十 講演
六月二十七日の早朝、マグス大佐たちは白城市の演習場を出立し、一路王都へと向かった。
白城市と王都間の主街道は特に交通量が多いため、全面舗装で道幅も広い。
途中の町で馬を替え、順調に旅を進めた一行は、午後の三時過ぎには王都リンデルシアに到着した。
大佐が王都を訪れるのは、もちろん初めてのことである。
彼女の白城市入りを頑なに拒絶した王国側が、女王の居住する王城の所在地に、すんなりと迎え入れたのは奇妙に思えた。
四古都と同様、王都も街全体が城壁に囲まれた城塞都市ではある。
ただし、その軍事的な重要性は高くないというのが、その理由であった。
白・黒・蒼・赤の四古都は、王国を支える四つの軍団の根拠地であり、それぞれ一万二千人の軍勢(レテイシア女王の軍制改革で、各軍団の定員は二千人増加していた)と、二人の国家召喚士と、強力な能力を持った神獣を擁する要塞である。
これに比べ、王都の戦力は約四千人の近衛軍だけで、街を守護する神獣も存在しなかった。
王都の守りは白城市が担っており、ここが抜かれた以上、王都単独での抵抗は単なる悪あがきの時間稼ぎに過ぎなくなる。
王都の役割は国の象徴であり、あくまで外交の舞台である。
当然、各国の公使が駐在する上に、頻繁に外交使節が訪れるため、市内や王城内の情報は筒抜けとなっていた。
今さら帝国の将校に見られたからといって、特段困るようなことはないのである。
大佐の一行は王都の大城壁の正門を通り、そのまま街の中心に聳える華麗な王城へと入っていった。
広大な前庭では、煌びやかな礼装に身を包んだ儀仗隊が整列して待ち構え、軍楽隊が高らかに両国の国家を演奏して華を添えた。
出迎えるのは、胸に勲章をこれ見よがしに飾り立てた王族、大貴族の群れである。
その末席に連なる軍の代表は、名前だけの存在である参謀総長であり、実権を握るマリウスの姿はない。
エイナは王城の門を潜ったところで馬車を降りた。
マグス大佐の王都滞在中は、近衛軍が警備を引き継ぐことになっていたからだ。
したがって、この後にどんな行事が行われたかは、彼女はまったく関知しなかった。
おそらくレテイシア女王への拝謁があり、盛大な歓迎式典、晩餐会、舞踏会などが催されたのだろう。
あのマグス大佐がドレスを着てダンスを踊るなど、想像するだけでも笑えたが、その一方で何だか気の毒にも思えた。
舞踏会の模様を訊き出すのは、王都を出てからの楽しみに取っておくことにしよう……エイナはそう思いながら、自分に課せられた任務に専念することにした。
彼女はすぐさま参謀本部に出頭し、中間報告という名目で、情報部も交えた事情聴取に応じなければならなかったのだ。
大佐の馬車には王国の外交官も同乗していたから、当然彼も聴取を受けているはずだった。
この日は取りあえず二人から別々に報告を聞き取り、翌日から両者の報告を突き合わせ、裏取りが行われる予定だった。
エイナが記憶する限り、大佐は軍事・外交面での機密を洩らしたという事実はなかった。
だが参謀本部と情報部は、たわいもない雑談からでも、エイナが気づかないような情報を探り出すことができる、と考えているらしい。
そのため尋問は微に入り際にわたり、二日にわたる聴取で、エイナは固く絞られた雑巾の気分を味わうこととなった。
六月の残る二日間は休暇が許され、エイナはシルヴィアとともに、久し振りにゆっくりと過ごすことができた。
家主のロゼッタが得てきた情報によると、マグス大佐は晩餐会に男性用の軍礼装で現れ、貴族の娘を相手に見事なステップ(もちろん男性用)を披露したらしい。
「大したものよ!」
下宿の夕食の席で、ロゼッタは感心したように語って聞かせた。
「マグス大佐って孤児院の出身で、決して育ちはよくないらしいのよ。
それに、若いころから戦場にどっぷり浸かっていたから、社交界なんて縁もゆかりもなかったはずなの。
それなのに踊りはもちろん、礼儀作法から話題に至るまで、ほとんど完璧だったらしいわ。
意地悪な貴族の奥方様たちは、粗野な女軍人を馬鹿にして笑ってやろうと手ぐすね引いていたらしいけど、当てが外れて引き下がるしかなかったそうよ。
もし大佐がもっと背が高くて、頬の傷がなかったら、貴族の娘たちが夢中になっていたかもしれないわね」
エイナは口の中のジャガイモを飲み込むと、うんうんとうなずいた。
「直接話してみると、実際意外でした。
粗野で卑猥なところもありましたけど、行動はとても紳士的でしたね。
何だか女性というより、抑制のきいた大人の男性といった感じでした」
「でも、カー君はあの女の上を飛ぶのを、酷く嫌がっていたわよ」
大佐を褒めたたえるエイナに対して、シルヴィアが抗議を表明した。
「下からいつ魔法で撃たれるか、分からなくて恐いんだって。
あの子、あんまり魔力に敏感じゃないんだけど、大佐の場合は桁違いらしいわ」
「まぁ、確かに大佐の魔力量は化け物じみているものね。
そう言えば、シルヴィアとカー君は上空の警備、初めてだったんでしょう?
どうだったの?
馬車に合わせてゆっくり飛ぶのって難しくないの?」
「カー君は平気なの。ほら、あの子はもともと空中浮遊ができたでしょう?
浮いているだけならあまり精気を消費しないから、かえって楽なんだって。
アラン少佐が言ってたけど、ロック鳥は速度を落とすのが一番苦手で、こういう任務は大変らしいわよ。
失速するのを防ぐために、ぐるぐる旋回し続けるから、目が回るんだって」
「へえ~、じゃあカー君には似合いの仕事なのね」
「王都まではピクニック気分で気楽だったわ。
でも、これから蒼城市に向かう道中が危ないんでしょう? どんな敵が出てくると思う?」
エイナは肩をすくめた。
「さぁ……そればっかりはね。
でも、きっと腕利きの魔導士だと思うわ。お互い油断しないようにしましょう」
* *
王立魔導院魔法科設立十周年となる七月一日は、朝から快晴であった。
魔導院の講堂には、魔法科の在学生全員(八十名余)に、卒業して軍務に就いている魔導士のほぼ全員(三十数名)が集まっていた。
卒業生たちは、それぞれが四軍に配属されていたが(エイナのように王都にいるのは例外)、帝国の生ける伝説の貴重な話が聞けるとあって、全国から集まってきたのだ。
もちろん休暇ではなく、公務扱いである。
各軍の現場では、魔導士を軍に組み込んで効率的に運用するため、さまざまに試行錯誤を重ねていたが、彼らの経験不足からくる線の細さ、即ち精神面の弱さが、共通した課題として挙げられていた。
今回の大佐の講演は、それを補う絶好の機会であった。
こうした魔導士や候補生のほか、各軍の参謀、魔導院の指導陣、あるいは興味本位の貴顕など、さまざまな人たちが詰めかけた結果、講堂は満員札止めとなった。
もちろんエイナも許可を得て、聴衆の一員として加わっていた。
講堂の壇上に据えられた演台の前に、大佐がその小柄な姿を現すと、会場は水を打ったように静まり返った。
名高い〝帝国の魔女〟がどんな話をするのか、聴衆は固唾を吞んで見守っていた。
そんな期待に満ちた視線を一身に浴びながら、彼女は第一声を発した。
「まずは、王立魔導院魔法科が設立十周年を迎えたことに、心からの祝意を申し述べたい。
これまで王国は、国の護りを召喚士に依存し、魔法に目を向けてこなかった。
その方針を大転換し、魔導士の育成に取り組むには、多くの困難があったであろう。
すでに卒業された諸君はそれをよく乗り越え、王国魔導士のさきがけとなって軍に身を投じ、国家に身命を捧げているのは、喜ばしい限りだ。
在校生諸君は、その先輩方に一刻も早く追いつこうと、日々の努力を重ねていることと思う」
大佐の低くしゃがれた声は、戦場で鍛えられただけあってよく通り、腹にずしんと響いた。
彼女は一切メモ類を手にしておらず、落ち着いてよどみなく話しを進めていった。
「軍人とは何か?
それは上官の命令ひとつで敵に向かい、死して戦場に屍をさらす運命を受け入れた者である。
降り注ぐ矢に身体を貫かれ、槍に胸を突かれ、剣で腹を切り裂かれて内臓をぶち撒けて斃れるのが、兵たちを待ち受ける結末である。
彼ら一人ひとりは、善良な市民に過ぎない。故郷に帰れば、身を案じる両親が、恋人が、あるいは妻や子が待っていることだろう。
そんな事情を斟酌することなく、戦の神は彼らに対し、平等にみじめな死を与えるのだ」
「では、魔導士とは何か?
呪文ひとつで大勢の敵を殺し、死すべき運命の味方をより多く救う者である。
諸君の魔法で焼かれ、凍り、身を貫かれる敵は、国を奪い民を殺して奴隷におとしめる憎むべき存在ではあるが、その帰りを待つ家族を持つ同じ人間に過ぎない。
その敵を、魔導士の放つ魔法は無慈悲に薙ぎ払う。敵の家族はさぞ嘆き悲しむだろう。
敵にとって諸君ら魔導士は、憎悪と怨嗟の対象である。諸君の肩にはそれが重くのしかかり、戦いを経て増えこそすれ、減じることは決してない。
だが、それは同時に味方にとっては福音である。諸君が一人でも敵を多く倒せば、味方の命がそれだけ救われるのだ」
「だからこそ!
兵たちは魔導士を決して見捨てない。彼らは魔導士を守るための肉の壁となり、自分たちが全滅してでも、魔導士を逃がそうとする。
なぜなら、魔導士一人が生き残ることで、無数の兵士の命が守られることを、兵たちは身をもって知っているからだ。
魔導士がいくら強力でも、兵がいなければ戦争はできない。
魔導士が突破の道を切り開いても、実際に塹壕に飛び込み、敵を刺し、斬り、殴り殺すのは兵たちだからだ。
彼らが守ってくれなければ、魔導士は防御に追われて攻撃魔法を放つことすらできないのだ」
「帝国軍においては、魔導士と兵は有機的に結びつき、互いが欠くことのできない不可分の存在と化している。
それは誰かに命じられたからではなく、自然発生的に生まれるものだ。
新兵はまっ先に、その理を先輩から叩き込まれる。
だが、諸君ら王国の魔導士はどうだ? ここには、魔導院を卒業して実際に配属されている者も集まっていると聞いたが、帝国軍のような関係を築けているだろうか?
答えは否である。まだ諸君ら王国魔導士は何者でもない。
兵たちの信頼を勝ち得るには、血と臓物と泥水に塗れながら、耐え難い重さの罪に耐える必要があるというのに、諸君らはまだその地獄を経験していないからだ。
国が平穏であることは喜ばしいことだが、それは永続することのない一時の夢である。
諸君は率先して手を汚し、敵の罵声を浴びることで、後に続く魔導士たちのさきがけとなるのだ。
その覚悟を、決して忘れないで欲しい!」
「私は三十年以上にわたって、戦場の泥の中を這いずり回ってきた。
殺した敵の顔などいちいち覚えていないが、その数はもう数万人に及んでいるだろう。
敵は私を〝魔女〟と呼んで呪っている。
もし私が敵に捕まることがあれば、考え得る最も残忍な方法で拷問を受け、無限の苦しみに苛まれた挙句に殺されるだろう。
しかし、私は恐れない。
それは、私のために死んでいった、名も知らぬ多くの兵たちをこの目で見てきたからだ。
彼らの犠牲が、私の背中を押す。決して立ち止まることを許さぬのだ。
本日はせっかくの機会である。
まだ戦場を知らない諸君のために、私が体験してきた地獄を、いくつか紹介したいと思う」
――これが、大佐の〝前置き〟だった。
この後、彼女は自身が体験してきた、さまざまな戦場での事例を、淡々と語り出した。
まず両軍の置かれた状況、即ち彼我の兵力、布陣、地形、時刻・天候といった要素を簡潔に説明し、その中で魔導士(大佐)がどう判断して行動したか。
それに対する敵の反応、味方の兵たちの動きを、鮮やかに描き出して見せた。
それは上に提出する理想的な戦闘報告書そのもので、冷徹に分析されながら、情熱的に語られたもので、実際に経験に裏打ちされた凄味があった。
大佐は自軍の勝ち戦だけでなく、敗れて総崩れになった失敗も率直に語った。
彼女の語り口は真に迫り、聴衆には焼け焦げる人間の絶叫が聞こえ、髪や脂が燃える嫌な臭いが漂ってくる錯覚すら与えた。
会場は静まりかえり、しわぶきひとつ聞こえなかった。
マグス大佐は滔々《とうとう》と話し続け、予定された二時間はあっという間に過ぎた。
「私が経験してきた地獄を、すべて語るのは不可能だ。
ここまで話してきた事例は、ほんのさわりに過ぎないが、諸君の参考になれば幸いである。
今一度言うが、魔導士であることの責任の重さを認識し、覚悟せよ!
そして、決して驕るな!
われら魔導士は、兵の命を救うために戦場に立つことを忘れるな!
私の話は以上である。ご清聴に感謝する」
彼女が口を閉じると、会場には一瞬の沈黙が流れ、次の瞬間、堰を切ったように万雷の拍手が沸き起こった。
多くの魔導士とその候補生たちの頬には、涙が流れていた。
かくして、帝国の将官級魔導士が王国内で講演をするという前代未聞の試みは、成功裏に幕を閉じたのである。
余談であるが、この日の講演会には複数の速記者が配置されており、数か月後には講演録の小冊子が出版(木版刷)された。
それは魔導院魔法科の教材として活用され、数十年にわたって版を重ねることとなった。
また、どういうルートで流出したのか謎であるが、この講演録は数年後に帝国でも、マグス大佐の事跡を付け加えた書籍として出版された。
こちらは活版印刷で大量の部数が刷られ、魔導士だけでなく一般市民にも広まって、当時としては異例のベストセラーとなった。
マグス大佐の元には、ひっきりなしに講演依頼が舞い込んだが、大佐はそのすべてを断り続けた。王国での講演は、あくまで皇帝の命で実現したものだったのだ。
結果的にこの講演録は、ミア・マグスという稀代の天才魔導士が遺した、唯一の著書となったのである。