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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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七 魔女上陸

 休暇を終えたエイナがマリウスに呼び出され、ミア・マグス大佐の警護を命じられたのは、六月三日のことである。

 国立魔導院における十周年記念式典と、それに合わせて行われる、大佐の特別記念講演は七月一日であるから、もう一か月を切っていた。


 拝命の翌日から、エイナは参謀本部、情報部、外務部の職員たちとの打ち合わせや、さまざまなレクチャーを受けることで忙しかった。


 以前にケネス大尉を警護した際にも、事前にこうしたレクチャーはあった。

 ただ、大尉は一応の友好国であるケルトニアの軍人である。仮想敵国の幹部将校であるマグス大佐に対しては、より慎重な対応が求められた。

 要するに「これ以上の質問には答えるな」という線引きを、さまざまな事例を挙げて叩き込まれるのである。


 帝国から外交使節が入国する場合、東部における中核港湾都市クレアから、ボルゾ川対岸の黒城市に渡り、そこから陸路で王都を目指すことになる。

 マグス大佐の黒城市入りは、六月二十三日と通告されていた。

 黒城市から王都までは四日の行程であるから、余裕を持った妥当な計画である。


 エイナは六月十五日に王都を発ち、十九日に黒城市に入った。

 すぐに黒城で黒蛇帝エギル・クロフォードに拝謁し、そのまま打ち合わせの会議に入った。

 会議室には、国家召喚士である黒蛇帝の副官、第二軍の参謀や幹部将校に加え、シルヴィアの姿もあった。


 ほぼ二か月ぶりの再会となるシルヴィアは、小麦色に日焼けして(彼女は元々色白だったのだが)、すっかり逞しくなっていた。

 連日のように雲の上を飛び、強い紫外線にさらされていた証拠である。


 マグス大佐は上陸後、黒城での歓迎行事に出席して城内に一泊する。

 その間の警備は第二軍が務めるので、基本的にエイナの出番はない。

 彼女とサポートのシルヴィアが、大佐と同行するのは、翌日からとなる。


 移動は馬車で、エイナが大佐と同乗し、シルヴィアとカー君が直衛に当たるのだが、これに第二軍の警護部隊(騎兵二個小隊)がつく。

 この部隊の随行は白城市の管轄領域までで、その先は第一軍に引き継がれる。


 一行に対する襲撃が予想されるとはいえ、王都到着までに実行される可能性は薄いと見られていた。

 帝国としても、魔導院での講演実現に支障をきたすような事態は望まないだろう、というのがその理由である。

 襲撃があるとすれば、講演後の蒼城市訪問の途中であろうと考えられていた。


 実は帝国側から、魔導院での講演後に、大佐が四古都を訪問して友好を深めたいとの提案があったのだ。

 あからさまな敵情視察であり、王国外務部はさまざまな口実をつけ、これを拒絶した。


 赤城市は遥か南方で日程的に厳しい、白城市は城が改修中ということになっていて、王都への旅程でも大城壁の内側には入れず、城外に大型テントを張って宿泊する予定になっていた。

 唯一認められたのが蒼城市への訪問で、これは帝国側が強く望み、赤城・白城訪問を断念する交換条件として、最後まで譲らなかった。


 蒼城市はマルコ港(近郊の川港)の大規模拡張が行われたのに合わせて、製糸・縫製の軽工業団地が誘致され、対ケルトニア貿易で急激に発展していた。

 王国東北部に広がる蒼城市の領土は、中央平野に比べて土地が痩せていたが、拡大を続ける辺境地区の農業生産性が上がるにつれ、一大食糧基地となっていた。


 ケルトニアとしても、黒城港より南カシルからの距離が近い蒼城市で荷物を降ろし、食糧や衣類といった輸入品を積んで帰った方が、日程・経費とも大幅に節約できる。


 このため、蒼城市はこの十年で急激に発展し、貨物の取扱量で黒城市に及ばないものの、人口では白城市に次ぐ第二位の規模を誇る大都市となっていた。

 軍事面では、ボルゾ川を挟んだ広大な国境線を抱える対帝国の最前線である。

 当然の話だが、こんな重要拠点を現役の高級将校である大佐に視察させるなど、論外であった。


 ところが、帝国側は切り札として驚くべき提案を用意していた。

 近年の蒼城市の発展にかんがみ、帝国はマルコ港の対岸に新たな港を開くことを決定し、近々着工して再来年までに完工させる予定だと伝えてきたのだ。

 港を開くということは、そこに新しい町ができるということでもある。


 帝国の東部地区は広大で、各地の開拓が軌道に乗るには程遠く、不足する食糧は王国からの輸入に頼っていた。

 東部に点在する開拓村や、対外貿易の要である北カシルへ送る食糧は、黒城港よりマルコ港から輸入した方が、大幅に経費を節減できる。

 王国という迂回路を利用して、交戦国であるケルトニアの産品を手に入れるにも、なにかと都合がよかった。


 このため、新たな貿易の窓口となる蒼龍帝との会見、並びにマルコ港の視察は、必要不可欠であると説いたのだ。


 王国としても、マルコ港の貿易量が増えるのは願ったりである。

 帝国側が出してきた港と町の建設計画は具体的なもので、実際、蒼城市の第三軍からは、マルコ港の対岸で測量や川岸の伐採が行われているという情報が報告されていた。


 結局、王国はマグス大佐の蒼城市訪問と、マルコ港の視察を許可せざるを得なかった。

 参謀本部はこれに抵抗したが、現地の責任者である蒼龍帝シド・ミュランは、早々に大佐の受け入れを表明した。

 最終的には、レテイシア女王の裁可で押し切られることになったのである。


 ということは、王都から蒼城市へ向かう道中が、最も襲撃の危険性が高いということになる。

 蒼城市からの帰路は、船になるからだ。

 恐らく襲撃は、境界を越して蒼城市の領域に入ってからだろう。

 白城市の領域は古くから開発された中央平野で、人口密度も高い。

 いくら仕組まれた茶番だとしても、あまり人目につくところではやりづらいだろう。


 マグス大佐の護衛には、三十人規模の騎兵とエイナという魔導士、そして新米ではあるが国家召喚士のシルヴィアがつく。

 襲撃部隊に帝国正規軍を越境させるのは論外である。王国内で傭兵や野盗の類を雇っても、この規模の護衛には太刀打ちできまい。

 となれば、魔導士による攻撃以外に手はないはずだ。


 王国内に野良・・の魔導士などいないから、下手人が帝国人だということはバレバレだ。

 だが、帝国には軍に所属しない、民間の魔導士がそれなりに存在する。

 〝そうした無頼の輩が、王国の過激派に金で雇われたのだろう〟と強弁すれば、どうにでもなりそうである。


 もちろん、実際に襲撃を担当するのは軍の魔道士官で、それもかなりの腕を持った者だろう。

 マグス大佐に危害を加えずに(そんなことをしたら殺されるだけだ)、あくまで王国魔導士の実力を図るのが目的だ。

 当然、相手を殺すつもりで襲ってくるだろうが、所期の目的を達成すれば、適当な頃合いで手を引いて逃亡するはずである。


 帝国側は返り討ちに遭うことなど想定しておらず、撤退にも自信があるのだろう。

 貴重な魔導士を、こんな茶番で失うわけにはいかないからだ。

 とすれば、襲撃担当の魔導士は少数精鋭、恐らくは単独のはずだ。その方が逃げやすいからだ。


 エイナたちは、その前提で護衛計画を練った。

 敵が魔導士なら、シルヴィアのカー君が魔法を撥ね返す防御を担当し、エイナは攻撃に専念できる。

 魔導士単独では、攻撃と防御を両立させることができないから、これは理想的な組み合わせだった。


 もし、敵も二人組で攻防を分担してきたとしても、防御担当が対応できるのは魔法と物理のどちらかに限られる。

 魔法防御でエイナの攻撃を防げば、カー君が物理攻撃である火球をぶち込んでやればよい。相手はどうしようもないだろう。

 万が一、敵が三人体制で、対物理・魔法の防御を重ねがけしてきたらやっかいだが、さすがに帝国も、高位魔導士を三人も送り込むような無茶はすまい。

 この襲撃は、あくまで見せかけのもので、そこまで真剣に勝ちを取りにくる必要はないからだ。


 ただ一つ懸念されるのは、エイナとシルヴィア(カー君)は黒死山で大佐と交戦しており、手の内が知られていることである。

 王国側がつけてくる護衛が誰なのか、帝国には知る由もないが、大佐の報告から、エイナたちを予想することは可能だろう。

 その意味で、何らかの対策を考えているかもしれないが、それはもう出たとこ勝負である。


      *       *


 対策会議の終了後、エイナとシルヴィアは黒城内に用意された客室に下がった。

 本来は賓客用だから、一介の少尉である彼女たちが泊まれるような部屋ではない。

 二人は軍服を脱いで下着姿になると、ふかふかのベッドに飛び込んで、積りに積もった互いの話に没頭した。


 エイナは帰郷して見つけた父親の手記のこと、母が爆裂魔法の術式を所持していること、ベラスケスという吸血鬼の追手によって、父が殺された可能性があることなどを打ち明けた。


 シルヴィアの方は、もっぱら辛かった研修の愚痴であった。

 ただ、その厳しい訓練で、自分だけではなくカー君も相当に鍛えられ、かなり成長できたことを彼女は実感しており、それを嬉しそうに話してくれた。


 翌日からの三日間は、第二軍の演習場を借りて、エイナとシルヴィア、そしてカー君との連携訓練に明け暮れた。


 二人とも真剣だった。


 マグス大佐とその副官たちの恐ろしさは、骨身に染みていた。

 しかもあの時は、国家召喚士であるプリシラとタケミカヅチがいてくれたのに、今度は二人きりである。


 もちろんマグス大佐と直接やり合うわけではないが(多分、歯が立たないだろう)、帝国魔導士の実力は侮れない。

 いくらシルヴィアが国家召喚士になったと言っても、それはカー君の飛行能力が評価されたからで、彼の戦闘力は二級クラスのままである。


 今回の護衛は、彼女とカー君の真価が試されることになる。

 エイナにしたって、少尉に昇進したのは実力であることを、ここで示さなければならない。

 訓練に熱が入るのは当然であった。


 そして、いよいよマグス大佐が上陸する、六月二十三日がやってきた。


      *       *


 黒城に隣接する港は、すり鉢状に切り崩された底の部分に築かれていた。

 ここはもうボルゾ川の上流部に当たり、渓谷が深く切り立っているため、そういう構造にならざるを得ない。


 王国随一の港だけあって、川岸からはたくさんの桟橋が突き出し、大小さまざまな川船が停泊している。

 対岸のクレア港と結ぶ連絡船の船着場の辺りには、礼装した第二軍の兵士たちが整列し、黒蛇帝エギルがその中央で静かに待っていた。


 予定の時刻からさほど遅れずに連絡船が到着し、一般客に先だって、マグス大佐とその一行が降りてきた。

 居並ぶ儀仗兵が長剣を捧げる中、軍服に短い黒マントをまとった小柄な女性が、ゆっくりと進み出てきた。

 そして出迎えるエギルの前に立つと、直立不動で見事な敬礼を披露した。


「帝国軍魔道大佐ミア・マグスであります。

 黒蛇閣下自らのお出迎えとは恐縮の極み。まずは貴国が温かく迎えてくれたことに礼を申し上げたい」


 答礼を返したエギルは穏やかな表情で笑みを浮かべた。

「大佐が黒城市を占拠して以来ですね。もう十年以上経つとは、時の流れは早いものだ。

 大佐のご活躍は聞き及んでおります。お変わりないようで、何よりですね」

 エギルの言葉に、大佐はにやりと笑った。左頬に走る大きな傷跡が、ぐねりとうねった。


 帝国は十数年前、突如黒城市に侵攻してこれを占拠したが、王国召喚士たちの妨害もあって、補給に苦しむこととなった。

 状況を打開しようとした帝国軍は、白虎ラオフウを擁する王国第一軍との決戦に敗れ、なすすべなく撤退したという事件である。


 その時の指揮官だったマグス大佐は、第一軍の本陣を単身で急襲した。

 大佐は迎え撃ったユニを倒したが、その際にユニのナガサ(山刀)で口から耳元まで切り裂かれるという、大怪我を負ったのである。


「退却の交渉では、顔中包帯だらけでろくに喋ることもできなかった。

 こうして改めて言葉を交わせるのは、光栄の極みです」

「そうでしたね。まぁ、積る話は酒でも酌み交わしながらにいたしましょう。

 では、城内にご案内いたします」


 大佐の前に馬が曳かれ、彼女は馴れた仕草で鞍に跨った。

 エギルも自分の馬に乗馬して、二人はくつわを並べて坂道を昇り始めた。

 帝国側の随行職員は、外交官が二名と大佐の身の回りの世話をする女性一名である。

 あくまで平和的な使節であるから、大佐以外に武官はいなかった。


 黒城に迎えられたマグス大佐一行は、簡単な打ち合わせの後、用意された部屋でくつろぎ、歓迎の晩餐会を迎えることとなった。


 敵の将校である彼女を、対帝国の軍事拠点である黒城に、易々と迎え入れたのには理由がある。

 先の紛争で、大佐は一か月近く黒城で指揮を執っていたから、今さら城を見られたからと言って、軍事的には何の意味もないからである。


 エイナは晩餐会も終わろうかというタイミングで、マグス大佐に引き合わされた。

 エギルの紹介で会場に入ったエイナは、大佐の席の向かい側で直立して敬礼した。


「明日から大佐殿の警護をさせていただきます、エイナ・フローリー少尉であります!

 身命をかけてお守りいたしますので、心安くお過ごしください」


 大佐は座ったまま、手を挙げてエイナに休むように合図した(〝気をつけ〟の姿勢を解き、休めの態勢を取ることで、座れという意味ではない)。

 彼女は少し首をかしげた。


「ほう……貴官とは昨年、妙な所で出会っているな。

 しかし、昨年(まみ)えた時、貴官は准尉であったはずだ。昇進したのか?」

「はっ、ごく最近のことであります。

 大佐殿が私のような者の階級をご記憶されていたとは、感激です」


 エイナは驚いた。

 大佐が将官待遇であることは、彼女もよく知っている。

 准尉は士官の最底辺で、大佐からしたらゴミのような存在である。

 確かに、黒死山で遭遇した際、プリシラ大尉がエイナの官姓名を紹介したが、まさか大佐が覚えているとは思わなかったのだ。


「私は一度聞いた名や身分を忘れることはない。魔導士であれば、その程度の記憶力は当然だ。

 貴官はいつ魔導院を卒業したのだ?」

「自分は第三期生でありますから、一年半前です」


「あの時はタケミカヅチの陰に隠れていたが、貴官の判断力、そして魔法威力もなかなかのものであった。

 なるほど、王国には有望な人材を育てているらしいな。働きに期待しているぞ」

「もったいないお言葉であります」


 この夜、二人が交わしたのは、たったこれだけの会話であった。

 テーブルを挟んでの対峙であったが、エイナは大佐から滲み出る膨大な魔力量に圧倒されていた。

 これが爆裂魔法を操る魔導士の実力なのだと思うと、恐怖と絶望で胃の腑を鷲掴みされるようだった。


 しかし、エイナは知らなかった。

 泰然とした表情を崩さなかったマグス大佐もまた、内心でエイナの成長に驚いていたことを。


『この小娘、以前会った時よりも、明らかに魔力が上がっている。

 あれから八か月しか経っていないのだぞ? この短期間で、どんな経験をしてきたのだ……』

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