四十一 成長
「……よって、リスト王国召喚士シルヴィア・グレンダモア殿に、ドワーフ武器工房が鍛えし炎の長剣を贈り、その功績を称えるものとする!」
武器工房の徒弟長であるデュリンが口上を述べ、鞘に入った魔法の剣をシルヴィアに手渡した。
彼女は直立不動で敬礼を返し、剣を恭しく受け取った。
細身のブロードソードは、試し斬りに使った時とは別物のように美しく飾られていた。
柄は革巻きに、鍔は見事な彫金が施された赤銅製のものに替えられ、鮫皮(エイの皮)を巻いた〝着せ鞘〟に収められている。
時間がない中、贈り物として恥ずかしくないよう、最高級のパーツを選んで仕上げられたのだろう。
もしこれが人間向けの市場に出品されたなら、いったいどれだけの値がつくのか、考えただけでも恐ろしかった。
シルヴィアがこの魔剣を欲しがったのは、あくまでその威力と扱いやすさに惚れたからであった。
そもそも試し斬りで手にした時は、何の装飾もされていない、実用一点張りの剣だったのだ。
ただ、ドワーフたちが自分のためにこの剣を美しく飾ってくれたことは、素直に嬉しかった。
彼女は少し涙ぐみながら、授けてくれたデュリンに礼を述べた。
「ありがとうございます。
この見事な剣に恥じないよう、精進することをお約束します」
彼女の言葉は徒弟長に向けたもので、壇上にいたわずかな者にしか聞こえていなかった。
しかし、司会進行を務めるドワーフは、シルヴィアの言葉を聞き逃さなかった。
彼はよく通る大声で、ひしめき合う観客たちへシルヴィアの意気込みを紹介し、会場からはやんやの拍手が巻き起こった。
続いて司会のドワーフは、手もとのメモを見ながら、カー君の功績の紹介を始めた。
彼の言葉によれば、カー君は危険を省みずに魔龍に立ちふさがり、その口中に連続して火球を撃ち込んだ。
そのため魔龍は戦士団長とエイナに炎を吐くことができず、結果として二人は氷槍を暴走させて敵を打ち滅ぼしたのである。
熱狂的な拍手と口笛、そして大歓声は止むことがなく、会場は大いに盛り上がった。
この紹介はかなり〝盛った〟内容である。
実際にはシルヴィアの命令で、ドワーフの戦士が嫌がるカー君を問答無用で投げ飛ばしたというのが現実である。
魔龍の顔面間近に飛ばされたカー君は、自分が喰われないために必至で火球を吐き続けたに過ぎない。
何しろ、彼はいったん浮かんでしまうと、自力で移動ができないのだ。
平和主義者のカー君は、この時ほど自分の浮遊能力を呪ったことはない。
「この勇気あるカーバンクルの忠義を称え、我ら寂寥山脈ドワーフ族の宝、魔石を与えるものとする!」
司会の宣言に、会場からどよめきが起きた。
魔石はミスリルよりも遥かに希少で、その中でも白色は特に珍しい存在だった。
そもそも魔石には、魔力を無限に貯蔵する能力があることが知られていた。
それを利用して、強力な魔法具が造れることは分かっていたが、それは魔石の力のほんの一部分に過ぎないとされていた。
では、どう使えばその能力を最大限に引き出せるのか――それは、鉱物に対する該博な知識を持つドワーフ族であっても、いまだに謎とされていた。
司会の言葉に応じるように、ドワーフの娘が白色の魔石を捧げ持って、しずしずと前に進み出た。
そして娘は、壇上で最も地位が高い防具工房長に魔石を差し出そうとした。
魔剣同様、工房長からカーバンクルに魔石が贈られ、大観衆の拍手と歓声に包まれるというという段取りである。
ところが、カー君は何を思ったのか、ドワーフ娘の前に割り込み、ひょいと首を伸ばした。
まだ髭も生えていない幼い娘は、獣に噛まれると思ったのか、反射的に悲鳴を上げた。
持っていた三方(台座)が放り出され、小鳥の卵のような魔石が宙を舞う。
カー君は口をぱくりと開け、それを見事にキャッチした……のはいいのだが、彼はそのまま呑み込んでしまった。ごくんと嚥下の音が響く。
シルヴィアが慌ててカー君の後頭部を張り倒し、吐き出させようとしたが、もう遅かった。
「どっ、どうしましょう?」
シルヴィアは泣きそうな顔で、ギムリンに助けを求めた。
「うっ、うむ……。
まぁ、魔石を与えれば、結局カーバンクルがそれを喰うことになるのだから、問題はあるまい。
獣に我らの儀礼や段取りを理解しろと叱るのは、酷というものだろう。
それより、その……大丈夫なのか?」
彼が心配したのは、シルヴィアがカー君の首を絞めていたからだ。
防具工房長に指摘されたシルヴィアは、大勢のドワーフたちに見られていることを思い出した。
彼女は目を白黒させているカー君の喉から慌てて手を放したが、代わりに顔を両手で挟んでがくがくと揺さぶった。
「このバカ! 何て立派なお行儀なのかしら。あたしに恥をかかすのも大概にして欲しいわ。
だけど、身体はどうなのよ?」
『だっ、大丈夫って言うか、平気だから落ち着いて!』
カー君は咳き込みながら、前脚でシルヴィアを押しのけた。
『石ころを飲み込んだくらいで、お腹が痛くなるほど軟じゃないさ。
シルヴィアに首を絞められた方が、よっぽど苦しかったよ。まだ、ドキドキしているんだから。ほら、触ってみて』
シルヴィアが触って確かめるまでもなかった。
〝ドクン、ドクン!〟という鼓動の音が、はっきり耳に聞こえてきたからだ。
『あ……れ……? なん……か……変だ……な』
カー君が首を捻った途端である。
ドクン!
ひときわ大きな音を立て、彼の身体の輪郭がぶれた。
顔が風船のように膨れ、鼻づらがにゅっと前に出る。
鼓動が響くたびに、身体の至る所でぼこりと筋肉が盛り上がった。胴周りが太り、脚が伸びる。
シルヴィアを含めた壇上の者たちも、目の前で起きるカーバンクルの変貌に、唖然として声が出ない。
会場の観客たちも、口をあんぐりと開け、無言で舞台を注視している。
どのくらい時間が経ったのか、周囲に響き渡る鼓動音が消え、それとともにカー君の膨張も停止した。
大型犬並みの大きさ(尻尾を含めても二メートルに満たない)だったカー君は、三メートル近くにまで成長していた。
鼻筋が伸びて精悍な顔つきとなり、身体も脚も太く、長くなったが、中でも尾の伸び具合が著しかった。
ふさふさだった長い毛がばっさりと抜け落ち、艶やかな短毛に生え変わっていた。
シルヴィアが恐るおそる声をかける。
「カー君、大丈夫?」
さっきから同じことの繰り返しだが、それ以外に言葉が思いつかない。
『う~ん、割と平気。ほら、黄色い魔石を食べた時と同じだね。
僕、ずいぶん大きくなったでしょ?』
「そっ、そうね。
尻尾がすごく長くなったからあれだけど、ユニさんのオオカミたちと同じくらいになったかしら」
『おおっ、やっぱり?
やったね! これでもう、あいつらにいじめられないぞ』
「喜んでいるところに何だけど、ひとつ訊いていい?」
『なに?』
「その翼、動かせるの?」
『へ? つばさ?』
カー君は驚いたように首を曲げて振り返り、自分の身体を確かめた。
肩の筋肉が目立って盛り上がっていて、そこから一対の翼が生えていた。
『おおっ、本当だ! 翼がある! これって凄くない?
ちょっと待ってね、どうやったら動くのかな?』
カー君は身体をごそごそ揺すっていたが、やがてコツを掴んだのか、翼がぱたぱたと動くようになった。
『ふんふん……。うん、思ったとおりに動かせるよ。
へぇ~、翼かぁ! 僕の高貴な身体にふさわしいね。何か天使みたいじゃん』
鼻高々なカー君に対し、シルヴィアは引き攣った笑いを浮かべて首を傾げた。
「いや、どっちかって言うと、悪魔っぽいわよ?
天使だったら鳥みたいな白い羽根があるでしょう? カー君のは茶色でのっぺりしてて、コウモリみたいだわ。
だいたい、その大きさの翼で役に立つのかしら?」
シルヴィアの言うとおりで、カー君の肩から生えている翼には羽毛がなく、よく見ると短く細い毛が密生していた。それが光を反射して、まるで天鵞絨のようだった。
ただ、羽根自体は伸ばしても一メートルほどしかなく、大きくなったカー君の身体を浮揚させるには、あまりに小さい気がしたのだ。
懐疑的なシルヴィアであったが、カー君は自信たっぷりだった。
『ふふん、君は僕の実力を過小評価してるんじゃないかな?
忘れたの? 僕には浮遊能力があったでしょう。翼がなくても浮かぶことができたんだよ?
いやぁ、あれは僕が自由に空を駆ける日が来ることを見越した伏線だったのか。奥が深いなぁ……!
とにかく論より証拠、飛んでみるね』
カー君は翼をぱたぱたと忙しく動かしたが、何事も起こらない。
『あれ? 変だな……』
彼は首を捻って考え込んだが、何かを思いついたらしい。
『こう……かな?』
彼はぐっと身体を沈め、太く長い脚で舞台の床板を蹴り、飛び上がった。
跳躍した身体は落下せずに空中に留まる。同時に、額に埋め込まれた赤い魔石がくるりと色を変え、真っ白になった。
浮遊した状態で翼を動かすと、すいっと身体が動いた。
カー君は移動のコツを掴んだらしく、ぐんぐん上昇を始め、十メートル以上ある空洞の天井の近くに達し、今度は円を描いて旋回してみせた。
固唾をのんで見守っていたドワーフたちは、一斉に「おおうっ!」と声を上げる。
彼らの目の前で変身が起こり、まるで龍のように空を飛び始めたのだ。
魔石が幻獣界の生物に及ぼす影響の大きさは、ドワーフたちの予想以上だった。
カー君は自由に飛べるのがよほど嬉しかったらしく、急降下を繰り返してドワーフの女性たちに悲鳴を上げさせた。
翼を短くたたみ、観客たちの頭上すれすれまで降下すると、今度は大きく広げて羽ばたき、急上昇に移る。
背面飛行や、きりもみ降下を行ったりと、さまざまな飛行を試してから、カー君は舞台で見上げているシルヴィアの隣にふわりと着地した。
会場のドワーフたちから、パチパチとまばらな拍手が起きた。
『気ン持ちいい~! いったん飛び上がると、まるで昔から知っていたような感じになったよ。
これが白い魔石の力なんだね! でも、飛ぶのって結構疲れるね』
「へえ、やっぱりかなり力が要るのね」
『いや、羽ばたくのにはあまり力は使わないんだよ。
それより精気の消耗が激しいみたい。
ここはドワーフがたくさんいるから、すぐに補給できるけど、あんまり高く上昇しちゃうと精気が取り込めないから、長時間飛ぶなら低空になっちゃうかな』
シルヴィアがの頭の中では、すでにさまざまな作戦の可能性が渦巻いていた。
偵察、奇襲、上空からの爆撃……飛行能力があれば、攻撃のバリエーションが無限に増えそうだった。
そんな中、ごく当然の疑問が湧いてきた。
「……じゃあ、あたしを乗せて飛べるわよね?」
それまで得意気だったカー君の表情が、いきなり凍りついた。
『そっ、それは……。えーと、多分平気だろうとは思うけど、普通に飛んだだけで大量の精気を必要とするからね。
人間を乗せたら、結構厳しいんじゃないかな?
うん、無理はしないほうがいいと思うな!』
「……カー君、あんた今、あたしのお尻を見ていたでしょ。
言いたいことがあるなら、はっきり言いなさいよ!」
『いや、別に……〝重そうだな〟なんて、これっぽっちも思ってないよ?』
シルヴィアのこめかみが、ひくひくと痙攣した。
「ほう、このケダモノは、あたしのお尻が重そうだと、そう言いたいわけね。
本当に重いかどうか、確かめてみなさいよ!」
シルヴィアはカー君の鼻面に腕を回して抱え込むと、力ずくで床にねじ伏せた。
情けない悲鳴を上げたカーバンクルは、ぺたんと腹ばいになった。
彼女はその背中に跨り、どすんと勢いをつけて腰を落とす。子どもの馬跳び遊びで、いじめっ子がよくやる技だ。
彼女はカー君の背中でふんぞり返ると、軍靴の踵で思い切り横腹を蹴った。
カー君は〝ぎゃっ!〟と叫んで飛び上がる。
彼の身体は床から十センチほど浮き上がり、せわしなく羽ばたく翼によって、ゆっくりと進み始めた。
見物のドワーフたちから、再び「おおっ」という感嘆が上がる。笑い声が混じっていたのは、あくまで気のせいだろう。
「何だ、飛べるじゃない。もうちょっと高度と速度は出せないの?」
『乱暴だなぁ……! 人を乗せていると、バランスを取るのが難しいんだよ。
落っことしたら怒るくせに……。
馴れるまで、ちょっと待ってよ』
カー君はシルヴィアを乗せたまま、低速で進んでいった。
ドワーフたちの頭上、一メートルくらいの高さで、慎重に旋回してみる。
しばらく経つと、彼は徐々に高度を上げ、スピードを上げていった。
乗っているシルヴィアの方も、自分を安定させる姿勢を模索していた。
カー君の身体が大きくなったので、両足が大きく開かれて膝で挟みつけることが困難だった。
これまでなら、彼の長い毛を掴むことができたのだが、短い毛並みに生え変わってしまったので、それもできない。
仕方なくシルヴィアは腹這いとなって身体を密着させ、両手で翼の根もとあたりを掴んだ。
だが、羽ばたくたびに手が上下する上に、相手も動きづらそうだった。
彼女はカー君に命じて、元の舞台へと戻った。
取りあえず騎乗しても飛べることは分かったが、現状ではあまりに不安定だった。
何か馬につける鞍や手綱のような物が必要で、これはドワーフたちに相談しなくてはならないだろう。
そして、予想外にシルヴィアが受ける負担が大きかった。
やはり、人を乗せて飛ぶと大量の精気を消耗するらしく、カー君は無意識のうちにシルヴィアからそれを補っていた。
カーバンクルは周囲の生き物に負担をかけないよう、普段はごく少量しか精気を吸わないのだが、飛行中は、その限界を超えてしまうようだった。
お陰で、短時間の試験飛行だったのに、彼女は身体に明らかな疲労を感じていた。
お互いに馴れもあるのだろうが、カー君に騎乗しての飛行は非常手段だと思った方がよいのかもしれない。
多くの問題があったが、とにかくカー君が飛行能力を手に入れたことは、非常に大きな成果だった。
この先、選択しうる作戦の幅が広がることは、間違いない。
〝駄目な子〟と思われがちだったカー君だが、やっと彼の真価を認めさせる日が近づいてきたのだ。
シルヴィアの胸に、大きな希望の灯がともった。
何しろ、これまで飛行能力を有する幻獣を呼び出した召喚士は、例外なく国家召喚士に認定されてきたのだ。
これからカー君を厳しく――そうだ、それはもう厳しくしごきまくって、一人前の幻獣に育てなければなるまい。
そうすれば、一級召喚士への昇進だって夢ではあるまい。
シルヴィアはぜいぜいと荒い呼吸をしているカー君の胴を、ぽんぽんと叩いた。
「そうよ、あたしたちの活躍はこれからなんだわ。
明日から(の特訓)が楽しみね!」
彼女は何も知らない相棒に、にっこりと笑いかけた。