八 魔力
マグス大佐の一行は、黒城市の西大門を出て王都を目指した。
この街道をしばらく西に進むと、丁字路にさしかかる。
本街道はそこを左折して、南の白城市へと向かう。
真っ直ぐ進む脇街道は、たびたび紛争の舞台となるノルド地方へ通じている。
マグス大佐は二頭立ての大型馬車に乗り込み、エイナと両国(王国・帝国)の外交官が同乗した。
それに続く四人乗りの馬車に残りの随行員、そして荷馬車が続く。
この三台の馬車を前後に挟む形で、第二軍の騎馬小隊(各十二騎)が守りを固めている。
カー君はシルヴィアを背に乗せて上空を飛び、周囲の警戒に当たっていた。
マグス大佐の乗る馬車は六人掛けで、席は小テーブルを挟んで向かい合う形になっている。
マグス大佐の隣にエイナが座り、二人の男性外交官は向かい側である。
両国の外交官は、馬車の窓から見える景色の感想など、時折控えめな会話を交わす程度で、ごく静かだった。
マグス大佐は軍人らしく、背筋がぴしっと伸びた姿勢だったが、彼女なりにくつろいでいる様子だった。
だが、隣に座るエイナは、ガチガチに緊張していた。
何しろマグス大佐は、魔導士なら知らぬ者のいない超有名人である。
とにかく圧が強い。
大佐の背丈はエイナとあまり変わらない。比較的小柄な方だった。
だが、軍服の上からでも筋肉質なのが分かり、そこから発散される熱量が伝わってくる。
身体から溢れ出る魔力はさらに凄まじかった。
エイナは自分を抑えるのに必死だった。危険に反応した魔力が身を守ろうとして、暴走しそうになるのだ。
マグス大佐と言えば、ぼさぼさの赤毛で有名だった。
女性軍人は髪を伸ばしてもよいが、勤務中は髪を結い上げるか、束ねなければならない。
これは両国とも共通する規則なのだが、大佐の場合は特例で、それを免じられていた。
広がった赤毛は遠くからでも分かる目印となり、いち早く発見して避難できるからで、これは司令部の一般職員が結束し、陳情した成果である。
だが、今は他国を訪問している公式の場であるから、彼女は縮れた髪を何十本もの細い三つ編みにして、後頭部に可愛らしいお団子を作っていた。
随行員に世話係の女性がいるのはこのためで、彼女は毎朝一時間以上をかけ、大佐の癖毛と格闘していたのだ。
髪を編んで後ろでまとめるものだから、自然に顔面が軽く引っ張られる形となる。
そのため、もともと近眼で目を細める癖がある大佐は、いっそう凶悪な目つきになっていた。
眉根には常に縦皺が寄っているし、への字に結ばれた薄い唇の端からは、醜い刀傷が耳の下まで延びている。
エイナは、これほど恐そうな女性を間近で見たことがない(去年の戦闘では、無我夢中で顔を見る余裕もなかった)。
ただでさえ、彼女は人見知りするタイプである。
極度の緊張と恐怖で、エイナは固まったまま、ひと言も話せなかった。
馬車が黒城市を出て三十分ほど過ぎたあたりで、大佐は大げさに溜息をついた。
そして隣のエイナに身体を寄せ、顔を覗き込んだ。
「ひっ!」
エイナは思わず息を呑み、掠れた悲鳴を上げる。
「頼むからそう〝しゃちほこ張る〟な。
ガーゴイルの石像でもあるまいに、こっちまで肩が凝りそうになるぞ」
「もっ、申し訳ありません!」
「私は確かに〝魔女〟と呼ばれているが、小娘を鍋で煮てスープにするような趣味はない。
どうせ喰うなら、若い男の方がよほど楽しいぞ」
向かいに座っていた帝国の外交官が思わず吹き出し、慌てて咳払いをして誤魔化した。
大佐は彼をじろりと睨みつけてから、エイナの方に向き直った。
「私は堅苦しいのが苦手でな、貴官をエイナと呼んでもよいか?」
「はい、大佐殿のお好きなようにお呼びください」
「よろしい。では、私のことも大佐と呼べ――殿はいらん。
それと極端な敬語も止めて、普通に話せ。ああ、もちろん公の場では別だ」
「承知いたしました」
「『分かりました』だ、馬鹿者。
まぁいい。では訊くが、あの空を飛んでいるのは何だ?」
マグス大佐は馬車の天井を指さしたが、もちろん、上空を飛んでいるカー君のことだ。
「幻獣です」
「乗っているのは、確かシルヴィア准尉とかいう召喚士だな?」
「そのとおりですが、現在は少尉です」
「ほう、あっちも昇進したのか。
黒死山で連れていた幻獣と同じように思うが、もっと小さかったし、翼も生えていなかった。
一年も経っていないのに、変わり過ぎだろう。いつの間に飛べるようになったのだ?」
「申し訳ありませんが、幻獣については軍事機密ですので、お答えすることはできません」
「そうだろうな。国の学者に訊いたら、あれはカーバンクルという種族らしいな?」
「それもお答えできません」
「つまらん奴だな。
それでは呼ぶ時に不自由する。名前くらい教えてもいいだろう?」
エイナは頭の中で、事細かに受けたレクチャーを思い返した。
種族名は教えるなと言われたが、個別の名前については何も注意がなかった。
「カー君です」
大佐はくすっと笑った。意外なほど、人懐っこい笑顔だった。
「何だ、やはりカーバンクルではないか」
エイナは「あっ!」という顔をしたが、もう手遅れだ。
大佐はにやにやしながら、質問を続けた。
「シルヴィアとやらは、あまり名付けのセンスがないようだな。
エイナとシルヴィアは同期なのか?」
エイナは心の中で、今度こそと確認した。『これは答えても問題ないわよね?』
「はい。学科は違いますが、魔導院の寮で六年間同室でした」
「なるほどな……。
黒死山でも一緒だったということは、常に二人一組で動いているのだな。
王国は魔導士と召喚士の連携を模索していて、エイナたちの運用は、その実験ということか。
召喚士という王国の強みを活かして、魔導士不足を補うというのは、面白い試みだ」
「そっ、それは禁則事項です!」
「お前が洩らしたのだろう。
この程度が読めなくて、魔道士官が務まると思っているのか、馬鹿者」
向かい側の王国外交官が、肩を震わせながら顔を手で覆った。
エイナの目に涙が浮かんできた。
何とかして、大佐のペースから逃れねばならない。
「わっ、私の方にも、質問をお許しいただけますでしょうか?」
大佐の片方の眉が上がった。
「いいぞ。この際だ、何でも訊いてみろ」
「たっ、大佐はどのようにして、これだけの魔力を獲得されたのでしょうか?」
「それを訊いてどうする?」
「私は魔導士として、大佐のように強くなりたいのです」
「だから、強くなってどうするのだと訊いている」
「爆裂魔法を使いこなしてみせます!」
一瞬、マグス大佐の顔に驚きの表情が浮かんだ。
「ずい分と大きく出たな。
……エイナ、お前、歳はいくつだ?」
「今年、十九歳になりました」
「そうか。その歳でこれだけの魔力量を保持していれば、立派なものだ。
少なくとも、私が十九歳だった頃よりも上だと思うぞ?」
「失礼ですが、それでは説明がつきません」
マグス大佐は考え込むように、顎に手を当ててうつむいた。
「そうだな……私がエイナの歳くらいの時は、やはり強くなりたくて必死だった。
それと同じくらい、男と手当たり次第にやりまくっていたな。
エイナはもう、男とやったのか?」
エイナの顔がみるみる真っ赤になった。
向かいの外交官二人は、興味深そうに彼女に注目していて、よけいに恥ずかしかった。
「なななな、何をおっしゃるんですか!
えと、あのっ! わっ、私はそのっ、男の方とお、お付き合いしたことなどありません!」
「何だ、その歳で処女なのか? ますますつまらん奴だな。
いいか、軍人である以上、いつ死ぬか分からんのだぞ。
若いうちに、できるだけ男とやっておかないと、死ぬ時に後悔することになる。
ああ、ただ、妊娠にだけは気をつけねばならん。腹ボテになったら、戦争どころじゃないからな」
「いっ、一体、それと魔力がどう関係するのですか!」
「お前、つまらん上にせっかちだな。
私は見てのとおり、そう身体は大きくない。
もちろん、強くなるために武術も格闘術も学んだ。技術なら男には負けないつもりだ。
だがな、男とやっていると、どうしようもない体力差を思い知らされるのだ。
後ろから圧し掛かられて、潰されそうになったり、裂けるほど股を開かれ、体重をかけられると、女の力では何もできない。
男とやるのは気持ちよかったが、私はそれがたまらなく悔しかった」
「だからな、腰が抜けるほど男とやった後、私は誰もいない所で、腹いせに魔法を撃ちまくった。
魔力切れの寸前まで使い切り、自分の寝床に忍び込んで泥のように眠った。
次の日には身体がだるくて死にそうに辛かった。二日酔いみたいなものだ。
夕方になってやっと魔力が回復したんだが、その時に妙なことに気づいた。
ほんのわずかだが、魔力量が増えているような気がしたのだ」
「身体がくたくたになるまで筋肉を酷使して、その後に十分な休息を取ると、筋肉量が増大する。これを〝超回復〟と言うらしい。
どうやら魔力でも、そうした現象が起こるらしい。
それに気づいた私は、この訓練を十年以上にわたって続けた。
軍務をこなしながらこれをやるのは、信じられないほどきつかったぞ。
だがな、私は誰よりも強くなりたかったんだ」
マグス大佐は、目の前のテーブルの上に置かれた籠から、赤いリンゴを手に取った。
リンゴは大佐の小さな手に余る大きさだったが、彼女はそれを握った手に力を込めた。
五本の指先が、ずぶりとリンゴに喰い込んだかと思うと、次の瞬間に粉々に砕けた。
エイナが慌ててハンカチを出してかがみ、大佐の軍服に飛び散った果汁を拭き取った。
リンゴの残骸を片付けるエイナを見下ろしながら、マグス大佐は話を続けた。
「これはあまり知られていないのだが、魔力で筋力を一時的に補う方法がある。
効果はあるが、無駄に大量の魔力を消費するから、実際に使う馬鹿はいない。
だが、私の魔力量なら問題ない。
今の私は強い。男を幼児のように扱い、好きなように犯すことも可能になったというわけだ」
揺れる馬車内で這いつくばり、リンゴを拾い集めたエイナは、ようやく頭を上げて座り直した。
向かいの席の外交官たちが、青ざめているのが目に入った。
大佐は自分のハンカチで手を拭いながら、澄ました顔をしている。
「わ、私もその方法を試してみます!」
「正気か? 辛い割に、増える魔力量は本当にわずかだぞ?」
「構いません」
「この方法には大きな欠点がある、と言ってもか?」
「えと、あの、それはどんな……」
「うん。力づくで男を犯そうとしてもだな、男のアレは勃たんのだ!」
そう言うと、マグス大佐はエイナの背中をバンバンと叩き、大声を上げて笑い出した。
どうやら、これは彼女流の冗談らしい。
エイナは引き攣った笑いを浮かべるのが精一杯だった。
* *
マグス大佐の一行は、荷馬車を帯同していることもあって、ゆっくりと進んでいた。
南の白城市までは二つの町に泊まり、白城市郊外に着いたのは三日目であった。
第一軍の演習場(エイナとシルヴィアが拉致された場所)に用意された大型テントの前には、若き白虎帝ノエル・アシュビーが待っており、大佐を丁重に出迎えた。
白虎帝の傍らには、副官である国家召喚士、エディス・ボルゾフ中佐が控えている。
彼女は三十代半ば過ぎの妖艶な美女で、マグス大佐とも面識があった。
大佐はノエルと儀式ばった挨拶を済ませた後、エディスと懐かしそうに握手を交わした。
「エディス殿とは一別以来、もう十年余になるな。お元気そうで何よりだ。
そちらは、貴官のお子さんか?」
大佐は少し不思議そうに訊ねた。
というのも、エディスの軍服のズボンを掴んだ幼女が、恥ずかしそうに足の陰から顔を覗かせていたからだ。
しかも、真っ白な総レースのワンピースを着た幼女は、銀色の仮面を着けて顔を隠していたのだ。
エディスは微笑んだ。
「生憎ですが、召喚士は結婚しませんし、子も産まないのです。
この娘はこう見えて、私の召喚した幻獣で、エリーと申します。
エリー? 大佐殿にご挨拶しなさい」
仮面をつけた幼女は、恥ずかしそうに大佐の前に出て、ワンピースの裾を摘まんで、ちょこんとお辞儀をしてみせた。
大佐は微笑んでしゃがみ込み、幼女の頭を撫でてあげた。
「これは驚いた。どう見ても人間の子どもにしか見えんが、どのような種族かは教えてもらえぬのだろうな?」
「軍機ですから、お許しください。
ですが、エリーはこう見えて、貴軍の一個旅団程度なら、一瞬で壊滅させられる力を持っております」
これは、はったりではなかった。
この幼女は、強力な石化能力を持つゴーゴン三姉妹の次女エウリュアレで、本性は醜悪な大蛇である。
マグス大佐がかつて黒城市を占拠した時の戦いでは、エディスは最後衛で出番がなかったため、大佐はその恐ろしさを知らなかったのだ。
現時点で四神獣を除けば、彼女は恐らく王国最強の戦力だろう。
マグス大佐という怪物に対し、第一軍はそこまで警戒していたのだ。
白城市は王国最大の商業都市で、王都リンデルシアの防御要塞でもある。
実を言うと、かなり以前に、大佐は失踪した皇帝の寵姫レイアを追って、白城市に入ったことがあった。
その時は、外の見えない馬車に乗せられ、白城の一室で軟禁状態に置かれていた。
王都防衛の要である白城市を、有能な軍人であるマグス大佐に見せるわけにはいかないのだ。
今回も白城改修中という見え透いた言い訳で、大佐の入城を拒絶したのは当然であった。
「話がはずんでいるところ、申し訳ありません。ですが、いつまでも立ち話でもないでしょう」
白虎帝がにこやかな笑顔で割って入った。
「白城でも腕利きの料理人が、大佐殿を待ち構えています。
白城市が美食の都と呼ばれる所以を、存分にご堪能いただきましょう」
「それは楽しみですね」
大佐も笑顔で返し、ノエルに案内されるまま、演習場に立てられた大型テントの方へと向かった。
黒城市から護衛を担ってきた第二軍の騎馬小隊は、白城市の第一軍に任務を引き継ぎ、お役御免となった。
エイナとシルヴィアも、ここでは警備から解放され、しばしの休憩となる。
エディスという国家召喚士が動員された以上、彼女たちの力など必要ないからだ。
エイナは両腕を思い切り上げ、伸びをした。
肩の辺りが、バキバキと音を立てるのが分かった。
この三日間で、だいぶ大佐との距離は縮まったが、やはり緊張は続いていたのだ。
その彼女の横を、白虎帝に先導されたマグス大佐が通り過ぎた。
すれ違いざまに、唇を動かさない大佐の低いささやき声が、エイナの耳に届いた。
「今夜十時、私の寝所に来い」