四十五 暗中模索
「……と、大見栄を切ったわけだけど。
あんた、何か見当がついているわけ?」
シルヴィアが少し呆れ気味に問いかけた。
エイナはぷうっと頬を膨らませる。
「そんな都合よくいくわけないでしょ。
私は先王のことも、この森のことも、まだ何も知らないのよ」
女王謁見の翌日、エイナたちは宿舎のテーブルを囲んでいた。
ユニとエイナ、シルヴィアは当然として、そこにはアッシュの姿もあった。
シルヴィアは、すましてお茶を飲んでいるエルフにも訊ねた。
「朝からこんな所にいて大丈夫なんですか?
女王様なんですから、公務とかいろいろ予定がおありでしょうに。
それに、警護やお付きの方がいないのは、いろいろとまずいと思いますけど」
「心配はいらない。エルフの王は基本的にやることがないのだ。
王の役目は外交と十二部族の調整役であって、内政は各部族の族長に任されているからね。
私たちは寂寥山脈のドワーフを除いて、他国と交わることが皆無に近い。君たちの訪問はまれに見る椿事なのだよ。
それに、エルフというのは閉鎖的な種族でね。部族同士でも付き合いが薄い。私が調停に出るような揉め事自体、めったに起きない。
言ってみれば、王とはこのティアラのようなものだ」
アッシュはそう言って頭からティアラを外し、ころんとテーブルに投げ出した。
乱暴な扱いに、エイナとシルヴィアはぎょっとして、宝冠を取り上げた。
そして、ハンカチをテーブルに敷き、その上にそっと置く。
持ってみると意外なほど軽く、間近で見ると恐ろしく凝った細工と美しい宝石で飾られているのが分かる。
多分、これひとつで小さな国が買えるほど、恐ろしく高価な代物なのだろう。
「それはミスリル製だからね、壁に叩きつけても傷ひとつ付かないよ。
王の権威を表すという意味では必要なものだが、実用的な役には立たない。
エルフの王と同じだよ」
アッシュは自嘲的な笑みを浮かべ、そう言い放った。
「それに、私は君たちの捜査に興味がある。
君たちだって、私がいた方が何かと助かるだろう?」
「もちろんです。アッシュ様にお出でいただいたことには、心から感謝いたしております」
頭を下げたエイナのつむじの辺りを、アッシュが指で弾いた。
「そう畏まるな。それに、まどろっこしいから、普通に話せ。
ユニなど、一度も私を様づけで呼んだことがないぞ」
ユニはそっぽを向いて『あら、そうだったかしら?』という顔をしている。
エイナはうなずいたが、一国の女王を呼び捨てにはできそうもない。
「では、そういうことで話を進めさせていただきます」
彼女は真面目な顔で咳払いをした。
「その前に、ひとつ伺っておきたいことがあります。
そもそも先王が、何故イゾルデル帝国へ亡命したのかが分かりません。
彼と帝国に、何かつながりがあったのでしょうか?」
「具体的なことは分からないが、伯父上が帝国と何らかの関わりを持っていたことは、まず間違いないだろう。
今から四十年ほど前の話だが、この森をある帝国人が訪ねてきたことがある。
サシャ・オブブライエンという名の女で、魔導士であった」
「帝国の魔女ですか!?」
エイナが思わず声をあげる。
驚く彼女とは対照的に、シルヴィアは首を捻った。
「待ってエイナ、帝国の魔女って言ったら、ミア・マグス大佐じゃないの?」
「そうだけど、マグス大佐の前はサシャがそう呼ばれていたの。
魔導士なら知らない者はいないわ。帝国の歴史上唯一、女性で元帥にまで昇りつめた伝説の大魔道士よ。
もうとっくに亡くなっているはずだけど」
エイナが説明をすると、ユニが口を挟んだ。
「あら、サシャならまだ生きているわよ」
「まさか! もし本当なら、百歳を超していることになりますよ?」
「うん、正確な歳はあたしも知らないけど、百二十歳近いんじゃないかしら?
信じられないかもしれないけど、今でも帝国の高魔研(国立高度魔法研究所)の最高責任者をやっているわ。
一応、現役は引退したって話だけど」
「ほう……人間でも、それほど長命な者がいるのか?」
アッシュは興味をひかれたようにユニに訊ねる。
「彼女の場合は特殊な例だと思うわ。人間の平均寿命は六十歳に満たないもの。
ただ、サラーム教圏の呪術師の中には、百歳を超す化け物が何人かいるらしいわ」
「そうか、道理でな。
サシャは西の森に半月ほど滞在していたが、確か当時でも七十代だったはずだ。
私も人間が珍しくて、何度か覗きにいったが、どう見てもそんな年寄りには見えなかったという記憶がある。
魔力が寿命に影響するという話はあり得るが、それにしてもな……」
考え込むアッシュを、エイナが現実に引き戻した。
「サシャが一線を退いた後、十二年にわたる大旅行をしたことはよく知られています。
サラーム教諸国や南方の黒人国家にも渡ったと聞きましたが、エルフの森にも来ていたのですね。
でも、よくドワーフが彼女を通したものですね?」
「ああ、サシャは『私はエルフ王の知り合いで、再び会う約束を果たしに来た』と説明したらしい。
驚いたドワーフは、すぐにこれを知らせてきたのだが、伯父上は丁重に案内するよう彼らに依頼したと聞いている」
「ということは、先王はそれ以前にサシャと会っていたということになりますね?」
「ああ。恐らく伯父上は帝国に行ったことがあるのだろうな」
エイナは首を捻った。
「エルフは滅多に森から出ないのでは?」
「普通はな。だが、王やその後継者である巫子は例外なのだ。
王が外交を担うからには、世界の情勢を知らなくてはならんし、私たちが監視している、何か所かの〝歪み〟の視察も必要だ。
だから、後継者候補に指名された者たちは、定期的に国外に出て見聞を広めることになっている。
王となってからも、十年に一度は長期の視察に出る。
先王はそうした旅でサシャと知り合ったのだろうが、詳しいことは誰にも話してくれなかった」
先王と帝国の関係については、それ以上の話は出なかった。
彼の亡命に、サシャ・オブライエンが関係しているらしいことは分かった。
サシャが魔導士であることから、王はエルフの魔法を伝えるために、神聖文字の復活に取り組んだのだろうという予想もついた。
ただ動機は分かっても、それが研究拠点を見つける手がかりになるかと言えば、別問題である。
エイナは、横道に逸れてしまった話を元に戻した。
* *
「では、状況を整理しましょう。
先王の研究室がこの西の森にある――これを大前提とします。
ですが、彼が失踪して何十年も経つのに、いまだに発見されていません。
よほど巧妙に隠されているのか、エルフが考えつかない場所にあるか、どちらかだと思います」
ユニが手を挙げた。
「強力な結界で隠している可能性はないの?」
だが、アッシュは首を横に振る。
「ないな。結界は幻術で探索者の感覚を騙すか、物理的に侵入を拒むか、あるいはその二つの組み合わせとなる。
どちらにせよ、結界を発生させ、かつ維持するには、継続的な魔力の供給が必要だ。
伯父上は強大な魔力の持ち主だが、さすがに数千キロ以上離れた帝国から、この森に魔力を送ることはできまい。
あるいは、事前に魔力を大量に溜め込んだ宝具を仕掛けておくことも考えられる。
ただその場合は、確実に私たちエルフに感知されるだろうな」
「その宝具って、もしかして魔石のことですか?」
シルヴィアが訊ねた。
「そうだ。私も以前は持っていたが、伯父上と戦った時に使ってしまった」
「そうなのですか……」
シルヴィアは肩を落とした。
ユニはその時のことを、鮮明に思い出せる。
死にかけたアッシュが魔石を使って復活したのだが、その回復力は吸血鬼の力そのものだった。
魔石は別名〝魔神の心臓〟とも呼ばれる、極めて危険な存在だということを、ユニはよく知っていた。
彼女はその秘密を、誰にも話していなかった。
魔石の正体がユニの想像どおりなら、黒蛇ウエマクが言ったように、人が手にしてよいものではない。
シルヴィアは何も知らずに、ただ手に入れた魔石を無邪気にカーバンクルに与えている。
その結果がどんな事態を招くのかは、考えないようにしていたのだ。
シルヴィアは気を取り直した。
「じゃあ、エイナが言ったもうひとつの可能性はどうなの?」
「エルフが考えつかない場所ってこと?」
「そう。森の中ならエルフは隅から隅まで知っているんでしょう?
だったら、研究室は西の森の範囲内だけど、森の中じゃないってことになるわ」
「具体的には?」
「そりゃあ……えーっと、空の上とか、地の底とか?」
アッシュが笑い出した。
「面白い意見だが、あり得んな。
確かに重力魔法や風魔法を使えば、一時的に空を飛べるし、物を浮かせることもできる。
それを空中に固定し、なおかつ下から見えないように、幻術をかけたままにするのは、結界を作るよりも難しいぞ。それこそ魔石がなくては、どうにもならんだろう。
地下に関しては言わずもがなだ。エルフが穴を掘って地中に潜るなど、想像しただけで腹がよじれそうだ」
エイナが少しむっとした顔をした。
「私たち人間は食糧の貯蔵庫として、地下室をよく作りますが、エルフはそうではないのですか?」
「ないな。私たちが樹上生活をしているのを忘れたのか?
真面目な話、エルフにとって地下は不浄の地、地下の研究室など論外だな。
大体、森で穴掘りなんかしてみろ、あっという間に誰かに見つかるぞ」
「例えば、地下迷宮とか洞窟に入る必要が生じたとしても、エルフは中に入れないのでしょうか?」
「そういうわけではない。まぁ、必要に迫られれば、我慢くらいするさ」
「はぁ……」
エイナはすっかり考え込んでしまった。
手がかりはどこにも見つからず、推理は完全に袋小路に入っていた。
エイナだけではない、シルヴィアもユニも、そしてアッシュまでも黙り込み、所在なく冷めたお茶を啜るばかりである。
とうとう沈黙に耐えかねたユニが、強引に話題を変えた。
「そういえば、アッシュのお母さまに変わりはない?
前に来た時にはずいぶんお世話になったから、お会いしたいわ」
「ああ、お陰さまで元気にしているが、今は留守にしているぞ。
帰ってくるのは明後日の予定だ」
ユニは首を傾げた。
「留守って、どこかに出かけているの?」
「ああ、実家のお爺様の見舞いだ」
「あら、それは大変ね。どこかお悪いの?」
「いや」
アッシュは苦笑交じりに首を振った。
「〝娘に会いたい病〟だよ。
いたって元気なんだが、母上に会いたくなると発症するという、困った病気だ」
ユニもほっとして笑い出した。
「それは難儀な話ね。
たしかお母さまは、よその部族だったわよね?」
「ああ。うちは黒森族だが、母上は青森族の出身だよ」
それはごくありふれた世間話だった。
だが、うつむいていたエイナは、ハッとしたように顔を上げた。
「えと、あの……ひょっとして先王も青森族なんですか?」
「そうだぞ。伯父上は母の兄に当たるからな」
アッシュの説明では、エルフは閉鎖的であるが故に、かつては同じ部族内で結婚することが多かったらしい。
だが、それでは血が濃くなり過ぎて、長い間に出生数が落ちるという弊害が生じる。
ただでさえ繁殖力が弱いエルフは、部族間で取り決めを結び、積極的に嫁や婿を迎えるようにしているのだという。
エイナは勢い込んだ。
「青森って、あの見張りの人がいたあたりの森のことですよね?」
「そうだ。寂寥山脈沿いの北の森一帯が青森だ。
私の出身の黒森は、中央部から南西方面に広がる森だな」
「お母さまは兄妹ですから、先王のことをよくご存じのはず。
お話を伺うことはできないでしょうか?」
「そ、それは別に構わないが……。
君は一体、母から何を聞こうというのだ?」
「子どものころの話です。
私も経験がありますが〝秘密基地〟って、作りませんでしたか?」
エイナの答えに、アッシュは脱力したようだった。
「そういうこともあったが、あくまで子どもの遊びだぞ?
まさか、それが研究室に違いないとか言う気じゃないだろうな」
「もちろんです。でも、子どもの発想って馬鹿にできないですよ。そこからヒントが得られるかもしれないじゃないですか。
それに先王の人間、いえこの場合はエルフ関係か、とにかく交遊関係からも何か掴めるかもしれません。
この際、情報は多いに越したことはありません」
アッシュは肩をすくめた。
「そこまで言うなら、好きにするがいい。
帰ってきたら、この宿舎を訪ねるよう頼んでみる。母上もユニに会いたがるだろうから、まず断るまい。
明後日まで待ってくれ」
エルフはそう言うと腰を浮かせ、エイナの顔を間近に覗き込んだ。
「その目……何か思いついたな? 言ってみろ」
だが、エイナは首を振って答えを拒んだ。
「まだ漠然としていて、言葉にできるほどまとまっていないのです。
どうかお許しください」
アッシュはとすんと椅子に腰を落とし、美しい笑顔をみせた。
「よかろう。エルフは待つことを苦にしない。期待しておるぞ」