四十九 祖父母
採掘工房長は自らの言葉に感動し、ぷるぷると震えていたが、エイナはその臭い演技に付き合う気はなかった。
「隧道周辺から掘り進めたのなら、その跡をたどればよさそうですね」
ストーリンはエイナがのってこないと見るや、すぐに真顔に戻る(やや不満そうではあったが)。
「いや、作業用の横穴は、工事の完成後に完全に埋め戻したからな。
今ではもう、何の痕跡も見つけられまい」
「要するに、秘密の入口を見つけて開けるしかない……ということですね?」
「そういうことじゃ」
工房長は髭をしごきながら、大きくうなずいた。
『できるものならやってみろ』という顔だった。
* *
エイナはいったんグリンの家に戻り、メイリンに世話になった礼を述べた。
まだ昼前だったので、すぐにでもエルフの森に引き返すつもりだったのだが、メイリンはそれを許さなかった。
エイナとロキの前には山のような昼食が出され、それを食べずに出発することはできそうになかった(残した分はお弁当にして、荷物の中に突っ込まれた)。
どうにかメイリンたちに別れを告げた数時間後、エイナは隧道を抜け、再び西の森に入った。
お約束のように彼女の行く手に警告の矢が射ち込まれ、見張りのエルフが姿を現す。
エイナはそれを待っていた。
「見張りの人は、青森族の方なのですよね?」
「もちろんだ。それがどうかしたか」
「では、女王様の母方のご実家をご存じのはず。
そこを訪ねてみたいのですが……」
「▲×&=#+◎の家をか?」
見張りは少し意外そうな表情を浮かべた。
▲×&=#+◎の部分はエルフ語らしく、エイナには聞き取れない。
「そなたは王の客人だからな、まぁよかろう」
エルフはそう自分を納得させ、指笛を吹いた。
すぐに別のエルフが降ってきた。樹上でエイナを見張っていたのだろう。
まだ少年の面影を残した、ほっそりとした美しい男の子だった。
見張りの人は、彼にエルフ語で何事かを指示したのち、エイナの方に向き直った。
「私はここを離れるわけにはいかないので、この者に案内を申しつけた。
そのオオカミに乗せてやってくれ」
もちろんエイナに異存はない。
ロキはもう十歳を超しており、父親のトキよりも大きくなっていた。
小柄なエイナに、細身のエルフが加わったところで、どうということもない。
エルフの少年は、三メートルを超す巨大なオオカミをまったく恐れず、ひょいとエイナの前に飛び乗ってきた。
「あっちの方だよ、人間」
彼は白い腕を上げて森の奥を指さした。
「確かに私は人間だけど、エイナっていう名前があるの。次からはそう呼んでくれる?」
「わかった人間……じゃなくて、エイナだね」
少年は肩越しに振り返り、にかっと笑ってみせた。
「あなたはどう呼んだらいいのかしら?
エルフの名前は私たちでは発音できないし……」
「エイナの好きに呼んで構わないよ」
「そうね……じゃあ、ユリアンと呼んでもいいかしら?」
「ユリアンかぁ。うん、まぁいいよ。これからは人間にはそう名乗ることにしよう」
彼はどことなく嬉しそうだった。ユニが『エルフは人間風の名前を喜ぶ』と言っていたが、本当のようだ。
「ちなみに、ユリアンってどういう意味なの?」
「意味なんてないわよ。大昔の聖人の名前ね」
「ふ~ん」
少年の問いをはぐらかしたものの、ユリアンという名前は、エイナが幼いころに憧れていた王子様の名前だった。
白馬に乗って颯爽と現れ、お姫様を窮地から救い、最後には結婚をするという、よくあるたわいもない絵物語の登場人物である。
エルフの美少年を見て、反射的に思い浮かべた名前なのだが、もちろんそんな恥ずかしい理由は言えなかった。
ユリアンの指示に従い、ロキは森の中をかなりの速度で駆け抜けた。
オオカミの騎乗は初めてのはずだが、彼はエイナよりも上手に乗りこなしていた。
二人乗りになるから、エイナはどうしても後ろから彼に密着して、腕で抱き挟む姿勢となる。
彼女はちゃんと服を着ているのだが、薄着のユリアンの背中に自分の胸を押しつけてしまうのが、ものすごく恥ずかしかった。
エルフの少年は、まったく気にしていないようだったが、エイナは一人で赤面していた。
ユリアンの指示で、三十分ほど森の中を走ったであろうか、ふいに少年は「ここだよ」と叫んだ。
エイナは前掲していた上体を起こした。そうすると、ロキの体毛を掴んでいる両手を引っ張ることになるが、これは『止まれ』の合図となる。
ロキがぴたりと停止し、エイナは周囲を見回したが、それまで走り抜けてきた森の眺めと、何ら変わりはない。
背の高い巨大な針葉樹と、枝葉をいっぱいに広げている広葉樹、そして柔らかな下草が地面を覆う、美しく管理された森だ。
「この辺に青森族の村があるの?」
エイナは少し不安にかられてユリアンに訊ねる。
「僕らエルフは、人間やドワーフみたいに、ごちゃごちゃ固まって暮らさないんだ。
一応、何となく集まってはいるけど、みんな自分の気に入った木の上で、ばらばらに家を造るんだよ。
人間の目には、ここが村だって分かんないだろうね。
ほら、エイナが探している家は、その左手の大きなカシの木の上だよ」
ユリアンはそう説明して、ロキの背から滑り降りた。
エイナも彼に倣って地面に降り、頭上を覆う木々の枝を仰ぎ見た。
すると、ユリアンはエイナの前に回ってしゃがみ、両手を後ろに伸ばして「ほら」と促した。彼の背におぶされという合図だ。
「えっ、えっ、なんで?」
狼狽える彼女に、ユリアンは振り返って口を尖らせた。
「だって、人間はまともに木登りができないんでしょ?
どうやって登る気なのさ」
「そっ、それはそうだけど……」
エイナはやはり躊躇したが、ユリアンが後ろに差し出した手でぴょこぴょこ招くので、仕方なく彼の首に手を回しておぶさった。
ユリアンはエイナの太腿を抱え込んで、軽々と立ち上がった。
彼の背はエイナより少し高いが、体重はあまり変わらなそうに見えた(ひょっとしたら、エイナの方が重いかもしれない)。
「しっかり摑まっていてね」
彼はそう言うと左手だけでエイナのお尻を支え、するするとカシの木に登り始めた。
一体どうすれば片手で木に登れるのか不思議だったが、実際にユリアンはするすると登っていく。
そして、かなり高い位置にある大枝に飛び移ると、エイナを背中から下ろしてくれた。
下から見上げると、繁った葉(カシ類は冬でも葉が落ちない)に遮られて見えなかったが、大枝が二又に分かれているところに、こぢんまりとした小屋が乗っていた。
ユリアンは平地を歩くように大枝の上を歩いていくが、エイナの方は腰が引け、サーカスの綱渡りのような危うさでそろそろと跡をついていく。
不思議なことに、彼が枝を渡ってもほとんど揺れないのに、エイナがユリアンの服の裾を掴んで進むと、枝がしなって上下してしまう。
『私って、そんなに重かったのかしら?』彼女は落ち込まざるを得なかった。
「お客さんを連れてきたよ~。
この間、森に入った人間の一人で、エイナっていう名前だってさ」
ユリアンが小屋の入口にかかる簾に顔を突っ込んで、中にそう伝えた。
ずいぶんと不躾だが、エルフの間ではあまり問題にしないらしい。
「あらまぁ、人間がうちに? それは珍しいわね!」
女性の声が聞こえ、簾を撥ね上げて、住人とおぼしきエルフが出てきた。
「じゃあ、確かに案内したからね! おいらは見張りに戻らないと」
ユリアンはその言うと、枝からひょいと飛び降りた。
この大枝は、地上から六、七メートルはあるはずなのに、彼はまったく躊躇しなかった。
『私、ここから降りる時にどうするのかしら?』
エイナはそんな不安を抱えながら、手招きするエルフの女性に摑まって、どうにか小屋の中に入った。
* *
中に入ってみると、エルフの住居は意外に快適であることが分かった。
何より、平らな床が存在しており、足もとに不安がないのがありがたい。
床の上には絨毯が敷かれていているが、感触からすると板を渡しているようだった。
エイナを誘ってくれた女性のほかに、部屋の中には椅子に座った人物もいた。
見た感じ、痩せて背の高い中年の男性で、足が悪いのか、エイナが入ってきても席を立たず、ただ笑顔で片手を挙げて歓迎の意志を示していた。
落ち着いて見ると、女性の方は最初の印象(若い女性に見えた)よりも、そこそこの年輩であることが分かった。
とは言っても、人間で言えば三十代後半といったところである。男性の方は四十代半ばといった感じだ。
エイナは戸惑った。彼女はエルフの見張り人に、アッシュの祖父母の家に行きたいと頼んだはずだった。
この小屋には、目の前の男女二人しかいないようなのだが、彼らはどう見ても老人には見えない。エイナはユリアンが、案内すべき家を間違えたのだと思った。
「えと、あの……私、エイナと言います。
リスト王国のレテイシア女王の使いとしてこの森を訪れた者ですが、アッシュ女王の、その……祖父母の方を訪ねてきたのです。
お家の中まで入っておいて、こんなことを言うのも失礼だと思うのですが、ご存じでしたら教えていただけないでしょうか?」
エルフの女性は可愛らしい仕草で小首を傾げた。その仕草と表情には、妙に見覚えがあった。
「え~と、〝アッシュ〟っていうのは、エルフ王のことなのよね?」
「あ、はい! 失礼しました。
私たち人間には、エルフの名前が発音できないので、そのように呼ばせていただいています」
「それなら、あなたは別に間違っていないわ。
アッシュちゃんは、私たちの娘、確か人間の名前でウィローって言ったわよね?
そのウィローの娘で、私たちからすると孫娘に当たるのよ」
「えっ? では、あなたたちがその……アッシュ女王のお婆さまとお爺さまなのですか?」
「そうよ。何か変かしら?」
「いえ、その。とてもお若く見えるので、少し驚いてしまって……」
「まぁ、嬉しいことを言ってくれるのね!
これでも私、もう二千六百歳を超えているのよ。旦那の方は三千歳、立派なお爺ちゃんよ」
「そうでしたか、ウィロー様とは、数日前にお会いしております。
とても成人した娘をお持ちとは思えないほど、とても可愛らしいお方でした。
その時点で、私はエルフの方々に対する認識を改めるべきでした。反省します」
「まぁ、いいのよ。
とにかく、かけてちょうだい」
アッシュの祖母は、藤で編んだ椅子を部屋の隅から持ってきて、テーブルの前に据えてくれた。
「ちょっと待っててね、すぐにお茶をお出ししますから」
彼女はそう言って、奥の間に引っ込んでいった。
やはり蔦と小枝で編んだ簾で仕切られてるが、奥は台所らしい。
エイナは勧められた椅子に腰かけ、部屋の中を見回した。
行儀が悪いと気が引けたが、エルフの住居に入ったのは初めてで、好奇心には勝てなかったのだ。
壁は床と違って板張りではなく、太い枝を蔦で編んであり、隙間から光が入ってくる。当然、風通しがよいのだが、不思議と部屋の中は暖かい。何かの魔法がかかっているのかもしれない。
二段ベッドが部屋の三分の一を占め、残りの空間の中央にテーブルと椅子が置かれている。
そのほかの調度といえば、小さな箪笥がひとつだけで、おかげであまり窮屈さは感じなかった。
「まぁ、楽にしなさい」
テーブルを挟んで、エイナの向かいに座っていたエルフが、初めて口を開いた。
エイナは慌てて視線を彼の方に戻した。まだ挨拶すらしていないことを思い出したのだ。
「えとあのっ、私はエイナと申します。
ウィロー様から、お爺さまはお身体の調子がすぐれないとお聞きしています。
おかげんはいかがですか?」
「うむ、少し膝が痛む程度で、そう問題はない。
つい先日まで娘が来てくれていてな、お陰でだいぶ調子はよいのだ。
ところで、その〝お爺さま〟というのは、あまり愉快な呼び方ではないな」
「失礼しました! では、どのようにお呼びしたらよいでしょうか?」
「そのことだ。
私としても君が名乗った以上は、自らの名を名乗りたいところだが、エルフ語では通じまい。
ウィローやアッシュもそうだが、人間は私たちに名をつけてくれると聞いている。
実に面白い習慣だ。いやはや、まったく興味深いな!」
彼はもったいをつけながら、ちらちらと視線をエイナに送ってくる。
どう見ても、エイナに名前をつけてもらいたくて、わくわくしている顔である。
エイナが半ば呆れながら口を開こうとすると、簾を撥ね上げ、アッシュの祖母が顔を突き出した。
隙間だらけのこの住居では、二人の会話は素通りなのだ。
「ずるいわよ、あなた!
エイナちゃん、今お茶を持っていくから、ちょっと待ってちょうだいね!
くれぐれも早まっちゃ駄目よ!」
エイナには、エルフたちが何故ここまでに名付けにこだわるのか、どうしても理解できなかった。
それはともかく、二人の様子からして、この場でふさわしい名前をつけずに済ますことは不可能に思えた。
女王の祖父母であることを考えると、うかつな名前を付けては外交問題になりそうだった。
エイナは追い詰められたのである。