」
エイナの顔が歪んだ。魔導院でそれを教えられた時も、吐き気を催したことを思い出したのだ。
「それは……人間の女をオークに与え、妊娠させたのだと聞いています」
「酷い! ……でも、ひょっとして……」
ジャヤは叫んだ後で、小さくつぶやいた。
だが、エイナは気づかなかった。彼女の頭の中は疑念に満ち溢れ、それどころではなかったのだ。
「それより気になっていることがあります!
カーン少将が捕らえられてから、もう結構な日数が経っているはずです。
遺族の復讐を果たそうというのなら、何故すぐに処刑しなかったのですか?」
ジャヤは答えを躊躇ったが、やがて思い切ったように口を開いた。
「実は、村では今、大きな問題が起こっています。
私たちではとても解決ができず、それだけに王国から訪れたあなた方が、助力してくれるのではないか――村の幹部たちはそう期待しているのです。
もちろん、私の第一夫であるオルグも同じ気持ちです。
もし、協力していただけるのなら、私たちが捕らえた女の身柄を引き渡すことも、吝かではありません。
ですが、オークは体面を重んじます。公式の場でそのような懇願はできません。
この場の話し合いは族長公認の、部族の総意と受け取って構いません」
話が核心に近づいたことを、その場の誰もが感じ取っていたが、シルヴィアが堪りかねたように口を挟んだ。
「あの、話の腰を折るようでごめんなさい!
だけど、どうしても気になるの。〝第一夫〟って、どういう意味なの?」
それはエイナも気にしていたことだったが、優先順位が違うと思って口に出さなかったのだ。
訊かれた方のジャヤは、一瞬ポカンとして、やがて笑い出した。
「ああ、笑ってごめんなさい。
そうですね、オークと人間では文化が違いますものね。
簡単な話です。オークは多産ですが、女児の誕生確率が低くて、女が少ないということは説明しましたね?
必然的に、伴侶を得られないオークの男がたくさん存在することになります。
それを少しでも緩和するために、オークは〝一妻多夫制〟を取っているのです。
できるだけ違う男の子種を増やすことで、血が濃くなることを防ぐ効果がありますから、これはどの部族でも普遍的に行われています。
何人まで夫を持つかは部族によって異なりますが、私たちのところでは五人まで認められています。
もっとも、私はまだ三人しか夫を持っていませんけど」
シルヴィアは目を丸くした。
「えっ、それって大丈夫なの?
つまりその、夫同士で取り合いになるとか……。男の人って、けっこう嫉妬深いって聞きますよ」
「昔からの慣習ですから、あまり問題にはなりませんね。
それに、女が多くの夫を持っても、結局男の数には圧倒的に足りないのです。
女に選ばれる男は部族内でも力を持った有力者で、妻を得ていることが、そのまま権威につながります。
つまらぬ嫉妬を抱いては、周囲から馬鹿にされるだけですよ」
「じゃあ、女性は愛情ではなく、男の地位を見て結婚するの?」
「う~ん……それは何とも言えませんねぇ」
ジャヤは少し困ったような表情を見せた。
「私の場合、オルグを一番に愛しています。
彼は南部密林にいたころ父に心酔し、その教えを受けるために、熱心に家に通っていました。
それで私たちは自然に知り合い、お互いに憎からず思っていましたから……。
でも、第二夫はオルグに次ぐ地位の男で、これは完全に政治的な選択です。
第三夫は私よりも十歳年下で、若手の有望株ですね。
これは、その……、オークは種族的に非常に性欲が強いんです。
それは男も女も同じで……えーと、つまり、彼の場合はその、元気のよさというか、あっちの相性で選んだ相手ですね」
「話を戻しましょう!」
話が微妙な方向に逸れ始めたので、エイナが慌てて軌道修正をした。
シルヴィアが『いいところなのに!』と横目で睨んだことは、知らぬふりをした。
「ええと、ああ、そうでしたね。
とにかく、オークにとって女の存在は非常に重要で、その人数が村の存亡に直結する――それはご理解いただけましたね?
実はその大切な女、いえ〝女の子〟が三人、攫われてしまったのです。
彼女たちはまだ十歳前後で、あと数年で子を産める村の宝でした」
「攫われたって……一体誰に?」
「それが、最初はまったく分かりませんでした。
三人とも別々の家の子で、朝に家族が目覚めた時には姿を消していました。
オークは感覚が鋭敏なので、何者かが家に入ってきたり、子どもが外に出ようとしたら、必ず誰かが気づいたはずです。
もちろん村は大騒ぎとなり、四方八方手を尽くして探しましたが、行方は掴めませんでした。
ところがその夜になって、誘拐された家に犯人の使者が現れたのです。
彼らは外から入ってきたのではなく、いきなり家の中に出現したのです。
そして、『女の子たちを無事に預かっている。返して欲しければ、一人につき五人の若い男を差し出せ』と、オークの言葉で要求してきたのです」
「その犯人は、オーク以外の種族だったのですか?」
「いえ、見た目は人間でした。彼らを見た家族たちも、初めはそう思ったそうです。
しかし、怒り狂った家の主人が掴みかかると、あっという間に組み伏せられたのです。
大人のオークを力で圧倒する人間など、存在すると思いますか?
そして、彼らは要求を伝え終わると、家の隅の暗がりの中に沈んで姿を消しました。
報告を聞いた私たちは、誘拐犯が〝吸血鬼〟だと判断しました」
「吸血鬼!」
エイナとシルヴィアが、同時に叫び声を上げた。
彼女たちも吸血鬼を知っていたが、それはオークと最も遠い存在のように思えたのだ。
「この部族が幻獣界から転移してことは、お話ししましたよね?
あちらの世界にも――と言うより、向こうの方が普通に吸血鬼が存在します。
ただ、吸血鬼が襲うのはもっぱら人間で、よほど飢えていない限り、オークに手を出すことはないのです。
ですから、私たちは困惑しました」
オークに関する研究が進むにつれ、人間と彼らが肉体的に極めて近い存在だということは、かなり前から明らかになっていた。
人の血液に依存する吸血鬼が、オークを餌にすることはあり得る話だった。
だが、実際には吸血鬼は人間だけを狙う。あるいは嗜好の問題なのかもしれない。
「あのカーンという女を捕らえたのは、ちょうどその事件が起きたばかりのことだったのです。
村中総出で森を探し回っていたので、たまたま侵入者を発見できたのです。そうでなければ、気づかなかったかもしれません。
私たちは、吸血鬼が好む人間の女を、人質交換の道具に使おうと考えました。
殺された遺族の復讐より、将来数十人の子を産むはずの女の子たちを助ける方が、部族にとっては遥かに重要でしたから」
「それで、すぐに少将を処刑しなかったのですね?」
ジャヤは小さくうなずいた。
「はい。そして一昨日の夜、吸血鬼の使者は私たちの返答を聞くために、再び現れました。
私たちは、人間の女を差し出すから、せめて一人だけでも人質を返して欲しいと申し入れたのですが、彼らはその願いを一蹴しました。
吸血鬼の要求は、あくまで若い男のオークを十五人差し出すこと、その若者たちが服従しなければ、何度でもオークの女児を攫うだろうと脅したのです」
「なるほど、人質交換の役に立たなかったから、処刑をすることになったと……」
「そういうことです。
私たちは、吸血鬼がなぜこのようなことをするのか、さっぱり分かりませんでした。
ですが、先ほどのエイナさんの話で、どうやら彼らの目的が見えてきたような気がします」
「えと、あの……どういうことでしょうか?」
「つまり、帝国と同じように、吸血鬼もオークの部下を作ろうとしているのではないか――ということです」
「オークの……吸血鬼!」
「はい。吸血鬼の眷属は大きな力を得ますが、その土台となる人間の肉体は、あまりに脆弱です。
もし、オークを眷属にできれば、第三世代といえども、大きな戦力になるでしょう。
ところが、人間と違って私たちオークは種族的な特性なのか、吸血鬼の魅了にかからないのです。
単に私たちを襲って血を吸うだけなら簡単でしょうが、眷属にする場合は吸血鬼の側から血という〝力〟を与えるため、その間は無防備となります。
人間なら魅了で大人しくさせられますが、オークが相手だと危険すぎます。
それで、わざわざ女児を人質にして、言うことを聞かせようと企んだに違いありません」
エイナの背筋に寒気が走り、全身に鳥肌が立っていた。話が段々見えてきたからだ。
ジャヤが言った、『エイナたちが協力してくれたなら、カーン少将の身柄を引き渡してもいい』という言葉は、即ちそういうことなのだ。
「で、私たちに〝吸血鬼と戦え〟ということなのね」
「あくまで人質救出が第一ですが、それだけでは、またいつ誘拐されるか分かりません。結局、彼らが二度と手を出す気をなくすよう、殺すしかないでしょうね。
どうでしょう、受けていただけますか?
吸血鬼からは、男たちの人選に三日の猶予を与えられ、その刻限を破れば一日に一人ずつ、人質を殺すと脅してきました。
女の子たちがどこに囚われているのか、それすら私たちは掴んでいません。ことは一刻を争うのです!
どうかお願いいたします!」
エイナは溜息をついた。
「今のお話を聞いた限りでは、吸血鬼は計画を練っていたように思います。
真祖とは言わないまでも、恐らく第二世代クラスの幹部が指揮をしているのではないでしょうか?」
ジャヤは黙ってうなずいた、聡明な彼女は、当然そこまで読んでいるのだろう。
「だとすれば、私とシルヴィアの二人では、正直に言って戦力に不安があります。
即答は出来かねます。まずは二人で話し合わせてください。
どうせもう夜は遅いのですから、明日の朝まで待ってもらえますか?」
「分かりました。よいお返事を期待しております」
ジャヤはぺこりと頭を下げ、宿泊所を出ていった。
彼女の姿が消えると、シルヴィアが肩をすくめて溜息をついた。
「あんなことを言って、明日どう返事をする気なの?
あんた、自分で言ったじゃない。戦力に不安があるって。
不安なんてもんじゃないわよ、オルロック伯爵の館のこと覚えてる?
入口の洞窟で戦った女吸血鬼って、その第二世代って奴よね。腕を引きちぎられても、一瞬で再生してたわよ。
あの時はタケミカヅチ様がいたからどうにかなったけど、あんな化け物相手に勝てると思っているの?」
エイナは席を立って、シルヴィアの隣に腰を下ろした。
そして、背後で寝そべっているカー君の横腹に、どすんと背を預けた。
「無理よね、あたしたち二人じゃ勝ち目なんてないわ」
「じゃあ、どうすんのよ?」
シルヴィアが肘でエイナの脇を突いた。
「あら、二人で駄目でも、三人なら勝てるかもよ?」
「それってカー君も勘定に入れるってこと?」
「違うわ。でも、カー君がいれば魅了は撥ね返せるかもね」
「ずい分もったいつけるじゃない。策があるなら早く言いなさいよ」
エイナはシルヴィアの方に顔を向け、にやりと笑った。
「いるじゃない? 檻の中にとびきりの戦力が!」