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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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八 魔力

 マグス大佐の一行は、黒城市の西大門を出て王都を目指した。

 この街道をしばらく西に進むと、丁字路にさしかかる。

 本街道はそこを左折して、南の白城市へと向かう。

 真っ直ぐ進む脇街道は、たびたび紛争の舞台となるノルド地方へ通じている。


 マグス大佐は二頭立ての大型馬車に乗り込み、エイナと両国(王国・帝国)の外交官が同乗した。

 それに続く四人乗りの馬車に残りの随行員、そして荷馬車が続く。

 この三台の馬車を前後に挟む形で、第二軍の騎馬小隊(各十二騎)が守りを固めている。

 カー君はシルヴィアを背に乗せて上空を飛び、周囲の警戒に当たっていた。


 マグス大佐の乗る馬車は六人掛けで、席は小テーブルを挟んで向かい合う形になっている。

 マグス大佐の隣にエイナが座り、二人の男性外交官は向かい側である。

 両国の外交官は、馬車の窓から見える景色の感想など、時折控えめな会話を交わす程度で、ごく静かだった。


 マグス大佐は軍人らしく、背筋がぴしっと伸びた姿勢だったが、彼女なりにくつろいでいる様子だった。

 だが、隣に座るエイナは、ガチガチに緊張していた。

 何しろマグス大佐は、魔導士なら知らぬ者のいない超有名人である。


 とにかく圧が強い。

 大佐の背丈はエイナとあまり変わらない。比較的小柄な方だった。

 だが、軍服の上からでも筋肉質なのが分かり、そこから発散される熱量が伝わってくる。

 身体から溢れ出る魔力はさらに凄まじかった。

 エイナは自分を抑えるのに必死だった。危険に反応した魔力が身を守ろうとして、暴走しそうになるのだ。


 マグス大佐と言えば、ぼさぼさの赤毛で有名だった。

 女性軍人は髪を伸ばしてもよいが、勤務中は髪を結い上げるか、束ねなければならない。

 これは両国とも共通する規則なのだが、大佐の場合は特例で、それを免じられていた。

 広がった赤毛は遠くからでも分かる目印となり、いち早く発見して避難できるからで、これは司令部の一般職員が結束し、陳情した成果である。


 だが、今は他国を訪問している公式の場であるから、彼女は縮れた髪を何十本もの細い三つ編みにして、後頭部に可愛らしいお団子を作っていた。

 随行員に世話係の女性がいるのはこのためで、彼女は毎朝一時間以上をかけ、大佐の癖毛と格闘していたのだ。


 髪を編んで後ろでまとめるものだから、自然に顔面が軽く引っ張られる形となる。

 そのため、もともと近眼で目を細める癖がある大佐は、いっそう凶悪な目つきになっていた。


 眉根には常に縦皺が寄っているし、への字に結ばれた薄い唇の端からは、醜い刀傷が耳の下まで延びている。

 エイナは、これほど恐そうな女性を間近で見たことがない(去年の戦闘では、無我夢中で顔を見る余裕もなかった)。


 ただでさえ、彼女は人見知りするタイプである。

 極度の緊張と恐怖で、エイナは固まったまま、ひと言も話せなかった。


 馬車が黒城市を出て三十分ほど過ぎたあたりで、大佐は大げさに溜息をついた。

 そして隣のエイナに身体を寄せ、顔を覗き込んだ。


「ひっ!」

 エイナは思わず息を呑み、掠れた悲鳴を上げる。


「頼むからそう〝しゃちほこ張る〟な。

 ガーゴイルの石像でもあるまいに、こっちまで肩が凝りそうになるぞ」

「もっ、申し訳ありません!」


「私は確かに〝魔女〟と呼ばれているが、小娘を鍋で煮てスープにするような趣味はない。

 どうせ喰うなら、若い男の方がよほど楽しいぞ」


 向かいに座っていた帝国の外交官が思わず吹き出し、慌てて咳払いをして誤魔化した。

 大佐は彼をじろりと睨みつけてから、エイナの方に向き直った。


「私は堅苦しいのが苦手でな、貴官をエイナと呼んでもよいか?」

「はい、大佐殿のお好きなようにお呼びください」


「よろしい。では、私のことも大佐と呼べ――殿はいらん。

 それと極端な敬語も止めて、普通に話せ。ああ、もちろん公の場では別だ」

「承知いたしました」


「『分かりました』だ、馬鹿者。

 まぁいい。では訊くが、あの空を飛んでいるのは何だ?」

 マグス大佐は馬車の天井を指さしたが、もちろん、上空を飛んでいるカー君のことだ。


「幻獣です」

「乗っているのは、確かシルヴィア准尉とかいう召喚士だな?」


「そのとおりですが、現在は少尉です」

「ほう、あっちも昇進したのか。

 黒死山で連れていた幻獣と同じように思うが、もっと小さかったし、翼も生えていなかった。

 一年も経っていないのに、変わり過ぎだろう。いつの間に飛べるようになったのだ?」


「申し訳ありませんが、幻獣については軍事機密ですので、お答えすることはできません」

「そうだろうな。国の学者に訊いたら、あれはカーバンクルという種族らしいな?」


「それもお答えできません」

「つまらん奴だな。

 それでは呼ぶ時に不自由する。名前くらい教えてもいいだろう?」


 エイナは頭の中で、事細かに受けたレクチャーを思い返した。

 種族名は教えるなと言われたが、個別の名前については何も注意がなかった。

「カー君です」


 大佐はくすっと笑った。意外なほど、人懐っこい笑顔だった。

「何だ、やはりカーバンクルではないか」


 エイナは「あっ!」という顔をしたが、もう手遅れだ。

 大佐はにやにやしながら、質問を続けた。


「シルヴィアとやらは、あまり名付けのセンスがないようだな。

 エイナとシルヴィアは同期なのか?」


 エイナは心の中で、今度こそと確認した。『これは答えても問題ないわよね?』


「はい。学科は違いますが、魔導院の寮で六年間同室でした」

「なるほどな……。

 黒死山でも一緒だったということは、常に二人一組で動いているのだな。

 王国は魔導士と召喚士の連携を模索していて、エイナたちの運用は、その実験ということか。

 召喚士という王国の強みを活かして、魔導士不足を補うというのは、面白い試みだ」


「そっ、それは禁則事項です!」

「お前が洩らしたのだろう。

 この程度が読めなくて、魔道士官が務まると思っているのか、馬鹿者」


 向かい側の王国外交官が、肩を震わせながら顔を手で覆った。

 エイナの目に涙が浮かんできた。

 何とかして、大佐のペースから逃れねばならない。


「わっ、私の方にも、質問をお許しいただけますでしょうか?」


 大佐の片方の眉が上がった。

「いいぞ。この際だ、何でも訊いてみろ」


「たっ、大佐はどのようにして、これだけの魔力を獲得されたのでしょうか?」


「それを訊いてどうする?」

「私は魔導士として、大佐のように強くなりたいのです」


「だから、強くなってどうするのだと訊いている」

「爆裂魔法を使いこなしてみせます!」


 一瞬、マグス大佐の顔に驚きの表情が浮かんだ。

「ずい分と大きく出たな。

 ……エイナ、お前、歳はいくつだ?」


「今年、十九歳になりました」

「そうか。その歳でこれだけの魔力量を保持していれば、立派なものだ。

 少なくとも、私が十九歳だった頃よりも上だと思うぞ?」


「失礼ですが、それでは説明がつきません」


 マグス大佐は考え込むように、顎に手を当ててうつむいた。

「そうだな……私がエイナの歳くらいの時は、やはり強くなりたくて必死だった。

 それと同じくらい、男と手当たり次第にやりまくっていたな。

 エイナはもう、男とやったのか?」


 エイナの顔がみるみる真っ赤になった。

 向かいの外交官二人は、興味深そうに彼女に注目していて、よけいに恥ずかしかった。


「なななな、何をおっしゃるんですか!

 えと、あのっ! わっ、私はそのっ、男の方とお、お付き合いしたことなどありません!」


「何だ、その歳で処女おぼこなのか? ますますつまらん奴だな。

 いいか、軍人である以上、いつ死ぬか分からんのだぞ。

 若いうちに、できるだけ男とやっておかないと、死ぬ時に後悔することになる。

 ああ、ただ、妊娠にだけは気をつけねばならん。腹ボテになったら、戦争どころじゃないからな」

「いっ、一体、それと魔力がどう関係するのですか!」


「お前、つまらん上にせっかちだな。

 私は見てのとおり、そう身体は大きくない。

 もちろん、強くなるために武術も格闘術も学んだ。技術なら男には負けないつもりだ。

 だがな、男とやっていると、どうしようもない体力差を思い知らされるのだ。

 後ろから圧し掛かられて、潰されそうになったり、裂けるほど股を開かれ、体重をかけられると、女の力では何もできない。

 男とやるのは気持ちよかったが、私はそれがたまらなく悔しかった」


「だからな、腰が抜けるほど男とやった後、私は誰もいない所で、腹いせに魔法を撃ちまくった。

 魔力切れの寸前まで使い切り、自分の寝床に忍び込んで泥のように眠った。

 次の日には身体がだるくて死にそうに辛かった。二日酔いみたいなものだ。

 夕方になってやっと魔力が回復したんだが、その時に妙なことに気づいた。

 ほんのわずかだが、魔力量が増えているような気がしたのだ」


「身体がくたくたになるまで筋肉を酷使して、その後に十分な休息を取ると、筋肉量が増大する。これを〝超回復〟と言うらしい。

 どうやら魔力でも、そうした現象が起こるらしい。

 それに気づいた私は、この訓練を十年以上にわたって続けた。

 軍務をこなしながらこれをやるのは、信じられないほどきつかったぞ。

 だがな、私は誰よりも強くなりたかったんだ」


 マグス大佐は、目の前のテーブルの上に置かれた籠から、赤いリンゴを手に取った。

 リンゴは大佐の小さな手に余る大きさだったが、彼女はそれを握った手に力を込めた。

 五本の指先が、ずぶりとリンゴに喰い込んだかと思うと、次の瞬間に粉々に砕けた。


 エイナが慌ててハンカチを出してかがみ、大佐の軍服に飛び散った果汁を拭き取った。

 リンゴの残骸を片付けるエイナを見下ろしながら、マグス大佐は話を続けた。


「これはあまり知られていないのだが、魔力で筋力を一時的に補う方法がある。

 効果はあるが、無駄に大量の魔力を消費するから、実際に使う馬鹿はいない。

 だが、私の魔力量なら問題ない。

 今の私は強い。男を幼児のように扱い、好きなように犯すことも可能になったというわけだ」


 揺れる馬車内で這いつくばり、リンゴを拾い集めたエイナは、ようやく頭を上げて座り直した。

 向かいの席の外交官たちが、青ざめているのが目に入った。

 大佐は自分のハンカチで手を拭いながら、澄ました顔をしている。


「わ、私もその方法を試してみます!」

「正気か? 辛い割に、増える魔力量は本当にわずかだぞ?」


「構いません」

「この方法には大きな欠点がある、と言ってもか?」


「えと、あの、それはどんな……」

「うん。力づくで男を犯そうとしてもだな、男のアレはたんのだ!」


 そう言うと、マグス大佐はエイナの背中をバンバンと叩き、大声を上げて笑い出した。

 どうやら、これは彼女流の冗談らしい。


 エイナは引きった笑いを浮かべるのが精一杯だった。


      *       *


 マグス大佐の一行は、荷馬車を帯同していることもあって、ゆっくりと進んでいた。

 南の白城市までは二つの町に泊まり、白城市郊外に着いたのは三日目であった。

 第一軍の演習場(エイナとシルヴィアが拉致された場所)に用意された大型テントの前には、若き白虎帝ノエル・アシュビーが待っており、大佐を丁重に出迎えた。


 白虎帝の傍らには、副官である国家召喚士、エディス・ボルゾフ中佐が控えている。

 彼女は三十代半ば過ぎの妖艶な美女で、マグス大佐とも面識があった。

 大佐はノエルと儀式ばった挨拶を済ませた後、エディスと懐かしそうに握手を交わした。

「エディス殿とは一別以来、もう十年余になるな。お元気そうで何よりだ。

 そちらは、貴官のお子さんか?」


 大佐は少し不思議そうに訊ねた。

 というのも、エディスの軍服のズボンを掴んだ幼女が、恥ずかしそうに足の陰から顔を覗かせていたからだ。

 しかも、真っ白な総レースのワンピースを着た幼女は、銀色の仮面を着けて顔を隠していたのだ。


 エディスは微笑んだ。

「生憎ですが、召喚士は結婚しませんし、子も産まないのです。

 このはこう見えて、私の召喚した幻獣で、エリーと申します。

 エリー? 大佐殿にご挨拶しなさい」

 仮面をつけた幼女は、恥ずかしそうに大佐の前に出て、ワンピースの裾を摘まんで、ちょこんとお辞儀をしてみせた。

 大佐は微笑んでしゃがみ込み、幼女の頭を撫でてあげた。


「これは驚いた。どう見ても人間の子どもにしか見えんが、どのような種族かは教えてもらえぬのだろうな?」

「軍機ですから、お許しください。

 ですが、エリーはこう見えて、貴軍の一個旅団程度なら、一瞬で壊滅させられる力を持っております」


 これは、はったりではなかった。

 この幼女は、強力な石化能力を持つゴーゴン三姉妹の次女エウリュアレで、本性は醜悪な大蛇である。

 マグス大佐がかつて黒城市を占拠した時の戦いでは、エディスは最後衛で出番がなかったため、大佐はその恐ろしさを知らなかったのだ。

 現時点で四神獣を除けば、彼女は恐らく王国最強の戦力だろう。

 マグス大佐という怪物に対し、第一軍はそこまで警戒していたのだ。


 白城市は王国最大の商業都市で、王都リンデルシアの防御要塞でもある。

 実を言うと、かなり以前に、大佐は失踪した皇帝の寵姫レイアを追って、白城市に入ったことがあった。

 その時は、外の見えない馬車に乗せられ、白城の一室で軟禁状態に置かれていた。


 王都防衛の要である白城市を、有能な軍人であるマグス大佐に見せるわけにはいかないのだ。

 今回も白城改修中という見え透いた言い訳で、大佐の入城を拒絶したのは当然であった。


「話がはずんでいるところ、申し訳ありません。ですが、いつまでも立ち話でもないでしょう」

 白虎帝がにこやかな笑顔で割って入った。


「白城でも腕利きの料理人が、大佐殿を待ち構えています。

 白城市が美食の都と呼ばれる所以ゆえんを、存分にご堪能いただきましょう」

「それは楽しみですね」


 大佐も笑顔で返し、ノエルに案内されるまま、演習場に立てられた大型テントの方へと向かった。


 黒城市から護衛を担ってきた第二軍の騎馬小隊は、白城市の第一軍に任務を引き継ぎ、お役御免となった。

 エイナとシルヴィアも、ここでは警備から解放され、しばしの休憩となる。

 エディスという国家召喚士が動員された以上、彼女たちの力など必要ないからだ。


 エイナは両腕を思い切り上げ、伸びをした。

 肩の辺りが、バキバキと音を立てるのが分かった。

 この三日間で、だいぶ大佐との距離は縮まったが、やはり緊張は続いていたのだ。


 その彼女の横を、白虎帝に先導されたマグス大佐が通り過ぎた。

 すれ違いざまに、唇を動かさない大佐の低いささやき声が、エイナの耳に届いた。


「今夜十時、私の寝所に来い」

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― 新着の感想 ―
[良い点] またしても結びのセリフ。 ドキドキしてきました! 魔力超回復・肉体強化作戦ともに、エイナの体質とは相性良さそうですね。 [気になる点] ミアさまはユニが健在なのは存じ上げているのでしょう…
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