二十九 ドワーフの山
テバイ村からドワーフが棲む山中までは、およそ七十キロの距離がある。
オオカミの足なら、一日で十分な距離だが、急ぐ旅ではないし最後は山登りになる。
そのため途中で野営し、二日目の午前中に余裕を持って到着することにした。
寂寥山脈は西の森の北側を東西に走る大山脈で、三千メートル級の高山が連なっている。
勾配がきつい急峻な山々は万年雪を戴いた岩山で、荒涼とした姿から地元民が〝お寂し山〟と呼んでいたことに由来する名称である。
西の端は切り立った断崖となって海に落ち込んでおり、東は遠くカフタン王国にまで続いていた。
エルフの森に入るには、この山脈を越えなければならないのだが、冬山に入るのは自殺行為である。
迂回するためには千キロ以上の砂漠を踏破し、王国とは敵対関係にあるサラーム教の国々を通ることになる。
船を使って海側から上陸する手も考えられるが、西の森の西岸は断崖が続く上に、強力なエルフの結界が張られ、何者の侵入も拒んでいる。
結局、山中に棲むドワーフたちが掘った隧道を通って山脈を突っ切る以外、エルフの森に到達する手段がないのだ。
ドワーフは排他的な種族で、本来エルフとも仲が悪い。
だが、この寂寥山脈のドワーフたちは、どうにか種族的な葛藤を克服し、エルフとの友好関係を保っていた。
彼らは自分たちの魔法(ドワーフはある程度魔法が使える)ではどうにもできない怪我人や病人が出ると、高度な治癒魔法を持つエルフを頼る。
一方のエルフは、森に張られた強固な結界のせいで、自分たちも外に出られないため、他国へ行く必要が生じると、ドワーフの隧道を利用する。
ドワーフはその出入口の管理と警備の役割を担っているのである。
ユニたちがドワーフ国へ通じる洞窟の入口に着いたのは、午前十時ころであった。
洞窟の前には、大斧を手にした二人の見張りが立ちはだかっていた。
身長百五十センチに満たない短躯ながら、腕も首も胴回りも脚も太く、がっちりとしている。
顔の半分は長い髭で隠れており、角のついた兜と鱗状の金属を重ねた鎧に身を包んでいた。
二人の見張りはゆっくりと山道を登ってくるオオカミを、鋭い視力で遠くから認めていた。
洞窟の前に着くと、ユニはライガの背を滑り降り、ドワーフたちに歩み寄った。
「よう、ユニか!」
「久しいではないか、何年ぶりだ?」
破れ鐘のような胴間声が響き、彼らは両手を広げてユニを迎え入れた。
太い腕でユニの身体を抱き、髭もじゃの顔を頬に押しつける。
ドワーフ流の挨拶である。
「懐かしいわね、ガイン。あんたの息子は成人したのよね。どこの工房に入ったの?」
「ウォーリンのとこさ。
まだまだ見習いだから、毎日ベソかいて帰って来るわい」
「ギリム、奥さんは元気?」
「ああ、いま四人目の子を孕んでおるぞ」
「まぁ、それはめでたいわね!」
ユニは衛兵たちと和やかに会話を交わしている。
エイナとシルヴィアには、ユニがどうやってドワーフを見分けているのか、さっぱり分からなかった。
二人とも、背格好から髭の色までそっくりだったからだ。
ユニはエイナたちを呼んで、ドワーフたちに引き合わせた。
「この娘たちはうちの国の使節なの。
エルフ王に親書を届けに来たのよ。また隧道を通らせてちょうだい」
ユニの言葉を聞いた二人の見張りは、顔を見合わせた。
「うむ、いや……それは俺たちでは何とも言えんな」
「ああ、そういうことは工房長に話を通してもらわにゃあ」
ユニは二人の小さな目を、じっと覗き込んだ。
ドワーフたちはもじもじして、わざとらしく視線を外す。
「あんたたち、何か隠してるでしょ?
まぁいいわ、どうせ工房長たちには表敬しなきゃいけないしね。
あたしたち、入っていいのよね?」
「ああ、構わんがそう急ぐな。おい、小僧!」
ユニがギリムと呼んだドワーフが、洞窟の暗がりに声をかけると、別のドワーフが出てきた。
やや小柄で髭が短い以外、二人の見張りとそっくりである。
「お前、ひとっ走り工房長のところに行って、ユニが来たことを伝えてこい」
命じられたドワーフは、びっくりしたように目を剥いて、慌てて奥へ駆け出していった。
「今の子、誰? 初めてのはずだけど、どっかで見たような顔ね」
ユニが不思議そうに訊ねた。
「ああ、あいつはスロールだ。デュリンの末息子だよ。
まだ成人したばかりのひよっこだな」
「ああ、道理で、親父さんそっくりね」
やはりユニはドワーフの区別がつくらしい。エイナとシルヴィアは、ぽかんとするばかりだった。
二人のドワーフはさっと左右に分かれて道をあけた。
「さぁ、先触れはしたから、遠慮なく通るがいい。
デルド・エネ・フレイン(ドワーフ語で「我らの友」)よ」
* *
一行は薄暗い洞窟の中を進んでいった。
ユニとオオカミたちは勝手知ったる様子あったが、エイナとシルヴィアは物珍しそうに、周りを眺めながら歩いていく。
そんな中、カー君だけが尻尾を下げ、全身の毛を逆立てて不機嫌さをアピールしていた。
『あー、嫌だいやだ。どうしてドワーフは穴の中がいいんだろう? 僕には理解できないね』
「あら、ドワーフってそういうものよ。幻獣界でも同じだったでしょう?」
シルヴィアが軽くたしなめる。
『僕のような高貴な精霊には、陽光と風が必要なんだ。
大体、地中は死者と悪しき者の領域なのに、暗くて澱んだ空気に包まれたら、穢れにそまっちゃうよ。
ドワーフは地霊ノームの恩寵を受けている種族だから、平気なんだろうけどね』
ぶつくさ文句を垂れるカー君に、ユニがおかしそうに訊ねた。
「へえ、カー君はドワーフの棲家に入ったことがないのね」
『当たり前でしょう。誰が好んで穴に潜るもんか』
「だったら、びっくりするわね。少なくとも、陽の光と風に不自由はしないわよ。
ほら、あの扉を開ければ、ドワーフの国よ」
ユニは洞窟の先を指さした。
ところどころで焚かれている松明で、どうにか先の様子が分かる。
そこには、頑丈そうな扉が道を塞ぎ、鈍い金属光沢を放っていた。
* *
扉の前には、六人のドワーフの戦士が待ち構えていた。人間世界で言えば、ここが城壁の大扉に当たるのだろう。
分厚く大きな扉は全金属製で、一面に不思議な文字が彫り込まれていた。何らかの魔法処理が施されている証拠だった。
ここの衛兵たちもユニとは顔見知りであった上に、すでにスロールが伝令として通過していたので、何の問題も起きなかった。
「一応しきたりだからな、俺が案内をする」
衛兵の一人(モーリンと名乗った)がそう言って、扉を開けてくれた。
といっても、大扉が開かれたわけでなく。脇にある小さな通用門の方だった。
こちらはドワーフに合わせた高さなので、ユニたちは頭を屈めて門をくぐる。
分厚い岩盤を穿った通路の内部は金属で覆われ、どこにも継ぎ目がなかった。
三メートルほどの通路を抜けると、その先にも扉がある。
モーリンが低い声で呪文を唱え、扉の取っ手を回して押すと、金属製の扉が音もなく開く。
外へ出たエイナたちは、あまりの眩しさで、反射的に腕で目を庇った。
明るさに目が慣れ、恐るおそる腕を下ろすと、彼女たちの前には信じがたい光景が待っていた。
それまで通ってきた洞窟も十分な幅と高さがあったが、それとは比べ物にならない広大な空間が広がっていたのだ。
しかも、外界と変わらない明るさである。
光を浴びている肌には、はっきりと熱が感じられ、春のような陽気だった。
エイナとシルヴィアは、とまどいながら頭上を見上げた。
空間の天井は十メートル近い高さがあり、そこには強烈な光を放つ何かが存在していた。
あまりに眩しくて直視できなかったが、一瞬視界に捉えたそれは、小さな太陽としか表現できなかった。
案内役のモーリンは、二人の人間がとまどっている様を、面白そうに眺めている。
「この光は何ですか? まるで太陽みたいな感じがします」
エイナが平然としているユニに訊ねた。
「あれは太陽石と言ってね、外に出すと陽の光を吸収して、暗い所ではそれを放出するの。
それと、風が吹いていることにも気がついたかしら?」
ユニの言葉に、二人はハッとした。
言われてみれば、頬に微風を感じる。それも少しひんやりとした、新鮮な空気の流れである。
「ね? 地中はもともと暖かい上に、太陽石の光は熱も帯びているから、放っておくと暑くなり過ぎるのよ。
それで、あちこちに空気穴があって、ふいごで外気を取り込んでいるの。
だから適温に保たれる上に、空気も汚れないってわけ。よくできてるでしょう?
下手をしたら、地上よりも快適だわ」
ユニはそう説明しながら、わざとらしくカー君を覗き込み、「ふふん」と笑ってみせた。
ドワーフの街は、いくつもの空洞を通路でつなぐという構造らしい。
ある空洞は住居、別の空洞は工房と、場所によって役割を変えているようだった。
エイナとシルヴィアの目には、行き交うドワーフが皆同じように見えた。
大きな乳房を揺らして歩くドワーフは、かろうじて女性だと判別できるが、その顔にはやはり髭が生えていた。
男たちは口をへの字に曲げ、気難しそうな顔をしているが、ユニとオオカミたちを見かけると、誰もが髭の中から白い歯をむき出し、笑って挨拶をしてくる。
見た目はともあれ、根は悪くない人々のようだった。
モーリンの先導でいくつかの空洞を抜け、一行はひときわ大きな広場にたどり着いた。
その中心は、二階建ての壮麗な建物がそびえていた。
左右対称の壁面には見事な浮彫りが施され、多くの飾り窓が並び、正面中央にはバルコニー付きのポーチが突き出ている。
彼らの行政府のような機能を持った建物なのだろう。
美しく装飾された扉を開けて中に入ると、大きなホールを素通りして、会議室らしい部屋へと案内された。
そこには立派なテーブルと椅子が設えられ、すでに六人のドワーフが席についていた。
ユニたちが入ってくると、彼らは一斉に立ち上がった。
明らかにユニとは顔見知りという感じだったが、抱擁は交わさなかった。
ユニはエイナとシルヴィアに名乗らせた上で、ドワーフを一人ずつ紹介してくれた。
彼らはドワーフの工房長たちで、合議制で一族の方針を決めている、議員のような存在だと、ユニが説明した。
「人間のお嬢さん、ええとシルヴィア殿と言ったな。
あんたが連れておる精霊は、カーバンクルだろう?
話に聞いたことはあるが、見るのは初めてじゃ。本当に魔石が埋め込まれているのだな」
採掘工房の長で、ストーリンというドワーフが、興味深げに訊ねてきた。
ほかの工房長たちも、身を乗り出してカー君を見詰めている。
「魔石のことをご存じだとは……さすがドワーフ族です」
シルヴィアが驚きの表情を浮かべると、ストーリンは得意気に鼻息を吐き、顎髭をしごいてみせた。
「当然じゃ。わしらドワーフほど鉱石に通じている者などいないからな」
「もしかすると、あなた方は魔石をお持ちなのですか?」
「うむ、無論あることはある。
とは言え、魔石はめったに見つかる物ではないからな。
ここにあるのは一つだけ。それも掘り出してから、五百年以上は経っておるぞ。そもそも……」
『色は! その魔石の色は何色なの?』
ドワーフの自慢話を遮って、カー君が吠えるような大声を上げた。
いきなり頭の中に響いた声に、ドワーフたちは小さな目を丸く見開いた。
「何じゃ、そいつは喋れるのか! こりゃあ、おったまげたな。
だが、よくぞ訊いてくれた。わしらのは白色よ。あまたの魔石の中でも特に貴重な物じゃぞ」
『ドワーフのおっちゃん、そいつを喰わせておくれよ!』
「馬鹿を言うな! ありゃ一族の宝じゃぞ? 龍が襲ってきても渡すものか!」
『そこを何とか!』
別の工房長が見かねて割って入った。
「待て待て、二人とも。
ユニよ、お主ら、まさか魔石を奪いに来たわけでもあるまい?」
「ええ、もちろんだわ。
ライガ、カー君を黙らせてちょうだい」
ユニが睨むと、ライガとハヤトの二頭がカーバンクルの両側から近づき、牙を剥き出しにして凄んだ。
カー君はたちまち尻尾を股の間に挟んで小さくなる。
ユニはその様子を確認すると、ドワーフたちの方に向き直った。
「私たちの目的は、西の森のエルフの女王、あなたたちの言葉で言うエンデ・ラ・イーリンを訪ねることです。
隧道を通していただければ、ほかに望みはありません。
もちろん、通行料もお支払いするつもりです」
彼女はそう言うと、背嚢を肩からおろした。そして、その中から布に巻かれた瓶を二本取り出し、テーブルの上にどんと置いた。
その重そうな音に、居並ぶドワーフの重鎮たちの眉が、ぴくりと上る。
ユニが布を上に引き上げて外すと、琥珀色の液体が入ったガラス瓶が現れた。
ドワーフたちは一斉に「おお!」という嘆声を洩らした。
「それは、ケルトニア酒ではないか。
しかもそのラベル、人間の文字で〝十八年〟と書いてあるように見えるぞ!」
ユニはにこりと笑って瓶を掴み、一番近くにいた防具工房長のギムリンに手渡した。
「おお、間違いない、こいつは十八年物のケルトニア酒だ!
よくこんな物が手に入ったな?」
ギムリンはそう叫ぶと、誰にも渡すまいと瓶を懐に抱え込んだ。
ユニがエイナとシルヴィアに目くばせすると、二人も自分の荷物の中から二本ずつの瓶を取り出した。
合計六本。その場にいた工房長に一本ずつ行き渡る数である。
ドワーフたちは自分が確保した瓶をしっかりと握ったまま、互いの瓶のラベルを確認し合った。
「全部違うが、どれも名の知れた銘柄ばかり、しかも十八年物だぞ!
最近はテバイ村の連中に頼んでも、ほとんど入手できない代物じゃ。
どれ、さっそく味見を……」
彼らは舌なめずりして、コルク栓にかけられた赤い封蝋を剥がそうとした。
「お待ちください!」
ユニの鋭い声に、その動きがぴたりと止まった。
「その前に答えをお聞かせ願います。隧道を通ってよろしいのですね?」
確認を迫ったユニに対し、工房長たちは顔を見合わせて黙り込んだ。
十秒ほどの沈黙の後、ストーリンが重い口を開いた。
「別に酒をもらわんでも、ユニの頼みなら通って構わんさ。
じゃが、今は駄目だ。隧道は封鎖されておる」
勝利を確信していたユニの顔が曇った。
「何か……起きたのですか?」
だが、その質問に、採掘工房長は再び口をつぐんでしまった。
隣に座っていた武器工房の長、グリンが見かねたように顔を上げる。
「ストーリンよ、お前さんが言いたくないなら、俺が答えるぞ。
どうせ分かることだ。いいな?」
渋面を作った採掘工房長は、無言のままうなずいた。
グリンはユニたちに向かって、ぼそりと言葉を吐き出した。
「わしらはな、魔物を起こしてしまったんだよ」