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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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十四 地下空洞

 地面に投げ捨てられたエイナの上着を拾おうと、マグス大佐は腰をかがめた。

 その瞬間、彼女は強い衝撃を受けて尻餅をついた。

 大量の魔力が放出された際に起きる、衝撃波のせいだ。

 不意打ちで突き飛ばされた大佐だったが、その目は魔力を解放したエイナの姿を捉えていた。


 〝バシッ!〟という破裂音とともに、ほとんど裸になったエイナの前面から、強烈な光が放たれた。

 エイナの身体が盾となってくれたお陰で、大佐は視力を奪われずに済んだ。

 とは言え、大佐の視界は大量の水蒸気に遮られ、何も見えなくなったから、あまり有難味がない。


 濡れた地面に尻をついたことで、ズボンが水を吸ってズロースまで染みた。

 慌てて立ち上がろうとした大佐を、今度は背後から突風が襲い、彼女は顔面から泥の中に叩きつけられた。

 度重なる理不尽な暴力に翻弄され、大佐は怒りよりも先に現状把握に必死になった。この辺は、さすがに歴戦の軍人であると言えた。


 腕立て伏せのような恰好で顔を上げた大佐は、眼前の光景に唖然とした。

 採石場は石を採り尽くしたせいで、掘り下げられて皿のような地形になっていた。

 その盆地の底が真っ白に凍りつき、しかもそれを水溜りが覆っていたのだ。


 水面からは、白い水蒸気がゆらゆらと立ち上っている。

 その煙の中で、空気中の水分が凍ったダイヤモンダストが舞い、きらきらと輝きを放っている。


 どうにか立ち上がった大佐は、そそくさと服を着ているエイナの横に歩み寄った。

「これは……お前がやったことなのか?」


「単なる凍結魔法です。別に珍しくはありません」

 エイナはシャツの袖に腕を通しながら、そっけない返事を返した。


「単なる……だと?」

 凍結魔法なら、マグス大佐だって飽きるくらいに見てきた。

 魔法はざっくり地火風水にの四系統があり、魔導士によって相性の良し悪しがある。


 攻撃型魔導士の場合、大半が炎熱魔法(火系)を得意とする者で占められ、次いで凍結魔法(水系)が多く、雷撃魔法(風系)と地形魔法(土系)を使うものはごく少数である。

 要するに、凍結魔法を使う魔導士は、そう珍しくはないのだ。


 だが、眼前のような現象を、マグス大佐はこれまで一度も目にしたことがない。

 凍結魔法は範囲魔法で、地表を凍りつかせる。効果範囲にいた敵は足が凍りついて動けなくなり、強烈な寒気で最悪凍死してしまう。


 しかし、これほど広大な面積を凍結させるには、膨大な魔力が必要なはずだ。

 範囲を拡大すれば、その分効果が落ちるのが常識であるが、目の前に出現した強烈な氷の世界を、一体どう説明したらいいのだろうか。

 しかも、地表を水が覆い、湖のような光景を生み出すなど、見たことも聞いたこともない。


 エイナは呆然としている大佐を無視し、空を見上げて叫んだ。

「シルヴィア、坑道の入口を破壊して!

 今ならまだ、次の攻撃はないはずよ」


 エイナの声が届いたのか、上空を旋回していたカー君が翼を畳み、すとんと高度を落とした。

 地上二十メートルほどまで急下降した彼は、再び翼を広げて羽ばたくと、急旋回して坑道の入口に正対した。

 盆地の底で半分水に浸かっている扉に急速に接近すると、衝突の寸前でオレンジ色の火球が吐き出され、同時にカー君が急上昇した。


 分厚い木の扉は魔法でカチカチに凍りついており、近距離から放たれた火球の爆発によって、水しぶきとともに粉々に砕け散った。

 ぽっかりと開いた坑道へ、盆地に溜まっていた大量の水が一気に流れ込んでいく。

 ざーっという水音は、二百メートル以上離れた場所にいるエイナたちの耳にも届いた。


 水が坑道へと吸い込まれた結果、水蒸気も薄れて視界が明瞭になった。

 それとは対照的に、坑道の入口からは濛々《もうもう》と白い蒸気が吐き出されている。


「あの水はどこから生じたのだ……と言うか、そもそも地面が凍りついているのに、なぜ氷結もせずに流れている?」

 マグス大佐はエイナの肩を掴んで揺さぶったが、その返事は意外なものだった。


「あの水は、大気が液状化したものらしいです。

 絶対零度下では、空気ですら凍りつくはずなのですが、効果範囲外の大気と広く接しているせいで、そこまでには至らないようなのです。

 いくら地下にまで凍結魔法が及ばないとしても、あれだけ大量に極低温の液体が流れ込めば、襲撃犯も無事ではいられないでしょう」


 大佐はあんぐりと口を開けた。

「絶対零度……だと?

 そんな現象を起こすほどの魔力を流し込んだら、腕が内部から破裂する……まさかお前!

 直接、子宮から撃ったのか! 正気なのか?」


 エイナはシャツの裾をズボンに押し込み、大佐が手にしていた上着を受け取った。

「服を着たままだと、魔力を放出した一瞬でボロボロになるんです。

 今回は見ているのが、同性の大佐とシルヴィアだけなので助かりました。

 ――待ってください!

 どうやら、敵が出てきたようです!」


 エイナが指さしたのは、坑道の入り口ではなかった。

 その背後の岩塊だらけの小山から、煙のように水蒸気が噴き出した辺りだった。

 はっきりとは視認できないが、黒い影は人間というより、球体に近い形をしていた。


「シルヴィア!

 敵魔導士が脱出を試みているわ。魔力反応からみて間違いない。

 火球で攻撃してちょうだい!」


『了解!』

 短い返信が頭の中に響き、上空のカー君が身体を翻して水蒸気の煙に突っ込んでいった。

 しかし火球の光は見えず、カー君はそのまま白い煙を突き抜けてしまった。


『どういうこと? 誰もいないわよ!』

 シルヴィアの怒気をはらんだ声が、頭の中でわんわんと反響する。


「そんなはずは――あれっ?」

『何?』


「魔力反応が消えている!

 うそ! さっきまで確かに上空で浮揚していたのに……」


 横に立っていたマグス大佐もうなずいた。

「半径三キロ以内で魔力反応を出しているのは、私たちとあの幻獣以外にいないな。

 つまりは〝まんまと逃げられた〟ということではないかな?」

「そんな……一体どうやって! 帝国魔導士は空が飛べるとでも言うのですか?」


「お前は馬鹿か? それこそ軍事機密だ。私が答えるはずがなかろう。

 まぁ、襲撃犯は逃亡し、私はこのとおり無事だ。

 よかったではないか。エイナは立派に護衛任務を全うしたのだ。

 珍しい魔法を見せてもらったことを含めて、礼を言わねばなるまいな」


 大佐はエイナに向かって、取ってつけたような笑顔を見せた。

 口の端から伸びる傷跡が、蛇のようにぐにゃりと踊った。


      *       *


 そもそも、マグス大佐が皇帝から王国行きを命じられた際、茶番に過ぎない襲撃役の人選は、全面的に彼女に任された。

 皇帝のお墨付きであるから、誰を選ぶかは大佐の一存であった。

 彼女はあまり悩うことなく、カメリア少将を指名した。


 魔導士養成を始めたばかりの後進国の、たかが新米魔導士の能力を測るため、現役の将官を担ぎ出すなど、非常識極まりないことであった。

 周囲は必死で大佐に翻意を促したが、彼女は錦の御旗を振りかざしてそれらを一蹴した。


 悪いことにカメリア少将は、長年大佐のもとで副官を務めた人物であるから、例え見かけの階級が上であろうと、直に頼まれれば断れるものではない。


「……というわけだ。

 カメリア、私のためにまたひと骨折ってくれんか?」

 帝国司令文部の大佐の部屋に呼び出された(・・・・・・)少将は、溜息をついた。


「相変わらず、無茶苦茶なことを命じられますね。

 陛下云々の話ではなく、大佐殿の頼みですから、もちろんやらせていただきます。

 ですが、極秘裏に潜入となると、現地工作員の助けを借りても困難が伴いますね」


「ははは、敵魔導士との戦闘については案じないのか?」


 カメリアは微笑み返した。

「さすがに……。

 それとも、大佐殿は私が王国の若造に後れを取ると、本気でお思いですか?」

「毛先ほども心配はしておらん。だが、油断も禁物だぞ」


 少将の表情が、少し真剣になった。

「ただ、王国の魔導士とやりあった後が問題です。

 何しろ敵の懐の中ですから、大軍に囲まれるとも限りません。

 もちろん、例え相手が何千人でも負ける気はしませんが、あまり派手に暴れるのもまずいのでしょう?」


 マグス大佐は黙ってうなずいた。

「私にとって、カメリアは今でもかわいい部下だ。特にお前の淹れてくれるコーヒーは絶品だからな。

 そこで、お前のためにとっておきの策を授けようと思う。

 これは去年、偶然王国の奴らと遭遇戦になった時に試した方法の応用だ」


 大佐はカメリア少将にその手段を教えたが、それはかなり無茶なものだった。

 カメリアは溜息を洩らしながらも、その案を受け入れ、軍の調達課に対してある特殊な装備を用意させた。

 実験の結果、その方法は危険も伴うが、十分実戦に耐えられるとの判定が下ったのだが……。


 マグス大佐は実験に向かうカメリアの姿を見て、腹を抱えて笑い転げたのだった。


      *       *


 カメリア・カーン少将は、採石場の地下にできた大空洞に立っていた。

 外の様子はさっぱり分からないが、感知魔法によって、大佐の接近とその位置は把握できた。

 後はそこに目がけて岩石を投げ込めばいい。


 どうせ大佐は、自分の魔法ごときで死ぬわけがない。

 あの人がそんな生易しい人物でないことは、何年も仕えてよく知っている。


 護衛についた王国の魔導士は、ひたすら防御魔法で耐えるしかないだろうが、それでは大質量の物理攻撃で魔力を削られるだけである。

 その魔導士が、どう反撃するかが見物であった。


 上空に魔力を持った幻獣らしき存在も感知したが、こちらは大した攻撃力を持っていないらしく、当てずっぽうの攻撃に、空洞上部の大岩盤はびくともしなかった。

 高度を下げてきた時に、適当に攻撃して追っ払っておけば脅威とはならないだろう。


 あくまで興味の対象は、護衛魔導士の方であった。

 感知魔法の反応からすると、なかなかの魔力量を持っているようだった。

 普通に考えれば、自分カメリアの攻撃に耐えているだけでは〝じり貧〟となる。

 となれば、防御魔法を維持したまま接近して、魔法の届く範囲から攻撃を試みるだろう。


 案の定、敵は予測どおりの動きをしてきた。

 二つの魔力反応が同時に移動を開始したのも、織り込み済みであった。


 工作員からの情報で、大佐と護衛魔導士以外に、外交官や護衛の騎馬小隊などが帯同していることも分かっていた。

 敵魔導士が接近する代償として、残りの有象無象を皆殺しにして、後悔させてやることも考えたが、それは許してやることにした。

 この雨の中、大佐が乗るべき馬車まで粉砕してしまうのは、気が引けたからからである。


 どうせ自分の正体など、バリスタを見れば一目瞭然であろうが、帝国側としては知らぬ存ぜぬで通せばよい。

「わが国の現役少将が、王国に潜入してマグス大佐を襲撃しただと? 寝言は寝て言え」

 ――これで話は仕舞いとなるはずだ。

 絶対にありえないことだが、自分が王国軍に捕まりでもしない限り、証拠などないからだ。


 二つの魔力反応は採石場に近づき、およそ二百メートルの位置で動きを止めた。

 接近し過ぎて、重力魔法で圧し潰されることを恐れたのだろう。

 賢明な判断であるが、果たしてその距離で、地下にいる自分をどうやって攻撃するつもりだろうか。


 地上につながる坑道の入口は、頑丈な扉で封鎖されている。

 それなりの威力のファイア・ボールでも使えば、これを破壊することは可能だろう。

 だが、そこから延びる坑道は、固い岩盤を刳り抜いた坂道となり、螺旋を描いて大深度まで続いている。


 大空洞の天井は、二十メートル近い厚みがある大岩盤で、これを撃ち抜くことは不可能だ。

 かといって、坑道の入口を破壊して、そこから魔法を撃ち込もうとしても、円を描いて傾斜する坑道に阻まれて、地下までは届くまい。


 地下の大空洞は、難攻不落の要塞のように思えたが、実を言うとたった一つだけ、直接攻撃できる手段があった。

 それは、空洞の天井から地上まで、垂直に掘られた換気口である。

 ただし、採石場が放棄された際に、この換気口も外から板で塞がれ、現在では土砂に覆い隠されている。

 この換気口は、いざという時のカメリアの脱出路にする予定だった。


 カメリアは、相手がどんな手を使うのか楽しみにしながら、淡々とバリスタで攻撃を続けていた。

 何しろここは採石場跡である。地表には攻撃に使う手頃な大きさの岩石が、無尽蔵に転がっているから、弾切れの心配がない。


 ただ、バリスタは一発撃つと、次の攻撃のための呪文詠唱が必要だった。

 彼女は超一流の魔導士であったから、当然のように三重詠唱を使いこなしたが、それでも二分ほどの時間を要した。


 停止している魔力反応に向け、また一発の攻撃を撃ち込むと、カメリアはすぐに詠唱に入った。

 その直後、頭の中で激しい光が爆発し、彼女は思わず詠唱を止めた。


 感知魔法は、術者の脳内に魔力が小さな光点となって現れるイメージである。

 光点の輝きは、魔力が大きいほどに強くなる。

 これに自分が把握している地形を重ね合わせ、魔導士の位置を計算によって算出するのである。


 ところが、その光点の一つがいきなり膨張し、強烈な輝きを放ったのだ。


 これは、敵の魔導士が大出力の魔法を撃った証拠である。

 それがただの魔法でないことは明らかで、マグス大佐の爆裂魔法以外では見たこともなかった。


『一体どんな魔法を使ったのだ?』

 こうなると、安全ではあるが、外の情報が分からない地下にいる自分がもどかしかった。

 しかしそれに続いて、今度ははっきりとした攻撃の兆候が耳に届いた。

 轟音が坑道を伝わって大空間に反響し、爆風のようなものが吹き込んできた。

 恐らく坑道の入口を破壊したのだろう。だがこれも、ある程度予想された動きである。


 しかし、異変はそのすぐ後に起きた。

 不気味な音が響いてきたかと思うと、傾斜した坑道を駆け抜けた大量の水が、地下の大空洞へと流れ落ちてきたのだ。


 カメリアはいぶかしんだ。

 この採石場の周辺には、目立った水源など存在しない。

 となれば、現在降っている雨を利用した、未知の水系魔法かもしれない。


 なるほど、頑丈な地下に立て籠もる敵に対して、水攻めとは考えたものだ。

 だが、見通しが甘すぎる。

 この地下空洞は、幅が約六十メートル、奥行きに至っては百メートル近くある。

 これだけの空間を、相手が溺れるほどの水で満たすには、どれだけ時間がかかると思っているのだ?


 大佐の護衛についた魔導士は、攻撃魔法を撃つために防御を解除したはずである。

 どんなに熟練した魔導士でも、もう一度防御魔法を張り直すには、数分かかるはずだ。

 その前にバリスタを撃ち込めば、勝負は簡単に決してしまう。


「大体、大佐殿は王国の魔導士などに期待をし過ぎなのだ……」

 カメリアは幾分かの嫉妬を交えた独り言を洩らし、詠唱を再開しようとした。


 ――が、彼女はすぐに視線を戻した。


 坑道から流れ込んでくる水が、ただの水(・・・・)ではないことに気づいたのだ。

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