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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第五章 辺境の虜囚
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二 執務室

 イゾルデル帝国は専制君主制をとっている。

 すべての権力は皇帝に集中しているため、その公務は多岐にわたり、予定は分刻みで設定されている。

 例えマグス大佐が大将格の人物であろうが、会わせてくれと言っても「はい、そうですか」とはならない。

 彼女はそれを承知で、皇帝のスケジュールを管理する侍従部に赴いた。


 大佐は超がつくほどの有名人なので、扉を開けて入った瞬間に侍従部長が飛んできた。

「これは、マグス大佐殿! わざわざお越しいただけるとは、誠に光栄です!」

 太った部長の脂ぎった顔が、汗ばんでぎらぎらと光っている。

 その顔には、驚きと疑念の感情が露骨に表れていた。


 マグス大佐は部長に違和感を覚えながらも、自分の用を早口で伝えた。

「ああ。実を言うと、陛下に内密でお知らせしたいことがあってな。

 無理を承知で頼む、早急に予定を入れてもらえないだろうか?」


 一瞬、部長がぽかんとした阿呆面を浮かべ、慌てて首を振った。

「それは、その……何と言うか」


「陛下の多忙は十分に承知をしている。そこを曲げてどうにかしてもらいたい。

 重要なことで、是非お耳に入れたいのだ。

 せめて、ミア・マグスがそう言っていたことだけでも、陛下にお伝えいただきたい。

 頼む、このとおりだ!」

 大佐はそう言って、深々と頭を下げた。


 傲岸不遜な性格で知られる大佐が、文官の部長風情(武官で言えば少佐に相当する)に、これほどの低姿勢を見せるのは、驚くべきことだった。


 部長は慌てふためき、しどろもどろになった。

「どっ、どうか頭をお上げください!

 今すぐ陛下の執務室にご案内しますので……」


 大佐は頭を上げた。

「待て、いきなり私を陛下のもとに連れていくつもりか?」

「はい。そう申し上げました」


「何の冗談だ? 貴官にそんな権限があるはずなかろう。

 都合よく陛下がお手隙であったにしても、まずはご意向を伺うのが貴官の役目のはず。

 まさか、私を愚弄しているのか?」

 大佐の目つきの悪い顔が険しくなり、部長はますます慌てふためく。


「いいえ、決してそのようなことはございません!

 今、陛下はクルスト上級大将とご会談の最中なのですが、私は先ほど大佐をお連れするようにとの命を受けたのでございます。

 ですから、お早く! 陛下をお待たせしてはなりませんぞ」


「陛下が私を? どういうことだ、さっぱりわけが分からん。

 私は狐狸こりの類に化かされているのか?」


 戸惑う大佐に構わず、部長は汗をかきながら彼女の袖を引っ張り、皇帝の執務室へと向かった。

 小走りで急ぐ部長の後を、大佐は仕方なく大股で付いていった。

 分厚い絨毯を踏みしめ、いくつもの扉を過ぎてから、二人はようやく皇帝の執務室の前にたどり着いた。


 謁見室や会議室ではなく、執務室で上級大将と会っているということは、それは公務ではなく、ごく私的な用件ということになる。

 一体、なぜそこに自分が呼ばれるのか、どう考えても大佐には心当たりがない。


 部長は扉の前でポケットからハンカチを取り出し、顔の汗を丹念に拭ってから扉をノックした。

 すぐに扉が小さく開き、皇帝付きの小姓が顔を覗かせる。


 部長は小さな声で「マグス大佐をお連れしました」とささやく。

 小姓は無言でうなずき、大佐に『入るように』と目で促す。


 執務室に一歩足を踏み入れた瞬間、マグス大佐は直立不動の姿勢を取って敬礼をした。

「ミア・マグス魔道大佐、お呼びにより参上いたしました!」


 視線は真っ直ぐ前を向いているが、そこには壁にかかった歴代皇帝の肖像画があるだけだ。

 皇帝から声がかかるまで、直接顔を見るのは不敬とされているのだ。


「ご苦労‥‥だが、どういうことだ? 余がミアを呼ぶよう申しつけて、まだ三分も経っていないぞ。

 そなたは瞬間移動の魔法でも会得したのか?」


 皇帝ヨルド一世の呼びかけを得て、マグス大佐はようやく視線を合わせる。

 陛下の顔にちょっとした驚きが浮かんでいたが、それは珍しいことだった。


「いえ、実は私の方でも陛下に拝謁を願い出るため、ちょうど侍従部を訪ねたところでした」

「……であるか。偶然とはいえ、面白いこともあるものだな。

 ミアの方から会いにくるのも珍しい。

 まずはそちらの用件から聞こう。何用だ?」


「は、しかし……」

 大佐は頭を下げながら、ちらりと上級大将に視線を走らせた。


「クルストなら知らぬ仲でもあるまい? よい、話せ」

「承知いたしました」


 上級大将とは将官の最高位であり、実質的には軍を統率する元帥に当たる。

 帝国軍において、元帥の称号は特別の名誉と実績がない限り、置かれること自体が稀であるため、通常は上級大将に昇りつめた者が、その役割を担うことになっている。


 クルスト上級大将は、五年ほど前にアイズマン上級大将からその地位を引き継いだ。

 彼は自身が優れた魔導士で、帝国最精鋭を謳われる第一魔導師団の指揮官を長く務めていた。

 マグス大佐にとっては直接の上司に当たり、気心が知れた人物であった。


 大佐は話を切り出した。

「過日、エーデルシュタイン侯爵の嗣子、クラウス中将閣下が不幸にして事故死されました」


 上級大将は侯爵家の名が出た途端、片方の眉を上げて目を細めた。

 皇帝はそれに気づかぬ振りをする。


「うむ。その報告は聞いている」

「侯爵はご子息の訃報に、大変心を痛めているとのことですが、同時にその死に不審を抱いているという噂が流れております」


「当然だろうな。侯爵は貴族派の重鎮だ。余に寝首を掻かれぬよう用心を怠っておらぬし、それは息子も同様だったろう。

 不慮の事故と言われて、〝はいそうですか〟と俄かに信じるほど素直な人物ではない」

「私もそれとなく情報を集めておりましたが、その過程で見過ごせない証言を得たのであります」


「ほう、申してみよ」

おそれながら、情報源の秘匿をお許しいただけますでしょうか?」


 皇帝は眉根を寄せて、マグス大佐の顔をじっと見据えたが、大佐はそれを正面から受け止めた。


「ふん……」

 やがて、皇帝の顔に笑みが浮かんだ。


「許す。可愛いミアを拷問にかけるわけにもいかんだろう。

 よいから話せ」

「ご寛恕に感謝いたします。

 私が得た情報によれば、クラウス中将には強力な護衛がついており、その者は事故の直前に倒されたよしにございます」


「つまり中将は事故死ではなく、何者かに殺されたと言いたいのか?」

「いえ、私は〝事故の直前に〟と申しました。事故はあくまで事故でございます」


 皇帝は小さな笑い声を洩らした。

「うむ、これは一本取られた。ミアの言うとおりだな、あれは事故・・だ。

 お前が伝えたいという情報は、それだけなのか?」

「その護衛、実は吸血鬼でありました」


「ほう……」

 皇帝は眉を上げたが、大佐が予想したほどには驚かなかった。


「しかも、かなり上位の吸血鬼であったようです。

 エーデルシュタイン侯爵が吸血鬼を飼っていることは、ある程度予想されていました。

 護衛が滅んだことに、侯爵はもう気づいているはずです」


「つまり余の粛清を恐れた侯爵が、反撃に出る可能性があるということか?」

「御意。吸血鬼の侵入を防ぐ手段はありません。

 この上は陛下と御子様、そしてレイア様(皇帝の側室)の警護体制を、早急に強化すべきかと愚考いたします」


 皇帝の顔には、笑みが浮かんだままだった。

「ミアの忠言には感謝するが、当面その必要はないだろう」

「しかし!」


 皇帝は手を上げて、彼女の言葉を遮った。

「クラウス中将を吸血鬼が護衛していた――余にその可能性を示唆したのは、ミアが二人目だ」


『しまった!』

 マグス大佐は息を呑んだ。

 イアコフたちは、誰かに見られていたのだ。

 そして、その情報をいち早く皇帝に報告した者がいる、ということだ。

 金髪と赤毛の小僧どもの身が危うい……というより、それを知っていて隠した自分も、どうなるか分かったものではない。


「もっとも……」

 皇帝が言葉を継ぎ、大佐の身体が硬直した。


「レイアの見解は、ミアとは真逆であったぞ」

「は? 二人目とは、レイア様なのですか?」


「そうだ。レイアはまるで現場を見てきたように解説してくれたぞ。

 貴族派が吸血鬼とつながりを持ち、その力を借りていたとすれば、それは侯爵以外にありえないだろう。

 クラウス中将は凡庸な男であったが、侯爵は溺愛していた。

 その大事な息子が、自分の力が及ぶ帝都を離れ、西部戦線の視察に出かけたのだ。吸血鬼を護衛につけない方がおかしいだろう。

 用心深い侯爵のことだ。護衛には虎の子の〝第二世代〟を派遣したことだろう」


 皇帝はテーブルに置かれていたグラスの水を飲み、ひと息ついた。

 そして何かを思い出したように、〝くっくっ〟と声を殺した笑い声を洩らした。


「そんな化け物を倒せるとしたら、ただの人間ではあり得ない。

 今の帝国でそれを成し得るとすれば、まず第一にミアの名が挙がり、その次がカーン少将だろうな。

 だが事件の当日、その二人は帝都の司令部で勤務をしていた。

 となれば、二人に次ぐ実力を持った魔導士ということになる。

 あえてその名は伏せるが、その者たちは西部戦線に配属されており、事件の数日前から、彼らの部隊は再編成のために後方に下がっていた。

 二人の指揮官は、それに合わせて休暇を取っていたそうだ。

 面白い偶然だと思わないか?」


 マグス大佐は音を立てて唾を吞み込んだ。

「そ、それは……レイア様がおっしゃったことなのですか?」


「ああ。暗記した絵本のように、すらすらとな。あいつは後宮から一歩も出ていないのに、だ。

 レイアによれば、吸血鬼から第二世代を一匹借り受けるだけでも、侯爵は膨大な見返りを要求されているはず。とても二匹以上飼う余裕などない……ということだ。

 つまり、余を襲いたくても手駒がない。

 今ごろは吸血鬼の親玉と、交渉の真っ最中ではないかと予想しておったぞ」


「レイア様、なんと恐ろしいお方……あっ、いや! 申し訳ありません!」

「気にするな、数え切れぬほどしとねをともにしてきた余であっても、背筋が寒くなることがあるからな。

 とにかく、ミアの進言はゆうに過ぎぬ。

 レイアが王国を視察した十数年前から、吸血鬼対策には万全を期している」


「お言葉ですが、いくら近衛が精鋭とは言っても……」

「ほう、さすがのミアでも気がつかんか?」


「は?」

「余の周囲には、常に複数の魔導士がつき従っていてな。どんな攻撃であっても、瞬時に結界魔法が発動するようになっている。

 試してみるか?」


「いえ、とんでもありません!

 ですが……この部屋で感じられる魔力は、クルスト閣下のものだけです。

 そのような手練てだれがいるとは、俄かには信じられません」

「まぁ、軍ではなく高魔研(高度魔法研究所)の魔導士だから、ミアが知らんのも当然だろう。

 その者たちは、あの(・・)サシャの子飼いの部下だ」


刀自とじ様の!」

「納得がいったか? さて、この話はこれくらいでよいだろう。

 今度はこちらの用件だ。

 いつまでも突っ立っていないで、こちらに来て座らぬか」


 混乱した頭で席に着いた大佐に対し、クルスト上級大将が口を開いた。

「大佐を呼んだのは他でもない。

 実は、ある魔導士養成機関において、現役の魔道将校による講演を計画しているのだ。

 陛下に人選をご相談申し上げたところ、君が適任だろうという話になった。

 将来有望な魔導士の卵たちに、生ける伝説にして帝国の英雄たるミア・マグス大佐の話を聞かせるのだ。きっと有意義なものとなるだろう」


「それはまた……唐突な話ですね。

 そうした講義の依頼は時々ありますが、多忙を理由にほとんど断っております。

 もちろん、陛下のご意向ということであれば、喜んでやらせていただきます」


「クルスト、ミアの顔を見てみろ。こいつ、全然納得しておらんぞ?」

 皇帝が揶揄からかうように口を挟んでくる。


「その養成機関は創立して日が浅くてな、候補生の不足に苦慮しているらしい。

 君のような有名人が講義を開けば世間の耳目を集め、入学を志す者も増えるだろう」

ていのいい客寄せですか?」


「まぁ、そういうことだ」

「昨今の魔導士不足で、新設の学校など全国にごまん(・・・)とありますが、帝都内ですか?

 大体、なぜ閣下や陛下にまで話が上がったのですか? 普通は総務で処理される案件のはずです」


「うむ、実はな……」


 上級大将から詳細を明かされた大佐は、驚きのあまり立ち上がろうとして、椅子ごとひっくり返った。

 帝国の英雄の醜態に、皇帝ヨルド一世は涙を流すほど大笑いしたのであった。


      *       *


「準備はよいか?」

 白い顎髭を生やした老人が、革の飛行服と飛行帽で身を固めたシルヴィアに確認をする。

 

「はい、いつでもいけます」

 シルヴィアはうなずきながらゴーグルを下ろし、手綱を握りしめた。


 ここは王都リンデルシアの城壁外、広大な草原に設けられた軍の演習場である。

 カー君に跨ったシルヴィアを囲むように、参謀本部の主要幹部、国立魔導院の審問官たち、そして王都に駐在する四軍の連絡武官が集合していた。


 シルヴィアとエイナが、エルフ王に親書を届ける任務から帰還して、すでに一週間が経過していた。

 彼女たちは、アッシュから託された返書と贈答品を無事に持ち帰り、旅の詳細を報告した。

 その聞き取りは、参謀本部・情報部・魔導院の三者立ち合いのもとで、二日にわたって行われた。


 先代エルフ王のネクタリウスが帝国に協力し、魔法の指導を行っていることは、すでに明らかになっていたが、今回の旅でその詳細な経緯が明らかとなった。

 これは帝国に対する戦略にも影響を与える、極めて重要な情報であったが、カーバンクルがドワーフから魔石を与えられ、飛行能力を獲得した事実も、軍事上の大事件であった。


 飛行能力を持つ幻獣は極めて稀で、第三軍麾下(きか)の赤龍帝副官ヒルダの転生とともに、幻獣グリフォンが失われて以来、アラン少佐のロック鳥が唯一となっていたからだ。


 そのため飛行幻獣が新たに出現したとなれば、参謀本部や各軍が色めき立つのは当然であった。

 また、生態に不明な点が多いカーバンクルに関心を寄せる魔導院の審問官たちも、別の理由で興奮していた。


 シルヴィアとその幻獣の争奪戦が起きることは、ある意味当然であった。

 しかしその前に、シルヴィアが二級召喚士であることが問題となった。

 カーバンクルが飛行能力を獲得した以上、その召喚主であるシルヴィアは当然、国家召喚士に昇格させるべきだという声が上がったのである。


 そうした動きを踏まえ、関係者を集めてカー君の飛行能力を実際に確認し、昇格問題の検討材料とすることになったのだ。


「よし、では始めたまえ」

 マリウス参謀副総長がシルヴィアに命じる。


『いくよ、カー君』

 シルヴィアが頭の中で彼に呼びかけ、軽く軍用ブーツで横腹を蹴る。

 カー君の身体がぐっと沈み、踏ん張った四肢が地を蹴った。

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