四十八 採掘工房
翌日、エイナはイーリン・エーリン姉妹の案内で採掘工房を訪ねた。
他の工房とは違い、採掘工房はかなり深い階層に事務所を構えていた。
ドワーフたちが居住するエリアは、山の三合目あたりに掘り広げられているが、採掘工房のある階層は、ほぼ地上と同じような高さに位置しているのだ。
そこに至るには居住区からではなく、エルフの森に通じる隧道から降りることとなる。
もともと隧道は、自然にできた溶岩洞の一部を拡幅・整備したもので、洞窟自体は複雑に分岐しながら、かなりの深度までつながっている。
高低差がある場所には階段があるのだが、それでは効率が悪いので、実際にはゴンドラを使って垂直昇降している。
ゴンドラは一度に十数人が乗ることができ、滑車を介した鎖で吊り下げられている。これを人力で動かすのである。
ちなみに、地下深くで覚醒した魔龍は、餌となるドワーフの臭いをたどって、この溶岩洞を這い上ってきた。
魔龍が隧道に出現したのは、そういう事情があってのことだ。
エイナたちも、このゴンドラを何台も乗り継いで、数百メートル下の採掘工房エリアまで降りていった。
約束も何もしていないから、工房長に会えるかどうか心もとなかったが、幸いなことに彼は事務所で打ち合わせ中であった。
「何だ、グリンのとこの双子か。それに、おお! エイナ殿ではないか!
いやいや、魔龍の件では世話になった。わしは大いに感謝しておるのだぞ。
来るならそうと、ひと言知らせてくれればのぉ……、山ほどの馳走を用意して歓迎したぞ。
まぁ、座れ! なに、打ち合わせは後でもできる。気にするな」
ストーリンはエイナの顔を見るなり相好を崩し、両手を広げて歓迎してくれた。
彼は工房が用心を怠り、魔龍を目覚めさせてしまったことを引け目に感じていたから、戦士団長とともに魔物を倒したエイナに恩義を感じるのは当然であった。
彼はドワーフにしては珍しく痩せており、背も割と高かった。長い髭は真っ白で、顔には深い皺が刻まれ、積み重ねた年齢と経験を物語っていた。
双子の姉妹は「あたしたちは案内しただけだから」と言って、席にはつかずに事務所を出ていった。
話の邪魔をしないためでもあるが、厨房で労働者たちの昼食づくりを手伝う気らしい。
彼女たちはまだ成人前だが、料理上手で名高いメイリンに仕込まれているだけあって、ドワーフのかみさん連中からも、その腕には一目置かれていた。
二人は、そろそろ働きに出ることを検討しており、偵察を兼ねてあちこちの調理場に顔を出しては手伝っていたのだ。
「焼酎でも飲むか?」
エイナが席に着くなり、ストーリンが当たり前のように訊いてくる。
ドワーフとしてはそれが礼儀なのだが、昨夜うっかり強烈な一杯を飲んで、まだ少し頭が痛いエイナは慌てて断った。
「何じゃ、つまらん娘だのぉ。
それにしても、お前さんはエルフの森に行ったはずだろう?
山に戻ってきて、しかもこんな地下まで訪ねてくるとは、ただならぬ用件なのじゃろう。違うか?」
エイナは生真面目な顔でうなずいた。さすがに職人集団を束ねる長だ。話が早いのは助かる。
彼女はストーリンに、爆裂魔法の手がかりを探していることを説明した。
「……そんなわけで、私は先代のエルフ王ネクタリウス様の研究室を探しています。
そこには、彼が書き残した膨大な研究成果が保管されているはずなのです。
そしてその中には、先王が人間に教えた爆裂魔法についても、何か記されている可能性があります。
いま分かっているのは、二百年前、彼に協力していた若いドワーフがいたということだけです。
私はそのドワーフが、先王のために秘密の地下室を掘ったのではないかと睨んでいます。
この採掘工房に、彼のために働いていたドワーフがいるかもしれません。工房長のお力で、ぜひ調べていただきたいのです!」
ストーリンはエイナの話を黙って聞いていたが、その表情が次第に厳しくなっていった。
彼は白い髭をしごきながら、ゆっくりと首を振った。
「工房の者たちを調べろとな? ……その頼みは聞けんな」
予想外の拒絶の言葉だったが、諦めるわけにはいかなかった。
「部下の方々の事情を詮索したくないというお気持ちは分かりますが、そこを曲げてお願いします!」
目に涙を浮かべて自分の腕を取る人間の娘を、ストーリンはじっと見据えた。
「エイナ殿。そなたは何か勘違いをしているようじゃな」
「え?」
「わしは工房の者たちを調べる必要はない、と言っただけじゃ。
なぜなら、先代の〝エンデ・ラ・イーリン〟(ドワーフ語でエルフ王のこと)のために働いた若いドワーフとは、わしのことだからの。懐かしい話じゃ」
「えと、あの……では、工房長が先王の研究室を造ったのですか?」
ストーリンはうなずいた。
「いかにも。そなたが推測したように、わしは王の望みに応じて地下室を掘った。
誰にも知られぬ秘密の部屋じゃ。
あのころ、わしはまだ成人したばかりの若造だったが、我ながら見事な出来だと思っている。
なにせ、先王が出奔されて数十年、多くのエルフたちがいくら探しても、いまだに発見されておらんのだからな」
「その地下室は、どこにあるのですか?」
「それは言えん」
「えっ、でも……」
「それとこれとは話が別じゃ。
わしは先王と約束をした。地下室の場所は、決して誰にも話さないと。
例えこの身を引き裂かれようとも、家族を目の前で殺されようとも、教えるつもりはない」
エイナの目から、涙がひと粒零れて頬を伝い、ストーリンを狼狽えさせた。
「待て待て、どうも人間というのは性急でいかん。わしが秘密を誓ったのは、あくまで研究室の場所じゃ。
実を言うとな、先王はその部屋が、いずれは誰かに発見されることを覚悟しておった。というか、むしろ期待していたようじゃったな」
「どういう……意味でしょうか?」
「それがのぉ……。何と言うか、先王はかなり面倒臭い性格をしておってな。
おぬしは何か聞いておらんか?」
「えと、あの、ユニさんからいろいろ。
プライドが高い上に自意識過剰だと……」
「ああ、まさしくそのとおりじゃ!
先王は自分が書いた物を、本当は誰かに読んで欲しくてたまらないようじゃった。それなら隠さなければよいのに……と思うのだがのぉ。
それが証拠に、わしに場所を言わないと誓わせておいて、その件で誰かがわしを訪ねてきたら、場所以外は何でも教えてかまわんと言う。
その上、ある手がかりを与えよ、との指示もしておったのじゃよ」
「場所がどこかというヒントですか?」
「そうではない。
どうもわしは先王が思っていた以上に、完璧なものを造ってしまったらしい。
例え場所が分かったとしても、中に入るにはある仕掛けを動かさなくてはならん。
自慢じゃないが、あの仕掛けを破る者は、千年経っても現れんじゃろう。
先王は、それでは困ると思ったらしくてな、わしを訪ねてきた者に、その仕掛けを作動させる〝鍵〟を教えるように言い残したのよ」
「あ、何か聞いているだけで面倒臭い人だっていうのが……」
「なっ、分かるじゃろう?」
「それで、その鍵って何ですか?」
「うむ、よっく聞くのじゃ。いいか?
それは『…………』じゃ」
ストーリンはエイナの耳に口を寄せ、小さな声でその言葉を伝えた。
だが、エイナにはその意味が理解できない。
「その……それって、何かの呪文ですか? 『開けゴマ』的な?」
「教えていいのは、この言葉だけじゃ」
止むを得ない。エイナは取りあえず、軍服のポケットから野帳を取り出し、その謎めいた言葉を書き留めた。いまは研究室の場所を探る方が先なのだ。
「それで工房長、研究室建造の経緯を伺ってもよろしいですか?」
「おお、よくぞ聞いてくれた。
そっちの事情は自由に話してよいことになっていたのじゃが、そなた以外に今まで誰一人訪ねてきた者がおらんのでな。
話したいのに話せないというのは、なかなかに辛いものじゃぞ。まぁ、茶でも飲んでゆっくり聞いてくれ」
「はぁ……」
そう言えば、ストーリンはやたら話好きで、しかもそれが長いのであった。
* *
「今から二百年前の話じゃ。わしには一人妹がおってな。母親と三人家族じゃった。
父親も採掘工房で働く坑夫じゃったが、わしが物心がつく前に、大きな落盤事故で亡くなっておった。
こうした場合は工房から補償が出るし、親戚からの援助もあった。とはいうものの、補償は一時的なものだし、親戚の援助も微々たるものだ。
ドワーフの女、特に母親というものは逞しいからな。普通なら、働いて家計を支えるのだが、わしの母にはそれができない事情があった」
「妹はわしと三十六歳違いだったが、生まれつき障害を持っていてな。下半身が麻痺していて、自力で動かせなかったのじゃ。
母親はその世話のため家を出られず、大した稼ぎにならない内職程度のことしかできなかった」
「妹が生まれた時には、わしは成人してはいなかったが、もう採掘工房で見習いとして働いておった。
もちろん、稼ぎは全部母に渡していたし、非番の日には妹の面倒を見るから、母に気晴らしに外に出るように何度も勧めたものじゃ。
だが、母はわしが妹の世話をすることを許さなかった。
少女になっていた妹は、身の回りのことは大体自分でできるようになっていたが、排泄と入浴は介助が必要じゃった。
いくら兄妹とはいえ、〝男にそれをさせるわけにはいかない〟と言って譲らなかったのだ」
「若かったわしは悩んだ。妹のこともそうだが、快活な母が外に出ることを諦めて家に閉じ籠っていることが、どうしても不憫でならなかったのだ。
わしらドワーフは、自分たちでは手に負えない怪我や病気に襲われた時、エルフの治癒魔法に頼る。
じゃが、妹の障害は生まれつきのものだから、母はエルフに相談することすらしなかった」
「だから、わしはある日、思い切って妹を背負い、家出同然でエルフの森に向かった。妹も同意してくれたのでな。
エルフたちの治癒魔法にも限界があることは分かっていた。だが、王の魔力は一般のエルフたちを遥かに凌駕しておった。
わしらがエルフの王を指して〝エンデ・ラ・イーリン〟と呼ぶのは、ドワーフ語で〝癒しの手〟という意味なのじゃ。
わしはエルフ王ならば、妹の足を治してくれるのではないかと、一縷の希望を抱いて森をさまよった」
「エルフたちは許可なく森に入ったわしと妹を見逃さず、二人はあっという間に捕らえられた。
だが、彼らはエルフでありながら、隣人である寂寥山脈のドワーフに同情してくれた。わしら兄妹は、青森で拘束されておったが、連絡を受けた当時のエルフ王が、わざわざ診にきてくれたのじゃ」
「本当にありがたいことで、わしは涙を流して感謝した。
しかし、王はわしの妹を診て、悲しそうに首を振った。やはり王の力をもってしても、妹の足を治すことは叶わなかったのじゃ。
ただ、王は何かを思い出したように、わしらをそのまま止め置いた。
そして、わしらの前に連れてこられたのが、先王――おぬしたちが呼ぶ、ネクタリウス様だったのだ」
「ネクタリウス様は当時、数人いる王の巫子(後継者)の一人であったが、あまりに卓越した魔法の才が知れ渡っており、次期エルフ王になるのは確定的と思われていた。
巫子様は王の命に対し、数日の猶予を願い出た。
その間に、彼がどんなことをしたのかは分からないが、再び姿を現したネクタリウス様は、エルフ王も知らない呪文と生薬を与え、妹は下半身を動かせるようになったのじゃ」
「わしは死ぬほど喜び、ネクタリウス様に感謝を捧げた。
当然のことだが、わしはその治療に報いるだけの財産など持っていない。
巫子様は『気にするな』と言ってくれたが、わしは一生をかけてでも、この恩に報いることをその場で誓ったのじゃ」
「妹の麻痺は治ったとはいえ、生まれて何十年も動かしていない足は、すっかり筋肉が衰えていて、歩くことなどできなかった。
妹を背負って家に戻ってからが、妹にとっての真の地獄じゃったよ。
彼女は筆舌に尽くしがたい痛みと戦いながら、必死にリハビリに取り組んだ。
結局、どうにか歩けるようになったのは、三年後のことだったが、母とわしの喜びは言わずともわかるだろう」
「わしは採掘工房で働きながら、休みの日はネクタリウス様に仕えることに費やした。
彼はドワーフの歴史や、専門的な技術書にも興味を示していて、わしはそうした書物を頭を下げまわっては借りてきて、彼のもとへと届けたのじゃ」
「やがて、ネクタリウス様がエルフ王に就任すると、王はわしを呼び、誰にも知られない秘密の研究室を造りたいという希望を打ち明けたのじゃ。
わしは喜びに打ち震えた。今こそ妹を治してくれた恩に報いるときだと分かったからだ」
「わしは寝る間も惜しんで設計にうち込んだ。
エルフの森において、人に知られないような部屋を造るとすれば、それは彼らの目が届かない地下しかない。そのことはすぐに分かった。
しかし、西の森はエルフの庭のようなものだ。そこでドワーフが穴を掘ったら、瞬時に見つかって問い糺されるじゃろう。
だからわしはエルフの結界の外側、すなわちわしらの領土である山の中からトンネルを掘り進み、地下室を造ることを思いついた。
森の結界が全周結界ではないのは分かっていた。地中五メートル程度に通路を掘り進めれば、容易に森の中に侵入できる」
「わしは万全の準備を整えて計画を実行し、エルフの森の地中に、人知れず立派な地下室を造りあげた。
書物を収納することを考え、壁、床、天井をすべて防水性の漆喰で塗り固め、染み込む地下水を排するシステムも完備した。
さらに外壁の内側に内壁を設けて、その隙間には吸湿用の炭を詰め込んだ」
「あとは地下室に出入りするための通路を、どうするかが問題だった。
地上まで穴を掘るのは簡単だが、うかつに出入口を作ったら、あっさり見つかるのが必定じゃ。
ネクタリウス様は、それを幻術魔法で隠すことを提案されたが、そんなものに頼ったら、わしの敗北を意味する。
そこで、わしはある工夫を思いついた。
ドワーフらしく、機械的な仕掛けを施し、それを知る者以外の目には、ただの自然物にしか見えないという出入口を作り上げたのじゃ」
ストーリンは天井を仰いで叫び、感極まって落涙した。
「あれこそは我が畢生の傑作! 誰であろうと気づくはずがないっ!」
エイナにとっては、まったく迷惑な話であった。