表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
114/360

二十 爆発

 すり鉢の底に怪物の姿はなかったが、エイナの魔法とカー君の火球で熱せられた砂からは、もうもうと白い蒸気が立ち上っていた。

 エイナはそこに疑問を抱いた。


 ここは結界によって、外界から隔絶された異世界である。

 真冬なのに妙に暑いのは、そのせいだと思われた。

 一年中太陽が照りつけて、雨が降ることもないはずだ。

 だからこそすべてが乾燥し、岩も崩壊して砂だらけの砂漠になったのだろう。


 ならば、なぜ穴の底の砂から水蒸気が上がっているのか?

 その疑問が、エイナにひとつの答えを与えた。


 彼女はすり鉢の縁に仁王立ちとなり、両手を前に突き出していた。

 呪文の詠唱が進むにつれ、広げた掌に大量の魔力が流れ込んでいった。


 シルヴィアとカー君は、すぐそばでエイナを見守っている。

 呪文の詠唱は魔導士が最も集中し、同時に無防備となる瞬間である。

 エイナがどんな魔法を使おうとしているのか、シルヴィアには分からなかったが、自分とカー君が彼女を守らねばならなかった。


 油断なく周囲を見張っているシルヴィアは、ふいに寒さを覚えて両腕をさすった。

 つい今しがたまで、暑さにうだっていたはずなのに、である。

 驚いて横を見ると、トランス状態に陥っているエイナが、その冷気の発生源だった。


 エイナが氷結魔法を放とうとしている。それは明らかで、シルヴィアも何度か見たことがある魔法だ。

 だが、こんなふうに発動前から冷気が漏れ出ているのは、初めて見る現象である。

 一体、どれだけの魔力をつぎ込んでいるのか、空恐ろしくなるほどだった。


 シルヴィアは片膝をつき、横にいるカー君の耳にささやいた。

「火球の準備をしておいて。それも特大の奴よ」

『何言ってんの? 怪物は砂に潜ったままだよ』


「いいから! エイナに何か考えがあるみたい。

 きっとあなたの助けがいるわ」

『ずいぶん自信ありげだけど、その心は?』


「あたしの勘よ!」

『うわぁ~!』


 シルヴィアたちが小声で言い合っている間に、エイナの呪文が完成した。

 エイナの全身は、漏れ出した冷気で白い霜と氷に覆われていた。

 それが〝パリン!〟と音を立てて砕け、飛び散った。

 同時にエイナの両手が白い光を放つ。


 ドンッ!

 腹に響く重低音で地面が揺れた。

 すり鉢の底の砂が派手に吹き飛ばされ、白い水蒸気も掻き消された。

 穴の底は一面真っ白に凍りついたかと思うと、中央部がぼこりと盛り上がった。

 そして、凍った砂をばきばきと音を立て破壊しながら、白い氷の柱が無数に生えてくる。

 寒い冬の朝に現れる、霜柱を巨大化させたような感じであった。


『いま、チラッとあいつの大顎が見えた! 氷に挟まれて、ジタバタしている』

 目のいいカー君が報告する。


 砂の底に潜っていた怪物は、氷の柱に巻き込まれ、地表へ押し出されてきたらしい。

 しかも、膨張した氷に圧迫されて、身動きがとれないようだった。

 ただ、手足を動かしているということは、エイナの強力な氷結魔法でも、凍死していないということだった。


「やったの?」

 後方でアリの手当をしていたユニが魔法の発動に気づき、駆け寄ってきて訊ねた。


「いえ、地中から引っ張り出して動きは封じたようですが、死んではいません」

 ユニに答えたのはエイナではなく、シルヴィアだった。

 エイナはすでに次の呪文を詠唱しており、口からは高速の圧縮呪文が、不協和音のように流れていた。


 エイナが再び突き出した手の先から、白熱した光の玉が撃ち出された。

 さっきも使ったファイアボールであるが、最初とは桁違いの大きさである。

 巨大な光球は真っ直ぐに飛んでいったかと思うと、氷の柱の一メートルほど上空でぴたりと静止した。


 ファイアボールは、魔導士の意思である程度コントロールできる。

 ただし、それは軌道を変えられるという意味で、このように静止させる例は、経験豊富なユニも見たことがなかった。


「カー君、私の魔法を狙って火球を撃ち込んで!」

 エイナが穴の底を見つめたままで怒鳴った。

 カー君は、すでに喉を風船のように膨らませていた。

 シルヴィアが勝ち誇ったように、『ね?』という顔をしている。


 ガハァッ!

 カーバンクルは咳き込むように火球を吐き出した。

 これも最初より倍近い大きさだった。

 炎の塊りは、空中で静止している光球へ吸い込まれ、その衝撃でファイア・ボールが爆発した。


 魔法の炎と幻獣の炎の双方が、絡み合うようにして暴走を始めた。

 空中に浮かぶドームは、内部の超高温で色が赤から白へと変化し、凄まじい光を放った。

 そんなになっても、まだエイナは魔法の制御を続けていた。

 彼女は突き出した手を勢いよく振り下ろし、その動きつられるように、灼熱した球体が氷の柱へと叩きつけられた。


 次の瞬間、エイナたちの視界は真っ白になった。

 凄まじい轟音で聴力が奪われ、キーンという耳鳴りだけが頭に響く。

 全身に叩きつけられるような圧力が加わり、彼女たちは空高く吹っ飛ばされた。


      *       *


 気がつくと、エイナは砂の上で仰向けに転がっていた。

 何人もの人たちが、心配そうな顔でエイナを取り囲み、覗き込んでいる。

 彼女は慌てて上体を起こした。

 身体を捻ったり、腕を回してみたが、取りたてて痛みはない。


「えと、あの、だだっ、大丈夫みたい? ……です」

 彼女は顔を上げ、見つめている人たちにそう伝えたが、何の言葉も返ってこなかった。


 そもそもこの人たちは誰で、どこから現れたのだろう。

 エイナに危害を加えようとする気配は見えないが、びっしりと取り囲まれているのが不気味だった。

 人々の輪の外側にも、たくさんの人が隙間から顔を出して覗いており、一体何人が集まっているかも分からなかった。

 よくよく見ると、彼らはみな髪も髭も伸び放題で、痩せて目は落ちくぼんでいる。

 茶色い麻布のような粗い生地に穴を開け、頭を出して胴を荒縄で縛っている――貫頭衣と呼ばれる粗末な服を着て、足は裸足だった。


 話しかけても彼らが何も答えないので、エイナは不安になってきた。

「あの、私の言葉……分かりますか?」


 そう訊ねても、やはり反応がない。

 エイナは困り果て、とにかく立ち上がってみた。

 ちゃんと立てたので、本当に身体は何ともないようだった。


「シルヴィア、ユニさん! みんなどこですか?」

 彼女は大きな声を出してみたが、周囲の人たちはもちろん、シルヴィアたちからの返事もなかった。


 エイナは思い切って、この囲みを抜け出そうと思った。

 目の前に立っている、貧相な男の身体を押しのけようとすると、初めて相手が反応を示した。

 男はエイナを押し留めるように、彼女の肩を押さえつけたのだ。


「放してください!」

 エイナはきつい表情で、その手を振りほどこうとした。


 その途端、男の痩せ衰えた右腕が肩の付け根から外れ、ぼとりと地面に落ちた。

 一滴の血も吹き出さず、粘土細工のようにちぎれたのだ。

 彼女は悲鳴を上げてしゃがみ込み、慌てて落ちた腕を拾い上げると、おずおずと男に差し出した。

「えとあのっ、これ……落としましたよ?」


 我ながら間抜けなセリフだと思ったが、それしか言葉が思いつかなかった。

 腕を押しつけられた男は、笑みを浮かべてゆっくりと首を横に振った。

 そして、無事な方の左手を上げて、エイナの肩をぽんぽんと叩いた。

 それが合図だったように、周囲の男たちが一斉に胸の前で手を合わせ、頭を深々と下げた。


「えっ、なに、何ですか!」

 狼狽うろたえるエイナに対し、お辞儀を解いて頭を上げた人たちの顔は、満面の笑顔だった。何人かの人は、目から涙まで流していた。

 そして、その表情がぐにゃりと歪んだかと思うと、ぐずぐずと崩れ出した。


 海辺で作った砂の城が波に洗われように、人々の顔が崩れ、身体が崩壊していく。

 あっという間に、数百人もの人の群れが崩れ、砂漠の砂と見分けがつかなくなってしまった。

 呆然とするエイナの周囲には誰もいなくなり、彼女は広大な砂漠の中で、ただ一人立ち尽くしていた。


      *       *


「……イナ、エイナ!」

 誰かが耳元で大声を出し、乱暴に肩を揺すっている。


 エイナは顔をしかめ、薄っすらと目を開けた。

 栗色の髪にはしばみ色の瞳、目尻や口元に皺が刻まれたユニの顔が、すぐ目の前にあった。


「あれ、ユニ……さん?」

 ぼんやりとした頭でつぶやいた途端、じゃりっという不快な感触が口に広がった。

 エイナは咳き込み、つばとともに口の中の砂を吐き出した。

 おかげで意識が一気に覚醒する。


「よかった、ようやく気がついてくれたわね」

 ユニがほっとしたように笑い、背中をさすってくれた。


「えと、あの……私、どうしたんでしょう?」

 涙目で訊ねるエイナに、ユニは水筒を手渡し、今度は背中をドン! と叩いた。

「どうしたのかって、あたしの方が訊きたいわ!」


『あー、エイナが起きた!』

「本当だ。あんた、いつまでも起きないから、死んだかと思ったわよ」

 背後からカー君とシルヴィアの声がかかる。

 振り返ると、二人がにやにやしながらエイナを見下ろしていた。


「みんな、無事だったのね」

 エイナがホッとしたようにつぶやくと、白オオカミのロキがぬっと顔を出し、砂で汚れた彼女の頬をべろりと舐めた。

 彼女の周りには、ユニのオオカミたちが集まっており、アリの手を握ったサーイヤもすぐ近くにいた。


「そうだ! あの虫の化け物は、怪物はどうなりました?」

 思い出したように叫ぶと、ユニが笑って肩をすくめた。

 そして、エイナの隣にどっかりと腰をおろした。

 シルヴィアとカー君、そしてサーイヤとアリの母子も、エイナを囲むように砂の上に座った。


「死んだわ。見事にバラバラよ。

 ねえエイナ、あんた一体、何をやったの?

 氷結魔法であの虫を地下から押し上げ、その次にファイアボールで攻撃した。

 ――そこまではあたしも理解したわ。でも、その後の大爆発は何なのよ?

 あたしは爆裂魔法かと思ったわ」


「えと、あの……あれは水蒸気爆発ですけど」

「うん、見事な作戦だったわ。よくとっさに思いついたわね」

 シルヴィアはうなずいたが、ユニはきょとんとしている。


「水蒸気……って、何それ?」

「え? 何って、魔導院で習いませんでしたか?」

「そうですよユニ先輩、八年生くらいの理科の授業で教わったはずですよ?」


「そっ、そうだったかしら?

 言われてみれば、聞いたような気もするするわね」

 ユニが顔を赤くしてごまかしたので、気遣いのできるエイナは〝念のため〟説明することにした。


「揚げ物をする時、煮立った油に水滴を落とすと、飛び散って危ないですよね?

 あれと同じで、水が高温の物体に触れると、一気に気化して体積が千七百倍にも膨張するんです。

 水の量が多ければ、もう爆発ですよね? それが水蒸気爆発です。

 私は穴の地下の砂に含まれた水分を氷結魔法で凍らせ、そこにカー君の火球を取り込んだ、超高熱の火炎魔法をぶつけたんです。

 それで大爆発が起こったというわけです」


 明快な説明だったが、ユニはなおも首を捻った。

「だけど、ここは砂漠よ。どうして氷の柱が生えるほどの水があったのかしら?」

「あの怪物も生き物です。

 いくら獲物の体液で水分を吸収するといっても、まったく水がなければ生きていけないはずです。

 だから、あいつが潜っている地下には、多少の湿気があるのだと思いました。

 それで、流砂のことを思い出したんです」


「あたしたちが通路で流された、あれ?」

「そうです」

 エイナがうなずく。


「流砂の正体は、地下水を吸収して飽和状態になった砂だって、教えてくれたのはユニさんですよ。

 私たちが通ってきた地下道は、ちょうど怪物の巣の底と同じくらいの深さでした。

 それならば、すり鉢の地下の砂は、結構な水分を含んでいるだろうって思ったんです」

「それで氷結魔法を……」


「はい。地下の砂を凍らせれば、さすがにあの怪物もそれ以上潜れないでしょう。

 そして、気化とは桁が違いますが、水は凍って固体化すると体積が増えます。

 だから、怪物は膨張した氷によって地表に押し上げられる。

 そこに超高熱の魔法をぶつければ、水蒸気爆発を起こせるはずだ……。

 その場の思いつきですが、成功したみたいですね」

 エイナはちょっぴり自慢げに胸を張ったが、ユニの評価は手厳しかった。


「危うく全員死にかけたけどね。

 あんな間近で大爆発を起こすから、あたしたちは爆風で吹っ飛ばされたのよ。

 ここが砂漠で、落ちてもダメージが少なかったからよかったけど、普通の地面だったらただじゃ済まなかったでしょうね。

 マグス大佐だって、爆裂魔法は十分な距離を取らない限り撃たないのよ。

 まったく、自殺行為にもほどがあるわ。

 強力な攻撃だってのは認めるけど、いい? 次からはもっと離れてやってちょうだい!」

「でもでも、ファイアボールは中距離魔法ですし、氷結魔法はもっと射程が短いんです」


 ユニはエイナの額を中指でぱちんと弾いた。

「なら、さっさと爆裂魔法を覚えなさい。

 そしたら、マグス大佐に倣って、エイナのことは〝王国の魔女〟って呼んであげるわ」


      *       *


 エイナが十分に回復したのを確認すると、ユニは立ち上がり、ぱんぱんとお尻の砂を払った。

「さぁ、怪物は死んだし、アリは見つかったわ。一件落着よ。

 もう帰りましょう。みんな、オオカミたちに乗ってちょうだい」


「でっ、でもユニ先輩、どうやってこの結界を脱出するんですか?」

 シルヴィアが〝肝心なことを思い出した〟という顔で訊ねた。


「馬鹿ね。敵が滅べば結界は消滅するってのが、古今東西のお約束よ。

 この砂漠も、一年もしないうちに砂が飛ばされて、周りと同じ岩石砂漠に戻るでしょうね」

 ユニは自信たっぷりで言い切ったが、エイナとシルヴィアは顔を見合わせた。

 二人の顔には『そう都合よくいくのだろうか?』と書かれている。


 ユニは少しむっとして、頬を膨らませた。

「安心しなさい。さっきうちのオオカミたちに確かめさせたけど、もう外に出られるわ。

 疑うのなら、ほら、向こうを見てごらんなさい」


 ライガの上に飛び乗ったユニが片手を上げた。

 エイナたちがその方向を見ると、荒野の中に佇む神殿の姿が小さく目に映った。

 遠くが見通せるということは、確かに結界が消滅したのだろう。


 ユニは白い歯を見せて笑った。

「信じてくれた?

 さぁ、行くわよ。あたしは一刻も早くお風呂に入りたいの!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 今頃気付いたんですけど、アリだけにアリ地獄だった.......?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ