三十 魔龍
ユニはもちろん、エイナもシルヴィアも、ドワーフの告白が何を意味しているのか、よく分からなかった。
ただ、その場の重苦しい空気から、大変なことが起きているらしいということは理解できた。
それでも、やはり説明は欲しい。
エイナは思い切って片手を挙げた。
「えと、あの……つまり眠っていた怪物を、誤って目覚めさせたということですよね。
よかったら、そこに至る経緯を、少しお話しいただけませんか?」
「もっともな話だな」
ストーリンが長い顎髭をしごきながら、他の工房長たちの表情を窺った。
誰も話を代わってくれそうもないのを確認し、彼は覚悟を決めたように息を吐き出した。
「わしらドワーフが、幻獣界からこの世界に迷い出たのは、およそ千二百年前のことだ。
ご先祖たちは、始め大いにとまどったらしい。
自分たちに何が起きたのかも理解していなかったから、それは当然じゃろう。
だが、世界がどう変わろうが、わしらは生きていかねばならなかった」
「この世界の支配者は、人間だった。
人間族はわしらの元の世界――幻獣界にもおったが、この世界の人間はそれよりもずっとひ弱だった。
その代わりに、それなりの知恵を持っていて、国をつくり、文明を生み出していた。
わしらドワーフは、生まれついての鍛冶職人だったから、食糧と引き換えに金属を加工した農具や生活用具を作ってやり、ある程度の製作技術も教えてやった」
「わしらは人間から大いに感謝され、良好な関係を築いていった。
やがて人間たちは、わしらが教えた初歩的な冶金技術で金属を製錬し、必要な道具を作るようになった。
彼らは手先も器用で、覚えもよかった。わしらもその進歩を喜んでいた」
「だが、やがて人間たちはその技術を使って、わしらが教えなかった武器を造りはじめた。
狩猟、耕作、日常生活でも、刃物は必ず必要だったから、それは必然だった。
わしらだって、敵と戦うために武器や防具を作る。
人間がそれを作ったからといって、非難できる立場にはない」
「だが、人間たちは、その武器を使って仲間同士で殺し合いをするようになった。
肌の色が違うから、話す言葉が違うから、信じる神が違うから……様々な理由をつけて、人間は戦争を起こすようになったのだ」
「わしらドワーフも武器を造るが、それは自衛のためだ。
幻獣界には、わしらを捕食する敵もいれば、食糧や宝を奪おうとする敵もいた。
そうした敵には、わしらも断固として戦う。
だが、同じドワーフ同士で殺し合いなどしない。同族なら、話し合いで争いを解決すればよいからだ」
「人間たちは、わしらの忠告に耳を貸さず、飽くことなく戦争という名の殺し合いを続けた。
時には、そうした戦争にドワーフが巻き込まれる事態すら起きた。
そして、わしらの先祖たちは、とうとうこの世界の人間に愛想を尽かした。
彼らとは袂をわかち、自分たちだけで静かに暮らすことを選んだのだ。
ドワーフがこの世界に来て、およそ二百年が経ったころの話じゃ」
「その頃には、ドワーフの人口もかなり増加していた。
わしらはいくつかの部族に分かれ、それぞれに自分たちの安住の地を探した。
ドワーフは鍛冶の民であり、山中に穴を穿って住み着くのが、本来の姿だった。
わしらのご先祖は、その棲家をこの寂寥山脈に定めた。豊富な鉱物が埋まっており、わしらが住み、生活するのに十分な広さがあったからだ」
「以来千年、わしらはこの山中にドワーフの国をつくり、平和と繫栄を享受してきたのだ」
『ねえ、いつになったら魔物の話になるの? 僕、眠くなってきたよ』
ユニたち三人の頭の中に、カー君の文句が響いてきた。
『しっ、黙って聞いてなさい!』
シルヴィアの叱声がカーバンクルを黙らせる。
ユニのオオカミたちは、とっくに床に寝そべって眠りこけていた。
「わしらは山の中に住居をつくり、工房を開き、鉱石を採掘するための坑道を掘った。
金属を製錬するための炉を築き、先祖から受け継がれた技をひたすらに磨き、向上させることに努めた。
生産される製品は、自分たちで消費する分を凌駕したから、まず西の森のエルフとの取引を始めた」
「エルフたちはわしらよりも古くからこの世界におり、わしらより先に人間との関わりを絶っていた。
彼らはドワーフの武器や防具を祝福し、宝具としてコレクションすることに満足を覚えていたらしい。
ドワーフとエルフは、幻獣界においても反目しながら、一定の協力関係は保っておった。エルフたちはわしら以上に保守的な種族だから、この世界でもドワーフと関係を持つことを喜んでいたのだろうな」
「わしらはとびきり出来のいい逸品をエルフに渡す一方で、凡庸な出来の製品は人間に流すことにした。
人間との付き合いを細々とだが再開したのは、ドワーフには必要なのに、彼らにしか作れない物もあるからだ。
こうして、わしらは平和で安定した暮らしを続けてきたのだ」
ストーリンが言う〝人間にしか作れない物〟とは、おそらく酒のことだろう。
ドワーフは太陽石を利用して、地中でも耕作を行い、焼酎やエールの蒸留・醸造を行っていたが、人間はそれよりはるかに多様な酒を生み出していたからだ。
採掘工房長の長い話は、一向に終わりそうもなかったが、他の工房長たちは目を閉じて熱心に耳を傾け、うんうんとうなずいている。
彼らにとっては既知の話のはずだが、改めて一族の歴史を耳にするのは心地よいのだろう。
そして、ユニも平然として長話に耐えていた。
彼女はドワーフとの付き合いが長く、彼らの話が長いことに馴れていたのだ。
そのユニが、エイナとシルヴィアに目くばせを送ってきた。
どうやら、ここから本題に入るらしい。
「わしらは千年にわたって、この山中で鉱石を掘り続けてきた。
わしら一族の人口は千人に満たず、寂寥山脈は広大だ。
最初はいくら掘っても尽きることはないように思えたが、千年の時を経て、掘り進めた坑道は次第に長く、深くなっていった。
この場所は海抜三百メールほどの高地だが、今や最深部の採掘場は、地下五十メートルにまで達している」
ストーリンはここで話を切り、シルヴィアとカー君の方に目を向けた。
「そなたの幻獣は精霊族だから、地中を好まないことは理解しておる。本来地下は死者と魔物が支配する、穢れた領域だからな。
わしらドワーフは地霊ノームの加護を受けているから、滅多なことでは穢れに染まらない。
だが、採掘に熱中するあまり大深度まで潜ると、厄介なことが起こる。
魔物と遭遇してしまうことがあるのだ」
「地下に蠢く魔物たちは、生者への無限の憎しみを抱き、隙あらば地上に這い出て暴れようとしている。
だが、地盤による膨大な圧力が、その望みを抑えつけている。
わしらドワーフがそこに穴を開け、魔物を解放してしまうことだけは、絶対に許されない」
「だから地下を掘る時には、入念な魔力感知を行い、万が一にも魔物と遭遇しないよう、細心の注意を払うことになっておる。
掘り尽くして放棄した坑道は、魔物に利用されないよう必ず埋め戻す。それが鉄則なのだ」
「だが、これは魔物が普通に棲息する幻獣界での話じゃ」
ストーリンはそう言って、各工房長の顔を見回した。
しかし、誰一人として目を合わせない。
「ここは人間世界だ。わしらのように不慮の事故で飛ばされたり、ユニやシルヴィア殿のような召喚士に呼び出されぬ限り、龍も巨人もエルフも存在しない。
ましてや魔物が出現して暴れるなど、この千年聞いたこともない」
「だから、わしらは油断をしてしまった。
はじめの内は、幻獣界と変わらぬ用心をしておったが、千年の時の流れの中で、いつしかその習慣はなおざりになってしまったのだ」
「そして半月ほど前、この山中の地下深くで、わしらは魔物を掘り出してしまった。
採掘工房の長として、その罪の重さは自覚しておる。
だが、起きてしまったことは、いくら悔やんでもどうにもならん。
目を覚ました魔物を地上に出さないことは、わしらドワーフ族全体の責務なのだ!」
それまで黙って話を聞いていたユニが、初めて口を開いた。
「その魔物とは、どのような姿をしているのでしょう?」
ストーリンは首を横に振った。
「わしらが初めて遭遇した種族だ。祖先から伝わる伝承にも存在しない。
あえて名づけるなら〝魔龍〟であろうか」
「龍の一族なのですか!」
ユニの声音に緊迫感が加わった。
龍族は巨人族と並び、あらゆる魔法生物の頂点に君臨する存在なのだ。
「いや、さすがに正統な龍が穢れに染まり、地下に堕ちるなどということはない。
確かに龍の血が多少は入っているだろうが、下等な亜龍の類ではないかと思う。
体長は八メートルほどの四足歩行、太い胴に比較的短い尻尾、全身が硬い鱗に包まれたトカゲのような形態だ。
首が二つあったから、ヒュドラが地下に適応したものかもしれん」
「その魔龍は、まだ地下にいるのですね?」
ユニが念を押すと、ストーリンは唸り声を出して黙り込んだ。
そして彼に代わり、ひときわ逞しいドワーフが口を開いた。
戦士団の長、オーレンである。
「魔龍を掘り出した時、奴はまだ目覚めたばかりで動きも鈍かった。
採掘工房の者たちは武器など持っていないから、坑道を退避して途中の扉を閉めた。
おかげで不意の遭遇にも関わらず、犠牲者も出さなかったから、その判断は間違っていなかっただろう。
急報を受けたわれら戦士団は、ただちに討伐のために現場に赴いたが、そこはもぬけの殻だった」
「よく調べてみると、採掘場の天井に穴が開けられていた。
魔龍はそこから使われていない坑道に入り込み、上に登ってしまったのだ。
廃坑道は埋め戻すというしきたりを守っていれば、防げた事態だった」
「まさか、すでに地上に出たなんて言わないでしょうね?」
詰問するユニの顔は青ざめていた。
彼女はかつてオークと協力して、亜龍の一種であるヒュドラと戦ったことがある。
その鱗は矢も槍も通さず、致命的な毒を撒き散らす難敵で、結局倒すことはできなかった。
あんな化け物が地上に出たとなれば、恐ろしいことになる。
「いや、魔龍はまだこの山中にいる」
オーレンは不機嫌そうに髭をしごいた。
「奴はエルフの里に通じる隧道に陣取り、我々の居住区への侵入を試みている。
西の森へ抜ける門は、エルフの結界で守られているから外には出られんが、こちら側の大門はすでに破られた。
現在わが戦士団が決死の防衛に当たっているが、すでに二十名を超える仲間が奴に喰われた」
戦士長はいきなり腰の短剣を抜き、木製のテーブルに〝ずどん!〟と突き立てた。
死んだ部下たちの無念を思い出したのだろう。
「魔龍は地下の高熱と膨大な圧力に適応したためか、恐ろしく頑丈な鱗を身にまとっている。鱗が外骨格のように変化しているらしい。
普通の武器ではまったく歯が立たず、魔法を付与した武器でなければ対抗できんのだ!」
オーレンは短剣の柄を握ったまま、悔しそうに歯噛みをした。
「しかし、あなたがたドワーフの武器には、魔法効果があったはずですよね?」
ユニの質問に、今度は武器工房長のグリンが答えた。
「確かにな。わしらは武器に呪文を刻んで、ある程度の魔法効果を与えることができる。
ドワーフの魔法は、そうした道具に魔力を込めることに特化しておるからな。
じゃが、その効果には限界がある。
弱い魔物には十分に効くが、魔龍の鱗を断つには力が足りん。
しかも、そうした補助魔法は炎系のものがほとんどなんじゃ。炎系魔法は攻撃力が高く、最も効率的だからな」
オーレンは説明を続けた。
「だが、あの魔龍は大深度の地下に対応した身体を持っている。
炎系の魔剣や槍では、あの魔物にダメージを与えることはできん。
数少ない冷却系の魔法効果を刻んだ武器で、今のところはどうにか押しとどめているが、それとて致命傷を与えるに至っていない。
もっと強力な魔法を付与した武器でなければ、奴を倒すことは叶わんのだ」
「それってつまり、エルフの祝福を受けた武器が必要だってことですね?」
ユニの言葉に、工房長たちは大きくうなずいた。
「魔龍が隧道を占拠しているのは、そういうことなのだ。
奴らはずる賢い。わしらがエルフに救援できない状況に追いやり、じっくりと攻めるつもりなのだろう」
「でも、こちらから行けなくても、エルフの側からは扉を開けられますよね?」
「ああ。だが、エルフが森から外に出るなど、年に一度あれば多い方だ。
われらの戦士団はおよそ八十名。この二週間で、すでにその四分の一を失っている。
エルフが来るのを当てもなく待つ間に、全滅するのは間違いない」
オーレンは机から短剣を引き抜き、鞘に収めた。
「そんなわけで、お主らが隧道を通ることは当分できまい。
わしは隧道防衛戦の指揮を取らねばならん。これで失礼する。
この酒は、戦士たちの志気を大いに鼓舞するであろう。ユニ殿にはそれだけでも感謝せねばなるまいな」
戦士長は片目をつぶってにやりと笑うと、どすどすと重い足音を残して会議室を出て行った。
その後姿を見送ったグリン(武器工房長)が、ユニたちの方に向き直った。
「わしらはちょうど対策会議をしておったのだ。
場合によっては、戦える者以外を避難させることも検討せねばならんのでな。
そんなわけで、ユニとお二人は、わしの家でくつろいでいてほしい。これはわしらの問題だからな。
女房には、会議が長引きそうだと伝えておいてくれ」
「分かったわ」
ユニはため息をついて立ち上がった。
「ああ、そうそう」
彼女は上を向いて、セリフを棒読みするような口調で大きな声を出した。
そして、椅子に座っているグリンの傍に歩み寄ると、その耳に口を近づけ、何事かをささやいた。
グリンは小さな目を丸く見開いた。
「うむ……そうか。ユニよ、前言は撤回じゃ!
わしは可及的速やかに会議を終わらせ、家に帰る。
メイリン(グリンの妻)には、客人をもてなす料理を山ほど用意せよと伝えてくれ。わしに恥をかかせるな、とな」
「了解」
ユニはそう答えると、扉へ向かった。
エイナとシルヴィアも慌ててその後を追う。
会議室から広いホールに出ると、追いついてきたシルヴィアがユニに訊ねた。
「あのドワーフに、何をささやいたのですか?」
「別に大したことじゃないわ。
泊めてもらうお礼に、三十年物のケルトニア酒を用意しているって教えただけよ。
グリンが会議で遅くなるなら、メイリンとあたしで飲み干しちゃうかもねって」