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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第一章 王立魔導院
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十六 拉致

「見つかった!」

 二人の娘は茂みの中で地面に伏せた。

 棘だらけの枝が露出した肌を傷つけたが、気にしている余裕はない。


「敵の位置は分かる?」

 シルヴィアが掠れた声でささやいた。

 エイナは矢の速度、飛んできた方向をすばやく計算した。六年にわたって叩き込まれた測距の技術は身体の隅々まで染み込んでいる。

 すぐに結論は出た。


「北北西、距離はおよそ五十メートル!

 ちょうどその方向に小さな木立が見えるわ。多分、あそこに潜んでいると思う」

「了解、意外に遠いわね。下手に飛び出したら集中射撃を受けて〝死体置き場行き〟ってわけか。さすが現役は手強いわ。

 まずは魔法を一発叩き込んで、そのタイミングで強襲するしかなさそう。

 援護、頼んだわよ」


 シルヴィアはエイナの背中をぽんと叩いた。

 それが合図となったように、エイナの伸ばした手の先から光球が弾かれたように飛び出した。

 光の球は真っ直ぐに敵がいると思われる木立に吸い込まれていく。

 一瞬遅れて凄まじい閃光が起きる。

 どう考えても敵は無事でいるはずがない。まず半数は脱落したと見ていいはずだ。


 ロキは爆発的な閃光と同時に茂みを飛び出していた。もちろん、その背にはシルヴィアとエイナがしがみついている。

 主戦場から離れているためか、この辺りの雑草はとりわけ丈高く生い茂っていた。

 さすがにロキの巨大までは隠しきれないが、それでも姿勢を低くしたまま地を蹴って走るオオカミの位置を、人間が捉えるのは困難だったろう。


 強烈な閃光で、敵の視力はまだ回復していないはずである。

 ロキは五十メートルの距離を数秒で駆け抜け、敵の潜む木立に向けて跳躍した。


 シルヴィアとエイナは、その直前にオオカミから離脱した。

 身体を丸め、ごろごろと草地を転がって衝撃を殺す。猛スピードで走るオオカミからの落下は、下手をすれば大怪我につながりかねないが、彼女たちは少しも躊躇しなかった。


 エイナは雑草に紛れて身体を伏せ、次の攻撃に備えて呪文を唱える。

 一方のシルヴィアはすぐに跳ね起きると剣を抜き放ち、ロキの後を追って木立に飛び込んでいった。

 その瞬間、〝ばんっ!〟という破裂音と青白い閃光が輝き、ロキの悲鳴が響いた。

 シルビアが身体をのけぞらせ、くるくると回転して地面に倒れた。


「閃光魔法じゃない!」

 伏せていたエイナは、驚きのあまり唱えていた呪文を止めてしまった。

 敵の潜む木立の方から、再び稲妻のような光が走った気がした。

 同時に激しいショックが彼女の全身を叩きのめした。青白い光で網膜が焼け、きんという金属音が頭の中に響く。視覚も聴覚も奪われた。


 意識が遠のいていく中で、嗅覚だけは生きていたのか、妙にきな臭い匂いが鼻の奥を刺激した。

 エイナが覚えていたのはそこまでだった。


      *       *


「どうだー、やったか?」

 のんびりとした男の声が聞こえ、藪を掻き分けながら、男が姿を現した。

 第一軍の軍服を身にまとい、腕には赤い布を巻きつけている。

 彼の視線の先では、同じ軍服姿の男が巨大なオオカミを足で突いていた。


「駄目です。気絶しただけで無傷ですよ。やはり魔法に抵抗力があるんですね。

 とどめをさしますか?」

 長剣の柄に手をかけた男が訊ねると、士官は首を振った。


「やめとけ、オットー。普通の武器で殺せる保証はないんだ。下手に刺激して暴れられたらやっかいだ。俺たちの目的は幻獣殺しじゃねえ。そのまま寝かせとけ。

 それより、肝心の獲物の方だ。まさか殺しちゃいねえだろうな?」


「大丈夫です。金髪はオオカミの巻き添えを喰っただけです。

 黒髪の方も魔力は抑えましたから、死にゃあしませんよ」

「ならいい。さっきの戦闘を見ていたが、こっちの金髪はじゃじゃ馬だ。大人しくさせるのに苦労しそうだったからな。

 おい、お前ら、早く娘っこを縛りあげろ。こっからは時間との勝負だってことを忘れるな」


 士官の声に応えるように、木立から二十人近い兵士がぞろぞろと出てきた。

 いずれも第一軍の兵装で腕に赤い布を巻いている。

 彼らは草地に転がってのびているシルヴィアと、男たちに引きずられてきたエイナを慣れた手つきで縛り上げ、さらに毛布でぐるぐる巻きにした。


 それが終わると、男たちは軍服を脱ぎ、農夫のような粗末な衣服に着替えた。軍服は麻袋に突っ込んで、肩にかつぐ。

「よし、撤退するぞ!」


 先ほどまで士官の恰好をしていた男が命ずると、男たちは急ぎ足でその場を立ち去った。

 残されたのは、気絶している白いオオカミだけだった。


      *       *


 時刻は昼近くになった。

 演習場に狼煙が上がり、合図の大太鼓の音が鳴り響く。

 午前の部の演習が終わったのだ。参加の兵士たちは昼食と休憩を取り、引き続き午後の演習に臨むことになっていた。

 広い演習場から、兵士や魔導院の生徒たちが三々五々集まってくるのを眺めながら、ユニは頭の中ででオオカミたちと連絡を取っていた。


 召喚士候補生と組んだ魔法科の生徒七人は、いずれも成績が優秀な者たちだった。

 戦いに加わったオオカミたちは、いずれも実戦経験豊富なベテランだったので、魔導院の生徒たちをよく補佐し、いずれの組も相当の戦果を上げることができた。


 ユニと長年行動を共にしてきたことから、群れのオオカミたちは人間の言葉が単純なものであれば、ある程度理解できる。

 それ以上に、オオカミたちは人間の目の動き、口調や声の大きさ、身体の仕草を注意深く観察し、言葉以上の意図を汲み取っていた。

 そして、人間同士の戦いがどのようなものか、十分身体に叩き込んでいたから、未熟な召喚士候補生の指示を先読みするなど容易たやすいことだった。


 それでも、意思疎通に齟齬そごをきたした場合に備えて、ユニは広範囲に散らばったオオカミたちとの中継役として、ライガとヨミを両翼に配置していた。

 だが実際にはその必要はなく、それぞれのオオカミたちは自分の役目を見事に果たしていた。

 やることのないヨミはのんびりと構えていたが、ライガは演習に参加できないことをしきりに悔しがっていた。


 群れの中でも、この世界で生まれたジェシカとシェンカ、そしてロキの三頭は、特に人間の言葉をよく覚えていた。

 そのため、ジェシカとシェンカは最右翼に、ロキは最左翼に配備された組の担当になった。

 両端はライガたちの中継が入っても、遠くて通信が途切れがちだったからだ。


 ユニから演習の首尾を訊ねられたオオカミたちは、いずれも自分たちの戦果を意気揚々と報告してきた。

 彼らにとってこの演習は気楽な娯楽のようなもので、みんな実に楽しそうだった。

 そのお陰で、不参加のライガの機嫌は最悪で、午後は自分にも参加させろとユニに直訴してきたくらいである。


 オオカミたちの自慢話と、ライガの泣き言混じりの抗議がいっぺんに押し寄せてきて、ユニの頭の中は整理がつかなかった。

 その中に、ヨミの心配そうな声が割り込んできた。


『ユニ、いくら呼びかけてもロキの返事がないの。

 ちょっとおかしいわ』


 ヨミの声は、ユニを介して他のオオカミにも伝わったらしく、やかましかったお喋りがぴたりと止んだ。

『ロキの位置は分かる?』

『左翼塹壕前で、敵方の小隊を全滅させたところまでは確認しているわ。

 その後、迂回して敵の後衛に奇襲をかけるという連絡があってから、離れすぎたせいかコンタクトが取れていないの』


 観閲席に座っているユニの表情が曇った。

『最後の連絡って、どのくらい前なの?』

『もう二時間以上は経っているわ』


『分かった。みんなは左翼に集合して、ロキの臭いを追ってちょうだい。

 ライガとヨミはこっちに戻って』


 ユニは頭の中でオオカミたちに指示を下すと立ち上がった。

 そして、隣の席に座るマリウスに簡潔に事態を報告した。


「ロキは魔導院のエイナ・シルヴィア組に付けていました。

 至急二人の所在を確認してください。私はライガとともに現場に向かいます」


 周囲に軍の高官がいるため、ユニの口調はマリウスの地位に対する敬意を忘れていない。

 マリウスは眉をしかめた。

「演習中の事故だと考えるのかね?」

「それならよいのですが、嫌な胸騒ぎがします。

 ヨミを連絡役に残しておきますから、私からの一報をお待ちください」


 ユニはそう言い残すと、戻ってきたライガの背に飛び乗っていた。


      *       *


 ユニのオオカミたちは、左翼塹壕近くの戦闘跡から追跡を始め、四半時も経たないうちに倒れているロキを発見した。

 人間の足跡を追跡するのは、靴底の匂いにほとんど差がないため難しいが、オオカミの足跡ならば話は別である。

 しかも日頃嗅ぎ慣れている同族が対象だから、追跡は雑作もなかったのだ。


 ユニは地面に横たわっているロキを見て悲鳴を上げ、真っ青な顔になったが、安定した心音と呼吸が確認すると、その場にへたりこんだ。

 ロキは気持ちよさそうに寝息を立てており、呼びかけても揺さぶっても起きなかった。

 ユニは背嚢から錫製のスキットル(小型水筒)を取り出して、手の平に強い焼酎を数滴たらし、それをいきなりロキの鼻になすりつけた。


いてえっ!』

 ロキは激痛に呻いて飛び起きた。しきりに顔を振ってくしゃみを繰り返す。


『酷いよ、ユニ姉ちゃん! もうちょっと優しい起こし方ができないのかよ?』

 ロキが涙目で抗議をしたが、ユニが取り合うはずもない。


「黙んなさい! それより、仮とはいえあんたのご主人はどこなの?

 主人を守れないでのんびり気絶している幻獣なんて、見たことがないわよ!」

 ユニの叱責は厳しかった。


 ロキは尻尾を下げて股の間に入れてしまった。オオカミとしては最大限の反省態度だ。

『それが、いきなり魔法攻撃を喰らって気を失ったから、あの二人の女の子がどうなったか、さっぱり分からないんだ』


 ユニがロキを問い詰めている間にも、オオカミたちは現場の臭いを嗅ぎ取って、おおよその状況を把握してユニに報告した。

 敵の人数は二十人前後。ロキが倒れていた木立に潜んでいたらしい。

 ロキと二人の候補生はそこに攻撃をしかけたが、雷撃系の魔法で逆襲されて全員昏倒させられたらしい。

 オオカミは放置され、二人の女生徒は拉致されたものと判断された。


 すでにオオカミたちは、敵の足跡の追跡を始めていた。同時にユニはトキを走らせ、ヨミへの連絡をつけさせた。

 しばらくすると、ヨミに先導された騎馬の群れが駆けつけてきた。

 マリウスと白虎帝、第一軍の幹部将校たちが勢ぞろいをしており、その中には心配そうな表情のケイトの顔も見えた。


 ユニが手早く状況を説明すると、白虎帝はただちに演習の中止、並びに主要な連絡道の封鎖と捜索隊の編成を命じた。

 辺りは騒然となった。臭いを追うオオカミたちの後には、完全武装の騎馬部隊が後続した。


 敵の足取りは、途中で三手に分かれた。明らかにオオカミによる追跡を予想し、攪乱するためだと思われた。

 そして、五キロほど後を追った結果、状況は絶望的であることが判明した。

 三つの敵の足跡は、いずれもアナン川の岸辺で途絶えたのである。敵が船を使って下流へ脱出したことは明らかだった。


 事件現場からの距離を考えると、敵が船で逃亡してから三時間以上が経過していると考えられた。下り船であるから、すでに五十キロ近くは進んでいる計算となる。

 今から騎馬隊が封鎖に向かっても、とても追いつくことができない距離である。

 ユニとオオカミたちは、川の両岸に分かれて追跡を開始したが、それは気の遠くなるほど地道な作業となるだろう。

 すでに日は傾きかけており、マリウスを始めとする首脳部は、いったん引揚げざるを得なかった。


 演習場の近くを流れるアナン川は、王都南方のレマ湖を水源とした中級河川である。

 レマ湖から流れ出た時点では小川程度の流れであるが、途中で多くの小河川が合流して次第に水量が増し、白城市近くでは舟運に使えるほどの川幅になっていった。

 この川は東北に位置する蒼城市を経由して、最終的には北の大河であるボルゾ川に注いでいる。

 そのため、古くから両市を結ぶ重要な交通路として利用されてきた。

 ただ、流路が曲がりくねっていて流れが緩く、ボルゾ川に合流するマルコ港は地形の関係からあまり発展しなかったため、物流の大動脈と言えるほどの発展は遂げていなかった。

 要するに、エイナとシルヴィアを拉致した敵が、適当な所で船を乗り捨てて上陸した場合、その発見はきわめて難しいということである。


 演習部隊に対する聞き取り調査によって、さらわれた二人の生徒が担当していた左翼に対応する敵役の右翼で、不審な部隊が存在していたことが明らかになった。

 計画にない塹壕が延長されており、そこに訓練期間中であるはずの第四師団の部隊が配置についていたことも分かった。

 本来最右翼であった部隊の指揮官は、ワイト中尉と名乗る人物と面談していたが、第四師団にはそのような士官は存在せず、演習にいかなる部隊も派遣していないことが判明した。


 敵は王立魔導院の魔導士及び召喚士候補生を拉致することを目的に、十分な計画と準備のもとに編成された組織だと推定された。

 そんなことができるのは、イゾルデル帝国情報部の工作員以外にはあり得なかった。


 王国が魔導士の養成を開始したという情報は、当然帝国も把握していただろう。

 戦力としての魔導士の有効性は、魔法先進国である帝国が一番よく知っている。

 となれば、敵は王国の魔導士のレベルがどれほどのものか、知りたくなるのが人情というものだ。


 そのためには、卒業間近の訓練生をさらって調べるのが手っ取り早い。

 つまり、彼らの主目的はエイナで、彼女を帝国本国へ連れ去ることを企図しているのだろう。


 国境であるボルゾ川は警備が厳しく、簡単に渡ることはできない。

 必然的に、敵はほとんど人間がいない辺境の先、タブ大森林を経由して密航を企てることになろう。

 工作員たちが、辺境の入口となる蒼城市方面に流れる川を逃走経路に選んだのは、偶然ではないということになる。


 マリウスとしては、王国の東北部と辺境を支配する第四軍の将、蒼龍帝に協力を仰がなければならない。

 二人の女生徒を連れているとなると、馬車でなければ動きが取れないはずである。

 ボルゾ川沿岸の警備強化と、辺境に通じるあらゆる街道での検問実施を要請しなければならない。


 しかし、最短の連絡方法である伝書鳩は、夜明けを待たなければ放てない。それでも、敵に先んじて警戒態勢を取ることは可能だろう。

 ただし、広大で人口密度の低い辺境を封鎖することは事実上不可能で、検問を迂回するルートなどいくらでもあった。


 王国軍は、帝国情報部に完全にしてやられたのである。

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― 新着の感想 ―
[一言] これまでを見てると王国ってすぐ懐に侵入されるし情報戦では弱いですねぇ…… それを見越しての演習かと思いきや、しっかりしてやられてしまった……
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