二十二 都市国家セレキア
「ほわぁ~っ!!」
エイナが右、シルヴィアが左を見上げ、同時に間の抜けた声を出した。
二人の前を歩いていたユニは、堪らずに頬を赤らめ、うつむいてしまった。
「お、ね、が、い、だから! 二人とも、キョロキョロしないでくれる?」
ユニの哀願に対し、シルヴィアはユニの左腕を取り、両手で胸に抱きかかえた。
「だってユニ先輩! 見てくださいよ、めちゃくちゃきれいな街だと思いません?
冬なのにお花だらけ! 歩道の花壇の手入れなんて完璧だし、建物の玄関まわりにも、花の咲いた鉢がいっぱい並んでますよ。何て素敵なんでしょう!」
エイナが負けじとユニの右腕を抱え込み、ぐいぐいと引っ張る。
「ユニさん、あれ! ほらあの角にある青銅の箱、ひょっとしてゴミ箱じゃないですか?
見事なバラの浮彫ですよ! ゴミ箱まで装飾されているなんて、信じられます?
うわっ、あっちの交差点の真ん中には銅像が置かれてるわ。〝聖騎士ユリシーズの凱旋〟かしら?」
二人の娘が興奮するのも無理はなかった。
大陸西海岸に点在する六つの都市国家群は、軍事的には大国ケルトニアに屈し、その支配に甘んじている。
しかし、今なお文化的には世界の最先端で、学問・芸術の都としてその名が世界に知れ渡っていた。
最南端に位置するセルキアは、その中でも三本の指に入る有力都市である。
数百年にわたって戦禍を免れてきた歴史ある建物は、一つひとつが文化財と言ってよく、住む者もそこに誇りを持っていた。
したがって、人々は誰かに命じられずとも家の周辺を掃除し、季節の花を植えて手入れを怠らなかった。
街の至る所に高名な芸術家の彫刻がさりげなく置され、古びた教会に一歩足を踏み入れると、極彩色の見事な壁画に迎えられることも珍しくない。
エイナとシルヴィアは、リスト王国の王都であるリンデルシアで暮らしており、四古都と呼ばれる大都市には規模で劣るものの、国内でもっとも洗練された都の住人であると自負していた。
しかし、こうしてセルキアという〝本物の古都〟を目の当たりにすると、自分たちがいかに田舎者であるかを、痛いほどに感じるのであった。
* *
オアシス都市アギルから船に乗った三人は、ユルフリ川を下る旅を順調にこなしてきた。
出発して四日後の夕方、セルキア近郊の川港に着いた彼女たちは、王国で見馴れた城塞都市の門を潜り、ユニの知っている宿に入った。
王国が発行する身分証は、遠く離れた都市国家でもある程度の効力を持っていたため、正式な幻獣登録をされているライガとカー君も、市街に入ることを許可された。
登録されていないライガ以外の群れのオオカミたちは、郊外の人気のない林で待機することになるが、これはいつものことである。
冬の日没は早く、入国手続きに時間を取られる間に、あたりは暗くなっていた。
エイナたちはろくに街を見ることもなく宿へと向かい、すぐに湯をつかった。
アギルとは違い、この街に公衆浴場はないが、その代わりに宿では当たり前に大桶に湯を汲んで、身体を洗うことができた。
川船に乗っている間は、シャワーすら浴びられなかったので、女たちはこれを何より喜んだ。
湯から上がると、豪華ではないが温かい食事を摂り、窮屈な船旅で疲れ果てていた三人は、即座にベッドに潜り込んで眠りに落ちた。
翌朝、簡単な朝食を済まし、彼女たちは街に出たのだが、ここで初めてエイナとシルヴィアは、文化と芸術の都を目の当たりにして、圧倒されたのである。
* *
完全に〝おのぼりさん〟と化した二人を放り出し、ユニは道端の屋台に寄った。
しばらくして、騒ぎながら先を行くエイナたちに追いつくと、その肩を叩く。
振り返った二人の顔の前に、ユニが何かを突きつけた。
薄いビスケットのカップに、半球状の白い氷菓子が盛られている。シルヴィアがそれを受け取りながら、驚いた声を上げた。
「えっ、これってアイスクリームじゃないですか?」
アイスクリームは王都にもあるが、かなりの高級品であり、店でガラスの器に盛られて供されるのが常識だった。
このようなお菓子の器は初めて見るし、道端の屋台で売られているというのも驚きだった。
つまりは、庶民が気軽に手を出せる値段だということだ。
「その先の公園にベンチがあるから、そこに座って食べましょう。
とにかく、あんたたちが少しは落ち着いてくれないと、恥ずかしくて一緒に歩けないわ」
ユニはそう言うと、二人を追い越して先に歩いていった。
セルキアの街中には、小さな公園があちこちにあった。
優雅な丸みを帯びたベンチには、お年寄りが腰かけてお喋りしていたり、赤ん坊を抱いた母親が小さな子どもを遊ばせたりしている。
三人は空いているベンチに腰をおろし、小さな焼き菓子のカップに入ったアイスを、木のへらですくって堪能した。
歩き続けて少し火照った身体に、濃厚なミルクの風味と甘さがしみわたる。
冬であっても、アイスクリームなら大歓迎である。
中のアイスを食べ終わると、焼き菓子で作られたカップがよい口直しとなった。エイナとシルヴィアは感激しまくりである。
「ユニさん、これっていくらしたんですか?」
エイナが薄いビスケットを齧りながら訊ねた。
「う~ん、こっちとは貨幣単位が違うんだけど、王国でいえば銅貨一枚半くらいね」
「はい?」
「聞こえなかった? だから、銅貨一枚半よ」
「えと、あの……ユニさん、私をからかってませんよね?
王国だと一杯で銅貨五枚が相場ですよ」
「あー、うちの国は田舎だから、氷が高いもんね。
帝国でもアイスはセレキアと同じくらいだったわよ」
「何でそんなに安くできるんでしょう?」
「そりゃ、氷が安いからよ」
「だって、氷は冬の間に池から切り出して、おが屑詰めにした氷室で保管するんですよね。
設備と手間がかかるから、安くするなんて無理じゃありませんか?」
ユニはきょとんとして、エイナの顔を見詰め返した。
「よりによって、あんたがそんなことを聞くの?
セレキアは先進国よ。当然、魔導士だっているわ」
「それとアイスの値段が、どう関係するんですか?」
ユニは溜め息をついた。
「エイナ、あんたねぇ~、ちょっと頭が堅いんじゃない?
魔導士は戦争ばっかりしているわけじゃないのよ。
帝国だって、軍の基準に達しない、民間魔導士がごまんといるわ。
あたしたちみたいな二級召喚士が、軍に入らずに自活しているのと同じなの。
あんた、もし軍を馘になったら、どうやって生きていくつもり?」
エイナは言葉に詰まった。そんなことは、今まで考えたこともなかったのだ。
ユニは畳みかける。
「あたしだったら、氷室屋に就職するのをお勧めするわね。
あんた、氷結魔法が得意でしょう?」
「は、はい……」
「水さえあれば、いつでも好きなだけ氷が作れるじゃない。
うちの国じゃ、十キロの氷が銀貨十五枚もするわ。
あんたが氷結魔法でじゃんじゃん氷を作ったら、それだけで大儲けよ。
はっきり言って、軍のお給料なんか目じゃないくらいに稼げるの! 分かった?」
「あ……」
「このセレキアじゃね、軍に入る魔導士なんか、ほんの一握りに過ぎないわ。
ほとんどの魔導士は当たり前に社会で暮らしていて、人のためになることに魔法を使っているの。
今、うちの国がやろうとしている魔導士の養成計画は、民生利用なんか端から無視している。
あたしはセレキアの方が健全で、正しい道を歩んでいると思っているわ」
エイナの手から、食べかけのカップがぽろりと落ちた。
ユニの言ったことが正論なのは、火を見るよりも明らかだった。
情けないのは、自分の道が正しいかどうかの疑問を、これまで一度も抱いてこなかった、おのれの愚かさだった。
蒼白となって黙り込んだエイナの肩を、ユニが苦笑を浮かべながらぽんと叩いた。
「そう落ち込まなくていいわ。
マリウスやケイトは、全部分かっていてやっているのよ。
今は帝国の圧力に抗するため、魔導士を軍事に全振りするしかないのが現実だわ。
いつの日か、帝国のように多くの魔導士が育てば、自然に魔法の民間利用にだって目がいくはずよ。
あたしたち召喚士だって、最初の二百年くらいは、軍に仕える以外の道が許されなかったの。
二級召喚士に職業選択の自由が与えられたのは、その後の話だわ」
ユニの顔から笑みが消え、その表情は真剣なものとなった。
「自分に与えられた使命を全うしなさい。
爆裂魔法を手に入れ、王国の魔女となろうとも、ぐらついちゃだめよ。
あなたの軌跡が、後に続く者たちの道しるべとなるの。
しっかりしなさい!」
肩を揺さぶられ、光を失っていたエイナの瞳に、次第に力が戻ってきた。
エイナは「はい」と小さくうなずき、鼻をすすりあげた。
「えっと、何かアイスの値段の話が、えらく感動的になってきたんですけど……」
気まずそうな表情で、シルヴィアが割り込んできた。
「みんな食べ終わったことだし、そろそろ本題に入りませんか?」
「あー、ごめんごめん。ついのっちゃったわ」
ユニはぺろりと舌を出した。
「今日の行動計画だったわね。
このセレキアは、あたしたちにとって、最後の補給地点となるわ。
ここから南下しても、もう出くわすのは貧しい開拓集落ばかりで、店なんか存在しないの。
だから、ここでしっかり準備をしなくちゃいけないわ。
三人一緒に買い出しをしてもいいんだけど、それだと効率が悪いから、二手に別れましょう。
あたしは旅に必要な物資を買い揃えるから、あんたたちはこれを手に入れてちょうだい」
彼女はそう言って、一枚のメモを差し出した。
エイナが受け取って目を通す。
「えと、あの……これって、お酒のリストですか?」
「あら、よく分かったわね。偉いわ。
あたしたちがエルフの森に入るには、どうしても寂寥山脈に棲むドワーフの協力が必要になるの。
あいつらの機嫌を取るには、酒が一番よ。
だから、それを買い集めてもらいたいってわけ」
「お酒なら、確かレテイシア陛下から、高級なケルトニア酒を預かっていると聞きましたが……」
「あれは駄目! アッシュへの贈り物なのよ。
ドワーフになんかもったいないわ。
それにいくら高級酒でも、あいつらに一本だけ持っていっても焼け石に水よ」
「ああ、それでこのリストですか」
「そういうこと。それだって、一本あたり銅貨十数枚はする代物よ。
いい? 予算は銀貨三枚だから、足を出さないでね。
ケルトニア酒は最近品薄だって聞くから、手に入れるには苦労するかもしれないわ。
頑張ってね」
「任せてください、ユニ先輩!」
シルヴィアが〝どん〟と自分の胸を叩いて立ち上がった。
* *
公園でユニと別れたエイナとシルヴィアは、セルキアの大通りへと戻った。
もう十時を回っていたから、たいていの店は開いている。
シルヴィアは意気揚々と胸を張って歩き、その後をカー君が呑気そうについていく。
エイナはシルヴィアの横に並んで歩いていたが、あまり意気は上がらなかった。
「ねえ、シルヴィア。安請け合いしたのはいいけど、何か当てがあるの?」
「ないわよ」
あっさりと答えるシルヴィアに、エイナの不安はますますつのる。
「ないわよって、どうすんのよ!」
「情けない声を出さないでちょうだい。
簡単な話よ。お酒を買いに行くんだから、酒屋さんにいけばいいんだわ。
こんな大きな街だもの、何軒か回ればすぐに揃うに決まっているわよ」
「そう上手くいけばいいんだけど……」
「大丈夫よ。ほら、あそこにあるの酒屋さんじゃない?」
シルヴィアが指さす方を見ると、軒先に大きな酒樽が並んでいる店が見えた。
多分、あの樽で量り売りをしているのだろう。
二人はうなずき合い、その店へと向かっていった。
「すみませーん!」
シルヴィアが店の中に顔を突っ込み、元気のよい声を出した。
「へい、らっしゃい!」
すぐに愛想笑いを浮かべた店主らしい男が出てきたが、二人を見ると途端に渋い顔となった。
「お嬢ちゃんたち、お使いかい?
悪いがうちの店じゃ、未成年に酒は売らないんだ」
「いえ、あたしたち、二人とも十九歳です。ほら、これを見てください」
シルヴィアは、胸ポケットから入国許可証を出した。
これはセレキアの城門で交付されたもので、身分証に記してあった氏名や年齢も記載されている。
店主はしかめ面で書類を覗き込むと、どうやら納得したようだった。
ちなみに、この世界では国によって違いはあるが、多くは十八歳から飲酒が許されており、セルキアもその例に漏れなかった。
「まぁ、成人しているならいいが、朝っぱらから若い娘が酒を買いにくるのは、おじさん感心しねえなぁ。
それで? 何が欲しいんだい」
「これなんですけど、どれかありますか?」
シルヴィアはユニに渡されたメモを差し出した。
酒屋の店主は、それをひと目見るなり吹き出した
「悪い冗談だぜ!
こいつはケルトニア酒でも、有名どころばかりじゃねえか。
お嬢さん、帰んな! とんだお門違いだ」
慌てたのはシルヴィアである。
「どっ、どういうことよ? あたしたちが小娘だからって、馬鹿にしてんの?」
店主は笑い過ぎて、目尻に浮かんだ涙を拭い取った。
「あのなぁ、うちは市民相手にまっとうで手堅い商売をしているんだ。
うちのお客は正直者の善人ばかりだが、たいした金は持っちゃいねえ。買うのは手ごろな焼酎ばかりさ。
そりゃまぁ、たまの贅沢でケルトニア酒を買おうって物好きも、いねえことはねえがな」
彼はそう言いながら、棚から琥珀色の液体が入った瓶を取り、二人の前に見せつけた。
「こいつがうちで置いている一番高いケルトニア酒だ。いくらだと思う?
銅貨四枚だ。焼酎だったら五本は買える値段だぜ。
それを女房が無事に子どもを産んだからって、なけなしの金を搔き集めて祝い酒に買っていくんだよ。
お前さん方のメモに書いてある酒は何だ? 一本で銀貨五、六枚はする銘柄ばかりじゃねえか。
そんなもん、百年経ってもうちの棚にゃあ並ばねえよ!」
店を追い出されたエイナとシルヴィアは、呆然として顔を見合わせた。
ユニから命じられた命題〝ドワーフ土産を手に入れろ〟は、出だしから躓いたのであった。