二十五 妖精の呪い
「砂の妖精って、砂袋を担いだ小さなお爺ちゃんよね?
子どものころ、お母さんが私を寝かしつける時に、よく話してくれたわ」
エイナが洩らしたひと言に、すかさずシルヴィアが反応した。
「あら、あたしのママは魔女みたいなお婆ちゃんだって言ってたわよ」
「まぁ、そうですか?
私が読んだ絵本では、可愛い男の子でしたけど……」
ジョセフィンが小首を傾げ、そこに加わった。
どうやら砂の妖精の存在は、世界中で広く知られながら、地方によって様々に伝えられているらしい。
彼女たちの話を総合すると、共通しているのは、夜更かししようとする子どもの目に砂粒を振りかけ、目が開けられないようにして眠りに誘うということだ。
「あたしたちの聞いている話が本当だとしたら、人間に害を及ぼす妖精だとは思えないけど、どうしてイルマちゃんに呪いをかけたりしたのかしら?」
シルヴィアが不思議そうな顔でカー君の方を向く。
『ちょ、ちょっと待ってよ。
エイナは分かるとして、シルヴィアは魔導院で幻獣分類学を学んでいるんでしょ?
サンドマンのことは習わなかったの?』
「習ったわよ。でも、妖精族のことは詳しくやらなかったわ。
だって、召喚士が妖精族を呼び出すことなんて、ほとんどないんだもの。
サンドマンに関しては、そういう妖精がいるってことだけ。
だから、姿かたちも知らないのよ。みんな聞いている話が違うけど、どれが本当なの?」
カー君はわざとらしく溜め息をついてみせた。
『仕方ないなぁ……。
それじゃあ、僕がみんなを教育してあげよう』
「まぁ、何て慈悲深いカーバンクルなんでしょう!
是非お願いするわ!」
エイナが芝居がかった仕草で手を組み、涙ぐんだ目で叫ぶ。
彼女も長い付き合いで、カー君の操縦方法を会得しているのだ。
『ふふん、それほどでもないさ。
いいかい、まずサンドマンの姿に関しては、誰も知らないんだ。
なぜなら、あの妖精はこの世界には存在しないからね』
「存在しないって、『サンドマンの呪いだ』って言ったのはカー君じゃない。
どういうことなの?」
『もうシルヴィアったら、慌てる乞食はもらいが少ないって言うでしょ』
「あんた、そんな言葉どこで仕入れてくるのよ?」
『細かいことは気にしないの。
サンドマンは、現実世界と夢の世界との狭間の住人なんだ。
だから、その姿を見ることはできないし、触れることも不可能だ』
「ってことは、犯人をとっ捕まえて、呪いを解除させることができないってこと?」
『そういうことになるね』
「そんな!」
『だから、話は最後まで聞いてよ。
サンドマンに悪気はないんだ。
そもそも、妖精が人間に悪戯を仕掛けるのは、純粋に楽しいからであって、そこに善悪の判断はないのさ。
眠らされた子どもの家族がどんなに悲しもうと、彼らの知ったことじゃない。
犠牲者はたまたま選ばれただけ。妬みや恨みといった負の感情は介在しないんだよ』
「悪意がないんだとしたら、何のための呪いなのよ?」
『これはサンドマンにとっては、楽しい遊びなんだ。
イルマが眠りに落ちたことで、クレイマン卿は娘を救うため、必死に駆けずり回ったし、ここにいる奥方は涙を流して悲しんだだろうね。
でも眠りの妖精は、その姿を見て罪悪感に捉われたりしない。逆に手を打って喜んでいるのさ』
「なんて酷い妖精なのかしら!」
『そうかな?
男の子がアリの巣穴に水を流し込んで、アリたちが慌てふためくの面白がるのと一緒だよ。アリにとっては大惨事でも、子どもには楽しい遊びだろ?
でもまぁ、事の善悪はどうでもいいや。
シルヴィアはサンドマンを〝酷い〟と言ったけど、彼らは意外と公平なんだ』
カー君は、三人の女たちの顔を一人ずつ見た。
『いいかい、これは〝謎かけ〟であって、一方的な暴力じゃない。
つまり、呪いを解く方法は必ず存在していて、僕らがそれを発見すればこっちの勝ちだ。イルマは目覚めて、負けたサンドマンは、二度とこの子に手を出さない。
それがこのゲームのルールなのさ』
「カー君の言うことは、何となく分かるけど……具体的にどうすればいいの?」
シルヴィアの質問は当然である。
だが、カー君は黙って首を振った。彼が人間だったら、きっと肩をすくめていたことだろう。
『それを考えるのが、シルヴィアとエイナの役目でしょう?
君たちの頭の中に詰まっているのは、ジャガイモじゃないよね』
「このけだもの……殴ってやろうかしら?」
シルヴィアが拳を握りしめ、ぷるぷると震えているのを、慌ててエイナがなだめる。
「落ち着きましょう、シルヴィア。私たちの目的を忘れないで。
こんな時、ユニさんだったらどうすると思う?」
ユニの名を出された途端、シルヴィアに冷静さが戻った。
考えてみれば、彼女は魔導院で十二年にわたって首席を通した秀才である。カー君ごときに挑発されて、自分を見失うとは恥ずかしいことだ。
「そうね、ユニ先輩だったら……まずは証拠集め、それと聞き込みかしら。
ねえ、カー君。
サンドマンがあたしたちに謎解きを挑んでいるってことは、正解にたどり着くために、何らかのヒントを残しているってことよね?」
『多分ね』
シルヴィアは唇に拳を押しつけ、しばし考えに沈んだ。
そして、やおら顔を上げると、彼女たちの会話を見守っていたジョセフィンに訊ねた。
「奥様。イルマお嬢さんは発見されるまで、お部屋で何をしていたのでしょう?」
「多分、お人形で遊んでいたんだと思います。
あの子は人形を大切にしていて、手先が器用でしたから、よくお洋服を作っていました。わが子ながら、なかなかの腕前でしたわ。
イルマが倒れていた傍に、お気に入りの人形が落ちていましたし、机の上にはお裁縫の道具が出してありました。
きっと、新しいお洋服を作ろうとしていたんじゃないでしょうか」
「その人形と、裁縫道具を見せてくれませんか?」
「少しお待ちください」
奥方が娘の箪笥に向かうと、シルヴィアは改めて眠っているイルマの顔に目をやった。
カールした栗色の前髪が、額にふんわりとかかっている。
形のよい鼻が、すうすうと気持ちよさげに寝息を立てている。
目は閉じているが、寝顔だけでもとんでもない美少女だということが分かる。
「まさに〝眠れる森の美女〟ね」
シルヴィアはぽつりとつぶやいた。
「何それ?」
エイナが無邪気な顔で訊いてきた。
「あら、あんた知らないの?
悪い魔女のせいで百年の眠りについたお姫様が、王子様の口づけで目覚めるっていうお伽噺よ」
「ああ、〝茨姫〟のお話ね」
「へえ、辺境ではそう言うの?」
「うん、お姫様と一緒に、王様や家来の人たちもみんな眠りに落ちて、お城が茨で覆われちゃうのよ。
だから茨姫って言うのね」
「そうなんだ。あたしの知っている絵本では、お姫様はお城の塔の上で眠っているんだけど……。
そうだ、エイナの知っている話だと、お姫様はどうして眠っちゃうの?」
「えと、あの……確か、継母のお妃に百着のドレスを縫うよう命じられるのよ。それでうっかり指に針を刺したら、ぱったり倒れちゃうの」
「やっぱり地方によって違うのね。
あたしの知ってる話だと、お姫様は紡ぎ車で糸をぶら下げる錘の先で指を突いて、眠りに落ちるのよ。
でも、どっちも何かで指を刺すっていう点は共通しているわね」
二人は顔を見合わせた。
「あたしは右手を見る! エイナは左をお願い」
シルヴィアは回り込んでベッドの反対側に行き、羽毛布団の中からイルマの左手を引き出した。
そして、柔らかでぽってりとした指を目の前に出し、一本ずつ指先を調べる。
「……どこにも傷はないわ。
エイナ、そっちはどう?」
「同じ。きれいなものよ。半年も寝ているのに、爪も伸びないのね」
「イルマの指がどうかなさいましたか?」
人形と裁縫道具を手にしたジョセフィンが、不思議そうな顔で訊ねた。
「いえ、ちょっとした思いつきでしたが、どうやら空振りだったようです」
シルヴィアが自嘲的な笑みを浮かべ、人形を受け取った。
エイナは人形と聞いて、綿を中に詰めた布製のものを想像していたが、奥方が持ってきたのは全く違うものだった。
それは白い陶器で焼かれた大きな人形で、目玉は美しいガラス製、美しい金髪は人毛を使っていて、いかにも高価そうだった。
たくさんのレースの襞がついたドレスは、職人の手になる仕上がりと見られたが、その上から着せられた黄色いカーディガンは、ひと目で少女のお手製だと分かった。
確かに素人くささはあるが、目も細かく揃っており、編み込まれた模様も美しい。
とても子どもが編んだとは思えない出来だった。
裁縫道具の入った籠の中には、色とりどりの毛糸と、何本もの竹製の編み針が入っていたが、普通の針はなかった。
「あの、お嬢さんは編み物だけでなく、裁縫もなさるのでは?」
当てが外れたシルヴィアは、念のために奥方に確認をした。
「ええ、もちろん裁縫もいたしますが、針を使う時は私の部屋で一緒にいたします。
まだ子どもですから、怪我をするといけませんので」
『そりゃそうよね……』
シルヴィアは心の中で溜め息をつきながら、人形をよく調べてみた。
正面も裏も、特別怪しいところはない。呪符でも貼ってあるなら分かりやすいが、さすがにそこまで易しい謎ではないだろう。
だが、シルヴィアの脳裏からは、どうしても「眠り姫」の寓話が離れてくれなかった。
少女が眠りに落ちるには、何かきっかけが必要なはずだ。
そして、彼女が発見された時に、傍には人形が落ちていた。
これはあからさまに怪しい。シルヴィアの勘がそうささやくのだ。
考えあぐねた結果、シルヴィアは自分のアイデアを諦めないことにした。
「あの、奥様。大変申し上げにくいのですが、お嬢様のお召し物を脱がしてもよろしいでしょうか?」
「それは、必要なことなのですか?」
「はい」
ジョセフィンの顔が一瞬険しくなったが、シルヴィアは目を逸らさなかった。
奥方はじっとシルヴィアの顔を見詰めていたが、目を閉じて小さく溜め息を洩らした。
「分かりました。娘が目を覚ますためなら、何でもいたしましょう。
でも、それはあなたたたちを信用するからこそ。意味はお分かりですね?」
「もちろんです。ここで見たことは、一切口外いたしません」
「お願いいたしますわ。小さいとはいえ、女の子ですから。
言っておきますが、〝でべそ〟じゃありませんよ」
奥方は悪戯っぽく笑いながら、イルマのパジャマのボタンを外していった。
シルヴィアとエイナが手伝って寝巻と肌着を脱がせると、少女の一糸まとわぬ裸体が露わとなった。
まだ九歳(数え年)だから、女らしいくびれや肉付きは見られない。
それでも、女の子を裸にしたことに、罪悪感を感じざるを得なかった。
二人は指先を調べた時と同様に、ベッドの両側に立ってじっくりとイルマの身体を調べていった。
いかにも子どもらしいきめ細やかな肌には、傷ひとつなかった。
小さな針孔を見逃さないよう顔を近づけているので、柔らかな産毛が光を受け、きらきらと輝く様まで観察できる。
足の指先から始め、頭の方へ向かってじっくりと調べていったが、さすがに内腿を開かせることはしなかった。
同じ理由で、わずかに膨らんでいる胸にも時間をかけたくない。
しかし、なだらかな丘の頂点に、ちょこんと顔を出している小さな乳首の向こう側で、エイナの頭がぴたりと動かなくなった。
「どうかしたの?」
シルヴィアが顔を上げ、エイナに訊ねた。
「ここ、ちょっと見て。赤くなっているわ」
エイナも顔を上げて答えた。
シルヴィアは少女の裸体に覆いかぶさるように身を乗り出した。
エイナが指さしているのは、左右の乳首を結ぶ線より数センチ下、中央よりやや左側の位置である。
肉の薄い箇所に、確かに赤みを帯びたごく小さな斑点があった。イルマの肌は抜けるように白かったので、よけいに目立つ。
二人は頬が触れるほど顔を寄せて調べたが、針孔のような傷痕は確認できなかった。
シルヴィアは顔を上げ、奥方を呼んだ。
「奥様、この胸の赤くなっている部分は、最初からありましたか?」
エイナが立ち上がって場所を空け、代わりにジョセフィンが娘の胸を覗き込んだ。
「さぁ、今まで気がつきませんでしたけど……ごめんなさい、分からないわ。
蚊に喰われたのかしら?」
確かにその斑点は、直径が一センチに満たない小さなものだった。赤くはなっているが、腫れは認められない。
二人は奥方に礼を言って、イルマに服を着せた。
奥方が娘の身体に羽毛布団をかけ、枕の位置を直している間に、シルヴィアとエイナはベッドから離れ、低い声で検討を始めた。
「エイナはどう思う?
吹き出物よりは虫刺されに近いと思うけど、全然腫れていないのが気になるわ」
エイナの返事が、わずかに遅れた。
「……私は、場所が気になった」
「どういうこと?」
「あの赤くなっているところ、ちょうど心臓の真上だわ。
これって偶然かしら?」
言われてみれば、そのとおりだった。
彼女たちはある程度、医学的な知識を持っている。
魔導院では戦場での応急手当、すなわち止血や骨接ぎ、縫合といったレベルまで訓練が行われる。
そのカリキュラムには心肺蘇生も入っているから、心臓の位置は当然熟知している。
「そうね、偶然にしてはできすぎだわ。
これが妖精の残したヒントだとしたら……さあ、どう解いたらいい?」
それは、シルヴィア自身への問いかけであった。