四十二 西の森
ドワーフ族の宴会は夜通し続いたが、人間たちは深夜になる前に会場を退出し、酔いと疲れでぐっすりと眠った。
翌朝、エイナたちが起き出してくると、すでにグリンは仕事に出ており、メイリンが朝食を用意してくれた。
朝食を済ませた後、彼女たちは防具工房のエリアに向かった。
カー君が魔石を食べて大型化した上に、飛行能力まで手に入れたことから、シルヴィアが騎乗するための装着具を造ってもらうためである(防具工房では、鎧や兜、籠手、盾などの他に、馬具なども生産してた)。
工房へ行く道すがら、彼女たちはカー君の成長について、あれこれと話し合っていた。
昨夜はグリンの家に帰ってから、エイナとユニは大きくなったカー君を見ていたし、シルヴィアからその翼で飛んだという話も聞いた。
それでも、こうして陽の光(といっても、太陽石のものだが)のもとで改めて見ると、カー君の印象が大きく変わったことに驚かされる。
昨日までは、ちょっと変わった大型犬といった感じだったが、今はもう何かに例えることができないほど、独特の姿となっている。
ユニは隣を歩くカー君の横腹に手を伸ばし、艶やかで短い体毛の感触を確かめてみた。
「触った感じは馬に似ているかしら。
毛が密生しているから、外目には分からないけど、皮膚が硬くてつるつるするわ。
ちょっと爬虫類っぽいわね。防御力もかなり上がっているんじゃない?」
『ふっふっふ……ユニ君、遠慮せずにもっと褒めてもよいのだよ?』
カー君が得意そうに振り向いた。その顔も、鼻筋が伸びて精悍な感じがした。
ユニはその鼻先を中指でパチンと弾き、情けない悲鳴を上げさせた。
「可愛げがなくなったことだけは確かね」
すれ違うドワーフたちは、彼女たちに好意的な笑顔で挨拶してくれるが、カー君に対しては、一種畏敬の眼差しを向けてくる。
シルヴィアとカー君が出席した会場にいなかった者たちは、カー君の変身と飛行を見ていないのだが、その話はもう誰もが知っているらしい。
それにしても、ドワーフたちは全員が深夜まで飲み続けていたし、会場の後片付けでほとんど寝ていないはずである。
ところが、彼らはけろっとした顔で、普通に働いていた。
ドワーフ族は魔法や毒と同様、酒にも耐性があり、また数日程度の不眠はものともしない。
エイナたちが訪ねた防具工房も、昨日一日休んだだけで、いつもどおりに仕事をしていた。
事務室のある建物に入ると、ちょうど工房長のギムリンが、徒弟たちに何か指示を出しているところだった。
三人に気づいた彼は、部下に見せていた厳しい表情を緩めた。
「よお、シルヴィア。待っていたぞ。
取りあえず、ありものの馬具を改造してみたんだ。
実際に装着して具合を見たいんだが、カーバンクルは一緒か?」
「さすがに仕事が早いですね。カー君なら、外で待たせています」
シルヴィアが笑顔を返す。
カー君はユニのオオカミたちと一緒で、事務棟の入口脇に残してきたのだ。
彼はオオカミ並みの体格を手に入れたので、これからは室内に入れられないケースが増えそうだった。
三人と工房長は揃って外に出た。
ギムリンの徒弟たちが、試作品の装着具と設計図を抱えて付いてくる。
カー君はオオカミたちに囲まれ、しきりと身体の臭いを嗅がれているところだった。
彼の体長は、ライガをはじめとするオスたち同様、三メートルを超えるほどになっていた。
ただ、両者を見比べてみると、その印象はかなり異なる。
カー君は尻尾が太くて長く、全体の三分の一を占めていた(彼の説明では、飛行中に舵の役目を果たすらしい)。
その分胴体は短いのだが、オオカミたちよりはかなり胴回りが太い。
脚の長さは大体同じくらいだが、これも倍近く太かった。
つまり、スマートなオオカミたちに比べ、ずんぐりした体型なのだ。
ユニが囲んでいたオオカミを追い払い、ドワーフの徒弟たちがカー君の背中に装着具を放り上げ、革のベルトを絞め始めた。
「まぁ、基本的は構造は馬の鞍と変わらん。
完成版は材質を見直して、強度を落とさずに軽量化を図る予定だ。
空を飛ぶ際は、あんたもこのベルトを着けてもらう。
金属の輪がついておるだろう? ここに固定具を引っかけるんだ。
これで、宙返りをしても落下しないはずだ」
ギムリンはそう言って、シルヴィア用の装着具を渡した。
太い革ベルトで内腿と腰を支え、吊りバンドを組み合わせたような物である。
軍服の上からそれを着けたシルヴィアは、徒弟たちの求めに応じてカー君に跨ってみる。
ドワーフたちが各所の緩みや張り具合を確かめ、細かく手帳に記入していく。
実際に飛行もしてみた。
短時間の試験飛行から戻ってくると、ドワーフたちに使用感を報告し、逆に様々な質問も受けた。
それを何度か繰り返して、ようやく試着が終了した。
後はこの結果を受け、改良が重ねられるだろう。
どうせエルフの森を訪ねた後、再びドワーフの里に戻ることになる。
ここは地中に掘られた空洞なので、自由には飛べない。高度には自ずと限界もあった。
エルフの森に行けば、カー君の限界能力が試せるはずで、それを帰りに伝えて再調整すればよい。
防具工房長は、それまでには満足のいくものを用意しておくと約束してくれた。
* *
エイナたちの出発は、その二日後となった。
魔龍によって隧道のあちこちが崩され、その補修に日数を要したためである。
エルフ側に対しては、今回の事件を報告し、併せてユニ一行の訪問を予告する必要があり、その使者が先発していた。
すべての準備が整うと、彼女たちは戦士団の護衛付きで隧道を通過した。
ドワーフたちの居住区や工房は、山中の三合目あたりに広がっていた。
したがって、西の森に通じる隧道は、緩い下り坂が延々と続くことになる。
薄暗い洞窟を数時間歩いた挙句、一週間ぶりの外界に出ることができた。
彼女たちの目の前には、巨木が立ち並ぶ深い森が広がっていた。
山中に取り込まれていた乾いた空気と違い、深呼吸するたびに湿気と森特有の香気が肺を満たす。
オオカミたちが喜んだのはもちろんだが、苦手な地中を脱したカー君は、仔犬のようにはしゃいでいた。
森の木々は自然のままに数百年の樹齢を重ねていたが、その割に地面がきれい過ぎた。
棘の生えた灌木類、足を取る深い下草、散らばる枯れ枝や倒木といったものが、一切見当たらない。
巨木は十分な間隔を取って生えており、高い木々の梢の間からは、十分な陽光が降り注いでいた。
地面はしっとりとした黒い腐葉土で、適度な弾力が靴裏に伝わってくる。
分厚い苔と、芝生のような短い草だけがそれを覆い、非常に歩きやすかった。
先導するユニの説明によれば、この快適さはエルフの管理の賜物なのだそうだ。
つまり原生林ではなく、森そのものが手入れの行き届いた庭のようなものだ。
西の森という名称は、リスト王国の中央平野がすっぽり入るくらいの、巨大な森林地帯の総称である。
それが十二の森に分かれており、それぞれにエルフの部族が暮らしている。
十二の部族はそれぞれに族長を立て、独自の生活を営んでいる。
エルフ王とは、これら部族の調整役といった存在だった。
したがって、内政は各部族に任され、王であっても口出しはできない。
その代わり、対外的な交渉の権限は王にあり、各部族長はそれに従うことになっている。
エルフは魔法に長けた種族であるが、その中でも特に強大な魔力を有する者が王となる。
王は世襲ではなく、代々の王が数百年単位の務めを果たしたのち、多くの候補者の中から後継者を指名して、禅譲するのである。
ユニがアッシュと呼んでいる現女王は、まだ王位に就いて十数年しか経っていない。
本来なら、彼女が就任するのはまだ二、三百年先の話のはずだった。
しかし、先王が突然西の森から出奔するという大事件が起きた。
残されたエルフたちは、必死で王の行方に関する情報を収集し、どうやら北のイゾルデル帝国に渡ったことを掴んだ。
次の王候補者であったアッシュは、先王を連れ戻すために単身森を旅立ち、人間世界へと赴いた。
この時、王の探索に協力したのがリスト王国の神獣・黒蛇ウエマクで、ユニとマリウスが命を受けてアッシュを護衛することになった。
多くの困難の末、アッシュは先王との再会を果たしたが、彼は帰国を拒否し、アッシュに王の証である秘儀を伝えて譲位することになった。
この話は軍事機密に指定され、王国内で知る者は一握りに過ぎない。
エイナとシルヴィアは、今回の使者に指名されたこともあって、ユニからこの間の事情を聞かされていた。
とはいえ、二人はエルフに会ったことはなく、当然この森も初めてであった。
この壮大な森がエルフの庭だと言われても、一体彼らがどこに住んでいるか、見当もつかなかった。
寂寥山脈に接する地帯は〝青森〟と言うらしいが、説明するユニ自身、森の見分けがつかないと白状した。
だが、エルフに言わせると、十二の森にはひと目で分かる特徴があって、子どもでも間違えないのだそうだ。
森は歩きやすいとはいえ、道があるわけではない。
だが、ユニとオオカミたちは、迷うそぶりを見せずに森に分け入っていった。
エルフはもちろん動物の姿すら見えず、聞こえるのは人間と幻獣の足音と息遣いだけで、森は静寂に包まれていた。
「ユニさん、本当にエルフがいるのですか?
それらしい気配が感じられないのですが……」
シルヴィアが我慢できずに訊ねたが、不安な気持ちはエイナも同じだった。
「心配しなくても、すぐに会えるわよ」
ユニはあっさりと応じた。
「では、女王陛下のお屋敷が近いのですか?」
「エルフは城や邸宅を建てたりしないのよ。
樹上に枝や草で編んだ簡素な小屋を造って、そこで寝泊まりするの。
アッシュは黒森部族の出身だけど、女王だから今は決まったねぐらを持たないのよ。
だから、あたしも彼女がどこにいるかなんて知らないわ」
「えっ! あたしたち、当てもなく歩いているんですか?」
「まさか。さすがに女王様だもの、森の外れにいるはずないでしょう?
だから森の奥に向かっているの」
「そんな適当な――」
喰ってかかろうとしたシルヴィアの目の前を、ひゅっと何かが掠めた。
次いで木の幹に突き刺さる〝カッ!〟という音、〝びいぃぃん!〟と震える音が響いた。
「敵襲!」
シルヴィアが反射的に身をかがめ、巨木の陰に飛び込んだ。
隠れた彼女は耳を済ますが、遠い梢で鳴く鳥の囀り以外、何も聞こえない。
ユニもエイナも、同じように物陰に隠れて息を殺しているのだろう。
しばらく呼吸をはかり、シルヴィアは周囲を窺おうと、そっと顔を出そうとした。
その途端、目の前に二本の矢が立て続けに突き立ち、彼女は慌てて首を引っ込める。
敵は二人? いや、別々に射たにしては揃い過ぎている。何という腕前だろう。
『駄目だ! 完全に見張られていた』
シルヴィアは己の迂闊さを呪った。
矢が飛んできた方向からすると敵は樹上、位置関係も完全に不利だった。
ということは、敵はエルフと考えるのが妥当だ。
だが、おかしい。
ユニはエルフの女王と懇意なはずだ。
それに彼女たちが訪問することは、あらかじめドワーフが伝えているはずだった。
『なぜ攻撃してくる?』
下手に顔を出せば、あっという間に射貫かれそうだった。
これでは仲間たちの状況も掴めない。
『カー君、聞こえる?』
彼女は頭の中で呼びかけた。
カー君は一行よりも先行して、安全確認をしていたユニのオオカミたちと一緒のはずだった。
体格は同じくらいになったが、相変わらず下っ端扱いをされていたのだ。
『何、どうかしたの?』
頭の中に呑気な返事が返ってきた。
シルヴィアの中で、何かがぷちんと切れた。
『あんた、あたしの警報を聞いてなかったの?
あたしたちは今、何者かに襲撃されているのよ!』
『おおう、それは大変だ』
『……殴るわよ!
そこから後方は見える?
エイナとユニさんはどうなっているの?
ふざけたことを抜かしたら、本当に殺すわよ!』
『そう、怒んないでよ……』
主人の剣幕に、カー君にも事態の深刻さが、やっと伝わったようだった。
『ちょっと見通しが悪いんだけど、二人の姿は見えないね。
多分、君と同じように木の陰に隠れているんじゃないかな?』
シルヴィアはひとまず安堵した。彼女は深呼吸をすると、自分の間抜けな幻獣に矢継ぎ早の指示を繰り出した。
『敵は頭上からこっちを狙い撃ちしているわ。
いい? あんたはいったん上空に上がって、敵の位置を把握してちょうだい。
見つけづらかったら連絡をして。あたしが囮になって、敵の動きを誘発する。
まずは敵が単身か、複数かの確認が第一。その上で、上から火球で不意打ちを喰らわせてやりましょう。
仕留めることにはこだわらないで、とにかく、相手を地面に叩き落とすのよ。
地上での勝負なら、ユニさんのオオカミたちの方が有利になるわ』
『ええと、ひとまず了解。
オオカミたちに段取りを説明したら、上がってみるよ』
『お願い、上手くやってね!』
シルヴィアは巨木の幹に背をぴたりとつけ、息を殺した。
相手が上を取っている現在の状況では、空を飛べるカー君だけが頼りだった。
敵がエルフなら、魔法による防御が当然考えられた。カー君の火球攻撃が決定打になるとは思えない。
だが、戦いの舞台が地上なら勝機はある。
カー君の奇襲が成功すれば、オオカミたちとの白兵戦となろう。エルフの矢さえ封じれば、自分も飛び出して剣を振える。
彼女は目を閉じ呼吸を整え、精神を集中させた。
ドワーフたちから贈られた炎の魔剣を、こんなに早く使うことになるとは予想外であった。
自分がこの剣にふさわしい遣い手であるか、いま試されようとしている。
シルヴィアは目を開いた。不思議と死の恐怖は感じなかった。