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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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五十八 野外授業

「……ここでやるの?」

 サシャが少し戸惑ったような顔で訊いてきた。


 私たちがやってきたのは、野営地からさらに六、七キロ奥まった、丘陵地帯と森との境目だった。

 目の前には広がっているのは、立ち木を伐採した後の荒地である。

 まだ生木の匂いを漂わせている切株と、散乱した枝、そして日光を遮る木が失われたことで、一気に繫茂した雑草で覆われている。


「農家のご主人からも許可を得ている。

 ここなら、いくら掘り返しても構わない――というか、むしろ助かるそうだ」


 ここは近隣の住民たちが、協同で開墾を進めている地帯らしい。

 森を切り拓いて農地にするには、膨大な手間と時間がかかる。

 まずは樹木の伐採から始まるが、これは一番楽な仕事だ。


 伐り倒した立ち木は枝を払って丸太にし、まとめて野積みしておけばいい。

 数年放置すれば水分が抜け、原木として売ることができて、結構な収入にもなる。

 問題はその跡地だ。

 枝葉の片付けや、雑草の刈り取りは簡単だが、伐根が大仕事なのだ。


 切株の周囲を掘り広げ、太い根を断ち、ロープをかけて引きずり出す。

 集落総出の作業になる上に、大量に残る切株に対して、一日に三株も始末できればよい方だ。もちろん、掘った根は金にならない。


 すべての切株を除去しても、すぐには耕作地にはならない。

 まずは牧草地にする。家畜が踏み荒らし、糞尿を混ぜ込むことで土が柔らかくなっていく。

 そこに何度も堆肥を投入し、数年かけてやっと畑にできるのだ。


 いま目の前にしている荒野は、立ち木の伐採が終わった段階である。

 サシャが魔法を撃っても、野火事が起きる心配はないし、私が爆裂魔法で切株を掘り起こせば、農民たちは泣いて感謝するだろう。


「では、最初にサシャの魔法を見せてもらおうか」


 私が促すと、彼女はうなずいて手を伸ばし、呪文の詠唱を始めた。

 神聖語で唱えられる単語は未知のものだったが、もともとがエルフ語だから、何となく意味は把握できた。


 農具小屋でもさわりを聞いたのだが、改めて通してみると、粗削りな印象が否めない。

 エルフの言葉は和音が基本だから、その調和を大切にする。

 サシャの呪文は、それを考えずに力技で言葉を重ねているので、効率が悪く美しくない。


 それでも、人間でここまでできれば大したものである。

 彼女の詠唱は十分以上続いたが、やがて伸ばした手の先に白い光の球が生まれ、詠唱が終わるとともに飛び出していった。


 私たちが目標に設定した切株は、二十メートルほど先にあった。

 最初は最短距離で直進させ、目標の直前で大きく迂回し、背後から命中させるという段取りである。

 ところが、その軌道がどうも安定しなかった。直進どころか、左右に大きくぶれる。

 そして、しばらく迷ったように漂ってから、やっと目標を見つけたように突っ込んでいった。


 あとは結界が展開し、爆発的な炎の発生と激しい対流が起こり、五、六秒で反応が消失した。

 結界範囲内の地面は焼け焦げ、目標とした大きな切株は真っ黒に炭化して、ぼろぼろになっていた。


「どうかしら?」

 サシャは振り返って、上目遣いで私を見上げた。


 私は率直な感想を述べた。

「確かに切株の直前で進路を変え、背後から命中したね。

 だけど、突っ込む前の軌道が変だよ。どうして真っ直ぐ飛んでいかないんだい?」


 彼女はふうっと溜息をついた。

「そこが未完成なところなのよ。

 この魔法は四系統の複合魔法だから、特別に制御が難しいの」

「普通は狙いを定めた場所で、魔法反応を発生させるよね?

 それが難しいから、自分の目の前で魔法の種を発生させ、それを飛ばしているってことかな?」


「そう。軌道を制御するために、その種に魔力の流れをつないでいるの。

 操るための糸のついた球を投げてるようなもの……だと思ってちょうだい。

 光の球が目の前に浮かんでいる時は、完全に自分の制御下にあるんだけどね。

 飛ばしてある程度離れると、それがぷつんと切れちゃうのよ。

 そこから糸に魔力を送って制御を取り戻すんだけど、それまでの間、今見たように軌道が不安定になっちゃうわけ」


 私は呆れてしまった。サシャが工夫して編み出した独自魔法だから、仕方のないことかもしれないが、とんでもなく面倒な手順だ。

 複合魔法は、ただでさえ魔力の消費が大きい。その上、制御にも魔力をつぎ込むとなれば、効率が悪すぎる。

 第一、呪文が複雑で長くなり過ぎるだろう。


「なるほどね。

 とにかく、間近で見せてもらったから、大体の感じは掴めたよ。

 今度は、私がやってみよう」

 私がそう提案すると、サシャは驚きの表情を浮かべた。


「やってみるって……ヘルファイアを?」

「そうだよ」


「見ただけで再現できるの?」

「仕組みは複雑だが、炎・風・重力・結界と、構成要素はすべて基本魔法だ。そう難しくはないよ。

 標的は同じ場所にしよう。見ていなさい」


 私はサシャを下がらせ、位置を変わると、すっと手を伸ばした。

 自分なりに解釈した呪文を発声すると、掌の先に明るく輝く光の球が浮かび上がった。

 呪文の詠唱は三秒にも満たず、球体はサシャのそれに比べ、遥かに強い光を放っている。


 軽く手を振ると、光球は矢のように飛び出し、真っ直ぐ焼けた切株に向かっていった。

 そして、目標の直前でぽんと跳ね上がり、背後から切株に命中した。

 焼け焦げた地面は再び炎に包まれる。

 ただ、結界の規模はサシャの倍以上で、荒れ狂う炎の威力も段違いだった。


「……凄まじいものね」

 サシャは呆然とした表情でつぶやいた。

 八年も費やして作り上げた独自魔法を、ちょっと見ただけで再現されたのだ。

 しかも、威力も精度も比べ物にならないとあっては、脱力するのも当然だろう。


「うん、こんなものかな?」

 私は自分の仕事に満足し、サシャの方を振り返った。


「サシャ、まだ魔法を撃つだけの魔力は残っているかね?」

 私の問いに、彼女は呆然としたままうなずく。


「よろしい。では、授業の時間だ。

 率直に言って、君の魔法は効率が悪すぎる。呪文の組み直しは後でゆっくりやるとして、問題は制御の方だな。

 魔法の制御に魔力を消費するなど、無駄遣いもいいところだ。

 まずはそこから直していこう」

 私はそう言いながら、彼女の背後に回った。


「魔法は解除せずに、維持したままだね?

 なら、撃つための呪文は短くて済むはずだ。やってみたまえ」


 サシャは素直にうなずき、気を取り直すように手を伸ばした。

 すぐ後ろに立つ私には、彼女が呪文を唱えながら、魔力を練り上げている過程が伝わってくる。

 私は後ろから両腕を回し、彼女を抱きすくめた。

 サシャはまったく動ぜずに。呪文の詠唱を続けていた。


 呪文を唱えている間、魔導士は精神を極度に集中させ、忘我の境地に陥る。

 彼女は自分が何をされているのか、まったく気づいていないのだろう。

 私は彼女の身体に手を当て、魔力の流れを探った。服の上からでも、大量の魔力が体内を移動していることが、はっきりと分かる。


 魔力の供給源はサシャの下腹部、子宮のあたりだとすぐに見当がついた。

 私は躊躇ためらわず、彼女のズボンの中に右手を差し入れた。

 邪魔なシャツを引っ張り出し、手をズロースの中に侵入させ、柔らかで温かい下腹部に掌をぴたりと当てた。

 同時に、左手でサシャの顔を覆って視界を奪う。


 ちょうどサシャは短い呪文の詠唱を終え、同時に自分のされていることに気づいた。

「なっ!」

 彼女は小さく抗議して、反射的に腰を引くが、私が身体を密着させているので、それは無駄な動きだった。


 私は身をかがめ、彼女の耳元に唇を寄せ、低い声でささやいた。

「大丈夫だから、落ち着いて。

 いま、君と私の魔力を同期させた。周囲の景色が見えるかい?」


 サシャはもじもじしながら、小さく首を横に振った。

 私の左手が彼女の目蓋を押さえているから、見えないのは当然だ。


「では、魔法で出現させた光の球はどうかな?」


 彼女は掠れた声で答えた。

「それだけは、はっきりと見えるわ。……どういうこと?」


「それは君の魔力で生み出したものだ。

 魔力には固有の波長があって、一人ひとり異なっている。

 つまり、術者とその魔力で生成された魔法は、最初から同調しているんだ。

 こつさえ掴めば、目を閉じていても、その存在を知覚できる。

 今の君の視界は私の感覚とつながっているから、自分の魔法が見えている。

 意識を目標に向けてごらん、何か見えるかい?」

「ぼんやりとだけど……白いもやのような物が見えるわ」


「それは、君が最初に爆発させた魔力のさんだ。

 では、そこに向けて魔法を飛ばしてごらん。急がなくていいよ」


 サシャがうなずくと、彼女の掌の先に浮かんでいた光の球が、ゆっくりと前に進み始めた。

 十メートルほど進んだあたりで、私はもう一度ささやいた。

「だいぶ離れたけど、ちゃんと制御が利いているだろう?

 さあ、顔から手をどけるよ」


 私が左手を離すと、サシャは少し眩しそうに目をしばたいた。

 私は移動を続けている光の球を指さした。


「自分の思ったとおりに動かしてみなさい」

 私の言葉に従い、彼女は光球を前後左右、上下に動かしてみせた。


「今までより、ずっと楽に動かせるはずだ。魔力が流れていないことも分かるね?

 この感覚を思い出しながら、練習を繰り返しなさい。

 私の補助がないと最初は難しいだろうが、大丈夫。君ならすぐにできるようになるよ。

 これなら余分な魔力を使わないし、呪文も大幅に簡略化できるはずだ」


 サシャは初めて味わう魔法の遠隔操作に、感動しているようだった。

 彼女は顔を上げ、覆いかぶさっている私を見上げた。目は涙ぐみ、頬も紅潮している。

「ありがとう、アデル。言葉ではうまく言えないけど、本当に感謝しているわ。

 でも……だけどね、その……もう、あそこから手を離してもらえないかしら?」


「ああ、これは失礼した」

 確かにこれ以上、魔力同期の必要はない。私はすぐに右手を引っ込めようとした。


「……どうしたの? 早くして。恥ずかしいわ」

 サシャは真っ赤な顔でうつむいた。


「いや、手を抜きたいのは山々なんだが……。君が放してくれないと」

 彼女は私の指先を太腿で挟み、きつく絞めていたのだ。


「あっ、ごめん!」

 サシャが腿の力を抜いてくれたので、私は彼女の下腹部から右手を撤退させることができた。

 その手首を彼女はすばやく掴み、軍服の腋に挟んで指先をごしごしとぬぐった。


 私は解放された手を振って、何気なく指先の匂いを嗅ごうとしたが、それが悪かった。


「変態!」

 サシャの見事な平手打ちを喰らってしまったのだ。


      *       *


 落ち着いたところで、私は野外授業を再開させた。

「さて、爆裂魔法を見せるという約束だったね? まずは場所を移動しよう」


 サシャは不思議そうな顔をする。

「この伐採地で実験するんじゃなかったの?」


「ああ。だけどここだと近すぎるんだ。あの辺りまで行けば安全だろう」

 私が指さしたのは、一キロほど離れた後方の小高い丘だった。


「ずい分離れているわよ。ちょっと大げさじゃないの?」

「そうでもないさ。まぁ、すぐに分かるだろう」


 丘に向かって歩きながら、私は爆裂魔法の概要をサシャに説明した。

 その射程が最大で五キロに及ぶということに、彼女はひどく驚いた。

 それほど射程の長い魔法を、彼女は(というか人間は)知らなかったのだ。


「長射程の魔法はいろいろあるんだよ。

 君のヘルファイアは、どのくらいだね?」

「二~三十メートルがやっとね。それだって人間にしてみれば、画期的なのよ?」


「いや、それは制御のために魔力を紐づけしていたせいだろう。

 さっき教えた遠隔制御なら、数百メートル……いや、保有魔力次第で一キロを超えることも可能だろうな」


 サシャは目を剥いた。

「別にアデルを疑うわけじゃないけど、俄かには信じられないわ」


 私は笑いながら、彼女の背中をぽんと叩いた。

「練習あるのみ、だよ」

「アデルは、っていうか、エルフはずるいわね。見ただけで真似できちゃうんだもの」


「いや、エルフだからといって、全員が同じことができるわけじゃないよ。

 私が特別なだけだね」

「それ、自慢?」


「いや、自信と言って欲しいね」


      *       *


 アッシュはいったん手記をテーブルの上に置き、ケルトニア酒を口に含んだ。

 そして、焼けた喉を鎮めるために、水を美味しそうに飲んだ。

 ずっと朗読を続けていたので、喉が乾いたのだろう。


「ねえ、サシャは先王に、アデルっていう人間風の名前をつけたんでしょう?

 それなのに、どうして後からネクタリウスなんて、大げさな名前を名乗ったのかしら?」

 シルヴィアは我慢できないといった顔で質問した。


「それは、もう少し先まで読むと分かるんだがね。

 ネタばらしをすると、伯父上はサシャ以外には、自分を〝アデル〟と呼ばせないと誓ったんだよ」

 アッシュは少し微笑みながら答えた。


 シルヴィアはエイナにも訊ねた。

地獄の業火(ヘルファイア)って、結局ファイアボールのことなんでしょう?

 何で今と名前が違うの?

 それに、凄い魔法みたいに語っているけど、今じゃ帝国の魔導士は普通に使っているわよね。

 エイナだってそうでしょ?」


「う~ん、魔法の登録名は帝国の国家機関が決めるから、そこで変更されたんだと思うわ。

 それと、魔法の近現代史では、ファイアボールは戦争の様相を変えた、画期的な発明だったとされているわ。

 登録されてから三十年くらいは、サシャ・オブライエン以外に使いこなせる魔導士が出現しなかったの。

 今は普通の攻撃魔法になったけど、それだけ魔法が進歩したってことね。

 それにしても、今までの話って、研究者が知ったら狂喜すると思うわ。

 サシャはこの魔法の開発過程を、黙秘して一切語らなかったの。エルフが関わっていたことを秘密にしたかったのね……」


 アッシュに酒を注いでもらいながら、ユニも感想を漏らした。

「これって確かに日記じゃないけど、手記っていうのも違うわね。誰かに読まれることを前提とした文章だわ。

 しかも、読み手がエルフだと仮定したら、不要な説明が多すぎるわ。ひょっとして、人間に読まれることを予想していたのかしら?」


 アッシュは盛大な溜め息を漏らした。

「ユニもそう思うか?

 伯父様は何て言うか、露悪趣味があるような気がするんだ。

 とにかく、続きを始めるぞ」


 アッシュはケルトニア酒のグラスを一気にあおると、再び先王の手記を取り上げた。

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