五十九 人とエルフ
「最初に言っておくけど、爆裂魔法にもいくつか種類があるんだ。
これから見せるのは〝攻城魔法〟と言われる大規模魔法だね」
私たちは、伐採地を遠くから見下ろせる丘の上に立っていた。
サシャの第二の願い――爆裂魔法を見せる前に、私は簡単な説明を行っていた。
「これはエルフにとっても大魔法でね、誰でも使えるというものではないんだ。
君は運がいいね」
私は笑みを浮かべてそう言うと、振り返って目標地を見据えた。
手を伸ばし、呪文を口ずさみながら魔力を練り上げる。
エルフが詠唱にかける時間は基本的に短いのだが、この呪文は例外で、この私でも一分以上を要した。
「よく見ていなさい」
私は前方から視線を外さずに、傍らに立つサシャへ注意を促す。
爆裂魔法は彼女のヘルファイアのように、術者から何かが飛んでいくわけではない。
呪文の中に組み込まれた目標の座標で、いきなり魔法反応が始まるのだ。
私が魔法の発動を命じると、切株と藪だらけの広い伐採地が、ぶわりと膨張した。
次の瞬間、耳をつんざく轟音とともに爆発が起き、景色が土煙で真っ黒に塗り潰される。
少し遅れて、丘の上にも衝撃波と爆風が襲ってきた。
ここは伐採地から一キロ程離れているが、それは身の安全を図るのに最低限の距離だった。普通は、三~四キロ離れたところから撃つのが常識なのだ。
地表から数メートルの深さで発生した爆発は、膨大な質量の土砂を、上空高くまで吹き飛ばした。
それらは数秒後に落下を始め、土が、岩が、切株が、土煙と轟音を伴って降り注ぐ。
今回は出力を抑えたため、爆発範囲は直径三百メートル程度だったが、伐採地のあらかたが掘り起こされ、根を張っていた切株は地表に転がることになった。
農民たちは喜ぶよりも先に、この場で何が起きたかを知りたがるだろう。
サシャは爆風に薙ぎ倒され、尻もちをついていた。
衝撃波に打たれたことで、露出した顔や手が真っ赤になっていた。
落雷にも似た凄まじい轟音が彼女の聴覚を奪ったらしく、私が「大丈夫かい?」と訊ねても、呆然として答えなかった。
私はサシャの手を取って助け起こし、落ち着かせるために軽く抱きしめた。
やがて身体の震えは止まり、聴覚も戻ってきたらしい。
「魔法でこんなことができるのね……」
掠れた声でそうつぶやいたきり、彼女は黙り込んだ。
彼女にかける気の利いた言葉が見つからず、私も無言だった。
とは言え、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。
私はサシャの肩をぽんと叩いた。
「さぁ、これで野外授業はお終いだ。戻ってお茶にしよう」
* *
私たちが飲んでいるのは、私が調合して乾燥させた香草茶だ。
酸味と清涼感があって、ヤギの乳で煮だすと、とろんとした喉ごしになる。
草地に敷いた敷物に腰を下ろし、熱い茶を飲んだサシャは、やっと人心地がついたらしい。
彼女は少し興奮して、爆裂魔法に関するいろいろ質問を浴びせてきた。
最初は、魔法の射程と効果範囲についてだった。
「そうだね……射程は最大で五、六キロといったところかな。
範囲は直径一キロ前後だけど、さっきみたいに三分の一くらいまでなら、狭めることも可能だよ」
「どうして、わざわざ地中で爆発を起こすの?」
「その方が威力が大きくなるからだよ。
地上で爆破させると、拡散して大した破壊力を生まないんだ。
それよりも、密閉されて圧力のかかる地中の方が、爆発力が増大する。
君のヘルファイアも、重力魔法で圧縮をかけているだろう? 原理は同じだよ」
「なるほど……」
「それに、大量の土砂を巻き上げることで、攻撃範囲にとどめをさせる。
およそ三十メートルの高さから、土砂が降り注ぐことを想像してごらん。その下にいる者がどうなると思う?
最初に説明したと思うけど、あれは〝攻城魔法〟と言われていてね。本来は、堅固な砦や城壁を、基礎から崩壊させるために開発されたんだ。
その場合は、上空から巨大な石が落ちてくるから、運よく残った建造物も破壊し尽くされることになる」
「だけど、別に城じゃなくても、密集した軍勢の直下で炸裂させれば、一撃で万の敵を葬れるわね」
「まぁ、そういうことだ。
私たちが元いた世界では、魔族とエルフ・人間・ドワーフの連合軍の間で、何度も大きな戦争があったんだ。爆裂魔法はその時代に生み出された、戦争の遺産のようなものだね。
だけど、私たちはこの世界に来て数千年、戦争というものを経験していない。
だからこの魔法は、一度も使われなかった〝忘れられた魔法〟なんだよ。
私は魔法の研究が趣味だから、たまたま知っているけどね。
ほとんどのエルフは爆裂魔法を知らないし、例え知っていても、使える者はごくわずかだろう」
「私は……使えないだろうか?」
私は眉を上げ、訝しげな視線を向けた。サシャの口調が、ふいに堅苦しい軍人のそれに戻ったからだ。
「無理だね。
君は人間としては破格の魔力を持っているが、それでも全然足りないよ」
私の答えはにべもなかったが、彼女は食い下がった。
「私はもっと強くなる。
今の魔力だって五年前に比べれば、遥かに増大しているのだ。
十年、二十年では無理でも、三十年もあれば……」
「無理だ」
私は彼女の抗弁を遮った。
「サシャは人間なんだ。私たちエルフとは違う。
もし、君が爆裂魔法を使えるだけの魔力を得られたとしても、その頃には老いさらばえているよ。
それに、私にはこの魔法を伝える術がない。
エルフは人間に魔法を教えるのを止めた時、神聖文字も捨ててしまった。
その技術を復活させない限り、エルフ語の翻訳は不可能なんだよ」
サシャは肩を落とし、黙り込んだ。
私はそんな彼女に駄目押しをした。
「君が今すべきは、ヘルファイアの完成だろう? 爆裂魔法のことは忘れたまえ」
サシャはしばらくうつむいていたが、やがて顔を上げた。
「そうね、ごめんなさい。
〝星を望んで蛇を踏む〟って諺のとおりね。私は高望みをして、足元を見失うところだったわ。確かに今は、ヘルファイアの呪文を組み直す方が先ね。
アデルには感謝をしなくちゃ」
彼女の口調は、再び女らしいものに戻っていた。
表情が柔らぎ、笑みさえ浮かべる彼女に、私は内心で安堵していた。
* *
仕留めたウサギと、食用となる野草を摘んで帰ってくると、サシャは泉のほとりにしゃがみ込んでいた(竈にはちゃんと火が起きていた)。
彼女は水際の濡れた土に、木の枝で呪文の構文を書きつけ、難しい顔をして考え込んでいた。
どうやら真面目に勉強しているようだ。私は満足して、後ろからそっと背中を突いてみた。
「きゃっ!」
不意を突かれたサシャは、立ち上がろうとしてバランスを崩し、目の前の泉に飛び込んでしまった。
もちろん水は浅いし、大したことはなかったのだが、彼女はずぶ濡れになった。
私が怒られたことは言うまでもない。
軍服は枝にかけて干したが、サシャは着替えた肌着姿で食事をするはめとなった。
ちなみに、食事を作るのはいつも私の役目で、サシャはあまり料理が得意ではないようだった。
その代わり食後の洗い物は、自然と彼女が担当するようになっていた。
片付けが終わり、焚火を囲んでお茶を飲むころには、すっかり暗くなっていた。
もう十月に入ったので、帝国は北国ということもあって、日が落ちると結構肌寒い。
サシャは肌着姿なのもあって、早々に寝床に潜り込んだ。
暗くなれば眠り、夜明けとともに起きるのは常識であり、それは人間もエルフも変わらない。
寝床と言っても、草地の上に集めた枯草を敷き、エルフの布にくるまって眠るのだ。
エルフの絹織物は、糸を紡ぐ段階で魔法が込められており、薄くても保温性が高い(夜露や雨も弾くすぐれ物だ)。
真冬なら別だが、今の季節だったら十分暖かく眠れるはずであった。
サシャが身体に布を巻きつけ、横になったのを見て、私はいつものように傍らの木に登ろうとした。
あまり大きな木ではないが、やはり樹上の方が安眠できるのだ。
ところが、私が木の幹に手をかけたところで、背中を引っ張られた。
振り返ると、サシャがミノムシのように布にくるまったまま身を起こし、手を伸ばして私の服を掴んでいた。
私は首を傾げた。
「どうかしたのかね?」
「……寒い」
「さっき濡れたせいかな、もう髪は乾いたはずだけど?
まさか風邪を引いたのかい?」
「そうかもしれない。
アデルが悪い。責任を取って、添い寝をしろ」
彼女の口調が、また堅苦しいものに変わっている。
私は肩をすくめた。
「まるで子どもだな……。
まぁ、いいだろう。君が眠るまでだぞ」
サシャは顔をしかめて舌を出したが、くるまった布を大きく広げ、私を招いていた。
私は小さく溜め息をつき、彼女の横に滑り込んだ。
彼女は私の身体を引き寄せると、ぴたりと身体をくっつけてくる。
驚いたことにサシャは裸であった。いつの間に下着を脱いだのだろう?
「裸では余計寒いだろう?」
「うるさい、黙れ!」
彼女は冷たい指先を私の服の中に潜らせ、めくり上げた。
「何のつもりかな?」
「私だけに恥ずかしい思いをさせる気か? アデルも脱げ」
サシャの怒ったような声に圧されて、私はごそごそと自分の服を脱いで肌を合わせた。
彼女の手足の先だけは冷たいが、それ以外は熱く火照り、少し汗ばんでいた。
サシャは胸に顔を埋めて抱きついてくる。豊かな胸が私の腹に押しつけられて潰れ、乳首が固くなっているのが感じられた。
そして、彼女の冷たい手が私を撫でまわしながら下に伸びてきた。
しばらくして、私の胸元からサシャのくぐもった声が聞こえてきた。
「私は……そんなに魅力がないのか?」
胸に押しつけられた、彼女の顔が濡れている。
「エルフにとって、人間の女など……抱くに値しないのか?」
サシャは涙声で私を詰った。
私は溜め息をつき、彼女の腋に腕を差し入れ、身体を上に引き上げた。
夜目の利く私には、暗闇の中でも泣きべそをかいているサシャの顔が、はっきりと見えた。
「君は少し誤解をしている。
エルフと人間は確かに姿が似ているが、別の種族なんだよ」
「…………」
「エルフの繁殖力が低い、という話は知っているかい?」
サシャは無言で小さくうなずいた。
「私たちは人間ほど、生殖行動に熱心ではないのだよ。
エルフには多くの動物と同じように、決まった繁殖期というのがある。
春、三月の半ばから五月くらいまでの間だね。それ以外の時期は、夫婦や恋人同士であっても、そうした行為はしない。
いや、その気にならない――と言った方が正しいかな?
サシャは十分に魅力的だと思うよ。
だけど気の毒だが、今の私にそうした欲望は起きないんだ」
「そう……なのか」
サシャは寂し気につぶやき、再び布の中に潜って私の胸に顔を押し当てた。
冷たい指先が胸を撫でさすり、彼女は私の乳首に唇をつけ、舌の先でちろちろと弄んだ。
しばらくその状態が続いた後、サシャはいきなり顔を上げ、私の首にかじりついた。
私の耳朶に、吐息と一緒に彼女のささやきが届く。
「……アデルの乳首が固くなった」
「くすぐったかったからね。生理的な反応じゃないかな」
「なるほど……繁殖期でなくても、身体はちゃんと反応するということだな」
彼女は妙に納得したようだった。
「身の上話をしたから今さらだと思うが、私はそれなりに男を知っている。
黙って股を開いて身を任せるのは、どうも私の性分に合わないらしくてな。
私は自分が気持ちよくなりたいし、好きな男にも同じ思いをして欲しいと思う方だ。
だから、男を悦ばせる手管も、いろいろと心得ている」
彼女はそう言って私の唇を吸うと、かぶっていた布を撥ね上げた。
そして、私の上でくるりと身体を反転させた。
* *
「……まぁ、そんなわけで、伯父上はサシャ・オブライエンに篭絡された。
要するに、その夜二人は身体の関係を持ったわけだ」
アッシュはそう言って手記を閉じ、小さく溜息をついた。
「いやいやいや、ちょっとアッシュ! 普通そこで止める?」
ユニがテーブルをどん! と叩いて抗議する。
「そうです! せっかくここまで朗読してきたんですよ。
ここからが肝心ではありませんか?」
シルヴィアも同調した。
「私たちは、ありのままの真実を知るべきだと思います!」
エイナもきっぱりと言い切った。
アッシュの溜息が、さっきよりも大きくなった。
「さっき言っただろう。伯父上は露悪趣味があると。
確かに、この先には二人がどんなことをしたか、事細かに綴られている。
それはもう、微に入り細に入り、必要以上に熱のこもった描写だ。
はっきり言って、声に出してこれを読めというのは、拷問のようなものだ。
恐らく伯父上は、私が最初にこの手記を読むだろうと予想していたのだろうな」
彼女はグラスに残っていたケルトニア酒を手に取ると、一気に呷った。
そして、ごつんと音を立ててテーブルに頭を打ちつけ、呻き声を漏らした。
「あのエロ中年! 絶対わざとだ!」