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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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五十六 生い立ち

 十月一日

(九月三十日が飛んでいるのは、同月が陰暦の〝小の月〟だったため)


 この日のサシャは宣言どおり、自力で動けるようになっていた(私が作った杖に頼ってだが)。

 私の見立てでは、まだそこまで恢復していないはずだったが、彼女は意志の力でそれを成し遂げたのだと思う。

 その原動力は、〝しもの世話〟を受けたくないという一心で、私にとってはやや滑稽なものだった。


 私は意志だと言ったが、サシャの肉体が急速に恢復していることも事実だった。

 特に、昨夜の夕食からまともな食事を摂れるようになったのが大きい。

 彼女は食事と排泄以外は横になっていたが、目を覚ましている時間も増えた(もう裸ではなく、服も着ていた)。


 私はサシャが眠っている間、食糧や薬草を集めに外に出かけた。

 彼女が起きている時は、側にいて話し相手……というより、もっぱら聞き手になっていた。


      *       *


 サシャは今年二十四歳で、帝国南部の貧しい農家の娘として生まれたと明かした。

 男三人、女四人の七人兄妹の四番目だったそうだ。

 暮らしが苦しいのに子だくさんというのは、決して珍しい話ではない。

 田舎では子どもも重要な労働力だったから、兄妹が家の手伝いをするのは当然のことであった。


 年かさの長兄は父親の片腕となり、長女は家畜の世話をする母親に代わり、家事のほとんどを取り仕切っていた。

 もう一人の姉の次女は、まだ幼い妹と二人の弟の世話を、一手に引き受けていた。

 大きな役目がなかったサシャは、九歳の時から領主である男爵家の下女として働くことになった。


 領主と言っても、その実態は中規模の地主に過ぎなかった。

 ただ、最下級とはいえ貴族の端くれであるから、木造だが二階建ての大きな屋敷を構え、身なりや子弟の教育にも気を遣っていた。


 まだ九歳のサシャは、純粋な労働力としてではなく、この家の八歳になる娘の世話係として雇われたのである。

 サシャはお嬢さまの身の回りの世話をしながら、話し相手も兼ねることになった。

 この片田舎にはまともな学校がなかったため、お嬢さまには女性の家庭教師が付けられていた。

 このため、世話係のサシャは、お嬢さまとともに教育を受けるという、幸運に恵まれたのである。


 お嬢さまは馬鹿ではなかったが、ごく凡庸な子であったから、正直な話、あまり勉学は進んでいなかった。

 それに比べるとサシャは極めて理解が早く、記憶力も思考力も優れていて、たちまちお嬢さまに追いつき、追い越してしまった。

 ただ、彼女は幼い主人の機嫌を損ねないよう、自分の勉強を差し置いてでも、お嬢さまに辛抱強く付き合い、彼女が理解できるように、教師の言葉を子どもらしい物言いで噛み砕いて説明することに努めた。


 お陰でサシャが奉公して以来、お嬢さまの勉強は格段に進むようになり、娘を溺愛していた男爵は大いに喜んだ。

 家庭教師も自分の実績を評価された上、サシャの手助けで負担が大幅に軽減された。

 そこから生まれた余裕で、教師はサシャにより多くことを教えてくれた。

 その中に、魔法も含まれていたのである。


 魔導士には、数学と物理に関する高度な知識と技術が要求されるが、ほかにも自然科学や人文系の幅広い学問を修めなければならない。

 彼らは一流の知識人であったから、教師を兼任する者が多かった。男爵家の家庭教師も、そうした在野魔導士の一人だったのだ。


 家庭教師も初めは面白半分で教えてみたのだが、サシャの呑み込みの早さは予想以上だった。

 彼女は砂地に撒いた水のように知識を吸収していき、十三歳になるころには、基礎的な魔法の多くを使いこなすようになっていた(お嬢さまの方は、その方面の才能が皆無だった)。


 お嬢さまは十五歳を迎えると同時に、地方都市の上級学校の寄宿舎に入ることになった。

 勉強というよりは、社交界に出るための礼儀作法を学ぶためである。彼女の縁談には、男爵家の命運がかかっていたのである。


 お嬢さまが旅立つと、役目を終えた家庭教師は別の貴族に招かれ、十六歳になったサシャは当然のように解雇された。

 家庭教師は館を去るに当たり、サシャに秘蔵の魔導書を与え、こう言い残した。


「あなたには魔導士としての才能があるわ。正直に言って、私なんかよりも遥かに上でしょうね。

 家庭の事情もあるでしょうけど、帝都で私よりもっとよい師を見つけなさい。

 この本は難解だけど、今のあなたなら理解できるはずよ。頑張ってね」


      *       *


 実家の説得はすんなりといった。男爵家の七年間と同額の仕送りを約束をしたからだ。

 両親としても、食い扶持を増やさずに娘が都会で働いてくれるなら、何も文句はない。

 サシャは男爵家で貯めたなけなしの金を握りしめ、希望で胸を膨らませ大都会へと向かった。

 だが、現実はそう甘くなかった。


 帝都ガルムブルグには魔導士養成学校があったが、そこで学ぶためには入学金が必要で、それ以外に年間の学費もかかるから論外だった。

 あとは、高名な魔導士に直接弟子入りするしか道はない。サシャは何人もの魔導士の屋敷を訪ねたが、ことごとく門前払いをくらった。

 ここでもコネと金が必要だったのだ。


 彼女は途方に暮れた。

 いつまでも宿に滞在するほどの金はなかったし、実家に約束した仕送りをするためにも、まずは働かねばならなかった。


 田舎から出てきた十六の小娘が、働けるような場は限られていた。

 堅実でまっとうな仕事もあったが、それでは仕送りをするほどの給金は望めない。

 結局、サシャはあまり上品とは言えない酒場に潜り込んだ。


 彼女はそこそこ美人であったし、十六歳にしては身体もよく発育していた。

 酒を運ぶたびに、尻を撫でられ、鷲掴みされることは日常茶飯事で、すぐに馴れた。

 彼女がかがんだ瞬間に、胸の谷間に貨幣を突っ込んで、乳房を揉む輩も珍しくなかった。


 最初は悲鳴を上げたり、しゃがみ込んで泣いたりもしたが、同僚の娘たちは平気な顔をして、むしろ喜んでいることに気がついた。

 結局、そうして得た金の方が、酒場の給金を上回ることを学んだのだ。


 サシャは仲間に倣って、胸を寄せて上げるコルセットをつけ、胸ぐりの深い服を着るようになった。

 そして、スカートをまくってズロースの中に指を入れることを許せば、もっと稼ぎが大きくなることも知った。


 三か月も経たないうちに、彼女の生計は安定し、余裕をもって仕送りもできるようになった。


 その代わり彼女は酒の味を覚え、男も知った。

 最初は酔い潰れて記憶がなかった。目覚めたら安宿のベッドに裸で転がっていて、股間とシーツが血で汚れていたのだ。


 仕事帰りに路地に連れ込まれ、殴られ、輪姦まわされたこともあった。

 もっとも、その男たちは、満足して去ろうとした時に、全員魔法で焼き殺した。生まれて初めて人を殺したが、怒りと屈辱が恐怖と罪悪感を抑え込んだ。


 恋をして、自ら身体を許したこともあったが、いかがわしい酒場に来るような男である。所詮はクズばかりだった。


 そんな毎日でも、彼女は魔法のことを片時も忘れなかった。

 家庭教師に貰った分厚い魔導書は相当高度な内容だったが、ボロボロになるまで読み込み、一字一句を暗記してしまった。


 仕事帰りの深夜に、人気のない空き地や墓地で、明け方まで魔法の実験に熱中するのがサシャの日課となっていた。

 彼女を見かけて襲おうとした無頼漢は、恰好の実験台になってくれた。


 そして二十歳になった年、自信をつけたサシャは、魔導士の採用試験を受けるため、軍の募集事務所を訪ねた。


 当時は今以上に魔導士が不足していて、在野の魔導士が軍に入隊するのは珍しくなかった。

 彼女は実技・筆記ともに抜群の成績をあげて合格した。すぐに軍の促成養成機関に入れられ、軍人としての基礎と士官教育を、わずか十か月の間に叩き込まれた。


 魔導准尉の階級で配属されたのは、二十一歳のことであった。

 二年後にサシャは少尉に昇進し、緊張が高まっていた西部方面軍に異動となったのである。


      *       *


「サシャが優秀な魔導士だということは、私にも分かるよ。

 人間としては桁違いの魔力量だし、独自開発した魔法も持っているようだ。

 あんな強力な攻撃魔法を使える君を、なぜ軍は使い捨てようとしたのか……どうにも理解できないね」


 私はサシャの長い身の上話を聞き終えると、そう質問してみた。

 サシャは仰向けに寝たまま、くすりと笑った。


「あの魔法を見たのか? あれはまだ開発途中の魔法でな。上には報告していないんだ。

 ほかの魔導士たちは、養成機関を出て、十八かそこらで入隊した連中ばかりだ。

 私より年下でも、軍歴は彼らの方が長い。私は中途入隊の新米だから、殿軍しんがりに選ばれたのは、別に不思議ではないさ」

「死に際で自分にかけた魔法も、秘密にしていたのかい?」


 サシャが寝返りを打って、顔をこちらに向けた。

「何の話だ?」


「君は魔法で代謝機能を極端に落とし、自分を仮死状態にしていたんだよ。

 そうでなければ、私が見つけるまでにとっくに死んでいたはずだ。

 覚えがないのかい?」

「いや、初耳だ。第一、私はそんな魔法は知らないぞ」


「ほう、あれは無意識のうちに発動させたのか……。

 では、攻撃魔法のことを訊こう。

 あれは、いろいろな魔法の組み合わせだな。炎魔法を中心に据え、防御結界で効果範囲を限定したうえで、風魔法で威力を増した複合技だ。違うかね?」


 サシャは目を大きく開けてうなずいた。

「見ただけでそこまで分かるのか。さすがエルフだな」

「あんな面倒臭いことをしようとは思わないがね。

 それより気になったのは、魔法の核となる火系魔法のことだ。

 着弾の瞬間、爆発が起きて一気に炎が膨張したように見えた。あれは爆裂魔法の一種だと思うのだが、どうやってそれを習得したんだい?」


「爆裂魔法?」

「火の系統に属する強力な魔法だよ。爆発を伴って衝撃波が発生するから、破壊力が広範囲に及ぶ。

 そうだとしたら、対魔障壁で範囲を限定させる意味がない。あれはあれで、内部を超高温で焼き尽くす効果を生むことは認めるがね。

 単純に爆裂魔法だけに大魔力を投入して、敵を一気に殲滅する方が効率的なんじゃないか?」


「いや、だから私は爆裂魔法というものを知らないんだ」

「では、魔法反応の最初に起きた爆発をどう説明する?」


「見ていたなら分かるだろうが、魔法が飛んでいく間は小さな光の球だっただろう?

 あれは、軌道を制御しやすいように、重力魔法で圧縮しているんだ。

 着弾した瞬間に重力魔法が解除されて、炎魔法が爆発的に膨張するから、そう見えたんだろう」


 彼女は不思議そうな顔で解説してくれたが、私の頭は一層混乱した。

「重力で魔法を圧縮するって、そんなことが可能なのか?

 重力は魔法に干渉できないはずだよ」

「私もそう思っていたんだが、偶然やってみたら、何故かできたんだ。

 理屈はよく分からないが、まだ魔法反応が連鎖する前の〝種〟の段階なら、重力が作用するらしい」


「馬鹿な……。し、しかし、そんな何系統もの魔法を組み合わせたら、呪文が長くなり過ぎないか?

 確か、人間が魔法を使う際に唱える呪文は、神聖語で構成されるはずだ。

 あれは、私たちの祖先が、エルフ語を人間の言葉に噛み砕いて翻訳したものだろう?

 エルフならひと言で済む呪文が、神聖語では唱えるのに数分要するそうではないか」


「ああ。だから私はエルフ語の発音を真似てみたんだ。

 もちろん、エルフ語など聞いたことはないから、書物で得た知識を元に、自分で工夫しただけなんだがな。

 これを会得するまで、三年以上かかった。

 さっき話しただろう? 私がいかがわしい酒場で働きながら、ひたすら修行に励んでいたと。そのほとんどを、この魔法と発声法に費やしていたんだ。

 この技術を、私は〝多重詠唱〟と呼んでいる。二重詠唱が成功するまでは、相当な時間がかかったが、今では限られた呪文だが、三重詠唱まで可能になっている」


「……それを、聞かせてくれないか?」

「いいぞ。だが、寝たままだと無理だな。ちょっと身体を起こすから待ってくれ」


 彼女は自力で上体を起こそうとしたが、やはりまだ上手く動けないようなので、私は背後から抱きかかえて手伝ってやった。

 脇の下から手を前に回すので、服の上からとはいえ、どうしても乳房に触れてしまうのは仕方がないことだった。


 サシャは私の手をじっと見下ろしたが、別に怒っている感じはしなかった。

「アデルは……遠慮せずに私の胸に触れるのだな……」

「悪気はないのだがね。気に障ったのなら謝るよ」


 彼女は顔を振って微笑んだ。

「いや、アデルがよこしまな気持ちを抱いていないことは、私にも分かる。

 むしろ、まったく欲望が感じられないことで、少し落ち込んでいるくらいだ。

 まぁいい。地獄の業火(ヘルファイア)の最初の一節を、三重詠唱でやってみる」

「それが、あの攻撃魔法の名前なのかね?」


「ああ。私が勝手につけた仮の名前だがな。正式名称は、国から新魔法として認定され、登録される際に決まるんだ。

 では、やるぞ」


 サシャは目を閉じて深呼吸をした。

 彼女の集中が高まり、体内で魔力が螺旋状にせり上がってくるのが分かる。

 こうして間近で感じると、体外に漏れる魔力だけでも大変な量だった。


 やがて彼女は口を開き、不思議な不協和音を紡ぎ出した。

 はっきり言って、耳障りのよいものではなかったが、音楽的であることだけは確かだった。


 エルフの魔法呪文は、意識せずとも和音で構成される歌となる。

 サシャが口にした旋律は、神聖語の呪文を無理やり三つ重ねたもので、調和はまったく考慮されない粗削りなものだ。


 彼女はこの複雑な発声を、自分ひとりで編み出し、それを会得したのである。

 私は種族の者たちから魔法の天才と称賛され、それをもって王に就任した。

 だが、本物の天才とは、このサシャ・オブライエンという人間の方ではないか……私はそう思い始めていた。

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[良い点] 一人で三和音出すとかこの世界の人間のノドどないなっとるんや ホーミーもびっくりの特殊発声法w
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