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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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三十八 魔龍戦

 戦いの儀式が始まってすぐ、エイナは防御壁の陰から飛び出した。

 首をかしげて戦舞を見詰めていた魔龍は、目敏くその動きに気づいた。

 ドワーフとは明らかに体型が異なる姿に、二つの頭をぴくりと上げ、口を開く。


 炎が吐き出されるのを待つほど、エイナは馬鹿ではない。

 突き出された手の先で、蜃気楼のように空気が揺らぎ、十分に流し込まれた魔力が一気に解放された。


 バシッ! という破裂音とともに、魔龍の巨体が水蒸気に包まれ、静寂が訪れた。

 ドワーフの戦士たちは、迫ってくる冷気から逃れるようと素早く引き揚げた。

 彼らは防御壁の前に出たエイナとすれ違いざま、『やったな!』という表情を見せ、彼女の薄い肩や背を、ばしばし手荒く叩いていく。


 魔龍の周囲に湧き上がった白い蒸気は次第に薄れていく。

 その身体は周囲の岩盤ごと真っ白に凍りつき、ぴくりとも動かなかった。


 オーレンは雄叫びを上げて突進し、挨拶がわりに魔龍の首に槍を突き立てた。

 凍りついた鱗が飛び散り、氷槍の穂先が根もとまでめり込む。

 同時に仕込まれた魔法が発動し、内部から凍結が広がり、ばりばりと音を立てる。


 戦士団長の攻撃が、魔龍に深いダメージを与えたのは確実だった。

 だが、それは部分的なもので、巨大な本体はびくともしていない。

 実際、魔法の範囲から逃れた尻尾が早くも動き出し、地面を叩きつけ、その衝撃で体表に広がった氷を砕こうとしている。

 凍りついたように見えても魔龍の意識は覚醒しており、動きを一時的に封じられただけで、いまだ健在なのだ。


『乗れ!』

 エイナの頭の中にオオカミの声が響き、ロキの巨体が目の前に出現した。

 彼女はロキの真っ白な体毛を掴むと、勢いをつけてその背に飛び乗った。

 エイナが腰をずらしてしっかり跨ったのを確認すると、ロキは凍った魔龍に向けて走り出す。


 戦士団長のもとにはライガが駆けつけ、ドワーフを巨大な顎でがっちりと咥えると、百キロを超す身体をひょいと放り上げた。

 オーレンは空中で一回転して、ライガの背にどすんと落ちる。

 彼は短い腕を伸ばし、オオカミの毛を掴まえて滑り落ちるのをこらえた。


 ライガは二、三度背を揺すってドワーフの位置を直してから、四肢を踏ん張って低く身構えた。

 そして、重いドワーフを乗せたまま、軽々と跳躍してみせた。


 魔龍の体長は六メートル以上あったが、扁平な体つきをしていて体高は案外低い。

 ライガは甲羅状の外殻の上に飛び乗ると、ぶるんと身体を震わせ、戦士団長を振り落とした。

 そのすぐ横に、遅れて跳躍してきたロキが見事に着地する。


 エイナは馴れた仕草でロキから滑り落ち、重い装備でじたばたしているオーレンを助け起こした。

「大丈夫ですか?」


 起き上がった戦士団長は憤慨していた。ドワーフは手足が短いので、動物に乗ることを嫌う者が多いのだ。

「くそっ、俺を荷物のように扱いやがって!」


 二頭のオオカミはドワーフの不満を無視して、ちらりとエイナに視線を送った。

 ユニが近くにいないので言葉は伝わってこないが、表情で『頑張れよ!』と言ったのが分かる。

 役目を終えたオオカミたちは地面に飛び降り、防御壁の方へ去っていった。


「魔龍が動き出しそうです!

 もう一発魔法を撃ちますから、備えてください」

 エイナは片膝をつき、魔龍の外殻に掌を当てた。

 身につけた魔法防具の効果か、凍った表面に触っても冷たさを感じない。


 彼女は掌に大量の魔力を流し込み、二発目の魔法を撃った。

 今度は至近距離から、そして大魔力での攻撃だった。

 溶けかけた魔龍の表面が、再びガチガチに凍りついた。


 こんな間近で魔法を撃ったのは初めてだったが、エイナは何の反動も受けなかった。魔法防具の耐冷能力は、驚くべきものだった。


「後はお願いします!」

 振り向いたエイナに、オーレンは大きくうなずいてみせた。

 戦士団長は鉄の鋲を打ったブーツを氷に喰い込ませ、ぐっと腰を落とした。

 鋭い気合を込め、両手で握りしめた槍を真下に突き立てる。


 腕の、胸の、背中の、瘤のように盛り上がった筋肉が躍動し、何度も何度も槍が突き込まれた。

 エイナの氷結魔法で凍りつき、脆くなった外皮は衝撃で粉々に砕け、氷結の槍は凄まじい冷気を放出しながらガリガリと突き破っていく。


 強靭な外殻から受ける抵抗は大きかったが、それを無視してオーレンの攻撃が続いた。

 そして、二メートル近い槍の三分の一あたりまでめり込んだところで、いきなり抵抗が消失した。


 がくんと沈み込む槍に、オーレンはつんのめってバランスを崩す。

 ついに分厚い外殻をえぐり抜いたのだ。

 彼は勝利の雄叫びを上げ、槍を引き抜いた。

 そして大きく振りかぶり、開通した傷口に渾身の力を込め、とどめの一撃を振り下ろした。


 槍は魔龍の柔らかい肉を易々と突き破って深く沈み込み、先端の刃から一気に大魔力が放出された。

 外から見守っているエイナには分からないが、槍の柄を握りしめているオーレンには、魔法が炸裂して内部から凍結していく感触がはっきりと伝わっていた。


 だが、魔龍の身体は巨大であった。その内臓をすべて凍りつかせ、破壊するには、深部で繰り返し魔法を炸裂させねばならない。

 オーレンは再び槍を引き抜き、獰猛な叫び声を上げながら、追撃を行うべく身体を反り返らせた。


 その時、外殻に開けた穴から、もの凄い勢いで蒸気が吹き出した。

 団長は怯まずに槍を突き入れたが、異様な手応えに顔をこわばらせ、武器を引き戻した。


「どうしました?」

 異変を察知したエイナが訊ねる。

 振り返ったドワーフは、『信じられない』という表情を浮かべていた。


「おかしい。凍らせたはずの体内が、もう融けている!

 槍を突き刺した時の感覚が硬い氷ではなく、柔らかい肉に変わっているぞ!」

「そんな馬鹿な!」


 エイナは四つん這いになって、魔龍の外殻に開いた穴を覗き込んだ。

 悪臭混じりの蒸気がまともに顔に当たり、水滴となって頬を伝い落ちる。

 彼女はとっさに、傷口の中に片腕を突っ込んだ。

 二十センチ近い厚みのある外殻は凍りついたままで、刃物のように尖った断面が軍服の分厚い生地を切り裂き、腕に鋭い痛みが走った。

 だが、その先にはぐにゃりとした肉の感触が待っていた。


「熱っ!」

 叫び声とともに、エイナは反射的に腕を引き抜いた。

 魔龍の血にまみれた指先からは湯気が上がり、赤く腫れてじんじんとした痛みが走る。


「火傷……?」

 彼女は自分の手を、信じられない面持ちで見詰めていたが、すぐにオーレンの方を振り向いた。


「これは、魔龍の体内が高温で保たれているとしか考えられません。

 凍結魔法の効果を数秒で無効にするほどの熱って、いったい何ですか!

 そんな高温下で体組織が無事でいられるはずが――」

「落ち着け!」


 オーレンが分厚い手でエイナの口を塞いだ。

 感情の制御を失いかけていたエイナは、どうにか踏みとどまった。


「言っただろう? こいつはもう生き物ではない。魔物なんだ!

 考えてもみろ、もしこいつがヒュドラの成れの果てだとしたら、どうして火が吐ける?

 奴らは所詮、水辺に生きる大トカゲだ。毒は吐けるが、水と相性の悪い火を吹くなんぞ、聞いたことがないぞ。

 こいつの体内には、血の代わりに溶岩が流れているに違いない!」

「そんなバカな!」


 オーレンの推測が当たっているならば、魔龍の体内は千度に近いということになる。

 氷結の槍が放出する魔法は、一定の範囲内を零下八十度程度まで一気に下げる。

 だが、その数十倍の体積が千度の高温を蓄えているとすれば、勝負は見えている。


 脆弱なはずの首や足が、氷結武器の攻撃を受けても耐え切り、短時間で回復するのも、体内から熱が供給されているからだとすれば、納得がいく。


「どうする? 魔龍が動き出すぞ!」

「待って! 時間を、時間をください!」

 錯乱しそうな頭を振り、エイナは悲痛な叫び声を上げた。


「多くは望めないぞ?」

 オーレンは十メートルほど先の防御壁に向かい、大声で怒鳴った。


「お前ら、何秒でもいい! 時間を稼げ!」


 魔龍の上から聞こえてくる団長の声に、退避していた戦士たちが反応し、一斉に飛び出してきた。

 彼らは爆発力を秘めた戦斧を手に、動き始めた魔龍に向かって突進した。

 魔龍はまだ自由の利かない首をぎこちなく曲げ、片方の頭を戦士団に、もう一方は背中に乗っているエイナとオーレンへと向けた。

 その口が大きく開き、炎を吐こうとする。

 

 戦士たちは問題ないが、エイナとオーレンは耐冷仕様の防具なので、炎を浴びれば一瞬で焼き殺されてしまう。

 エイナが防御障壁を展開すれば、それは避けられるが、呪文が間に合いそうになかった。

 オーレンがエイナをかばうように前に出て、大きく口を開けた魔龍を睨みつけた。


 だが、その口から炎は出てこなかった。

 魔龍の喉が膨らんだかと思うと、〝ゴボッ!〟という奇妙な音がして、口から何か黒い物が吐き出された。

 粘り気のある泥のような塊りが、ぼとりと落ちて汚い粘液を飛び散らせ、刺激臭が二人の鼻を突く。


「この臭いは地中から湧く黒い油だな。

 なるほど、あれを体内の熱で気化させて炎を吐いていたのに、まだ首の温度が低すぎて、液体のまま吐き出しちまったんだろうな」


 ドワーフは地中を採掘する過程で、石油を掘り当てることがあるから、オーレンにとっては珍しい物ではないのだろう。

 魔龍が炎を吐く仕組みを解説してくれるのはありがたいが、問題の解決とは程遠い。

 すぐに首の温度が上昇して、次は炎が襲ってくるということなのだ。


 そのことは、もう一方の首が証明してくれた。

 戦士団と対峙している方の首には、突撃したドワーフたちが戦斧を撃ち込み、爆炎に包まれていた。その熱が、魔龍の喉を温める結果となった。

 魔龍は何度か咳き込み、口から不完全燃焼した小さな炎と、大量の煙を吐き出した。

 そして次の瞬間、盛大な炎を戦士たちにぶち撒けた。


 もちろん炎が効かないことなど、敵もとっくに学習している。

 魔龍は炎によって相手の視界を奪い、首を鞭のようにしならせて薙ぎ払った。

 たちまち十人近いドワーフが吹っ飛ばされ、隧道の岩壁に叩きつけられる。

 だが、元が頑健なうえに魔法で防御力を底上げされている戦士たちは、びくともしなかった。

 彼らは弾かれたように戻ってきて、雄叫びを上げて魔龍の首や足に打ちかかり、乱戦が始まった。


 一方、背中に回された首は、ようやく温まってきたのか、咳き込みながら口から煙を吐き始めた。

 エイナは凍結魔法を放って、もう一度敵の動きを止めようと決心した。

 氷結魔法の呪文はすでに唱えているが、再び発動するには魔力の集中と蓄積に一定の時間がかかる。

 せっかく外殻に穴を開けたというのに、防御のために魔法を使いたくなかった。

 だが、オーレンの氷槍だけでは、魔龍の体内を凍らせ、破壊するには威力不足だった。

 こうなったら、エイナの魔法との多重攻撃を仕掛けない限り、この怪物を倒せない。


 エイナは口惜しさに唇を噛んだが、命には代えられなかった。

 彼女は片手を突き出し、今にも炎を吐こうとしている魔龍の口へと向けた。

 その時である。エイナの視界の端に、見覚えのある姿が映った。

 シルヴィアとカー君だ。


 エイナは驚いて振り返った。

 間違いない。隧道の壁際に鎧も着けていないシルヴィアが、膝をついてしゃがんでいた。

 その横にはカー君が、そして何故だかドワーフの戦士が一人、付き添っていた。


 魔龍の方も、当然シルヴィアたちの存在に気づいていた。

 背中の上に乗っているドワーフと人間、そして無防備そうな壁際の人間と獣、どちらを先に攻撃したものか……彼は一瞬迷った挙句、シルヴィアの方を選んだ。

 ドワーフに炎が効かないことは分かっている。だったら、鎧も着けていない人間と獣を喰った方が腹が膨れるからだ。


 魔龍の攻撃する意志が、明らかにシルヴィアたちに向いたのを覚ったエイナは、魔法を撃つことを躊躇した。

 シルヴィアたちと魔龍はわずか数メートルの距離で、魔法を使えば彼女たちを巻き込むのは必至である。

 エイナは怒りと絶望に駆られた。

 どうしてシルヴィアはのこのこ出てきたのだ? 私の邪魔になると考えなかったのか?


 無駄と知りつつも、エイナはシルヴィアに向かって『早く逃げろ!』と叫ぼうとした。

 だが、彼女の目には信じられない光景が映っていた。

 シルヴィアが魔龍の方を指さして何かを命じ、ドワーフがいきなりカー君の首根っこを掴んで担ぎ上げ、投げ飛ばしたのだ。


 カー君はユニのオオカミたちよりずっと小さいが、それでも大型犬並みの体格をしている。体重だって三十~四十キロあるだろう。

 それをドワーフの戦士は、まるで生まれたての仔猫のように、易々と投げた。


 カー君は大きな弧を描いて、口を開けて待ち構えている魔龍の方へと飛んでいった。

 喜んだのは魔龍である。何しろ獲物の方から飛んできてくれたのだ。

 怪物は炎を吐くのを中止し、空中で獣を捉えようと、大口を開けて首を伸ばした。


 次の瞬間、涎まみれの鋭い牙が並ぶ顎が〝ガチン!〟と音を立てた。

 魔龍は見事なタイミングで、飛んできた獲物に牙を立てたはずだった。

 だが、カー君は魔龍の面前でぴたりと止まり、そのまま落下せずに留まっていた。


 そして、わずか数十センチの至近距離で向き合うと、カー君の喉がぼこりと膨らみ、いきなり火球を吐いた。

 目の前に広がる赤黒い粘膜の空洞に超高熱の火球が飛び込み、喉の奥深くで爆発が起きた。

 魔龍の頭部と、空中に浮遊するカー君の身体が爆炎に包まれた。


 広がる巨大な火炎の中で、カー君は続けざまに火球を吐き出した。

 魔龍は慌てて口を閉じようとしたが、口の中で連続して起きる爆発がそれを許さない。

 三連撃を放ったカー君が、炎の中でエイナの方を振り返った。


 彼女の頭の中に、いつもとは違うカー君の真剣な叫び声が聞こえたきた。


『何をしているの!

 あと十秒くらいは食い止めるから、エイナは魔龍の本体を早くどうにかして!』

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