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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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二十三 見本品

「あたしとしたことが、これは作戦の不在が敗因ね!」

 シルヴィアの立ち直りは早かった。


「お酒買うのに作戦があるの?」

 懐疑的なエイナに対し、シルヴィアは誇示するように豊かな胸を張る。

「もちろんよ。獅子はウサギを狩るにも全力を出すって言うでしょ?

 ましてや尊敬するユニ先輩から与えられた使命ですもの、万全の作戦を立てて臨むべきだったわ」


この子(シルヴィア)はユニさんのこととなると、夢中になり過ぎるわ』

 エイナは心のうちで溜め息をついた。

「それで、シルヴィアとしては、失敗を教訓にどんな作戦を立てるのかしら?」


「まずは情報収集ね。

 さっきの店は庶民向けで、高価なケルトニア酒を扱っていなかったわ。

 あたしたちは、もっと高級な店を訪ねるべきだったのよ。

 地元の人に聞き込みをして、品揃えのいい大きな店を教えてもらいましょう」


 金髪の美少女は自信満々であったが、言っていることはまともである。

 エイナたちは歩きながら周囲を見回し、かし芋を売っている屋台に目をつけた。

 売り子は小柄でよく肥えた、いかにもお喋りが好きそうな中年女性だった。

 まだお腹は空いていなかったので、二人は熱い飲み物を注文した。サラーム風の、ミルクと砂糖がたっぷり入った濃厚な紅茶である。


 木のお椀に注がれた甘いお茶を、ふうふう息を吹きかけながらすすっていると、さっそく女性の方から声をかけてきた。

「あんたたち、見馴れない格好だけど旅行者かい?」


 シルヴィアが『しめた』という表情を隠して、愛想よくうなずいた。

「ええ。あたしたち、リスト王国から昨日着いたばかりなんです」

「おやおや、それにしちゃあ酒屋から出てきたけど、どういうわけだい?

 若い娘さんに似合わない店だよ」


 この屋台は、さっきの酒屋から結構離れていたが、ざとく見ていたらしい。

「実はお使いなんですよ。お土産にケルトニア酒を買ってくるように頼まれちゃって。

 ほら、西海岸は貿易が盛んだから、輸入品も安く手に入るでしょう?

 うちの国は内陸だから、ケルトニア酒はすごく高いんですよ。

 だけど、さっき入った酒屋さんじゃ、そんな高級品は置いていないって断られちゃって、途方に暮れてたんです」


 シルヴィアは同情を誘うように、中年女性の顔を上目遣いでちらりと見た。

「そうかい。そりゃ入る店を間違えたね。

 あたしゃ飲まないから詳しくないけど、ケルトニア酒は人気で品薄らしいから、大店おおだなじゃなきゃ扱っていないはずさ。

 この近くなら、そうだね……ケネスの店か、タンガリー商会だろうね。

 ちょっと待ってなさい」


 彼女はそう言うと、エプロンのポケットから反故紙を取り出した。

 そして、ちびた鉛筆を舐めながらかがみ込み、裏側に簡単な地図を描いてくれた。

「ほら、ここがケネスの店で、タンガリー商会はそっから二百メートルほど先の反対側だよ。

 迷ったら近くの人に聞いてごらん。どっちも有名な店だから、すぐに教えてもらえるよ」


 二人はくしゃくしゃのメモを受け取ると、飲み干した椀を返し、何度も例を言って屋台を離れた。

「これで勝ったも同然だわ!」

 シルヴィアは意気軒昂だった。


 地図に従って大きな通りを何度か曲り、二十分ほど歩いたところで、目的の店が見つかった。

 酒樽の形をした木の看板に、目立つ赤い文字で〝ケネス〟と書いてある。

 店の前に立つと、なるほど構えの大きな商店である。


 扉を開けて入ってみると、店内は広々として、棚には一面に酒の瓶が飾られている。

 テーブルにはチーズや燻製といった、酒に合いそうな食品が山のように盛られている。

 入店したエイナたちに気づいた店員が、弾むような足取りで寄ってきた。可愛らしいエプロンをした、若い娘である。


「いらっしゃいませ! 今日は何をお探しですか?」

 自分たちより若い娘が相手ということもあり、エイナがほっとした表情でリストを差し出した。


「このケルトニア酒が欲しいんです。あるものだけでいいんだけど……」

 娘はリストに目を落とすと、すぐに困ったような表情を浮かべた。


「まぁ、お客様……お気の毒ですわ。

 このうちの三本は先週入荷があったんですけど、最後の一本が売れてしまったのが昨日なんですよ。

 これ、全部十八年ものですよね?

 十二年ものでよろしければ、何本かご用意できますよ。値段も銅貨八枚とお得ですし、いかがですか?」


 エイナは落胆を隠さずに首を振った。

「ありがとう。もし見つからなかったら、考えてみるわ。

 あなたによその店のことを訊くのは失礼だけど、この先のタンガリー商会で手に入ると思う?」


 娘は小首をかしげた。

「どうでしょうか? あちらさんとは仕入れ先が違いますから、何とも言えませんわ」

「そうよね、行ってみなければ、分かるわけないわね。

 ねえ、そんなにケルトニア酒って、入手が難しいの?」


「そういうわけではないんです。

 ただ、うちのような小売の店舗に入ってくるのは、比較的低価格の商品が中心になってしまいます。

 お客様がお探しのような高級銘柄は、問屋が卸してくれないんですよ」

「小売に入らないってことは、問屋からどこへ流れるの?」


「小売をやっていない、外商専門の店ですよ。

 そういうところは、富裕層や高級飲食店を顧客として確保しているんです。

 高級銘柄は慢性的な品不足で、どこも一年先まで予約を抱えていますから、一見いちげんさんには手が出せないでしょうね」

「そうなの……。でも、この店では先週入荷があったって言ったわよね?

 それはどこから仕入れたの?」


 エイナが食い下がると、店員の娘は少し得意そうに小鼻を膨らませた。

「そりゃあ、私どもだって名前の知れた店ですもの。

 正規のルートではありませんが、店独自の手づるを持っているんです。

 と言っても、懇意にしている船員さんと直で取引をしているだけなんですけどね。

 でも、これって結構危ない橋ですから、本当に数本ずつしか入ってこないんですよ」


「つまり、タンガリー商会も同じことをしていると?」

「そうだと思います。お互い便宜を図ってくれる船員を抱えているわけですが、それが何人いるか、誰なのかは絶対に秘密です。

 だから、ほかの店の入荷事情は知るよしがないんです」


 エイナとシルヴィアは、思わず顔を見合わせた。

「分かったわ。いろいろ教えてくれてありがとう。

 とにかく、タンガリー商会に行ってみることにするわ」

「それがよろしゅうございますわ。

 あちらさんは、セレキアで一番大きな小売ですから、運がよければ見つかるかもしれませんもの」

 娘の方も落胆の素振りを隠し、見事な営業スマイルで応えてくれた。


 ケネスの店を出た二人は、そのままタンガリー商会へと向かう。

 エイナの足取りは重かったが、シルヴィアはまだまだ強気だった。


「少なくとも希望は残されているわ!」

「それでも駄目だったら?」


「そっ、その時は……そうよ! あの娘が言ってた問屋に押しかけて、無理にでも譲ってもらえばいいわ」

「シルヴィア、ちゃんと話聞いてた?

 あの、『一見いちげんさんじゃ不可能』だって言ってたわよ」


「ふ……ふんっ! 交渉が決裂したら、実力行使に及ぶまでだわ」

「あんた、まさか物騒なこと考えてないでしょうね?

 〝ユニ先輩〟に怒られるわよ」


「やっ、やあね、ちょっとした言葉の綾よ。その時はその時で、また考えればいいわ。

 ほら、カー君も『自分は関係ない』みたいな顔、しないでちょうだい!

 あたしの幻獣なら、少しは知恵を貸したらどうなの?」


 流れ矢が飛んできたカー君は『うへぇ』と首をすくめた。


      *       *


 タンガリー商会はケネスの店よりも、さらに立派な店構えをしていた。

 だが中に入ってみると、思ったより落ち着いていて、いかにも老舗という雰囲気だった。

 二人を迎えてくれたのは、貫禄のある中年男で、どうやらこの店の主人らしい。


 エイナは再び酒のリストを差し出したが、最初から低姿勢だった。

「あのぉ……この中でどれか一本でもあったら、売っていただきたいんですけど」


 主人はリストにさっと目を通すと、二人の顔をちらりと見た。

「あんた方、旅行者のようだが、セレキアにはどのくらい滞在する気かね?」

「えと、あの……多分、明日か明後日には、街を出る予定です」


 主人はリストを返しながら溜め息をついた。

「それじゃあ、無理だな。

 一か月待つ気があるなら、この中の二本ぐらいは用意してみせる。

 だが、それがいつになるかの約束は、気の毒だができないんだよ」

「やはりそうですか……。

 えとあの、同じ銘柄の十二年ものだったらどうですか?」


「それなら全部揃えられるよ。六本まとめて買ってくれるなら、銀貨一枚半に負けてあげよう。

 確かにあんたたちの探し物はとびきり美味いさ。だがね、十二年ものの方が味と値段のバランスがいいんだよ。悪いことは言わないから、そっちにしておきな」


 エイナは生真面目な顔でシルヴィアの方を見た。

「ねぇ、シルヴィア。ここは十二年もので我慢しましょうよ」

「でもそれじゃ、ユニ先輩に〝使えない〟って思われちゃうわ。そんなの絶対に嫌!」

「だって、仕方ないじゃない。

 こんな大きなお店でも置いていないのよ?」


 エイナはそう言って、店の中をぐるりと見回した。

 だが、その動きが途中でぴたりと止まる。


「エイナ、どうかしたの?」

 シルヴィアは怪訝そうに、友の表情を窺った。

 エイナは眉根を寄せ、目を細めて、店主の背後にあるカウンターの奥を見詰めている。

 カウンターの奥には高い棚があり、包装紙やリボン、酒を入れるための箱や籠などが置かれていた。

 そして薄暗い棚の上段には、少し埃を被った酒瓶が並んでいる。


 エイナはそこから視線を逸らさないまま、店の主人に訊ねた。

「ご主人、あの奥の棚の一番上に並んでいるお酒、リストにある銘柄と同じですよね。

 ラベルに〝十八年〟って書いてありますけど?」


 店主は〝ひゅう〟と口笛を吹いた。

「あんた、ずいぶん目がいいんだね。

 確かにそうだが、あれは売り物じゃないんだ」

「誰かの予約品ですか?」


 主人は首を横に振る。

「いいや、本当に非売品なんだ。言ってみれば〝見本〟だね。

 うちはセレキアで一番の店だっていう自負がある。

 お客さんに『この酒はないか?』と訊かれて、『ございません』とお断りするのは、本来恥なんだ。

 だからせめて、このとおり確かに取り扱っている……っていう証拠を見せてやりたいのさ。

 それさえもなかったら、『どうせ見たこともないんだろう』と馬鹿にされかねないからね。

 だから、あれは売れないんだよ」


 店主の話を聞いたシルヴィアは、エイナを押しのけて身を乗り出した。

「だったら、あたしたちに売ってちょうだい!」


 もちろん、店主が「うん」と言うはずがない。

「お嬢ちゃん、耳が聞こえないのかい?

 あれは売れないって言っただろう」

「売る気もないのに棚ざらしにしていたら、そんなものに一文の価値もないわ。

 あたしたちはお金を払うって言ってるのよ?」


「何度も言わせないでくれよ。あれは見本なんだ」

「なら、中身だけでいいわ!」


「おいおい、このは何を言い出すんだ?」

 店主は困り果て、常識がありそうなエイナに助けを求めた。

 だが、返ってきた言葉は予想外のものだった。


「なるほど、シルヴィアにも一理あるわね……。

 ねえ、ご主人。見本が必要なら、何も中身が本物である必要はないはずよ。

 あのお酒の中身だけを、他の瓶に詰め替えて売ってくださらない?

 空になった瓶には、適当な安酒を、ううん、何だったら紅茶でもいいわ――それを入れておけば、見本の役割を果たせるでしょう?」

「いや、それはさすがに……」


「エイナの言うとおりよ!

 もちろん、正規の瓶はお店に置いていくんだから、その分値段は勉強してくれるわよね?」

「おいおい、ちょっと待ってくれ!」


 店主は額に汗をかいて、手を振った。

「うちはこれでもまっとうな商売をしているんだ。

 そんなお客さんを騙すような真似、できるわけがないだろう!」


「そこを何とか!

 ほら、カー君も首を搔いてないで、何とか言ってよ!」

 店の中で大人しく〝お座り〟をしていたカー君は、〝面倒臭い〟という札を顔に貼りつけながら、仕方なく口を開いた。


『ねえ、ご主人。この辺でうんと言ってくれないかな?

 シルヴィアは頑固でしつこい上に、意外に凶暴なんだよ。

 暴れ出さないうちに、手を打っちゃおうよ』


 店の主人の顔が一瞬で凍りつき、顎がかくんと落ちた。

「なっ、なんだ今の声は?

 頭の中で急に響いて……まさか、この犬ころが喋ったのか?」


『そう驚かないでよ。

 シルヴィアはリスト王国の召喚士なんだよ。

 僕は呼び出された幻獣ってわけ。これでも精霊族なんだぜ。

 高貴な生まれの僕が頼んでいるんだから、ここは呑んでくれないかなぁ?』


 カー君はシルヴィアが側にさえいれば、誰にでも話しかけることができる。

 ただ、それをやるとほとんどの人がパニックに陥るので、彼女が許可しない限り黙っているのだ。

 変わった種類の犬だとばかり思っていた店主が、驚いたのも無理はない。


「こいつは驚いたな!

 いや、確かにあの国に召喚士がいるって話は、俺も聞いたことがあるが……。

 噂じゃ、怪物を操るって話だったが、こんな犬みたいなのも幻獣なのか」

『だから、犬じゃなくて精霊だって!』


「いやいや、精霊ってのは、もっとこう……羽の生えた半裸の美少女って、相場が決まっているだろう」

『おじさん、妖精とごっちゃにしてるでしょう?

 精霊ってのは、万物に宿る魂が顕在化したものだから、いろんな姿をしているんだよ』


「ちょっとちょっと、話が明後日の方にずれているわよ!

 見本のお酒を譲ってくれっていう話だったでしょ?」


 店主は我に返って、シルヴィアの方に向き直った。

「えっ? あっ、ああ、そうだっけな。あんまり驚いたんで頭が真っ白になっちまった。

 しかし、そうか、精霊かぁ……。いや、待てよ!」


 店主は不意に顔を上げ、何かを思いついたように口を開いた。


「お嬢さん方、場合によっちゃ、言うとおりに酒を譲ってやってもいい。

 その代わり、こっちの頼みを聞いてもらえないだろうか?」

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