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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第一章 王立魔導院
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十二 配膳係

 夕方五時半、その日の授業を終えたエイナは、寄宿舎の二人部屋に戻ってきた。

 教科書とノート、筆記用具の入った手提げ鞄を机の上に置き、ボタンを外して制服を脱ぐ。丈夫であることしか取り柄のない木綿の制服は重く、デザインも野暮ったかった。

 白いブラウス一枚だけを羽織った下着姿になると、重圧から解放されたように、ほうっと溜め息が洩れる。


 ブラシで埃を払い、制服をハンガーに通して壁にかける。

 クローゼットからギンガムチェックのワンピースを選び、その上に薄手のカーディガンを羽織った。

 少し乱れた髪の毛を手櫛で直していると、先に帰ってきてベッドに寝転がっていたシルヴィアが声をかけた。

「あんた、結構ふっくらしてきたわね」


 エイナは驚いたように振り向いた。

「うそ! あたし、太った?」


 シルヴィアは思わず吹き出した。

「違うわよ。

 あんたと初めて会った時は痩せっぽちだったのに、スタイルがよくなったって褒めてるの」


 シルヴィアの感想はお世辞ではなかった。

 十七歳になったエイナは背が伸び、柔らかで女らしい体つきになっていた。

 もちろん、軍事教練で毎日しごかれているお陰で、無駄な脂肪は一かけらもついていない。


 艶やかで癖のない黒髪は、同学年の女子たちの羨望の的だったが、エイナは肩にかかる程度の長さに切り揃え、授業中はポニーテイルにしていることが多かった。

 子どものころは頭と目ばかりが大きな印象だったが、今ではバランスが取れ、黒目がちで睫毛の長い目は、彼女のチャームポイントとなっていた。

 もっとも、エイナ自身は自分の容姿には全く自信を持っていなかった。

 同室者が学年でも群を抜く美少女だったからである。


 シルヴィアは百七十センチを超す長身で、絵画のモデルのようだった。

 長くきれいな金髪は自然なウェーブを描き、普段はそれを無造作に太い三つ編みにして背中に垂らしている。

 彼女が憧れている召喚士、ユニを真似ているのだが、ユニと違って胸が豊かなことは気にしないことにしている、とは本人の談である。

 切れ長の目に輝く瞳は透き通ったブルーで、肌が白磁のように滑らかだった。


 部屋着に着替えたエイナは、自分の椅子をシルヴィアのベッドの脇に寄せ、背もたれを両手で抱いて顎を上に乗せた。

 夕食までの約一時間、二人の少女がお喋りに興じる際の、いつもの態勢であった。


「来週の演習の話を聞いた?」

 開口一番、エイナはその日クラスで持ちきりだった話題を持ち出した。


 シルヴィアも待っていたかのように応じる。

「もちろんよ! 魔法科と合同参加なのよね。

 第一軍の野外演習だから、久しぶりに王都の外に出られるわぁ!

 もしかしたら白城市に入れるかもしれないし、楽しみね!」


 王立魔導院の生徒たちが、王都の城外に出ることはめったにない。

 外出が許可されるのは月に二回、日曜日だけだが、行き先を申請しなければならず、それも王都の城壁内に限られていた。

 例外は年に数回実施される野外演習の時だけだが、それも王都周辺に限られていた。

 今日、生徒たちに通達されたのは、白城市に本拠を置く第一軍の演習にエイナたちの学年全体が参加するというものだった。


「白城市でお買い物をする時間はあるのかしら?」

 〝人生における最大の楽しみとはショッピングである〟という信念の持ち主は、期待に目を輝かせた。


「う~ん、野外の演習場で一日終わっちゃうんじゃない?

 多分そんな余裕はないと思うわよ」

 現実主義者のエイナは否定的な見解を述べた。


 貴族の娘であるシルヴィアには毎月潤沢な仕送りがあるが、身寄りのないエイナは国から支給されるわずかな雑費でやり繰りしなければならない。

 可愛い洋服や小物に興味がないわけではないが、エイナにとっては買い物すなわち〝我慢〟なのだ。


 夢を砕かれたシルヴィアだったが、前向きに話題を変えた。

「先生は実戦形式の訓練になるとおっしゃってたけど、魔法科はともかく、あたしたちは何をするのかしら?

 エイナたちは、もうかなりの魔法を使えるんでしょう? 羨ましいわ」


 確かに、今年度を最後に卒業を迎える魔法科の生徒たちは、それなりの魔法を使えるようになっていた。

 それに比べてシルヴィアは、まだ実際に幻獣を扱ったことがない。

 召喚士科の生徒たちは、年末に行われる召喚儀式によって、初めて自分だけの幻獣とまみえるのである。

 現役召喚士を招へいした講習で、本物の幻獣に触れたことは何度もあるが、他人の幻獣では意思の疎通ができないのだ。


「ケイト先生のお話では、両科の連携実験を兼ねているそうよ。

 きっと何かお考えがあるのだと思うわ」

「そうかしら?

 あんまり期待できそうにないと思うけど……。

 まぁいいわ! 第一軍の演習だから、ひょっとしたら白虎が見られるかもしれないもの。

 少なくとも、指揮官の白虎帝はお出ましになるはずよ。ノエル先輩と会うのは久しぶりだわ。きっとご立派になっているでしょうね!」


 現在の白虎帝は、三年前に代替わりしたばかりである。新たな白虎帝となったノエル・アシュビーはエイナたちの先輩で、長身で穏やかな性格の男性だった。

 四帝に就任した者は、歴代の先達、特に先代の記憶を主に受け継ぐことになる。

 一軍を指揮し、主要な国土の四分の一を支配する行政官を兼ねるのであるから、普通であれば魔導院を出たての十八歳の若者に務まるはずがない。


 先代の記憶を継承することによって経験不足を補う――というシステムが確立しているからこそ、四帝の交代は支障なく行われるのだ。

 そのため新たに四帝に就任した者は、〝人が変わる〟と言われていた。


 エイナとシルヴィアが知る優しいノエル先輩が、白虎帝としてどんな姿を見せるのか、彼女たちは少女らしい興味ではちきれそうになっていた。 


      *       *


 その日の夕食時、食堂に集まった生徒たちは、当然この話題で盛り上がっていた。

 どこから出た情報なのかは分からないが、早くも演習内容の噂がまことしやかにささやかれていた。

 それによれば、演習は塹壕戦を想定したものらしかった。もちろん仮想敵は北の帝国軍で、敵の魔導士役として、これまで魔導科を卒業した先輩魔導士たちが集めらているという。


 王立魔導院の食堂では、朝と昼はビュッフェ方式だが、夕食に限っては三種類の日替わり定食メニューから選ぶことができる。生徒たちがもっとも楽しみにしている時間である。


 食堂の定員は八十名ほどで、まず席を確保してから入口に展示された見本の中から注文する献立を決め、席とメニュー番号が刻まれた小さな木札をカウンターに出すことになっている。あとは待っていれば、できたての温かい食事が配膳されるという仕組みである。


 エイナとシルヴィアが並んで座っている席にも、しばらくして注文した料理が運ばれてきた。

 熱々のスープに、牛肉(塩蔵ではない)のソテーのトマトソース添え、季節の野菜の温サラダ、デザートとして果物のシロップ漬けの小さな皿も付いている。藤のバケットにはふわふわの白パンが入っていた。

 かなり贅沢な献立だが、国防の要となる召喚士と魔導士を養成する国家機関であるからこそ許される内容だった。


「今日はみんな、いつも以上に賑やかね」

 二人の料理を運んできたのは、サリーという女性だった。

 食堂では調理や配膳のために十人以上の女性が働いていたが、多くは五十代、六十代のおばさんだった。

 その中でもサリーは三十代後半と比較的若かったので、生徒からすると話しやすい相手だった。


 噂では早くにご主人を亡くし、病気の母と二人の子どもを抱えて、一人で家計を支えているらしい。

 別に美人ではないが明るく気さくな女性だったから、女生徒はもちろん、男子からも人気があった。


「そうなのよ!」

 シルヴィアは湯気の立つ皿を受け取りながら、嬉しそうに答えた。


「来週の金曜日よね。白城市までは結構あるから、よほど朝早い出発でしょう?」

「ええ。演習は朝六時の開始だから、前の日のうちに出発して野営するんですって。

 泊りがけの演習なんて初めてだから、わくわくするわ」


「わあ、そいつは大変だね。演習場所は決まっているの?」

「それが、まだ発表されていないのよ」


 料理の配膳を終えたサリーは、そっとかがみ込んで小声になった。

「食堂に野菜を納めている出入業者って、白城市の商人なんだけどね、第一軍の西部演習場で塹壕掘りが始まっているそうよ。

 先週から始まったって言ってたから、きっとそこだと思うわ」

「本当に? そこって白城市に一番近い演習場よね。

 きっと演習が終わったら、白城市に泊まることになるのよ。みんなに教えなくちゃ!

 ありがとうサリー!」


「あたしが教えたってこと、絶対に内緒よ。バレたらくびになっちゃうわ」

「あら、あたしがそんなことをすると思って? グレンダモア家の名誉にかけてもいいわ」


「あはは、シルヴィアは頼もしいわね」

 サリーはほがらかに笑い、空になったお盆を胸に抱えて戻っていった。


      *       *


 その日の夜、七時過ぎ。

 もう外はすっかり暗くなっていて、人通りも減ってきた街路を急ぎ足で歩く女性がいた。

 エプロン姿で、肩にかけた茶色いショールを胸のあたりでぎゅっと握っている。

 この時間に開いているのは食堂や飲み屋ばかりで、普通の商店は店じまいを始めていた。


 女はその中の一軒に、小走りで駆け込んだ。

 店の床にモップをかけていた主人が、眉をひそめて振り返る。

「お客さん、悪いがもう店じまいだ――って、なんだ、サリーか。

 遅いから今日は来ないのかと思っていたよ」


 どうやらサリーはこの商店の常連らしく、ぎりぎり間に合ったことにホッとした表情を浮かべた。

「ごめんよ。今日は生徒たちがみんな長っ尻でね、後片付けが遅くなっちまったんだよ。

 これ、いつものよ」

 彼女はそう言って、肘にかけた籠の中から二つに折った紙片を取り出して、店の主人に渡した。


「どれどれ……。

 塩蔵肉の塊一つと、山羊の乳を一缶、黒パン四本にバターを一斤。

 野菜は銅貨二枚分か、何か希望はあるかい?」

「季節のものを適当に頼むわ。安くて量が多くて、日持ちがすれば言うことないよ」


 主人は苦笑いを浮かべた。

「そんな都合のいい野菜があるもんか。まぁいい、適当に選んでやるよ。

 明日には届けておくが、何か持って帰るかね?」

「ええ。黒パン一本とバターをもらっていくわ」


 サリーはそう言って、小銭入れから銀貨を一枚出して差し出した。

「げえっ、もう勘定を合わせちまったのに、大きいのを出すなよ」

「商人のくせに贅沢言わないの。罰が当たるわよ」


 店主はぶつくさ言いながら、パンとバターを新聞紙で包み、釣銭の銅貨と一緒にサリーに手渡した。

「おっさんの具合はどうなんだい?」

「相変わらずさ。良くもなく悪くもなしって奴ね」


「そうかい。あんたも大変だな。子どもたちは元気なんだろう?」

「ああ、お陰さまでね。

 それじゃ配達、頼んだよ。閉店間際に邪魔をして済まなかったわね」


 サリーは藤籠の中にパンの包みを突っ込むと、そそくさと店を出て行った。

 その背中に店主の声がかかる。

「毎度あり! おっ母さんによろしくな」


      *       *


 窓の鎧戸を下ろし、外に下げていたランプを取り込むと、主人は内側から頑丈なかんぬきをかけた。

 火の灯ったランプを持ったまま店の奥に引っ込むと、彼は薄暗い部屋をゆっくりと見回した。

 窓の鎧戸は下りているし、内側も厚手のカーテンが引かれている。

 人の気配がないことを確かめると、主人は壁際の棚の引き出しに手をかけた。

 引き出しには、大小さまざまな包丁が整然と並んでいる。商売で使っている道具だろう。


 主人は開いた引き出しの中に手を突っ込み、何かを探る仕草をすると、ごとりと重い音がした。

 引き出しを元に戻すと、暖炉の脇に掛かっている火かき棒を手に取り、今度は床に敷かれたラグをめくった。

 床板の節穴に鍵状に曲がった火かき棒の先を差し込むと、くるりと回す。

 すると、床板の一部がゆっくりと沈み込み、ぽっかりと暗い穴が現れた。


 手にしたランプをかざすと、穴の中に急な階段が見えた。

 主人は黙ってその中へと下りていった。


      *       *


「フレッドです」

 主人が出した声は小さかったが、狭い地下ではよく響いた。

 扉の向こう側から「入れ」という、くぐもった返事が聞こえた。


 小さいが分厚い扉を開き、頭をかがめて中に入ると、主人は目を細めた。天井から大型のランプが二台下がっていて、部屋の中はかなり明るかったのだ。

 小さな四角い木のテーブルが一つ、そっけない椅子が四つ並んでいる。ほかに調度はない、それだけの部屋だった。

 そしてその椅子の一つに、白髪頭の中年男性が腰かけていた。


「座れ」

「失礼します」


 最小限の会話で、二人の男は向かい合った。

 フレッドと名乗った商店の店主は、黙って机の上に銀貨を一枚置いた。

 向かいの白髪頭も、何も言わずに貨幣を摘まみ上げる。

 男が両手の指で回すように軽く捻ると、銀貨は二つに分かれた。

 空洞になっていた中には、小さく折りたたまれた薄い紙が入っている。


 白髪頭の男は、それを広げると黙って目を落とした。

 すぐにその表情が引き締まった。その内容に興味を惹かれたからだ。

 定時連絡の報告だから、情報には特に期待していなかったのが本音である。


 フレッドは王立魔導院の調査担当者で、内部の人間を通して入手する情報は、主として学院の教育内容と生徒の個人情報であった。

 どのような教育内容で、どれだけ進展しているのか。そして優秀な生徒は誰で、どのような性格・能力なのかも重要だったが、逆に不出来な者の情報も重視された。

 とはいえ、毎週上げられてくる報告は変化に乏しい。その積み重ねこそが大事だとは分かっていても、自然に期待は薄くなる。


 それがどうだ。今日の情報は飛びきりに素敵なものだった。

 めったに王都から出ない生徒たちなのに、召喚士科と魔法科の一学年がまるごと野外に出る。

 しかも来年は現場に出る最上級生である。獲物としては申し分がない。

 まるで熟れた女が〝どうぞ自由にしてください〟とばかりに、股を開いて誘っているようなものである。


「演習は来週の金曜日、出発は木曜日か……。

 内通者に連絡をつけろ。できるだけ追加情報を集めさせ、火曜日の夜までにもう一度報告させるのだ」

「了解しました」


 フレッドは立ち上がり、軽く目礼して地下室を出ていった。

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