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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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三十三 戦士団

 翌朝、ドワーフ姉妹に起こされたエイナたちは、顔を洗ってリビングに集まった。

 食卓の上には焼きたての厚切りパンにバター、湯気を立てているスープ、焼いたソーセージの皿が並んでいた。


 母親の手伝いを終えた姉妹は、舌なめずりをしながら席についていたが、その隣に見覚えのあるドワーフが座っていた。

 この家の主人であるグリンではない。昨日、武器工房の試験場で会ったズリンというドワーフだ。


 不思議なもので、エイナとシルヴィアは、当初ドワーフの見分けがまったくつかなかったが、今は何となく双子姉妹の区別がつくし、ズリンの顔も記憶に残っている。


「あら、ズリンじゃない。何であんたが……ってか、グリンはどうしたの?」

 食卓についているのが当然という顔で、パンを手に取り、たっぷりのバターと蜂蜜を塗っているズリンを見たユニは、呆れたような声で訊ねた。


「久し振りだってのに、ご挨拶だな、ええユニ?

 親方グリンなら、もう工房で働いているぞ。

 俺はお前さんたちを隧道に案内するため、わざわざ来てやったんだ」

「隧道の場所くらい、あたしだって知ってるわよ?」


ちげえよ、馬鹿。

 隧道の入口は戦士団が封鎖している。いくらユニだって、人間が入れるわけねえだろう。

 俺は親方の紹介状を持って、戦士団長のオーレンと交渉するという大役を任されたのさ」

「なるほど、みんな忙しいから、下っ端のあんたが使いっぱしりを押しつけられたってわけね。納得したわ」


 二人が楽しそうに憎まれ口を叩き合っている間に、メイリンが熱いミルクのポットを持ってきて席についた。

 彼女はユニたち三人に、『ズリンとともに戦士団長に会いに行け』という、夫グリンからのことづけを伝えた。


 グリンは昨夜、上等のケルトニア酒で篭絡され、戦士団長に戦場見学を許してもらうよう、頼んでやると約束したのだ。

 彼は夜明け前には武器工房へと出勤していた。魔龍が出現して以来、早朝から夜遅くまで工房で徒弟を指揮し、自らも働き続けているのだ。

 昨夜のように、家族と食卓を囲んだのは二週間ぶりだという。


      *       *


 エイナたちはメイリンお手製の美味しい朝食を堪能した後、さっそくズリンの先導で隧道へと向かった。

 ズリンは今日二度目の朝食にありついたことで、すこぶる上機嫌であった。

 彼はまだ若い(と言っても七十歳を超している)ドワーフで、工房では見習いという立場だった。

 ユニとは以前からの顔見知りらしく、道中で盛んに冗談を言い合っていた。


 エルフの森に通じる隧道は、ドワーフの集落の西の外れにあった。

 そこに至るまでには、数十の空洞と通路を抜ける必要があり、徒歩で一時間半ほどの行程だった。

 隧道に近い空洞は、他と変わらずに石造りの建物が並んでいたが、人気がまったくなかった。

 ズリンの説明では、これらの地区は危険地帯として封鎖され、立ち入りが禁じられているということであった。


 見張りはいなかったが、出入口の脇には釣鐘型の黒い塊が、まるで土嚢のように積まれていた。

「これ、何ですか? ずいぶん重そうですけど」

 エイナが訊ねると、ズリンは少し意外そうな表情を見せた。


「知らねえのか? ああ、いや……里の人間なら当然か。

 こいつは鉱滓スラグだよ。金属を製錬する時に出る不純物の塊りを固めたものだな。

 普段は砕いて舗装の材料にしたり、畑の肥料に使うんだが、固めると結構な重量があるから、いざという時は積み上げて、バリケードの材料にしているのさ」


 彼女たちは鉱滓を横目で見ながら通り過ぎた。

 釣鐘型の塊りの上部には、取っ手のような穴が開いていて、持ち上げられるようになっていたが、どう見ても百キロ近くありそうだった。

 いざという時に積み上げる? ドワーフたちは、あれを動かせるということだろうか?


 人気のないエリアをいくつか抜けると、通路の先から騒がしい声が聞こえてきた。

 先を行くズリンが振り返り、後ろのユニたちに注意を促す。

「次が戦士団の前進基地、戦士団長もいるはずだ」

 自分に言い聞かせるような言葉には、彼の緊張が表れていた。


 最後の空洞はそれまでと違って、こぢんまりとしたエリアだった。

 建物も数えるほどしかなく、武装したドワーフたちが忙しく出入りしている。

 それぞれの建物は、作戦本部や救護所、それに食事や休憩をとる場所となっているらしい。

 石が剥き出しになった床には、武器や防具が積み上げられ、小山を築いていた。


 武装した数人の兵士が、ズリンとその後をついてくる人間、そして幻獣たちに気づいて駆け寄ってきた。

 手には黒光りする戦斧を握っている。


「何だ、貴様ら! ここは部外者立ち入り禁止だぞ!

 ん? お前、確か武器工房の若造だな? 人間を連れてくるとは、どういう了見だ!」


 大柄で居丈高な兵士に、ズリンも精一杯の虚勢を張る。

「いかにも俺は武器工房の徒弟、ゲインの息子ズリン! グリン工房長から戦士団長宛の紹介状を預かってきた使者だ。

 団長への取次を所望する!」

 彼はもったいぶった態度で、懐から油紙に包まれた書状を差し出した。


 グリンの名を出した途端、相手は微かにひるんだ。

「むうっ、グリン殿の使いか……。ならば今しばらく待て!」

 ドワーフは同僚にこの場を任せ、奥の大きな建物に向かい、大股で歩いていった。


 しばらくすると、兵士は慌てた様子で駆け戻ってきた。

 彼は額に汗を浮かべ、ユニに向かって兜を取り、ぺこりと頭を下げた。


「団長がお会いになるそうだ。俺が案内する。

 それと昨日、団長がみんなに振る舞ってくれた酒は、あんたの土産だそうだな。

 あんな美味い酒は初めてだった。これでいつ死んでも悔いはないと、俺たちみんな、泣き笑いで呑んだんだ。

 そうとは知らず、横柄な態度を取って済まなかった。改めて礼を言わせてくれ」


 戦士団長は十八年物のケルトニア酒を、言葉どおりに部下たちに飲ませたらしい。

 戦士たちの数からしたら、ひと口にも満たない程度の量しか渡らなかったに違いない。

 大酒飲みのドワーフからすれば、とても物足りないはずだが、この兵士は目尻に涙を滲ませ、感謝の誠心まことを吐露してくれた。

 エイナとシルヴィアは、花の蜜を思い描きながら、死に向かっていった小さなミツバチのことを思わずにいられなかった。


 司令部らしい建物に案内された三人を、昨日の会議で顔を合わせた、戦士団長オーレンが出迎えてくれた。


「グリンの書状は読んだ。あいつには相当無理をさせているからな、顔を立ててやらねばなるまい。

 ただし、お前たちに許すのは、あくまで安全なところからの見学のみだ。

 魔龍に手出しをすることは許さん……ということでいいな?」


 ユニは差し出されたオーレンの分厚い手を、強く握りながらうなずいた。

「それで結構です。戦場の状況はどうなっているのですか?」


 オーレンはユニたちに座るよう勧めながら、自らもどかりと椅子に腰を落とした。

「敵が襲ってくるのは午前と午後に一度ずつと決まっておる。

 午前の襲撃は……そうさな、あと一時間ほどだな」

「はぁ? 襲ってくる時間まで決まっているのですか?」


「ああ、そんなに正確というわけではないが、毎日あまり変わらない時刻だ。

 こちらとしては、十分な準備ができるから、かなり助かっている。

 もちろん、それが油断を誘う罠だということも考えられるから、警戒は昼夜を問わずに続けているがな」


「定時の襲撃に、何か理由があるのでしょうか?」

 ユニの質問は当然であったが、オーレンは唇をぎりりと噛み締め、表情を歪めた。


「お前は一日に何度飯を喰う?」

「ええと、特に何もなければ、三回ですが……」


「そうだな。朝・昼・晩で、喰う時間も大体決まっているだろう?」

「はぁ……。まぁ、そうですね」


「つまり、そういうことだ。

 奴は、俺たちドワーフを喰うために襲ってくる。

 一日二度の攻撃で一人喰えればよし、二人喰えれば大満足というわけだ」

「もし一人も喰えなかったら?」


「獲物を捕まえるまで、しゃにむに襲いかかってくる。

 俺は昨日、この二週間余りで戦士団が二十人以上死んだと言っただろう?

 最初の三日間は、こちらも態勢が整わずに犠牲が多かったが、その後は毎日、ほぼ一人ずつ喰われている。

 俺たちが魔龍の侵攻を撥ね退けている? とんだお笑い草だ!

 奴は毎日決まった時間に食事をしに来て、げっぷをして帰っていくだけなのさ」


 噛み締めていたオーレンの唇が切れ、血が顎髭に滴った。

 彼は血走った目で、ユニたち三人の女を睨みつけた。


「いいか、見物するのは勝手だ。

 だが、これだけは約束しろ!

 今日も俺たちの仲間が、誰か一人喰われるだろうが、絶対に泣きわめくな!」


 ユニも、エイナもシルヴィアも、何も言い返すことができなかった。


      *       *


 前線基地となっている空洞を出ると、その通路はそのまま隧道に続いていた。

 それまで各エリアをつなぐ通路は、きれいな半円を描き、レンガ状に加工された石材で覆われていた。

 幅も高さも三メートルほどと、通行には十分な余裕があった。


 それが突然に途切れ、一気に二、三倍の空間が広がった。

 隧道は、自然に出来た鍾乳洞か風穴の狭い部分を掘り広げ、一本の通路につなげたという感じである。

 壁面や天井は自然のままの岩肌だが、歩く部分の地面は舗装したように滑らかで、幅が五、六メートルもあった。


 通路と隧道の境目には、金属製の扉がはまっていたらしいが、それはずたずたに破壊され、破片が付近に散らばっていた。

 隧道に接続する通路にも、数メートルにわたって破壊の跡があった。

 魔龍が侵入を試みて、通路を掘り広げたのだろう。その瓦礫は、扉の残骸とともに隧道に押しやられ、代わりに鉱滓スラッグを土塁のように積み重ねたバリケードで、五重の陣が築かれていた。

 その陰には三十人ほどのドワーフ戦士たちが、息を殺して隠れていた。


 ユニたちは護衛につけられた若いドワーフとともに、鉱滓壁の最後列に留まるように指示されていた。

 ちなみにズリンは同行を許されず、隧道に入ることなく武器工房へと帰されていた。


 戦士団長は戦斧を肩に担ぎ、最前列のバリケードで待機していた。

 やがて彼は立ち上がると、一人鉱滓壁の前に出て、戦斧の柄を地面に突き立て、前方の隧道を睨みつけた。

 隧道の天井には小さな太陽石が等間隔で配置され、それほど明るくはないが、視界を確保するに十分な光量がある。


 ユニたちの足もとに、微かな振動が伝わってきた。

 ドワーフの若者が彼女たちの肩を押さえ、姿勢を低くするよう促した。

「それそろ来ます。

 魔龍は火を吐くことがありますから、十分に気をつけてください」


 三人は腰をかがめ、頭だけを鉱滓の隙間から覗かせた。

 身体を動かすと、鎧ががちゃりと音を立てる。


 彼女たちは司令部を出る前に、安全のため鎧と兜の着用を命じられていたのだ。

 ドワーフ用とはいえ、戦士たちは大柄な者が多い。

 ユニとエイナには丈がちょうどよく、背の高いシルヴィアでもどうにか身につけることができた(ただし横幅はだいぶ余っていた)。

 昨日試した魔法武器同様、鎧も兜も見た目よりはずっと軽く、動きやすかった。


 地面から伝わる微動は、次第に大きくはっきりしたものとなり、耳には足音も届いた。

 しばらくすると、隧道の奥に魔龍の姿が見えてきた。

 確かに身体は大きいが、意外に扁平な印象で、首だけがゆらゆらと立ち上がり、二つの醜悪な頭を支えている。


 重い地響きをたて、魔龍はゆっくりと近づいてくる。

 待ち構えるオーレンは微動だにせず、仁王立ちのままだった。

 最前壁のドワーフたちが、戦斧を構えて一斉に立ち上がり、オーレンの前に出る。


 魔龍との距離は十メートルほどにまで詰まり、今やその姿がはっきりと太陽石の光に照らされていた。

 もちろん最後尾のユニからもよく見える。


 ユニはぼそりとつぶやいた。

「……カメよね」

「カメだわ」

「カメですね」

 シルヴィアとエイナも同じ感想を洩らした。


 ドワーフたちから〝魔龍〟と聞かされていた彼女たちは、龍とはいわずとも、沼地に棲むヒュドラのような姿を思い描いていた。

 だが、そこに現れた怪物は、爬虫類的な短いガニ股の四肢と太く短い尾、そして二本の首を有していたが、そのいずれもが、扁平な甲羅から突き出しているのだ。

 それは首だけが異様に長い、巨大なカメにしか見えなかった。


「カメじゃありません!」

 護衛のドワーフが、少し不満そうな声でささやいた。

「よく見てください。甲羅に当たる部分にも、鱗があるでしょう?」


「あれは地下の熱と圧力に耐えるため、肥大した皮膚が硬質化して、外骨格のように変化したのだと思われます。

 われわれの魔法武器も、あの硬い皮膚には傷ひとつ負わせられないのです」


「でもカメだわ」

 ユニが再びつぶやき、エイナとシルヴィアもうんうんとうなずいた。


「しっ! 始まります」

 若いドワーフが注意したのと同時に、広い隧道内に雷鳴のような怒号が響き渡った。


 前線のドワーフたちが、一斉に戦斧の先を地面に突き立て、片足をざっと前に出した。

 前列中央のドワーフが、朗々とした低音で、抑揚と音程をつけた言葉を叫び始めた。それはドワーフ語で、ユニたち人間には意味が分からなかったが、勇壮な響きだということは理解できる。


 歌のようなドワーフの朗詠の切れ目には、全員が「ウオッ!」という怒号で合いの手を入れ、胸を拳でドン! と叩く。同時に戦斧を持ち上げ、再び激しく地面に突き立てる。

 ドワーフたちは腰を落とし、四股のように短く太い足で地面を踏み鳴らす。

「ウオッ! ウオッ! ウオーーーッ!」

 揃った怒号が隧道に響き渡り、ドワーフたちは腰を落としたまま胸を前に突き出し、魔龍を挑発した。


「あれは、ドワーフの戦いの儀式なの」

 ユニがエイナとシルヴィアに小声で解説した。


「でも、相手はドワーフでも人間でもない、魔物ですよ。

 あんな悠長なことをやっていて、攻撃されたらどうするんでしょう?」

 エイナが心配そうに訊き返したが、その心配が現実のものとなった。


 魔龍は不思議そうに首をかしげ、ドワーフたちの戦舞をじっと見詰めていた。

 だが、ドワーフたちが四股を踏み、咆哮を上げながら、ざっ、ざっとすり足で前に出てくると、魔龍の首がぼこんと膨らみ、頭を地面の近くにまで下げた。


 次の瞬間、二つの口が大きく開き、灼熱の炎が吐き出された。

 数メートルの至近距離で吐かれた炎は、前線のドワーフたち全員を包み込み、床を舐め尽くした火炎が鉱滓の壁に跳ね返り、巨大な火炎幕が高い天井にまで駆け上がった。


 魔龍は炎を吐き続け、ユニたちの視界は、真っ赤に埋め尽くされてしまった。

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