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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第一章 王立魔導院
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十三 訓示

 軍の大型テントは、最大で四十名が寝泊まりできる。

 第一軍西部演習場には、魔導院の生徒のためにこのテントが二張り建てられていた。

 一つは女生徒専用、もう一つは男どものためである。


 演習に参加する学年では、召喚士科と魔法科を合わせても女子は十四人しかいないため、第一軍の女性兵士と共同利用となったが、それでも十分に余裕があった。

 一方の男子用テントには、定員を上回る四十二人の男子生徒が詰め込まれた。

 十七歳という思春期の少年たちが折り重なって眠るテントは、むっとするほどに烏賊イカ臭かった。


 逆に女子テントの方は、過剰な石鹸の匂いと微かに甘い香水(もちろん規則違反である)の香りが漂い、乙女の濃密な体臭を覆い隠していた。

 これはこれであまり好ましい空気ではなかったが、少女たちに注意するだけ無駄というものだった。


 魔導院の生徒たちは、まだ薄暗い明け方の四時には叩き起こされた。

 三十分で着替えと洗面を済ませ、残る半時で簡易な朝食をかき込むと、やる気満々の若者たちは隊列を組み、勇んで所定の集合場所へと向かった。

 すでに第一軍の精鋭たちおよそ四千人が、広い草原に兵科と部隊別に整列していた。

 わずか五十人余りに過ぎない生徒たちは、その迫力に圧倒されて、たちまち自信を失ってしまった。


 高台の観閲席に座った教官のケイト中尉は、彼女の教え子たちの表情に微笑を浮かべずにはいられなかった。

「これもいい経験となるわ」

 彼女は生徒たちの境遇に、わずかな嫉妬を覚えていた。


 王国人として初めて魔導士となり軍に入隊した時、彼女は十九歳の小娘に過ぎなかったのだ。

 誰一人仲間のいない状況で巨大な軍組織に放り込まれ、どれほど不安で心細かっただろう。

 今の彼女は二十五歳となって、様々な経験を積んでいる。

 王国魔導士の先駆けとして、少々のことでは動揺しないだけの自信をつけていた。


 そこに至るまで、どれほどの涙を流したことか――それを思えば、教え子たちは恵まれすぎている。

 多少のやっかみを抱いても、罰は当たらないだろう。

 そんな物思いにふけっているうちに、演習の全体責任者である白虎帝ノエル・アシュビーの訓示が終わっていた。


 白虎帝はやっと二十歳を超したばかりのはずだが、その態度はひどく落ち着いていた。

 白城市の女性たちから貴公子プリンスと呼ばれていた先代にくらべると、容姿の面では見劣りするものの、的確な指揮と手堅い仕事ぶりで、第一軍内部では高く評価されていた。

 ノエルは白虎帝としての風格を身につけており、見違えるほど大人になっていた。


 エイナは三年間、ノエルと同じ魔導院で学んでいたが、話したことはなく、ただ顔や声を知っている程度だったから、彼の変化にはあまり驚かなかった。

 だが、シルヴィアをはじめとする召喚士科の生徒たちは、九年間にわたる付き合いがある。彼らにとっては兄のような存在で、立派になった姿に涙ぐんでいる者が多かった。


 ケイト自身は白虎帝に対して何の感情も持っていない。

 実を言うと、彼女は孤児という育ちにありがちな重度の年上志向で、南カシルでの恩人であるマーク・カニングという初老の男に、文字どおり身も心も捧げていた。

 カニングは南カシルという巨大貿易港を牛耳る犯罪組織、黒龍組の大幹部であり、二年前には組長に就任していた。


 そんな人物と内縁関係にあるのだから、軍人としては何をかいわんやであるが、ケイトの師匠であり上司でもあるマリウス参謀副総長は、それを黙認していた。

 二人の複雑な事情をすべて知っていたということもある上に、マリウス自身がカニングと表沙汰にできないつながりがあるからだった。


 白虎帝の訓示が終わったところで、第一軍の兵士たちはそれぞれの配置に移動を開始した。

 四千の兵士が煙のように消え去った草原には、五十人余の魔導院生だけが取り残され、不安な表情でお互いに顔を見合わせていた。

 ケイトは〝やれやれ〟といった表情で、観閲席から演台へと向かった。


 今回、魔導院の生徒を引率してその指揮を執る責任者は、軍籍にあるケイトの役目だったのだ。

 彼女が一段高い台の上に現れたことで、教え子たちの顔には安堵の色が浮かび、ざわめきが起こった。

 すかさず「傾聴!」という鋭い怒号が飛ぶ。

 たちまち私語は止み、水を打ったような静けさが訪れた。


「これより貴様らに演習の概要を説明する!

 一度しか言わない。各自聞き漏らすな!」


 魔導院におけるケイトは、丁寧な言葉遣いと柔らかな声音で授業を進める。

 開口一番の注意は、それまで生徒たちが聞いたことのない厳しい口調だった。

 それは、ここが軍隊の訓練場であることを如実に示しており、生徒たちの顔にはいやが上にも緊張が走った。


「魔法科の者たちは、それぞれの型に合わせて配属先が決まっている。

 担当教官から指示があり次第、速やかに配属部隊に赴き、現場の指揮官に着任申告。以後はその指示のもと行動せよ!

 なお、あくまで訓練であるから、攻撃に使用するのは閃光魔法に限定するものとする。

 効果判定は貴様らの所属部隊長が行う。

 万が一にも敵の攻撃を受けて戦闘不能の判定を受けた馬鹿者は、ただちに本部死体置き場へ戻ること。以上である!」


 最初の指示は明快であった。

 魔法科の生徒たちはすでに最終学年に達しており、それぞれの魔法の〝型〟が判明していた。

 攻撃魔法に適性がある者、防御魔法に特化した者、補助魔法が得意な者、あるいは万能型と言われる攻防双方を操れる者などである。


 攻撃型の魔導士は、最前線で敵を粉砕する最も華やかな(逆に言えば危険な)役割である。

 これに対して防御型魔導士は、突撃する部隊に帯同して直接支援をしたり、司令部要員を守るという重要な役割を与えられた。

 補助魔法、特に重力魔導士は輜重隊が私闘を起こすほどの奪い合いとなったし、攻防万能型の者たちは状況の変化に応じてどんな役割もこなせるので、偵察任務に欠かせない存在だった。


 今回は実戦形式の演習だったから、魔導士候補生たちがそれぞれの型に応じて配属されるのは、当然の措置と言える。

 魔法科の生徒たちは生唾を飲み込み、武者震いをした。自分たちの力を試す、好機に恵まれたのだ。

 それに比べて召喚士の生徒たちは、不安な表情のまま、ケイトの次の言葉をじっと待っていた。


 だが、ケイトが発したのは、全く予想外の発言であった。

「召喚士科の生徒たちには、それぞれ臨時に幻獣が配属される!」


 一瞬、どよめきが起こった。『臨時の幻獣配属?』召喚士候補生たちは、ケイトが何を言っているのか理解できなかったのだ。

「静かにしろ!」

 すぐに別の教官から怒号が飛び、再び静寂が訪れた。

 ケイトはそれを待って、言葉を継いだ。


「敵の魔導士は、こちら側の魔法攻撃に対して防御障壁を展開することが予想される。

 貴様たちは、指定された魔導士候補生と協力し、臨機応変に幻獣を使いこなせ!

 敵魔導士が魔法防御を行えば、それぞれの幻獣に命じて突破口を開け。

 物理防御ならば、味方魔導士の攻撃魔法に乗じて突入し、敵拠点を制圧せよ。

 状況に応じて幻獣に指示を出し、魔導士に効果的な攻撃の機会を与えるよう各自工夫をこらすのだ!」


 緊張した面持ちで、自分の言葉を聞き逃すまいとしている生徒たちの目を、ケイトは一人ひとり睨みつけていった。

 彼らが指示を理解していると判断すると、ケイトは言葉を続けた。


「午前中は、魔導士との連携に習熟することが主眼である。

 午後からはそれに加え、一般兵士との共同作戦を実施する。

 一層複雑となり、一瞬の躊躇が己と味方の死につながることを忘れるな!

 以上である!」


 召喚士科ばかりか魔法科の生徒までもが、呆けたような表情でケイトを見詰めていた。

 その静寂を破って、一人の生徒が挙手をした。

「教官殿、質問があります!」


 それは学年の首席であるシルヴィアだった。

「許す。簡潔に述べよ」


「私たち召喚士科の七人は、まだ召喚儀式を受けておりません。

 契約をしていない幻獣と意思を疎通させる方法とは、いかなるものかご教示ください!

 いえ、それより演習のために七人分もの幻獣を調達することが、そもそも可能なのでしょうか?」


 ケイトはその質問を予想していた、というより待っていたようだった。

「当然の疑問だな。

 魔法科では、この演習のために、敵役としてわざわざ先輩魔導士を多数召集した。

 召喚士科でも、貴様らのために先輩召喚士に協力を要請している。

 これからその召喚士殿を紹介する、全員、気をつけ!」


 鋭い号令に生徒たちは反射的に背筋を伸ばし、相手が分からぬままに一糸乱れぬ敬礼を行った。

 年間三百日を超す、軍事教練の賜物である。

 すると、何者かが演台に取り付けられた段を登って、ケイトの隣に立った。

 軍の制服ではなく、まるで狩人のような粗末で実用的な服を着た、小柄な女性だった。


「諸君の先輩である、ユニ・ドルティア二級召喚士殿だ。

 高名なお方だから説明は不要だろうが、ユニ召喚士は九頭の幻獣を従えておられる。

 貴様らに一頭ずつ貸与しても、何ら問題はない。

 オオカミたちは、簡単な命令であれば人間の言葉を理解できる。

 半人前の貴様らよりよほど賢く、経験した場数は比べ物にならないし、必要とあれば、ユニ殿が意思疎通の補助をしてくれる手筈になっている。

 余計な心配は不要である!」


 ケイト教官はそう言うと、質問者の反応を待った。

 ユニに憧れを抱いているシルヴィアは、信じられない幸運に叫び出しそうになり、口を両手で覆ってどうにかそれをこらえていた。


「どうやら納得したようだな。ほかに質問はないか?

 ……なければ幻獣を受領したのち、各教官から確認した配属先へ移動せよ!」


 ケイトの命令を受けて、魔法科の生徒たちは一斉に担当教官のもとに集り、自分の行くべき部隊を確かめようとした。

 演台の背後から、巨大なオオカミたちがのそりと進み出て、召喚士の卵たちに近寄っていった。

 ユニの側に残ったのは、ライガとヨミの二頭だけである。

 彼らは、分散することになるオオカミたちと、ユニの意識を繋ぐ中継点として動くことになっていた。


      *       *


「シルヴィアは左翼の一番端だ。

 第二師団第三大隊、第二中隊長ワグナー中尉の指揮下に入れ。

 君の幻獣は、このオオカミだ。名前はロキという」


 担当教官はそう言って、シルヴィアにユニの幻獣を引き合わせた。

 全身真っ白な体毛が美しい、若く溌溂としたオオカミだった。

 立派な体格をしており、その頭は百七十センチを超す長身のシルヴィアよりも上にあった。


「よろしくね、ロキ」

 シルヴィアが微笑みかけると、白色のオオカミは尻尾をゆっくりと振りながら、ざらざらする大きな舌で、彼女の頬をぺろりと舐めた。


「教官殿、私と組む魔法科の生徒は誰になりますでしょうか?」

 シルヴィアはそう訊ねたが、担当教官の返事はそっけなかった。


「組み合わせまでは承知しておらん。

 すべては現地指揮官の指示に従うことだ。分かったら出発しろ!」


 すでに前線に向けて走り出している同級生が、何人かシルヴィアの視界に入った。

 駆け足で走る人間の脇を、周囲を警戒しながらオオカミがゆっくりと並走していた。


 シルヴィアの決断は早かった。彼女は白いオオカミに命令した。

「時間が惜しいわ。ロキ、私を乗せてちょうだい」


 ロキは本当に言葉が分かるらしく、シルヴィアの要請に従ってくれた。

 三メートルほどの大きな体を地面に伏せ、シルヴィアが跨るのをおとなしく待ってくれた。

 立ったままでは、鞍もあぶみも着けてないオオカミに乗るのが困難であると、きちんと理解しているようだった。


 シルヴィアは魔導院で十分に乗馬の訓練を受けていたが、裸の獣に乗ることが、こんなにも不安定なのかと内心驚いた。

 針金のようなオオカミの体毛はずるずると滑り、足の踏ん張りどころがどこにもない。

 首筋の長い毛を拳に巻きつけるようにして掴み、両膝と踵でしっかりとオオカミの胴体を挟み込む。

 お尻に体重をかけるのは厳禁で、少し腰を浮かせないと、大事なところが酷いことになる。

 それは、憧れのユニと旅をしたというエイナから、何度も教えてもらった体験談が頭に入っていなければ、初体験でできなるような真似ではなかった。


『へえ、この娘は見どころがあるな』

 ロキは少し驚きのこもった目でシルヴィアを見ると、慎重に立ち上がった。

 そして、ゆったりとした足取りで、前線左翼の塹壕の方向に向かって駆け出した。

 シルヴィアはロキに対して、進むべき方向を指示しなかったのに――である。


 幻獣は粗野なケダモノではなく、高い知性を持っている。

 それは魔導院で叩き込まれた知識であったが、いざ目の前でそのことを思い知らされたシルヴィアは、感動を覚えずにはいられなかった。


「さあ、あたしの初陣よ!

 学年主席の名誉にかけても、手柄を立ててみせるわ。頼んだわよ、ロキ!」

 すっかり気分が高揚したシルヴィアは、予想以上に揺れるオオカミの背の上で勇ましく叫んだ。


      *       *


 本部高台の観閲席で、各所に散っていく召喚士科の後輩たちを、ユニは微笑ましく見守っていた。

 その中で、一人だけオオカミに騎乗して駆け去っていくシルヴィアの姿は、ひときわ目立っていた。

 ユニは、隣に座っている男性に声をかけた。親しい友人であるかのような、気軽な口調だった。


「ロキに乗っているあのの名前、分かる?」


 男は笑顔を浮かべて答えた。目が糸のように細められている。

「ああ、彼女はシルヴィアですね。

 学年の首席で、国家召喚士を期待されている有力株ですよ」


「ふ~ん。道理で、幻獣の扱いも堂々としたもんだわ。

 ロキも感心している。

 彼女と組む魔法科の生徒は誰なの?」


「エイナですよ。

 ほら、ユニさんが辺境から連れ出したです。覚えているでしょう?

 彼女も魔法科でトップを争っている逸材ですね」


 ユニは懐かしそうに微笑んだ。

「うん、覚えている。

 もう六年も前の話よね。小さくて痩せっぽちの子だったけど、もう十七歳か……。

 私もおばさんになるわけだわ」

「いえいえ、ユニさんは変わっていませんよ。今でも十分に魅力的です」


 ユニは〝ふん〟と鼻で笑ってみせた。彼女はもう三十八歳になっていて、さすがに小皺が増え、肌の張りも衰えていることを自覚していたのだ。


「お世辞でも嬉しいわ。

 この演習、ちょっと楽しみね。あなたの計画も、順調に実を結びつつあるっていうわけだ。ねえ、マリウス」


 気安く名を呼ばれた王国軍のトップ、首席参謀副総長は、目を糸のように細めたままにうなずいた。

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