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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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十八 すり鉢

 乾燥した砂漠の砂というものは、あまり臭いが染みつかないらしい。

 ユニの指示で捜索を開始したオオカミたちは、男の子の臭いは確認したものの、その行動までは追えなかった。

 だが、ここは半径三百メートルほどの閉ざされた空間である。見つけ出すのは時間の問題だった。


 四方八方に散ったオオカミだけに任せっきりにしたわけではない。

 ユニやエイナたちも、手分けして連なる砂丘の中を歩き回った。

 中でも必死だったのが、母親であるサーイヤだった。

 彼女はアリの姿を探しながら、大声でその名を叫び続けた。

 あっという間に彼女の声は枯れ、ガラガラのしゃがれ声になっても止めなかった。


 捜索者たちの目に映るのは、単調に連なる砂丘と、ゆらぐ陽炎だけである。

 身を隠すような木立も岩も見当たらない。

 アリの姿が見当たらないということは、砂丘の間にできる谷部にいるということだろう。

 当初は簡単に考えていたユニたちだったが、いくら丘を登り、踏み越えても少年は見つからなかった。

 しかも、砂の中を歩き回るという行為は、想像以上の困難を伴っていた。


 一歩踏み出すごとに足が砂に埋もれ、それを引き抜くだけで一苦労なのだ。

 数分歩いただけでも腿の筋肉に疲労が溜まり、転びそうになるのをこらえると、ふくらはぎがりそうになる。

 細かい砂は、靴の中に入ってくるだけでない。吹く風に舞い上げられて、目にも鼻にも入ってくる。当然口の中もじゃりじゃりになる。

 これに比べたら、ハラル海の岩石砂漠の方が数倍快適であった。


 エイナとシルヴィアは呪いの言葉を吐きながら、オオカミのいない砂丘を越えていった。

 彼女たちが姿を消した丘の向こうから、悲鳴と淑女にあるまじき罵声が聞こえてきた。

 大方、砂に足を取られて、斜面を転げ落ちたのだろう。


 ユニは包帯用の晒布を顔に巻いて口を覆い、無言で歩き続けた。

 自分ならこんな砂漠に閉じ込められた時、どうするだろう?

 彼女は頭の中で、そう自問していた。


 まずは周囲の状況を把握するだろう。

 そして、脱出が不可能と覚ったならば、まず体力の消耗を防ごうとするはずだ。

 いや、それよりも水分を失うことの方が恐ろしい。


 この砂漠は、冬とは思えないほど暑かった。絶え間なく汗が吹き出し、あっという間に身体中の水分が蒸発していった。

 ユニたちは水筒を持っているから水を補給できるが、アリにそんな用意があるとは思えない。

 身を隠す遮蔽物がないこの状況で、どう動くのが正解だろうか……。


 考えに沈むユニの脳裏に、いきなりライガの馬鹿でかい声が響いた。

『おい、ユニ! ちょっとこっちへ来てくれ!』


 ライガの声から差し迫った危険は感じられないが、何やら深刻な口調である。

 ユニはざくざくと砂を踏みしめながら、相棒の声がする方向へと急いだ。


      *       *


 いくつかの砂丘を越えてライガのもとにたどり着くと、そこには他のオオカミたちも集まっていた。

 それぞれが砂の中に鼻を突っ込み、前脚でしきりに砂を掻き出している。

 オオカミたちが、ネズミやキツネの巣穴を掘り返す時の動作そのものである。


「どうしたの、何か見つけた?」

 ユニは砂の上に座っているライガとヨミの夫妻に呼びかけたが、その答えを待つ必要はなかった。

 彼らの前に、白い骨が転がっていたのである。


 雑多な種類の骨だが、頭蓋骨が二つ混ざっている。明らかに人骨だった。

 肋骨や骨盤は頼りない大きさで、子どものものと思われた。

 ユニは言葉を失い、砂漠で果てていった子どもたちの残滓を、歯を食いしばって見下ろしていた。


 その間にも、群れのオオカミたちは砂の中から次々に白い骨を掘り出していた。

 やがて、ユニの足もとに子ども四、五人分はありそうな量が積み上げられた。


『今まで行方不明になっていたっていう、子どもたちのものだろうな』

 ライガがぼそりとつぶやいた。

 ユニは溜め息をつき、その場にしゃがみ込んだ。


「そうね。でも、あたしたちが捜しているアリの骨じゃなさそうだわ」

『ああ。ある程度時間が経ったものばかりだな』


「それにしても、どうしてこの辺に骨が集まっているのかしら?」

『その答えだったら簡単だ。

 先へ行ってみろ。近寄り過ぎて、足を滑らせるなよ。

 落ちたら上がってこれないぞ』


 ライガはそう言って、頭を振った。

 ユニはのろのろと立ち上がり、ライガが示した方向へと歩いていった。

「なるほどね……」


 ユニの目の前には、美しい円錐を描く〝すり鉢〟状の窪みができていた。直径は十メートル近い。

 彼女はしゃがみ込んで手を伸ばし、斜面の砂をすくい取ってみた。

 指の隙間から、あっという間に砂が零れ落ちていく。


 ここまで踏みしめてきた砂とは粒の大きさが全く違う。

 目の細かいふるいで何度も丹念に砂を選り分け、やっと手に入るような繊細な砂粒である。

 ライガの言うように、このすり鉢状の窪地に足を踏み入れたら、あっという間にそこまで滑り落ちる。恐らく、よじ登って戻ることなど不可能だろう。


「何なの、これ?」

 ユニは呆然として眼下の窪みを見下ろしていた。


『さあな。俺には何かの罠のように見える。

 試しにあのやかましいカーバンクルでも放り込んでみたらどうだ?

 そうすりゃ、正体が分かると思うぜ』

「やめてよ。シルヴィアに恨まれるわ。

 でも、これってアリジゴクの巣に似ているわね。大きさが全然違うけど、形はそっくりだわ」


『何だそれ?』

「虫よ。カゲロウっていう弱っちい羽虫なんだけど、幼虫の時は結構いかついのよ。

 雨の当たらない乾いた砂地に、こんな感じのすり鉢を作って、アリとか小さな昆虫が落ちてくるのを待っているの」


『こんなデカい穴を掘るのか?』

「まさか、数センチのちっこい奴よ」


『落ちたアリは捕まって喰われるってわけか』

「正確には体液を吸われるんだけどね。カラカラになった死骸は、大あごで巣の外に撥ね飛ばすの。

 この骨もそうやって放り出された犠牲者ってところかしら。

 アリがまだ無事ならいいんだけど……って、あたしが言ってるのは男の子のことよ!

 昆虫の蟻じゃないからね!」


 ライガは呆れたように欠伸あくびをしてみせた。

『俺は何も言ってないぜ。一人で赤くなるなよ、可愛い奴だな』

 ユニは思いっきりライガの眉間の辺りの鼻面を殴りつけた。


 〝ギャンッ!〟というオオカミの悲鳴を聞きつけたのか、サーイヤが砂丘の頂から顔を出した。

 彼女はユニとオオカミたちが集まっているのを見て、何か見つかったのだと気づいた。砂に足を取られながら、慌てて駆け下りてくる。


 ユニは内心で『しまった!』と後悔したが、もう遅かった。

 サーイヤはユニの足もとに集められた人骨に気づくと、引き攣った表情で悲鳴を上げた。


「落ち着いて、サーリヤ。これはアリの骨じゃないわ!」

 慌てたユニがなだめても、彼女は金切声を上げて息子の名を叫び続けた。


 その時である。ふいにライガとヨミの二頭が、びくんと身体を震わせた。

 オオカミたちは大きな耳を立て、窪みの向こう側をじっと見詰めている。

 ユニもすぐに反応して目を凝らす。


 目の前に広がるすり鉢を除けば、周囲は砂の丘が果てしなく広がっている。

 その砂の斜面で、何かが動いたような気がした。

 なだらかな砂の表面に、ぼこりと小さな膨らみができたのだ。

 その隆起からは砂が滝のように流れ落ち、それを突き破って人の手が生えた。

 細く頼りない二本の腕は、もがくように虚空を掴もうとした。


 ユニは、骨を胸に描き抱き、ヒステリックに叫び続けるサーリヤの頭を押さえつけると、無理やり顔を上げさせた。

「あれを見て!」


 涙で濡れた頬に砂がこびりつき、酷い顔になっているサーイヤが一瞬で凍りついた。

 眼球が落ちんばかりに開かれた目から、新たな涙がぶわっと吹き出した。


「アリーーーーーーーッ!」

 しゃがれ声で絶叫したサーイヤは、砂の中から現れた子どもに駆け寄ろうと立ち上がった。

 ライガがすばやくその背中に圧し掛かり、彼女を砂に押さえつけた。


「放して!」

 口に入った砂を吐き出しながら、半狂乱になった母親は叫び、逃れようとした。

 だが、オオカミは太い前脚で彼女を踏みつけたままで、それを許そうとはしなかった。

 サーイヤがそのまま駆け出していたら、すり鉢状の窪みに転落するのが目に見えていたからだ。


「ライガ、そのままサーイヤを押さえていて!

 母さん(ヨミ)! 男の子を保護してちょうだい!」


 ユニの声に応じて、ヨミは弾かれたように飛び出した。

 巨大なすり鉢を迂回するように回り込み、アリのいる反対側へと向かったのだ。


 だが、まずいことが起こった。

 アリの方も、こちら側にいる母親の存在に気づいてしまったのだ。


      *       *


 アリは利発な子であった。


 わけも分らないうちに、この奇妙な砂漠に放り出された彼は、ここが閉ざされた結界であることに気づいた。

 そして、状況を把握するための探索だけで、体力を大幅に消耗したことに危機感を覚えていた。

 ここには水がない。無暗に動き回れば、死が早まるだけだということを理解した。


 彼は両親が必ず探しに来てくれることを信じ、砂を掘って自ら地中に潜っていたのである。

 砂地とはいえ、地中はわずかに湿っており、温度も地表より低く安定している。

 窒息しないように顔だけを出し、じっとしていることで、身体の表面から水分が失われるのを最小限に留めていたのだ。


 耳も砂に覆われていたため、外の音が聞こえづらかったが、さすがに十数メートルの距離で叫ぶ声には気がついた。

 しかも、それは夢にまで見た母の声である。

 アリは衰弱した身体で、どうにか重い砂の中から這い出すことに成功し、起き上がった。

 砂にやられた目が霞んだが、母の姿は見間違うはずがなかった。


 だが、その母は化け物のような巨大なオオカミに押さえつけられ、砂地に這いつくばっていた。

 今にも頭を喰いちぎられそうだったが、彼女は必死で自分の名前を叫び続けている。


 オオカミは一頭だけでなく、群れをなして母を取り囲んでいた。

 とても敵いそうもなかったが、アリは母を助けにいかなければならなかった。

 それは男として生まれた自分に課せられた責務である。


 母の隣に、男のような恰好をした見知らぬ女が立っていて、自分に向けて何かを叫んでいた。

 だが、朦朧としたアリの頭には、彼女の言葉が入ってこなかった。

 少年は砂からすっかり抜け出すと、母を助けるべく真っ直ぐに歩き出した。


      *       *


「まずい!」

 ユニは焦った。


「動かないで、そこにじっとしていて!」

 声を枯らしてそう叫んでも、少年にその声は届いていないようだった。

 救いに行ったヨミは、砂に足をとられて速度が出ず、すり鉢の端を弧を描いて迂回しているため、向こう側に着くまであと十秒はかかりそうだった。


 男の子は待ってはくれず、こちらに向けてよろよろと歩き出している。

 恐れていたことが現実となった。

 アリは数歩も進まぬうちに窪みの淵を踏み越え、あっという間に足もとが崩れて滑落してしまったのだ。


「トキ、ライガと代わって!」

 ユニはオオカミに命じ、背負っていた背嚢を下ろして中からロープを取り出した。

「まったく、今日はよく活躍してくれるわね」

 彼女はそうつぶやきながら、素早く端に結び目を作る。そしてそれをライガに向けて放り投げた。

 オオカミは器用にそれを空中でキャッチし、しっかりとロープを咥えた。


『お前もたいがい無茶をするな』

 呆れたようなライガの声が頭に響いた。口が塞がっていても話ができるのは、脳内会話の便利なところだ。


「すり鉢の主が休暇を取って、どっかへ旅行してるといいんだけどね。

 あんた、カー君とは連絡がつくの?」

『ああ、そんなに離れてはいないから大丈夫だろう。呼ぶか?』


「お願い。シルヴィアだけじゃなく、エイナも連れてくるよう頼んでちょうだい」

『了解。

 ん? ちょっと待て、小僧が止まったぞ』


 ユニが振り返ると、アリが斜面の中間あたりで滑落を食い止めていた。

 体重の軽い子どもだからできたことだろう。


「ありがたいわ!」

 ユニはすり鉢の淵から身を乗り出すと、アリに向かって叫んだ。


「アリ君ーーーーっ! あたしの声が聞こえるーーーっ?」

 少年がユニの方を振り向き、こくんとうなずいてみせた。

 滑落という危機が、混濁した彼の頭に〝活〟を入れたらしい。


「そこでじっとしていてちょうだい! 今、助けに行くわ!」

「でも、お母さんが! オオカミに殺されちゃう!」


「安心して! この子たちはあたしの仲間なの。

 あんたのお母さんが穴に落ちないように押さえているだけ。

 食べたりなんかしないわ、あたしを信じて!」


 少年は少し黙ったが、何とか納得したらしく、大きくうなずいてくれた。

「聞き分けのいい子だわ!」

 ユニはロープを肩にかけ、ライガの背に飛び乗った。


「よし、向こう側に回り込んで、アリ君を引き上げましょう!

 サーリヤ、息子さんはあたしがちゃんと助けてあげる。お願いだから、あんたは大人しくしていてちょうだい。

 ライガ、行くわよ!」


 状況の好転に、ユニの表情には明るさが戻ってきた。

 だが、それは一瞬のことだった。


「どうしたのライガ? 早く行ってよ」

 動かないライガの顔を、ユニが怪訝そうに覗き込むと、オオカミはじっと穴の底を見詰めている。


『おい、ユニ。ありゃあ一体……何だ?』

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