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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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十一 石切場

 講演のあった翌日、マグス大佐は再び馬車に乗り込み、東北の蒼城市へと向かった(白城市を経由)。

 もちろん警護役のエイナが一緒で、シルヴィアもカー君に騎乗して上空から警戒に当たった。


 王都―白城市間は一日、そこから蒼城市までは四日という、計五日の行程であるが、これは経由する町で馬替えが行われるからで、かなり早い方である。

 普通の旅客なら、一週間前後かかるのが常識であった。


 白城市までは賑やかな街道を通るため、行き交う人や馬車もさまざまで、あまり退屈しない旅であった。

 夕方に到着した第一軍の演習場は、前に泊まったテントをそのままにしていてくれた。

 主目的である王都訪問と講演は終了したため、今回は儀礼的な行事がなく、白虎帝も顔を見せなかったが、手厚いもてなしを受けたという点では変わりなかった。


 白城市を発って広大な新市街(大城壁の周囲に発達した新興市街)を抜けると、周囲の景色は一変した。

 第一軍の管轄エリアは、王国でも最も肥沃な中央平野の大半を占めており、馬車の窓から見える風景は、果てしなく広がる麦畑であった。

 あとひと月ちょっとで春播き小麦の収穫が始まるとあって、もう穂が出揃った小麦は、風に吹かれて海のように波打っていた。


 始めのうちは、「これは見事な……」と感心していたマグス大佐であったが、さすがに同じ光景が続くと飽きてくる。

 馬車はかなり揺れ、騒音も大きいため、読書にも適さない。退屈した大佐は、エイナを相手にするしかない。

 話題は自然と、王都での出来事の回想になった。


 大佐は連日続いた歓迎の式典や晩餐会に、心底うんざりしていたようだった。

 彼女は、向かい側に座っている二人の外交官に「これは私的な会話だぞ」と念を押してから、エイナに散々愚痴を洩らした。


「私は育ちが悪いせいか、どうにも礼儀作法が苦手でな。

 出された酒や料理も贅を凝らした美食なのだろうが、ナイフとフォークの順番を間違えるのではないか、口に入れるスプーンの向きはこれが正しいのかと、いちいち気になって、味わうどころではなかった。

 出された料理を全部部屋に持ち帰って、一人で好きなように食べられたら、どれだけ美味だったろうかと思うと、無念でならん」


 大佐が本当に悔しそうな表情を浮かべ、熱く語るものだから、エイナは微笑まずにいられなかった。

「そうおっしゃいますが、私が聞いた噂では、大佐は完璧な作法を披露されたということでしたよ。

 私の家主が、どこで身につけたのかと不思議がっていました。

 やはり、士官学校で学ばれたのですか?」

「馬鹿を言うな! そんなところでお行儀を教わるものか」


「え? えと、あの、私は基礎だけですけど、魔導院で教わりましたけど……」

「なに? 王国ではそんな呑気なことをしているのか!

 わが国の養成機関がそんなことをしたら、批難が殺到して潰されるぞ」


 大佐は心底驚いたらしかった。

 戦争中の帝国と平穏な王国とでは緊張感が違う――それはエイナにも理解できた。

 それはそれとして、やはりエイナとしては、舞踏会で大佐が男装で踊ったことが何としても気になる。


「では、大佐はどうやって上流階級の作法を身につけたのですか?」


 マグス大佐は憮然とした表情で答えた。

「家庭教師をつけたのだ……不本意だったがな。

 尉官であるうちは、正直、作法など気にしたこともなかった。

 だが、大尉に昇進し、やがて少佐の地位が現実味を帯びてきた頃になると、考えを変えざるを得なくなった。

 佐官ともなると政治や外交に無縁ではいられないし、出席を強いられる行事も格段に増える。

 そうした場では、軍の高官や貴族ども、最悪皇帝陛下の血縁がお出ましになることもある。

 さすがにそんな場で恥はかきたくないだろう?

 だから、たまの休暇で帝都に帰った折りに、一念発起して学んだんだよ。下宿の婆さまはえらく喜んでいたが、反吐が出るような体験だった。

 だがまぁ、作法など所詮は暗記だ。私は優秀な魔導士だからな、暗記なら雑作もなかった」


「でもでもっ、ダンスは知識じゃなくて、実技が伴うじゃないですか?」


 エイナの突っ込みに、大佐は鷹揚にうなずいた。

「そのとおりだ。だからダンスの習得は余計に楽だったな」

「えと、あの……どういう意味でしょうか?」


「分からんか?

 ダンスのステップとは、相手の動きに応じて、どう自分の体をさばくのか、その最適解を選択し続ける動作だと私は看破した。

 相手が出たら引く、下がったらこちらは踏み出す。相手の荷重移動から次の行動を予測し、こちらの取るべき態勢を判断する。

 ――これはまさに格闘術の極意なのだ。

 だから、私はダンスの理論を学ぶ前に、あらゆるステップを踏めるようになった。

 素人軍人に教えにきたつもりのダンス教師は、驚愕して顎を外しかけたぞ」


「では、男性のステップを使えたのも……?」

「ああ、別に覚えていたわけではないが、単に攻守を逆にするだけの違いだ。何の問題もない」


 得意気な大佐の表情に、エイナは感心せざるを得なかった。

 目の前にいる伝説の魔導士は自信に満ち、一切揺らぐということがない。

 その境地に達するまで、一体どれだけの努力をしたのか――想像するだけで寒気がした。


      *       *


 白城市を出発して二日目の午後、一行は第一軍の担当領域から、第四軍、即ち蒼城市の管轄区へと入った。

 第一軍の騎馬二個小隊は、境界で出迎えた第四軍の部隊に任務を引き継いだ。

 騎兵たちの軍装は共通しているが、革鎧の胸に取り付けられたプレートが、白磁から鮮やかなコバルトブルーに輝く金属メッキに変わっていた。


 マグス大佐は警備の引き継ぎにさほど関心を示さなかったが、馬車が出発すると、エイナに何気なく訊ねてきた。

「王国の各軍団同士は仲が悪いのか?」


 向かいの席に座っている王国の外交官が眉を上げ、ちらりとエイナに視線を走らせた。

 油断も隙もあったものではない。


「そうですね、友軍ですから仲が悪いということはないと思います。

 互いに切磋琢磨する競争相手といった関係……ではないでしょうか?」


 外交官が視線を外したところを見ると、エイナの返答は合格だったらしい。


      *       *


 翌日は朝から雨模様だった。激しい降り方ではないが、馬車の屋根から雨音が伝わり、街道に刻まれた馬車のわだちには茶色い泥水が溜まっていた。


 雨天になると、上空で警戒飛行を続けているシルヴィアたちの負担が大きくなる。

 シルヴィアの飛行服は、分厚い革に脂をたっぷりと含ませてあり、相当の防水・防寒性能を持たせている。

 それゆえに重いという欠点もあるのだが、雨の中で飛行を続けるとさすがに革が水を吸ってしまう。これを一晩で乾かすのは至難の業である。


 そのため、彼女は小麦の藁で作られたみのをまとっていた。

 蓑は防水性もさることながら、通気性も確保する優れ物である。

 ただし長時間はもたないので、シルヴィアは二時間おきに着陸して、荷馬車に積んだ新しい蓑に取り替えねばならなかった。


 雨天時には防水・防寒の問題以上に、見通しの悪さが問題となる。

 シルヴィアたちは視界を確保するため高度を落とさざるを得ず、その視認範囲は大幅に狭まった。


 彼女とカー君の苦労は、馬車の中で快適に過ごしている者たちに届くことはない。

「ずい分と殺風景な景色だな……」

 馬車の窓(高級なだけあって、ガラスがめられていた)から外を眺めていた大佐が、退屈を隠さずに不満を漏らした。


 街道の外に広がるのは一面の畑で、その点では白城管区と変わりはない。

 ただし、あちらが豊かな小麦の稔りを見せつけているのに対し、蒼城管区の畑は雑多な野菜が植えられ、収穫時期の違いから歯抜けのように土が見え、どうしてもみすぼらしく見えてしまう。


「信じられないかもしれませんが、この辺りはかつて、すべてタブ大森林の一部だったのですよ」

 オットリーノという名の王国外交官が、マグス大佐を諭すように語りかけた。


「わが国は温暖な気候で知られておりますが、かの大森林は寒冷期の名残りで、針葉樹の巨木で構成されています。

 私ども王国民は、祖父、曾祖父、その遥か以前からこの大森林に挑み、開拓を続けてまいりました。

 ご存じとは思いますが、針葉樹は常緑で秋になっても葉を落としませんから、腐葉土の堆積が進みにくいのです。

 しかも年間にわたって太陽が遮られて、下草もあまり生えません。

 当然ながら森に棲む動物たちの数も少なく、土壌の貧栄養状態が多年にわたって固定化されてしまいます。

 木を伐って根を掘り起こし、耕したからといって、ただちに農業に適した土にはならないのです」


 外交官は窓の外に目をやり、ぽつりとつぶやいた。

「私も辺境の開拓村に生まれましたから、現実の厳しさはよく分かっております」


「しかし、土を肥やすことが重要だと分かっていても、農民は日々生活していかなければなりません。

 畑に作物を植えて収穫するということは、即ち土の養分を奪い去るということですから、いつまで経っても開拓地の土壌は豊かになりません。

 それでも私たちは歯を食いしばり、ほんのわずかでも均衡をプラスの方向に傾け、数十年、数百年をかけた結果、この土地は余剰生産物を生み出せるようになったのです。

 大佐殿には〝みじめで貧しい土地〟に見えるかもしれませんが、私はこの景色を誇りに思っております」


 淡々と語った外交官に対し、マグス大佐は神妙な表情で頭を下げた。

「私は十代のころから軍に身を投じ、敵を殺すことしか知らない人間だ。

 あまの農民たちが働くことで、われら軍人が働けることは承知していたが、そのような苦労には考えが及ばなかった。

 私の不適切な発言は撤回する。どうか許してほしい。

 そして、無知な私をたしめてくれた貴官にも、心から感謝をしたい」


 外交官は慌てて手を振った。

「いえいえ、大佐に意見をするなど、決してそのようなつもりはありませんでした!

 私こそ、生意気なことを申しました」


 辺境の寒村で生まれ育ったエイナには、外交官の言葉が身にしみた。

 それと同時に、マグス大佐が素直に謝罪したことにも、ある種の感銘を覚えた。

 大佐は尊大であったが、同時に理非をわきまえた高潔な人物であると思えたのだ。

 彼女が同じ帝国軍内で虎のように恐れられながら、一度その部下になった者たちは絶大な信頼を抱くという理由が、何となく分かったような気がした。


 よけいなお喋りを反省した外交官が口をつぐむと、馬車内には沈黙が訪れた。

 聞こえるのは天井を打つ雨音と、車輪から伝わるガタゴトという騒音だけだった。

 気まずい雰囲気に責任を感じたマグス大佐が、何か言いかけようとした時、エイナがいきなり手を伸ばしてそれを遮った。


「お静かに! 強い魔力反応を感知しました」


 外交官たちが不安そうに身をすくめたのと対照的に、マグス大佐はまったく慌てず、むしろどこか嬉しそうだった。

「ほう、ずっと魔力探査をしていたのか……。

 距離と方角は分かるか?」


「はい。北北東、距離はおよそ二キロです。

 まだ不安定ですが、捉まえた反応を見る限り、かなり強力な魔力を保持していると思われます」

「ほう、直径で四キロの感知範囲というのは、なかなかのものだな。

 最大でどこまで探れるのだ?」


 エイナは大佐の質問には答えなかった。自分の能力は絶対に明かすなと、厳しく言われていたからであるが、感知魔法のレベルに関しては、もはや手遅れだった。

 上も無茶なことを言う。襲撃はほとんど確実視されていて、敵から大佐を守るのはエイナの役目である。

 嫌でも能力を見せなければ、むざむざ殺されるだけなのだ。


 エイナは天井を見上げ、上空のカー君に脳内で呼びかけた。

 雨で地上五十メートルという低空を飛んでいるカーバンクルは、十分な通話範囲にいる。


「カー君、聞こえた? 北北東、距離二キロよ。偵察をお願い。

 相手はかなり強力な魔導士と思われるから、十分に警戒してね!」

「了解。その方角だと、何か変な形の丘? みたいなのがあるなぁ……。

 エイナの視力なら、何とか見えるんじゃない?」


 エイナは物も言わずに右側の窓へと身を乗り出した。

 マグス大佐の膝上に圧し掛かる形になったが、緊急時である。大佐の方も黙ってそれを許していた。

 エイナは水滴だらけのガラス窓を押し上げ、身を乗り出して進行方向のやや右側に目を凝らす。


 周囲は平坦で畑が広がっているだけだが、その方向に確かに丘らしきものが、雨に煙って見える。

 ただ、やけにゴツゴツとして角ばった輪郭をしている。

 子どもが積み木細工で作った小山と言えば、何となく想像できるような形状であった。


 エイナは窓から雨に濡れた顔を引っ込めた。

「オットリーノ外交官! この先、街道の右手にある奇妙な丘は何ですか?

 なにかこう……やけに角ばった岩の塊りのように見えるのですが」


 外交官は少し考え込み、やがて思い出したように膝を叩いた。

「ああ、それは〝石切場〟でしょうな」


「採石場ということですか?」

「さよう。元はちゃんとした名前がある山だったのですが、良質な緑色凝灰岩グリーンタフが採れたことから、昔から採石場となっていたそうです。

 蒼城もここで採れた石材で建てられたと聞いておりますが、かの城ができたのは、もう二百五十年も前のことですから、相当に古い話となります。

 長年にわたって石が切り出された結果、山はすっかり形をなくしてしまい、地下の石材まで掘り尽くされて、今では立ち入る者もいない廃墟となっているはずです」


 マグス大佐が〝ふむふむ〟とうなずき、余裕たっぷりの態度で訊ねた。

「そこに正体不明の魔導士が潜んでいるということか。

 一体、何のため(・・・・)だろうな?」


 帝国の外交官も〝予定どおり〟といった顔で、微笑を浮かべている。

 白々しいにもほどがあった。


 エイナは険しい顔で吐き捨てた。


「もちろん、われわれ(・・・・)を襲うためです!

 帝国との友好に反発する、一部の過激派が雇った魔導士――とでも言えば、ご満足でしょうか?」

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― 新着の感想 ―
[良い点] そういえばマグス大佐の生い立ちとかってまだ出て来てなかったっけ? どんな少女時代だったのか気になる
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