三十七 儀式
グリンとユニは、戦士団長のオーレンと各部隊長に、エイナが考えた作戦内容を説明した。
ドワーフたちは終始難しい顔をして聞いていたが、話が終わるといったん席を外し、彼らだけで相談を行った。
十分ほどして戻ってきた戦士団は再び席につき、オーレンが代表して口を開いた。
「悪い案ではないと思う」
戦士たちがエイナの作戦を受け容れたのは、かなり意外であった。
彼らはプライドが高く、説得は難航するだろうと思われていたからで、そのために部族の重鎮であるグリンが同行してきたのだ。
「ただし」
案の定、オーレンは条件をつけてきたが、それも想定の範囲内であった。
「こちらも命を賭けるのだ。
エイナと言ったな? お前の魔法がどれほどのものか、確かめさせてもらう」
エイナは少し緊張した面持ちでうなずいた。
「当然だと思います。
私はどうしたらよいのですか?」
「外へ出て、俺に魔法で攻撃してみろ。
自分の身体で受けてみるのが、一番分かりやすいからな」
「えと、あの……攻撃魔法ですよ?
出力を弱めても、まともに喰らったら、ただでは済みませんけど」
「お前、氷結魔法が得意だと言ったが、炎系の魔法は使えんのか?」
「いえ、炎系は攻撃魔法の主力ですから、それなりに……」
「ならばよい。俺が着用している防具は、魔龍の吐く炎をものともしない防御力を持っている。
出力を弱める? ふざけたことを言うな、全力でやれ!」
各隊長たちも、オーレンの言葉にうなずいている。
人間の魔導士が、万が一にも団長にダメージを与え得るなど、まったく想像もしていないのだろう。
こうなると、エイナにも意地がある。
「分かりました。
午前中に魔龍との戦いを見学させてもらいましたから、防具の性能は疑いません。
全力のファイアボールをお見舞いします」
「それでよい」
オーレンと部隊長たちが一斉に立ち上がる。
全員が嬉しそうで、まるで子どものようにわくわくした表情を浮かべている。
さっきまで焼酎を注いでいた若いドワーフが、一足先に飛び出していった。仲間たちに報せに行ったのだろう。
居住区や工房区といった各エリアに共通した特徴だが、ドワーフが地中に掘り広げた空洞の中央には、通路を兼ねた広場がある。
そこにエイナとオーレンの二人が、向かい合って立っていた。互いの距離は二十メートル程度だ。
周囲にはグリン、ユニとオオカミたち、そしてシルヴィアとカー君のほか、見物に集まった数十人のドワーフたちが遠巻きに見守っている。
エイナは王国軍の軍服をまとっているだけの手ぶら、オーレンは鎧兜に籠手、臑当てをつけた完全装備である。
別に戦うわけではないのに、戦斧を握りしめているのは、それがないと落ち着かないからだ。
オーレンは両脚を開いて踏ん張り、大声を上げた。
「いつでもいいぞ!
遠慮はいらん。お前の出せる、最大威力でかかってこい!」
エイナは黙ってうなずいた。
彼の呼びかけに答えなかったのは、呪文の詠唱を続けているためである。
彼女の口から漏れる、低い声が止んだ。
同時に右手がすっと上がり、オーレンの方に掌を向ける。
彼女の手のすぐ先に、白い光の塊りが出現した。
それは輝きを増し、どんどん大きくなっていく。
「では、いきます」
エイナは静かにそう言って、伸ばした手をいきなり振り上げた。
光球が放たれた矢のように飛び出し、あっという間にドワーフとの距離を詰める。
そのまま直撃すると思われたが、オーレンの手前二メートルほどで急に軌道が変わった。跳躍をしたように上に跳ね上がり、半円を描いて戦士団長の背中を襲ったのだ。
ドワーフの魔法防具は、打撃や斬撃を直接受け止め、蓄えられた魔力は、強度の底上げと衝撃に対する反発に消費される。
一方で、魔法やブレス攻撃に対しては、装着者の周囲に小さな障壁を生み出して、それを撥ね退ける。
背後から攻撃することにあまり意味はなさそうだったが、意表を突くことで動揺を誘ったのだ。
魔導士が心を乱すと、魔法の制御を失うことが多い。威力が減衰したり、最悪暴走することすらある。
防具に刻まれた呪文が魔法発動させるのなら、使用者を慌てさせることは無駄ではないはずだった。
オーレンは魔法の急激な軌道変化に対応できず、光球はまともに彼の背にぶち当たった。
途端に爆発が起きる。
吹き上がる炎はドーム状の結界に閉じ込められ、その中で激しく渦を巻く。
数千度の灼熱地獄が戦士団長を呑み込み、炎の龍が数秒にわたって荒れ狂った挙句、唐突に消え去った。
多くの見物人が固唾をのんで見守る中、焼けた地面から立ち上る白い煙が薄れていった。
その中から、戦斧を構えて立つオーレンの姿が現れた。
「おおうっ!」
ドワーフたちの間から、溜め息混じりの歓声が沸き起こった。
エイナが慌てて団長の元に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
近づくと、熱気とともに人毛が焦げる嫌な臭いが襲ってくる。
よく見ると、オーレンの長い眉毛や、顎髭の先がちりちりになって焦げている。
彼はごほごほと咳き込むと、差し伸べられたエイナの手を振り払った。
「大事ない!」
オーレンはそう吐き出し、腕を上げて自分の鎧や籠手の状態を確かめた。
エルフの呪文が刻まれた防具には、焦げ跡ひとつ付いていない。
「魔龍の炎よりも強力だな。
あの結界は炎の威力を高めるためか?」
「はい。ファイアボールは効果範囲を犠牲にして、相手が耐えられないような高熱に閉じ込めます。
現在、人間の魔導士が扱う汎用魔法の中では、最も攻撃力が高いとされています。
でも、さすがですね。ドワーフの魔法防具は抜けませんでした」
「いや、大したもんだ。防具の魔力がごっそり持っていかれたぞ。
俺は人間の魔法を侮っていたようだ。
氷結魔法でも同じようなこと――結界を利用した局所攻撃ができるのか?」
戦士団長の目は期待に輝いていたが、エイナはそれに応えることができなかった。
「いいえ。氷結魔法は制御が難しい割に攻撃力が低いので、多用されている炎系の魔法ほど研究が進んでいないのです。
運用としては、敵の殺傷よりも広範囲を凍りつかせ、動きを止めることに主眼が置かれています」
「ふん、俺たちの魔法武器と一緒だな。
だが、まぁいい。これだけの魔法を扱えるなら、命を預けてやってもいいだろう。
明日はよろしく頼む」
「えと、あの……氷結魔法の方は、試さなくてもよいのですか?」
「やめてくれ。ドワーフがいくら頑丈だとはいえ、無敵というわけではないのだ」
彼は戦斧を地面に突き立て、両腕をエイナの目の前に突き出した。
籠手の隙間から黒ずんだ血が吹き出し、だらだらと滴り落ちていた。
「さっきの魔法攻撃で、皮膚が破れた。
どうせ浮腫の血は抜かねばならんから、手間が省けたが、この状態で冷気の攻撃は受けたくない。
俺は痛いのが苦手なんだ」
冗談なのか本気なのか、彼は豪快に笑いながら救護所の方へ向かって行った。
* *
翌日の朝早く、ユニたちは再び前線基地を訪れた。
エイナはすぐに兵舎に連れていかれ、昨日の夕方に届いたという、耐冷仕様の魔法防具を渡された。
兵舎には女子更衣室などというものはないから、適当な物置部屋を借りて着替えを済ます。
司令部では、戦士団長と各部隊長のほか、年かさの戦士たちが集まっており、もう一度作戦の段取りが確認された。
ちなみに、ドワーフ戦士団には階級が存在しない。
一応、戦士団長と各部隊の指揮官は決められているが、その命令を各兵士に伝える役は、経験が豊富な戦士に任されているらしい。
午前中の襲撃は、大体十時から十一時頃と決まっている。
それが魔龍の食事時間ということなのだろう。
「魔龍はドワーフによって掘り出されるまで、地中で眠りについていたのですよね。
それ以前は、一体何を食べて命をつないでいたのでしょう?」
エイナは気になっていたことをオーレンに訊ねてみた。
「さぁな」
彼の答えは素っ気なかった。
「お前さんは少し勘違いしているようだが、奴はあくまで魔物だ。
俺やあんたたちと同じ、生き物だと考えない方がいい。
元は沼地で暮らすヒュドラだったのかもしれないが、何かの拍子に生き埋めになったんだろうな。
普通はそこでお終いになるはずだが、地中の瘴気に蝕まれて、魔物というまったく別の存在に変容したのだろう。
奴は怒り、恨み、嫉妬、恐怖……そういった負の感情、生者への徹底的な悪意だけで動いている化け物だ。
本当なら、何かを飲み食いする必要なんかないのさ。
目覚めた魔龍が俺たちを喰らうことに執着しているのは、生き物だった頃の記憶にしがみついているからだろうな」
「……何だか、生ける屍みたいですね」
「ああ、いい例えだ。
あの魔龍は、地下迷宮でうろつく骸骨どもと、本質的には変わらない存在だな。
奴らの魂を浄化するのは、もう無理な話だ。粉々にして、土に還してやるしかないだろう。
さあ、そろそろ行こうか!」
戦士団長は椅子を蹴って立ち上がり、司令部の建物から出ていった。
各部隊長や古参の兵士が続き、人間たちもそれに従った。
外へ出ると、広場には戦士たちが整列を済ませ、指揮官を待っていた。
長い柄の戦斧を立て、黒光りする鎧に身を包んだ数十名の男たちは、戦士団長の顔を注視する。
オーレンは地面より一段高い司令部の入口から、彼らの雄姿を見渡した。
「誇り高き戦士たちよ!」
石畳に戦斧の石突を打ちつけ、団長の大声が響きわたった。
「今日こそは魔龍と決着をつける!
全員死ぬ気でかかれ!」
戦士たちの雄叫びが、地中の空洞の空気を震わせ、わんわんとこだまする。
隧道へとつながる通路を塞ぐ分厚い鉄の扉が、数人がかりで押し開かれ、ドワーフ戦士団を呑み込んでいった。
* *
分銅形の鉱滓を積み上げた防御壁は、高さが三メートル、厚みも二メートルほどある。
エイナはオーレンとともに、最前線の壁の内側に身を潜めていた。
ユニとシルヴィアは、その一つ後ろの第二防衛線に隠れている。オオカミとカー君も一緒だった。
隧道の奥には斥候役のドワーフが配置されており、地面に耳をつけて魔龍の接近を警戒していた。
エイナはオーレンに身体を預けるように、ぴったりと密着していた。
彼女の方が背は高いが、横幅は団長の半分もない。
逞しいドワーフの身体に触れ、汗くさい臭いとともに体温を感じていると、体の震えが止まり安心していられた。
自分から言い出した作戦ではあったが、エイナは恐ろしかった。
目を閉じると、前の日に目撃した、生きながら喰われていくドワーフの歪んだ顔が、しつこく浮かんでくる。
「恐いか?」
オーレンが覗き穴に片目を押し当てたまま、掠れた声でささやいた。
「はい。情けないですが」
エイナは正直に答えた。
「それでいい。恐ろしくない奴なんぞ、一人もおらん。
戦いの前に俺たちがやる戦舞はな、その恐怖を勇気に変える儀式なんだ。
何ならお前も一緒にやるか?」
エイナはガニ股で四股を踏みながら、野太い声で喚き舌を出している自分の姿を想像し、小さな笑い声を洩らした。
「いえ、遠慮しておきます。
魔龍には、いつもと変わった様子を見せない方がいいと思います」
敵を待ち続ける、永遠と思えるような時間が流れた(実際には二十分程度だった)。
鉱滓壁の内側に、突然低いざわめきが起き、緊迫した空気が流れた。
前方の薄暗い隧道から、斥候に出ていた二人のドワーフが、全速で走ってきたのだ。
彼らは防御壁の隙間から、転がるように飛び込んできた。
「来ました!
いつもどおりです。あと、五、六分で姿が見えるはずです」
斥候の報告を受けてオーレンが立ち上がり、壁の前に進み出た。
およそ三十人ほどの戦士がそれに続き、団長の背後で二列の横隊を作る。
エイナは壁の内側に残り、呪文の詠唱を開始する。
斥候の見立てどおり、それからおよそ五分後、地響きとともに魔龍が姿を現した。
カメの甲羅のような扁平な外殻から、くの字に曲がった短く太い四足と、二本の長い首がゆらゆらと立ち上がっている。
首の先では、潰れたトカゲのような醜悪な頭部が踊っており、半開きの口からは長い舌がしゅるしゅると出入りし、長い牙の隙間から唾液が滴っている。
魔龍は待ち構えているドワーフたちの十メートルほど手前で静止した。
瞬膜が前後し、縦長の瞳が疑い深そうに獲物たちの様子を窺っている。
敵が立ち止まったの受け、二列横隊の戦士たちがオーレンの前に進み出た。
彼らは戦斧の石突を地面に突き立て、一斉に雄叫びを上げた。
エイナは鉱滓壁に背中をつけ、びりびりと空気を震わす叫びを一人で聞いていた。
昨日も見た、ドワーフたちの戦いの儀式が始まったのだ。
それは先ほどオーレンが言ったように、自らを鼓舞するものであったが、同時に相手を愚弄し、挑発する動きでもあった。
魔龍はこの儀式の終わりを待つことなく、いつも先制の火炎攻撃を仕掛けてくる。
自分に向けられる悪意を、敏感に感じ取るのだろう。
すでに氷結魔法の呪文詠唱は終わっている。
今度はこちらが先んじる番であった。