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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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四十四 エルフ王

 広場には二百人以上のエルフが集まっていた。

 それまで限られた人数しか姿を見せなかったエルフが、これだけ集合していることも驚きだったが、彼らは何かの法則に従って整列しており、幾何学模様を描く見事な隊列を形成していた。


 衣装も揃いのものだ。これまでに会ったエルフたちは、みな草木染の薄手の木綿か麻の衣服を身に着けていた。

 だが、広場に整列している者たちは、美しい刺繍が入った絹の薄物を身にまとっている。絹の一枚布を色鮮やかなベルトやピンで留め、男も女も髪に花を挿していた。


 エイナたちにはエルフのドレスコードなど知らないが、それが彼らなりの正装であることは、見るだけで理解できた。

 エルフたちは広場の中央に、一本の道をあけるように並んでいた。

 外国の使節は、その道を進んでエルフの王に拝謁するという段取りなのだろう。


 正使のシルヴィアが威儀を正して先頭に立ち、副使のエイナはその後に続く。

 その横をカー君が護衛をするように、ぴたりと身を寄せて付いていく。

 静々と進む使節の一行を、エルフたちは無言で見送ったが、その視線はどうしても人間より、カーバンクルの方に向けられがちであった。


 人垣でできた通路は、およそ三十メートルほどだった。

 その先には、小さな木組みの舞台が作られ、そこに女王アッシュが佇み、一段高い位置から、シルヴィアとエイナの方をまっすぐに見下ろしていた。

 頬には微かな笑みが浮かび、優雅な立ち姿はハッとするほどに美しかった。


 短い階段を上がった二人は、傍らに立つエルフに親書と贈り物を預け、まずは進み出て女王の前で礼を取った。

 ロングスカートの礼装なので、スカートを両手で摘み、軽く膝を折って頭を垂れる女性礼である。


「遠路はるばる、エルフの森へようこそ。頭を上げなさい」

 銀の鈴を転がすような美しい声が降ってきた。


 シルヴィアとエイナはゆっくり頭を上げ、間近でエルフの女王と向きあった。

 目の前に立つエルフの美少女は、艶やかな長い黒髪に銀のティアラを着けていた。

 化粧はしていないようだが、大きな瞳とぷっくりとした紅い小さな唇、形のよい小さな鼻、バラ色に染まった頬が、彼女の愛らしさを浮きたたせていた。


 そして、そのしなやかな身体に、ぴったりした絹のロングドレスをまとっていたのだが、あまりに薄い生地なので、肌がほとんど透けて見えるのだ。

『あんまりジロジロ見ちゃ駄目よ』

 そう言ったユニの言葉の意味が、ようやく理解できた。

 蝶や花を象った刺繍が、乳首や股間が見えないように隠していたが、彼女が一切下着を着ていないことが丸わかりだった。


 アッシュはまったく恥ずかしさを感じていないらしい。

 むしろシルヴィアとエイナの方が目のやり場に困り、頬を染める羽目になった。

 二人はそそくさと傍らのエルフに預けた親書と贈り物を手に取り、何度も練習をした口上を述べて女王に手渡した。


 受け取ったエルフの女王も、答礼の言葉を述べる。

 アッシュは十数年前にレテイシア女王を表敬訪問したことがある。今回の訪問は、その返礼という形式を取っていた。

 彼女が両国の親交と、レテイシアとの友情が永遠であることを宣言すると、それまで無言だったエルフたちから大きな拍手が起こった。


 歓迎の式典はこれで終了である。

 王国であれば音楽が高らかに奏でられ、儀仗兵の閲兵や、豪華な晩餐と舞踏会がつきものであるが、エルフにはそういう習慣がないらしく、極めてあっさりしたものであった。


「緊張していたようですが、気が抜けたでしょう?」

 アッシュは笑って語りかけてきた。


「エルフとは、こういう種族なのです。

 でも、今日は珍しい人間だけではなく、カーバンクルまで見られたということで、皆かなり満足しているのですよ。

 私たちはほとんど森から出ませんからね。当分は話の種に困らないでしょう。

 そうそう、人間風にちょっとした晩餐を用意してありますから、後でご一緒しましょう。

 もちろん、ユニも連れてきてくださいね」


 二人が女王に礼を言って舞台の段を降りると、あれだけ集まっていたエルフたちが、もう姿を消していた。

 広場に残っているのは十人程のエルフで、彼らは設置した舞台を片付ける作業に当たるらしい。


      *       *


 数時間後、人間たちの宿所に迎えのエルフが訪ねてきた。

 外に出てみると、広場にあった舞台はきれいに撤去され、その代わりに簡単な東屋あずまやが建てられていた。

 女王の誘いは私的なものなので、エイナとシルヴィアは礼装を脱いで、いつもの軍服姿に戻っていた。


 東屋には頑丈そうなテーブルと椅子が並べられていた。

 ドワーフ製の家具だけあって、座り心地は快適である。

 人間たちが席につくと、給仕のエルフたちが次々に皿を運んでくる。


 料理らしいのは温かなスープくらいで、あとは籠に山盛りにされた新鮮な木の実、そしてたくさんの焼き菓子が並べられた(肉や魚は出てこない)。

 ユニのオオカミたちには、仕留めたばかりの大きなイノシシが一頭与えられ、彼らを狂喜させた。

 カー君は食べる必要がないのだが、果物と甘いお菓子は好物なので、シルヴィアにまとわりついて分けてもらった。

 ユニとアッシュの前には、ワイン(エルフが自家製で造る唯一の酒)の大びんが置かれ、二人は早くもぐいぐいと飲み始めた。


 アッシュはあの目の毒になる衣装から、地味な木綿の服に着替えていた。

 生成りの一枚布を肩からかけ、ウエストを鮮やかな紺色のサッシュで絞めている。

 きれいな腕も足も剥き出しで、蔦で編んだサンダルを履いている。


 ユニとアッシュは元からの友人なので、二人で話すべきことが山ほどあった。

 ただ、それではエイナとシルヴィアが取り残されてしまうので、勢い話題はドワーフの里で起きた魔龍事件のこととなった。

 すでにドワーフの使者が報告していたことであったが、実際に戦った彼女たちから聞く話は臨場感があり、大いに盛り上がった。


「それにしても、氷の槍を暴走させるとは、ずいぶん危険な賭けに出たものだな。

 まるでユニみたいな無茶をする」

 アッシュは椅子の上で片膝を立て、ワインのグラスを一気にあおり、木の実を口に放り込んでボリボリ齧む。

 式典で見せた優雅な美少女ぶりはあっさり消え去り、まるでユニが二人いるようである。


「エイナと言ったな。ちょっとこっちへ来てくれ」

 アッシュに呼ばれたエイナが近づくと、エルフは彼女の手を握った。


「あっ!」

 思わず声が漏れた。アッシュに手を握られた瞬間、エイナの全身に圧倒的な魔力が流れ込んできたのだ。

 慌てて手を引こうとしても、女王は意外に力が強く、振りほどけない。

 侵入してきたアッシュの魔力は、まるで生き物のようにエイナの体内を這いまわり、内部からあらゆる場所を舐め回した。

 ぞっとするような悪寒が電流のように走り、彼女は全力で異質な魔力を撥ね退けようとした。


「ほう、抵抗できるのか……」

 アッシュは感心したようにつぶやくと、やっと手を離してくれた。

 エイナの体内から、アッシュの魔力がずるりと引き抜かれ、足から力が抜けて彼女は思わずその場にへたり込んだ。ひょっとすると、少し失禁したかもしれない。


 アッシュはアッシュで、自分の掌をじっと見詰めていた。

 そして、ふいにユニの方を振り返った。

「妙だな……人間にしては魔力が大きすぎる。

 それに感触に違和感がある。この娘、ひょっとして――」


 何かを口にしかけたアッシュの生足を、ユニのごついブーツが蹴りつけた。

「痛っ! ちょっとユニ、何するの!」


 涙目で抗議するアッシュの肩をユニが抱え込む。

「いいから、ちょっとこっち来て!」


 ユニはエルフの肩を抱いたまま、強引に東屋の外に連れ出した。

 そして、その長い耳に唇を寄せ、何事かをささやき始めた。

 かなりの時間が経ってから二人は戻ってきて、それぞれの席についた。


 アッシュはエイナに素直に詫びた。

「驚かせて済まなかった。

 君の潜在魔力を量ってみたのだが、正直に言って人間としては規格外の魔力だ。

 なるほど、ドワーフの魔法武器が暴走するわけだ。

 それで、今ユニに聞いたのだが、君は爆裂魔法を知りたいそうだね?」


「はい! えとあの――」

「わっ、私は、魔石の情報とカーバンクルのことを教えて欲しいです!」

 エイナの頭を押しのけて、シルヴィアが首を突っ込んだ。


「待て待て、二人とも」

 アッシュは思わず苦笑いを浮かべる。


「残念だが、私は君たちの願いを叶えられそうにないのだ。

 まず、カーバンクルのことだが、我々エルフにとっても、あの生物は謎めいている」

『おっ、僕のことを話してるの?』

 カー君がむくりと起き上がった。


「もちろんカーバンクルが霊的な生物で、魔石によって成長することは知っている。

 ただ、完全に成長したこの種族が、最終的にどう変容するのかまでは、誰も知らないのだよ」

『何だ、それじゃ僕たちと一緒だ』

 がっかりしたように、カー君が伸ばした首を下ろした。


「ただ、摂取する魔石の組み合わせ次第で、いくつかのタイプに分かれるらしくてね。それも、かなり高い霊格を持った幻獣になるらしい。

 私が知っているのは、そんなところだ」

「高い霊格というと、例えば龍族とか巨人族みたいな?」


「そうだな、さすがに龍や巨人になるはずはないが、それに近い存在なのではないかな。

 済まんな。何しろ実際に見た者がいないから、こんなあやふやな話しかできんのだ。それだけ幻獣界では魔石が希少なんだよ。

 だが、この世界はどういうわけか、魔石がよく見つかるから、希望はあるはずだ」


 アッシュはそう言って、東屋の天井を仰ぎ見た。

「それで、二つ目の質問の魔石についてなんだが、どこかで聞いたことがあるような気がする……」

「思い出してください。そこ、大事なところですよ!」

 シルヴィアが縋りつくが、エルフは腕を組んで眉根を寄せ、上を向いたままだった。


 しばらくして、アッシュは諦めてワインに手を出した。

「駄目だ、思い出せん!

 えーと、そうそう、エイナの方の話だ。

 爆裂魔法だが、あれはエルフにとっても高等魔術でね、もちろん私も呪文は知っている」


「教えてください!」

 今度はエイナがアッシュの服を掴んだ。


「無理だ」

 あっさりとエルフは断る。


「そもそもエルフの使う呪文は、人間にはとても発音できないんだよ。

 君たち人間が使う魔法の呪文は、エルフ語を人間用に単純化した特殊な言語に変換したものなんだ。

 確か、神聖文字って言ったかな?」

 エイナはこくんとうなずいた。


「あれは我々の先祖が、人間に魔法を教えるために編み出したものだ。だが、その技術はすでに失われている。

 祖先たちは人間に魔法を教えたことを後悔し、神聖文字の秘術ごと封印してしまったからね。

 もちろん、私は神聖文字を扱えないし、エルフ語を翻訳することもできない」


「では、どうしてマグス少佐は爆裂魔法を使えるのでしょう?

 それに、もう亡くなりましたが、私の父も爆裂魔法の使用者だったそうです」

「それなんだが……多分、私の伯父上のせいだ」


「アッシュ女王の伯父上ですか?」

「そう、先代のエルフ王だ。

 彼がこの西の森を捨て、人間世界に亡命したことは聞いているかい?」


「はい、ざっくりとですが、ユニさんから聞きました」

「人間が爆裂魔法を使うようになったのは、伯父上が帝国に身を寄せてからの話だと聞く。

 おそらく、伯父上は神聖文字の技術を復活させたのではないかと思う。

 実は、先王が森を出奔する以前、彼はしばしば行方をくらませることがあった。

 恐らく、神聖文字の研究を密かに続けていたのではないだろうか」


 エイナはがっくりと肩を落とした。

「それではどうしようもありませんね。先代のエルフ王は、帝都にあって帝国軍に協力しているのですよね?

 とても近づくことはできません」


「そうか? 私とユニは帝都に潜入して、実際に会ってきたぞ」

「私をあなた方と一緒にしないでください」


 アッシュはまた一杯、ワインを呷ると、口元の雫を手の甲で拭った。

「先王は西の森を出奔する時、身ひとつであった。

 神聖文字の研究には、大量の古文書が必要だったはずだ。彼の秘密の隠れ家を発見できれば、ヒントが得られるかもしれんぞ?」

「それってこの森にあるのですか?」

「ああ。さっき、先王は時々姿をくらませたと言っただろう?

 あれはこの森から出たという意味ではない。この森には強力な結界が張られているから、いかに王であっても、気づかれずに森を出ることは不可能だ。

 だから、彼が研究のために籠った秘密の場所が存在するはずなのだ」


 エイナたちは顔を見合わせた。

「でも、先王はこの森を捨てたのですよね。

 その際、研究資料も焼却してしまったのではないですか?」

「それはありえんな」

 アッシュは首を横に振った。


「私たちは古い物を大切にする。いや、執着するといった方が正確かな。

 貴重な古文書類を棄却するなど、自分の身を引き裂くよりも耐え難いことだ。

 それがエルフという種族だ。伯父上は膨大な資料を、この森のどこかに隠してあるはずだ」


 ユニが呆れたような顔でワインを呷った。

「ねえ、アッシュ。あんたたちは何千年もこの森で暮らしてきたんでしょう?」

「そうだ、それがどうかしたか?」


「つまり、この森のことは、隅から隅まで知りつくしているってことじゃないの?」

「当然だ。葉っぱの一枚に至るまで、私たちの知らないものはない」


「そのあんたたちが、これまで何十年もかかって発見できない場所を、エイナに探せって言うの?

 それはちょっと酷じゃないかしら」

「そうだな。ユニの言うとおりかもしれない。

 でも、これは無理強いしているわけじゃないぞ。

 私はエイナが、どうしても知りたいと願うから、手がかりを与えただけだ。

 どうするかは……エイナ、君次第だよ」


 アッシュはそう言って、また大き目なグラスに真っ赤なワインを注いだ。

 エイナは無言で立ち上がり、そのグラスをすっと奪い取った。


 呆気にとられるアッシュの前で、彼女はワインを一息で飲み干した。

 そして、空になったグラスを〝タン〟と音を立てて卓上に置く。

 あまり酒の強くない彼女は、座った目でアッシュを見据えた。


「やります!

 その秘密の研究室とやら、絶対に見つけてみせます!」

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