三十五 魔法具
ユニたちは昼食を済ませ、ズリンの先導で武器工房へと向かった。
道すがらズリンにいろいろ訊ねてみたが、彼は工房長の用件については、よく知らないようだった。
工房エリアの広い空洞に入ると、彼は女たちを事務室の建物へと案内した。
分厚い扉を開くと、部屋の中央のテーブルには、すでに工房長のグリンと徒弟長のデュリンが席についていた。
そして、テーブルの上には、一振りの剣が置かれている。
ズリンは入口で「ご案内しました」と言ってぴょこんと頭を下げ、そのまま外に出ていった。
残された三人は、何となく気まずい思いで顔を見合わせ、テーブル席に腰をおろした。
「何かあたしたちに用があるそうだけど?」
ユニがじっとグリンの目を見ながら、そう口火を切った。
「ああ、お前にと言うよりは、そっちの二人の方に確かめたいことがあってな」
「エイナとシルヴィアに?」
「そうだ」
グインは顎髭を引っ張りながらそう答え、卓上の剣を二人の前へ押しやった。
「お前たち、この剣に見覚えがあるな?」
二人はゆっくりとうなずく。目の前に置かれた剣は、一昨日に試し斬りをさせてもらった時に使ったブロードソードである。
「答えろ。この剣に何をした?」
グリンもデュリンも、厳しい眼差しで二人を見詰めている。
「何と言われましても……先日、試し斬りをさせていただいただけです。
徒弟長さんからも許可をもらいましたし、何も咎められるようなことはしていません」
シルヴィアがきっぱりと言い切った。
腰を浮かしかけた工房長の腕を、デュリンが素早く押さえる。
徒弟長は『自分が話します』と言うように首を横に振り、エイナたちの方に向き直った。
そして厳しかった表情を少し緩め、落ち着いた口調で説明を始める。
「試し斬りのことなら、何も問題はないし、咎めるつもりもない。
実を言うとな、あんたらが帰った後、ズリンの奴がこの剣を持って俺のところにやってきたんだ。
どうかしたのかと訊ねると、奴は剣の様子がおかしいと言う。
俺はわけが分からず、差し出された剣を受け取ったんだが、柄を握った瞬間、ズリンの言っている意味が分かった」
徒弟長はいったん言葉を切り、エイナたちの表情を窺った。
しかし、二人は何を言われているのか理解できず、困惑した表情を浮かべたままだった。
「ふむ、やはり身に覚えはなさそうだな。
この剣は戦士団から修理に回されてきたものだ――ということは知っているな?」
エイナたちは同時にうなずく。
「修理と言っても、研ぎ直しではない。確かに多少の刃こぼれはあるが、まだまだ十分に使えるレベルだからな。
問題は剣に封じ込められた魔力の枯渇だ。
こいつはあと四、五回も使えば、蓄えた魔力を使い切ってしまう。戦士団は武器や防具に命を預けているから、その見立ては正確だ。
あんたたちが試し斬りに使ったから、魔力は空に近くなっているはずだった」
「だが、俺が手に取った時、剣から感じる魔力は、満杯に近いものだった。
武器に呪文を刻み、魔力を封じる技を、武器工房で持っているのは俺と工房長だけだ。
どちらも高度な技術で、危険も大きい。魔力の封入は時間をかけて慎重に行わないと、魔法が暴走して大事故を起こすからだ」
「それがどうだ。あんたらが試し斬りをしたわずかな時間で、この剣は魔力を取り戻していた。
何をした? そう訊きたくなるは道理だろう?」
徒弟長の説明が終わっても、やはり二人には答えようがなかった。
彼女たちは顔を見合わせた。
二人の様子を見ていたグリンが、おもむろに口を開く。
「まぁ、いきなり訊かれても困るか……。
ちょうどよい。わしらドワーフと魔力の関係を、はじめから説明してやろう。
話を聞けば、何か思い当たることがあるかもしれん。
少し長い話になるが、いいか?」
「それは願ったりね。あたしたちも魔龍との戦いを見て、思うところがあったのよ。
特にこの娘――魔導士のエイナは、ドワーフの武器と魔法の関係を、もっと詳しく知りたがっているみたいなの。
あんたたちの話が長いのは、知っているから気にしなくていいわ」
「そうか、戦士団の戦いを見学したのであったな。それで、どうだった?」
ユニは肩をすくめてみせた。
「目の前でドワーフが一人、喰われたわ。
あんたたち自慢の魔法武器も、ほとんどが役立たず。あれじゃ、戦士団が気の毒よ」
腕組みをして毒づくユニの前に、若いドワーフが茶を運んできた。
「こういう時は、強い焼酎でも飲みたい気分だわ」
彼女は冗談のつもりだったが、給仕のドワーフは「それもそうだな」と言って彼女のカップを下げた。
そして、すぐに戸棚から大きな素焼きの壺とグラスを持ってきて、どぼどぼと注ぎはじめた。
甘ったるい穀物の香りと、アルコールの刺激臭がたちこめ、エイナとシルヴィアは思わず顔をしかめた。
酒を注ごうとするドワーフに、彼女たちは慌てて断ったが、工房長と徒弟長は当然という顔をして、きつい焼酎を手に取り、半分ほどを一気に呷った。
ドワーフにとって酒は茶のようなもので、仕事中であろうと気にせずに呑むのである。
「さてと……わしらドワーフは、種族として魔法的な体質を持っておる。
無論、エルフには遠く及ばないが、人間とは段違いの魔力量を、誰もが保持しているのだ。
だが、ドワーフの魔法使いなど、聞いたことがないだろう?
わしらは膨大な魔力を持ってはいるが、ごく限られた魔法しか行使できんようになっておる」
「何かの制限がかかっているということですか?」
エイナが口を挟んだ。彼女は魔導士だけに、こうした話には強い興味を示す。目が真剣だった。
「そうだ。聞いたことがあるだろうが、地霊ノームの祝福というのがそれだ。
わしらが誰でも使える魔法と言えば、小さな火を起こしたり、暗闇で明かりを灯すといった、人間でも初級とされる簡単な生活魔法に限られる。
中級以上の魔法は、鍛錬を重ねた一部の者しか使えんが、それもすべてわしらの仕事に関係するものばかりだ。
採掘の時に役に立つ、地盤を緩めたり、重力を操作して巨石を動かしたりする魔法、それから武器や防具といった道具に、魔力を封じ込める魔法もその一つだな」
「えと、あの……そんな制限があるのでは、祝福と言えない気が……」
「そうでもないんだよ。
ドワーフの種族特性はしっておろうな? わしらは人間よりも遥かに頑健な肉体と、強い筋力を持っている。疲れにくく持久力に富み、魔法や呪いにも高い耐性がある。
それらの力の源は、わしらの高い基礎魔力にある。誰も意識していないが、日常的に魔力を消費して、肉体と精神を底上げしている。
これこそがノームの祝福なのだ」
「それなら、剣に自らの魔力を封入する行為は、その優れた種族特性を危うくするのではありませんか?」
「ほう、よく気づいたな。誰でもができる技ではない、と言った意味が分かるだろう?」
グインは笑みを浮かべてグラスに残った焼酎を飲み干した。
若いドワーフがすかさず杯をなみなみと満たす。
「だから武器への魔力封入は慎重にならざるを得んし、封じる魔力にも限界がある。
武器に刻まれた呪文に魔力が流れると、魔法が発動するわけだが、術式の中には制御構文が仕込まれていてな、一定量以上の魔力は消費しないようになっておる。
そのお陰で、魔法武器は通常の使い方なら数年は使い続けられるし、魔力が乏しくなれば再封入できる。
もっとも、これはドワーフが使った場合の話で、人間なら使用期限は数十倍に延びるだろうな」
「その違いは、発動する魔法の威力の違いですか?」
「そうだ。さっきも言ったように、ドワーフは頑健な身体と高い魔法抵抗力を持っている。だから、武器が強力な魔法を発動させても、その反動に耐えることができる。
脆弱な人間が同じことをすれば、まず即死だな。
だから人間が使った場合、消費する魔力は微々たるもの。簡単には無くならんのだ」
エイナはハッとしたような表情を浮かべた。
「あの! 午前中の戦いで、戦士団長さんは氷結の戦斧を二度振るっただけで、別の武器に取り替えました。
もしかして団長さんは、何か無理なことをしていたのではないでしょうか?」
グリンは片方の眉を上げて目を剥いた。
「二度振るっただと? あの馬鹿!」
彼は大声を上げ、グラスの焼酎を再び飲み干した。
「俺は奴に『使うなら一度切りだ』と念を押したんだがな……。
いいか、魔法武器は使用者の肉体強度と魔法抵抗力を自動的に判断し、その制限の中で最大威力の魔法を出そうとするんだ。
だが、あいつら戦士団は魔龍の吐く炎に対抗するため、呪文によって耐火力を高めた鎧兜を着用している。
あの防具は炎や熱を完璧に遮断するが、その際に使用者が本来持っている防御能力を上書きしてしまう。それがどういうことか分かるか?」
「えと、あの……耐火能力に特化するあまり、耐冷防御力を失うってことですか?」
「嬢ちゃん、あんた頭がいいな。そのとおりだ。
あの戦斧は使用者の能力を自動判定すると言ったが、その際に身に着けている防具のことは計算に入れないんだ。
本来ならぎりぎり耐えきれる威力の魔法を発動させることが、防具のせいで仇となる。
炎の防具はお約束って奴で冷気には滅法弱い。それを着用すれば、魔法の効果でドワーフ固有の対冷能力が上書きされ、ゼロ以下になってしまうんじゃ。
その状態で、強力な冷却魔法を、しかも至近距離で発動させたらどうなる? 絶対に無事では済まんぞ。
だからオーレンには、炎の防具を身につけたまま氷結の戦斧を使うなら、一度だけにしろと忠告していたんだが……あの馬鹿! 二度も使いやがったのか!」
「じゃあ、雷撃能力のある槍に替えたのは……」
「ああ。雷撃なら、炎の防具は干渉しないからな。
あの野郎、二度も氷結魔法の反動をもろに受けて、よく死ななかったな。
少なくとも、今ごろは全身の皮膚が凍傷を起こして、血豆と水腫でぶよぶよになっているだろうよ。
戦士団の治癒魔法使いでは、ろくな手当もできんだろう」
「そうね、さすがは戦士団長、大した覚悟だわ」
ユニがぼそりとつぶやいた。
「それでも、レグリンは魔龍に喰われたわ」
グリンは三杯目の焼酎を呷り、彼女を睨みつけた。
「お前、何が言いたい……戦士団を馬鹿にする気か?」
「違うわ。オーレンは次の戦いで、氷結の斧を三度使おうとするってことよ。
あんただって、薄々分かっているんじゃないの?」
「じゃあ、どうすればいい!」
グリンはテーブルを力任せに叩き、空になったグラスがひっくり返った。
ユニはそれを無視して、エイナに訊ねた。
「エイナ、ドワーフの魔法武器や防具の仕組みは分かったと思うけど、何か思い当たったことはある?」
エイナは下を向いたまま、頭の中で考えを巡らせているように見えた。
少し間を置いて、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「何となくですが……分かってきました」
エイナは武器工房長に顔を向けた。
「魔法武器に刻まれた呪文は、エルフ文字でしたよね?」
唐突な質問に、グリンは少し面食らった。
「ああ、そうだ。それがどうかしたのか?」
「なぜドワーフの文字ではないのですか?」
「それは……」
言葉に詰まったドワーフに、エイナは追い打ちをかける。
「武器や防具に魔法を付与する技術……それはドワーフのものではなく、エルフに教えられたのではありませんか?」
「ああ、まぁ……そのとおりだ。
わしらはもともと、高度な魔法を持っておらんからな」
「もう一度訊きます。それなら、なぜエルフ文字なのでしょう?
エルフが上辺の技術だけでなく、呪文の本質まですべて開示したのであれば、ドワーフ文字でも問題ないはずです」
グリンはしばらく黙していたが、やがて肩を落として深い溜め息をついた。
「嬢ちゃんの言うとおりだ。
わしらはエルフが教えてくれた呪文を刻むことはできるが、その内容についてはまったく理解しておらん。
それは認めよう。
わしらは武器や防具に魔法を付与し、魔力を封じ込める技術を手にした。
そして、その魔法具は問題なく使われておる。それでよいではないか?」
「ドワーフが鍛えた魔法の武器や防具に、エルフたちはさらなる魔法を付与できるのですよね?」
「そうだ」
「確か、それを皆さんは〝祝福〟と呼んでいると?」
「回りくどい言い方はやめてくれないか! 一体、お前さんは何を言いたいんだ?」
エイナは卓上に置かれた魔剣を手に取った。
それを頭上に掲げ、確かめるように刀身に刻まれた呪文を下から見上げた。
気のせいではなかった。複雑なエルフ文字が、青白い燐光を放っている。
「この剣……私の魔力を吸い取っています」
グリンは椅子を飛ばして立ち上がった。
「ばっ……! んな馬鹿なことがあるか!
魔力封入には特殊な呪文の詠唱と鍛錬が必要なんじゃ!
人間の娘がおいそれと使える技では、断じてない!」
「私は何もしていません。この剣が、いいえ、この剣に刻まれた呪文がそれをしているのです。とても強い力だわ。
私は試し斬りの前に、不意打ちで魔力をごっそりと抜かれて気を失いました。
あの時は貧血だと思っていましたけど……。
今だって、少しでも気を抜けば、根こそぎ魔力を持っていかれそう」
彼女は剣をテーブルの上に戻すと、じっと自分の手を見た。
掌が赤くなっている。毛細血管が破裂したのだろう。
「武器に魔法を封じる、確かに祝福かもしれません。
でも、裏を返せばこれは……」
少し考え込んだエイナは、適当な言葉を見つけ出した。
「そう、これは〝呪い〟そのものです」