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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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十六 罠

 襲撃犯を逃したエイナであったが、これで当分の脅威を取り去ったとも言える。

 気絶させた馬はしばらくして自然に目を覚まし、何事もなかったように道端の草をみ始めた。

 護衛の小隊は蒼城に伝書鳩を飛ばし、大佐とエイナは荷馬車の中で濡れた服を着替え、一息ついた。


 何だかんだで、予定より三時間以上遅れて出発したので、宿のある町に着いたのは陽が落ちてからだった。

 エイナは大量の魔力を消費してふらふらだったので、夕食もそこそこにベッドに倒れ込んだ。

 大佐の部屋の明かりが消えたのは、かなり遅くなってからである。

 恐らく今日の戦闘を分析し、覚え書きにしていたのだろう。


      *       *


 一行が蒼城市に入った日も、あいにくの雨模様だった。

 ただ、大城壁に囲まれた街の中央に聳える蒼城は、雨の日にひときわ美しく見えるとされていたので、大佐を迎えるには相応しい天候だったのかもしれない。


 蒼城はその外壁に緑色凝灰岩グリーンタフが使用されている。

 エイナたちが襲われた石切場は、その産地であった。

 緑色凝灰岩は、乾いている時はやや青みがかった灰色なのだが、水を吸うと美しい青緑色に変わる。

 雨の中に立つ優美な尖塔は、雨に濡れて緑色に輝き、まるで絵本の世界から切り出してきたように見えた。


 大佐は蒼城の城門を潜ったところで馬車を降り、前庭に整列した第四軍に迎えられた。

 〝捧げ剣〟でずらりと並ぶ儀仗兵の間を、ゆったりと進む大佐の姿は威厳に満ち、実際以上に大きく見えた。

 閲兵を終えた大佐は城内に入り、蒼龍帝に謁見する手筈になっていた。

 そこで儀式的な対談が行われ、休む暇なく歓迎行事へと雪崩れ込むのだ。


 一方のエイナは、市の大城壁に入った時点で馬車を降りていて、護衛の兵士たちとともに通用門から城内に入っていた。

 彼女はこれから第四軍による聴取を受けなければならず、こちらも忙しいことに変わりない。


      *       *


 蒼龍帝シド・ミュランは、少年かと見紛うばかりに線が細く、背丈も小柄なマグス大佐とあまり変わらなかった。

 色白で薄い唇、涼し気な青い瞳にさらさらの前髪(銀に近いプラチナブロンド)がかかり、絵に描いたような美少年だった。


 だが、大佐が受けた印象は、そんな外見とは真逆なものだった。

 整った顔立ちは妙に老成しており、その瞳は底知れぬ深淵であった。

 第四軍の領域は広大だが、王国で最も貧しかった。それを就任からわずか数年で、見違えるほど活気に溢れた新興地域に育て上げた手腕は、端倪たんげいすべからざるものがあった。


 シドの両脇には二人の女性が控えていて、どちらも大佐の見知った人物だった。

 一人は昨年、ノルド人の村で出逢った国家召喚士のプリシラ・ドリー大尉だ。

 その背後には、彼女の幻獣である巨大な武神、タケミカヅチが腕組みをして周囲を睥睨へいげいしていた。


 もう一人はもっと古い知り合い(怨敵)、王国唯一の女将軍アスカ・ノートン大将である。

 小柄な蒼龍帝の側に立っているせいで、二人の背の高さがやけに目立つ。

 プリシラも百八十センチ近い女丈夫だが、アスカに至っては二メール近い巨体であった。

 鎧姿ではない彼女を見るのは、大佐も初めてである。


 拝謁の儀は単純なものである。

 マグス大佐が儀礼的な挨拶と、訪問を受け入れてくれたことへの謝辞を述べ、蒼龍帝は長旅へのねぎらいを返す。

 その後、大佐は退出して用意の客室へと下がるはずだった。

 

 ところが、型通りのやり取りが終わると、蒼龍帝はすたすたと大佐の前に歩み寄り、無造作に右手を差し出した。

 呆気にとられた大佐が思わずその手を取ると、シドは彼女の剣ダコだらけの指をぎゅっと握った。


 ぶんぶんと手を振りながらながら、シドはいかにも若者らしい、明るい声を出した。

「いやぁ、ほとんど伝説と化した大魔法使いを、この目で見れるとは感激だ。

 もっと大きな方かと思っていたが、私とそう変わらないので安堵したよ。

 何しろ、私の周りには大女が揃っていて、いつも私を子ども扱いするのでね。

 まぁ、立ち話もなんだから、かけたまえ」

 蒼龍帝は満面の笑顔で傍らの椅子を引き、大佐にかけるよう促した。


 彼女が仕方なく腰を下ろすと、シドもその隣の椅子を引いて自分も座った。

 しかも椅子は逆向きで、彼は背もたれを両手で抱え込み、その上に顎を乗せて大佐の顔を覗き込んだ。

 行儀も何もあったものではなかったが、副官のプリシラと重臣のアスカは、素知らぬ顔で澄ましている。


 シドは無邪気に話し続ける。

「うん、噂どおりのよい面構えだ。

 その頬傷はユニと刺し違えた時のものだろう?」

「は、はぁ……」


「あの〝黒城郊外の戦い〟の時、私はまだ魔導院の生徒でね、大佐が単騎で第一軍の本陣に突撃した話を、わくわくしながら聞いたものだ。

 そうそう、戦いと言えば、道中襲撃を受けたそうではないか。

 大事はなかったのかな?」

「お陰さまで。護衛につけていただいた貴国の魔導士が有能でしたから」


「しかし、いくら元自分の隊の副長だったからと言って、将官魔導士を使うとは無茶をする。

 そこまでする必要があったのかな?」

「はて、閣下が何をおっしゃっているのか、小官にはさっぱり分かりません」


 マグス大佐の表情が一瞬で固くなった。

 シドも見え透いた芝居を止め、その声も一段低くなった。


「ああ、そうか。敵の正体は不明だったのだな。

 だが、よほど有能な魔導士だったことは間違いない。並の者だったら、今ごろ死んでいただろうからね。

 こちらは飛行能力を持つ幻獣まで投入したというのに、敵は顔を見せることなく見事に脱出してみせた。

 この襲撃犯を選んだ人物は、さすがの慧眼けいがんと言うべきだな。

 大佐もそう思うだろう?」

「そうですね。その人物とやらが聞いたら、さぞ光栄に思うでしょうな」


 『この若造が……!』大佐は心中で歯噛みした。

 いくら地位が高いとはいえ、自分の半分にも満たない年齢の若者が、あからさまに挑発してくるのだ。

 末席に加わっていた帝国の外交官は、恐ろしさに震えあがった。普段の大佐なら、ブチ切れて半殺しにしているところである。


「これは何かの趣向ですか?

 公式行事の予定には、〝尋問〟などなかったと記憶しますが……」

「なに、単なる時間潰しの余興だよ。

 堅苦しい挨拶は済ませたし、晩餐会まではまだ間がある。

 大佐には部屋で休んでもらうつもりだったのだが、実は用意した部屋にちょっとした不備が見つかってね。

 至急、代わりの部屋を準備させているのだが、まだ少し時間がかかるらしいのだ。

 まったくお恥ずかしい限りだ」


「私のことなら、お気になさらないでください。

 多少待つことなど苦でもありません」

「そうもいくまい。

 そこで、せっかくの機会だからね、私としては高名な大佐にいろいろと教えを乞いたいのだ。

 私は見てのとおりの若輩者だ。どうか付き合っていただきたい」


「私でよければ、何なりとお訊ねください。

 ただし、私は帝国軍人です。機密に関わることは、一切お答えできません。

 それは閣下もご理解いただけますね?」

「もちろんだとも! では、遠慮なく訊かせてもらおう。

 帝国では、吸血鬼をどう見ているのだろうか?」


 これは予想外の質問だった。

 シドという男は、いかにも頭が切れそうである。

 てっきり軍事、あるいは政治・経済に関わる情報を訊き出そうとするのかと身構えていたのだ。

 それがよりによって、吸血鬼と来たものだ。大佐が面食らったのも無理はない。


「吸血鬼……ですか?」

「そうだ。何と言っても、帝国は吸血鬼伝説の本場だ。

 帝国人があの怪物を、実際どういう風に見ているのか、それを私は知りたいのだ」


「そうですね……国も軍も、公式には吸血鬼の存在を認めておりません」

「もちろんそうだろう。だが、実際には存在する――それは多くの者が知っていることだ。

 何しろ、大佐自身が南カシルで吸血鬼と戦っていただろう?」


「まぁ、そう言われるとぐうの音も出ないですね。

 もっとも、私が吸血鬼と遭遇したのは、あの一度きりですよ」

「ははは、そう何度も遭っては堪らんだろう。

 つまり、帝国人にとっても、吸血鬼はそう身近なものではないのだな?」


「はい。大多数の人間にとっては、芝居や小説に出てくる存在に過ぎません。

 ただし、辺鄙な田舎では信じている者が多いですね。彼らにとっては現実の脅威ですから。

 被害を軍に訴える事例も、少なくないと聞いています」

「そうした場合、軍はどう対処するのだね?」


「何も。先ほども申し上げたとおり、軍は吸血鬼の存在を認めておりません。

 現実に死人が出たわけですから検死はいたしますが、適当な死因をつけて処理されるのがオチです」

「しかし、それでは被害を受けた村の者たちは困るだろう?」


「はい。ですから、彼らは〝吸血鬼狩り〟を呼ぶようです」

「ほう……そんな者たちがいるのか?」


「ええ、ほとんどは民間の魔導士ですね。

 私も詳しくは知りませんが、玉石混交で詐欺師紛いの連中も少なくないようです。

 ですが、腕利きの者がいることも確かです。実際、帝国南部に巣食う吸血鬼は、そのせいで活動を押さえ込まれたと聞いています」

「つまり、有名な吸血鬼狩りもいるということだな……その者の名は?」


 マグス大佐は少し言い澱んだ。

「いえ、そこまでは……」

「ああ、構わんよ。それほどの腕利きとなれば、いわく(・・・)付きだろう……例えば、軍を脱走した魔導士とかね」


 大佐はシドの顔を、きっと睨みつけた。

「閣下は何故、そのようなことに興味をお持ちなのですか?

 王国には吸血鬼はいないと聞きますが……」


 蒼龍帝はくすりと笑った。

「南カシルは自治領とは言え、王国に属しているがね。

 それに、赤城市で何が起きたのかは、帝国でも掴んでいるのだろう?」


 マグス大佐はにやりと笑い返した。

「いえいえ、貴国の情報統制が厳し過ぎて、具体的なことは何一つ分かっていません。

 それとも、ここで教えていただけるのですか?」


 シドは肩をすくめた。

「そうしたいのは山々だが、あいにく私にその権限はない」


「では、せめて先ほどの私の質問にはお答えください。何故、わざわざ吸血鬼のことをお訊ねになるのですか?」


 迫る大佐に対し、シドはあっさりと答えを返した。

「私も吸血鬼に会ったことがあるからだ。それも、去年の話だよ。

 興味を持つのは当然だろう?」


 マグス大佐はしばし絶句した。

 蒼龍帝はその表情を見て、さらに追い打ちをかけた。


「もうひとつ訊こう。

 大佐はオルロック伯爵、あるいはベラスケスという吸血鬼のことを知っているかね?」


 これは不意打ちだった。

 彼女がそれらの名を知ったのはごく最近のことで、蒼龍帝が吸血鬼の話題を持ち出してきた時も、まっ先に頭に浮かんだからだ。

 相手はこちらの思考を読み取っているのではないか? そんな不安が大佐の胸をよぎる。


「……お答えできません」


 大佐の答えに、シドは目に見えて上機嫌となった。

「そうかそうか、〝知らない〟のではなく、〝答えられない〟か。

 私の部下もそうだが、まったく軍人というのは嘘がつけない人種だな。

 よい情報を与えてくれた礼に、少し手土産をやろう。

 私が会った吸血鬼は、真祖・オルロック伯爵の使いと名乗った。

 その者は伯爵が直接血を与えた第二世代、いわば重臣のような存在らしいね」

「なん……ですと」


「うん、さすがに大佐は呑み込みが早いな。

 君が覚ったとおりだ。伯爵は帝国の要人と同じような(・・・・・)取引を持ち掛けてきたのだよ。

 彼らの力を貸す代わりに、年に数人の生贄を捧げよ――とな」

「……閣下は、それを受けたのですか?」


 シドはゆっくりと首を横に振った。

「いや。私としては実に魅力的な提案だったのだがな……。

 そこにいるアスカとプリシラが、烈火のごとく怒って反対したのだ。

 あまりの剣幕に、臆病者の私は泣く泣くその申し出を、断らねばならなかった。

 今でもあれは、もったいないことをしたと後悔しているくらいだ」


 蒼龍帝の背後に立つ二人の女が、シドに厳しい視線を浴びせたが、彼は気づかない振りをした。

「だが、私が申し出を断ると、吸血鬼は私を説得しようとした。

 彼らが生贄の報酬として申し出た〝力〟とは、何だと思う?」


「それは……やはり、彼らの隠密性と戦闘力ではありませんか?

 吸血鬼は闇に紛れてどんな所にも侵入できます。敵対する人物を暗殺するには、これ以上の適役はありますまい」


 マグス大佐の回答を聞いたシドは、声を上げて笑い出した。

「いやいや、笑って悪かった。それはいかにも〝敵国的な考え方〟だなと思ってね。

 あいにく私には殺したい相手などいないのだ……ああ、いや、嘘はいかんな。

 消したい相手は〝そう多くない〟というべきだな。

 とにかく、私はその点にはあまり魅力を感じていない。

 純粋な戦闘力で言えば、国家召喚士の幻獣の方が上だからね。

 私が心を惹かれたのは、彼らがもたらす〝情報〟だった」


「……まさか!」

「いやいや、本当に大佐は正直だ。

 だが、その心配はゆうだよ。彼らにも信義というものがあるらしくて、顧客の情報は売ってくれないらしい」


「では、どのような情報を?」

「それはさすがに教えられん……と言いたいところだが、君がいろいろ貴重な情報を洩らしてくれたお礼に、ひとつだけ教えてやろう。

 伯爵の使いは私を説得するために、ある条件を出してきた。ベラスケスは、その中で出てきた名だ。

 大佐が言ったように、彼は手練れの吸血鬼狩りのせいで、だいぶ勢力を落として困っているらしいじゃないか?」


「…………」

「ん? どうかしたかね」

「いえ、今の話の続きを……」


 だが、シドは美しい少年のような顔に、蛇のような冷たい笑みを浮かべた。


「甘えてはいかんよ、大佐。

 これだけヒントを与えたんだ。後は自分で考えたまえ」

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― 新着の感想 ―
[良い点] うわー蒼龍ってこんなイイ性格してましたっけ(笑) まあ四神は多かれ少なかれ一癖も二癖もあるのばっかりだけど
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