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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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十六 祭壇

 アギルの街の郊外には畑が広がっていたが、それらの間を縫ってしばらく進むと、次第に緑がまばらとなり、やがて見馴れた岩石砂漠へと変わった。

 街を出て五キロと言えば、人間の足でも一時間ほどの距離で、サーイヤのためにゆっくり進んだオオカミたちだが、二十分足らずで着いてしまった。


 荒涼とした砂漠の中にぽつんと建っている古代の神殿は、エイナたち王国の人間に奇妙な印象を与えていた。

 この時間に礼拝に来る者は珍しく、この日も無人だったので、中を調べるには好都合だった。

 オオカミから降りたサーイヤが先導し、ユニとオオカミたち、そしてエイナとシルヴィアがその後に続いた。


 石造りの階段を上がり、古い神殿の中に入ると、空気がひんやりとして肌寒い。

 アギルの人たちがまめに清掃しているらしく、床には砂ひとつ落ちていなかった。

 サーイヤは馴れた様子で薄暗い広間の中を進み、正面の祭壇の高い所に祀られた青い水晶を指し示した。


「私たち家族は、ここでいつものように礼拝をしました。

 祈りの言葉を唱えながら、ひざまずいて額を三度床につけるのです。もちろん目を閉じてです。

 礼拝が終わって目を開けると、直前まで隣にいたアリの姿が消えていたのです」

 サーイヤがそう説明する間にも、オオカミたちは周囲の床に鼻をこすりつけるようにして、臭いを嗅ぎまわっていた。


 彼らはあらかじめアリのズボンと靴の臭いを記憶している。

 男の子が行方不明になったのは、昨日のことだった。

 床には多くの人間の痕跡が残っていたが、その中から特定の臭いを嗅ぎ分ける作業は、オオカミたちにとって娯楽のようなものである。


 彼らはすぐに目当ての臭いに気づき、それを辿ってうろうろと動き回った。

 オオカミたちはいったん神殿の外に出て、再び階段を上がって中に入ってきた。

 どうやら男の子が残した痕跡を完全に把握したので、その動きを再現しようとしているようだった。


 オオカミたちの意図が分からないサーイヤは、外に出て行く彼らを見て叫び出しそうになった。だが、ユニがその手をそっと握って耳元に何事かささやいた。

 彼らは、アリの行方を注意深く追っているのです。だから静かにしてあげてください――と落ち着かせたのだろう。


 オオカミたちは祭壇の前まで戻ってきて、しきりに床の臭いを嗅いでいたが、しばらくするとうなずき合い、一斉に動き出した。

 祭壇の裏へである。


 ユニたちもその後をついていく。

 神殿には明かり採りの窓がいくつもあり、内部は薄暗いながらも視界が確保されていた。

 だが、神殿の裏側は窓から差し込む光が遮られ、暗く見通しが利かなかった。


 夜目の利くエイナにだけは、はっきりと見えていた。

 オオカミたちが一か所に集まり、しきりに臭いを嗅ぎながら床を前脚で引っ掻いている。

 その肩を、ユニが掴んだ。


「エイナ、明かりの魔法を」

 ユニにささやかれたことで、エイナは自分の迂闊さに気づいた。

 彼女は慌てて呪文を唱え、他の者たちのために明かりを灯した。


 頭を寄せ合うオオカミたちの一頭が、それに釣られたように顔を上げた。

 群れのリーダーであるライガである。


『ユニ、子どもの臭いはここで途切れている。

 行き先はこの床の下だな』

 ライガの落ち着いた声は、エイナとシルヴィアにも届いていた。

 オオカミたちとも会話のできるカー君が、その声を中継しているのだ。


 ユニはオオカミたちに離れるように命じると、床に片膝をつき、四角い石畳を撫でたり押したりしたが、怪しい部分は見つからない。

 彼女は腰のベルトから、ナガサと呼ばれる山刀を抜いた。短剣というより、包丁の親玉のような物騒な武器である。

 エイナの手の上で輝く明かりを反射して、よく研がれた刀身がぎらりと光った。


『気をつけろ、ユニ。この床の下で何かが動いているぞ』

「人、それとも獣?」


 ライガはくしゅんと鼻を鳴らした。

『どっちも違う。生き物の気配じゃない』


「幽霊だったりしてね」

 ユニは軽口を叩いて、ナガサの切っ先を石畳の継ぎ目に差し込んだ。

 薄く鋭い切っ先は、すっと滑るように潜り込んだが、刀身の厚みで深くは入らない。


 彼女はそれ以上に刃を入れることを諦め、そのまま切っ先を横に滑らせた。

 短剣は滑らかに移動して、隣の石床との継ぎ目でぴたりと止まる。

 その地点で刃を直角に入れ直し、また動かす。

 結果として、縦一・五メートル、横二メートルほどの長方形の石畳の目地には、砂や埃が詰まっているだけで、膠泥モルタルで接合されていないことが分かった。


 ユニはその長方形の床を力を込めて押してみたが、ぴくりとも動かない。

 継ぎ目に差し込んだナガサを梃子にして持ち上げる試みは、刃先が折れそうだった。


『この隙間に子どもの臭いがこびりついている。

 ガキがこの下に入ったのは間違いないから、何かの仕掛けがあるのかもな』

 ライガの見解をユニが伝えると、サーイヤが言葉にならない叫び声を上げて、石の隙間に指を入れようとした。


 もちろん人間の指など入るはずがない。サーイヤは爪の先を引っかけて床を持ち上げようとしたが、爪が剥がれて血が噴き出すだけであった。それでも半狂乱となった母親は止めようとしなかった。

 ユニが慌てて彼女を手首を握り、血まみれの指を無理やり引き剥がした。


「放して! アリがこの中にいるのよ!」

 サーイヤは泣き叫んで暴れたが、ユニががっちり押さえているので身動きができなかった。

 ユニはサーイヤの涙に濡れる頬を、平手で張り飛ばした。

 ぱんという小気味のいい音が、かすかな残響を伴って薄暗い神殿に響く。


「落ち着きなさい!」

 ユニが怖い顔で怒鳴りつけると、サーイヤは床に突っ伏してわっと泣き崩れた。

 シルヴィアが駆け寄って、その背中を優しくさする。


「これは〝隠し通路〟だと思うわ。いわゆる抜け道ね」

「神殿にそんなものが?」

 シルヴィアが顔を上げて訊ねる。サーイヤの泣き声は小さくなってきた。


「この神殿は旧アギル市街の中心だって、アイーシャが言ってたでしょう?

 つまり、私たちの都市の城と同じような存在なのよ。

 敵に攻め込まれた時、市民は最終的にこの神殿に追い詰められることになるわ。

 そんな時、街を支配する権力者はどうすると思う?」

「それは……市民を守って戦うんじゃないですか」


「ふっ、甘いわね。古今東西、権力者の取る行動は決まっているわ。

 自分だけ逃げようとするのよ」

「そんな……」


「あら、信じられない?

 実際、リンデルシアの王城にも、王族しか知らない抜け道があるのよ。

 多分、四古都の城にも、四帝だけが知る隠し通路が存在しているでしょうね」


 ユニはそう説明してから、溜め息をついた。

「問題はね、そうした通路を開くには特殊な方法があって、それは権力者だけの秘密だってことよ。

 あたしたちみたいな部外者が、今みたいに入口を見つけても、それを開けるすべを知らなくては、どうにもならないわ」

「でも、それならアリはどうやって中に入ったのでしょう?」


 シルヴィアの疑問に、ユニは肩をすくめてみせた。

「さぁてね。子どもを誘拐しようとした犯人が、内側から開けたんじゃないかしら。

 それより、あんたの相棒はどうかしたの? まるで大きな毛玉みたいになっているけど」


 ユニに指摘されたシルヴィアは、後ろを振り返った。

 さっきまで傍にいたカー君が、四、五メートル離れた壁際に身体を押しつけ、ぷるぷると震えていた。

 いつもはぴんと立っている長い尻尾は股の間に巻き込まれ、全身の毛がぶわりと逆立って、ユニが言うとおり大きな毛玉のようになっている。


「どうしたの、カー君?」

 シルヴィアが不思議そうに声をかけると、幻獣の怯えた声が頭の中に返ってきた。


『どうしたのって、シルヴィアは気づかないの?

 もの凄い邪悪な気配がしてるじゃないか!』

「ちょっと、冗談は止めてよ。ここって神殿よ?」


 二人の会話は、オオカミを介してユニにも聞こえていた。彼女は足元の床を指さして訊ねた。

「確かカーバンクルって、闇や呪いに敏感だったわよね?

 ひょっとしてこの床の下に、そういう悪い物があるってことなの?」


 しかし、カーバンクルは激しくそれを否定した。

『違うよ、もっと上! その祭壇に変なのがあるの!』


 ユニたちは振り返って祭壇を見上げた。

 正確な長方形に切り出された石材で組まれた祭壇は、およそ三メートルほどの高さがある。

 壇上には紫水晶が祀られているが、上に昇れるような階段はない。

 正面側には、サラーム教の予言者が神の啓示を受ける、有名な場面を刻んだレリーフが飾られている。

 彼女たちがいるのはその反対側の裏面なので、当然何の装飾もなく、ただ滑らかな壁が真っ直ぐ立ち上がっているだけである。


 ユニは背負っていた背嚢からロープを取り出し、腰から鞘ごと外したナガサに結びつけた。

 それを頭上でひゅんひゅんと回転させてから、壇上めがけて投げ上げた。

 最初は失敗したが、何度か繰り返すと、うまい具合にナガサが水晶の土台に絡みついた。


 ユニはぐいぐいとロープを引っ張って外れないことを確かめると、祭壇の壁面に足をかけて登り始めた。

 二メートルほどの高さまで登ったところで彼女は振り返り、カー君に声をかけた。

「どう、この辺?」


 壁際から頼りない声が返ってくる。

『う~ん……そんな感じもするけど、遠くてよく分かんない』


「あんたって子は、まったく!」

 シルヴィアがぶつくさ言いながらカー君のもとへ駆け寄り、首根っこを掴んで祭壇の方へ連れていこうとした。

 カー君は四肢を踏ん張って抵抗したが、シルヴィアは容赦なくずるずる引きずっていく。


「ユニ先輩にばっかり働かせて、あんたがサボってんじゃないわよ!

 黙って浮きなさい!」

 シルヴィアはそう叱りつけ、カー君の身体を勢いよく引っ張り上げた。

 彼女は体格がいいこともあって、力が強い。


 カー君は石の床から持ち上げられ、そのままふよふよと空中に漂った。

「エイナ、手伝って」


 呼ばれたエイナとシルヴィアがしゃがみ、カー君の腹に肩を当てて思いっきり押し上げた。

 カー君はその反動で、祭壇の途中で止まっているユニの近くまで浮かび上がった。

 ユニやエイナたちは、カー君に浮遊能力があること(ただし自力移動はほとんどできない)を知っているが、サーイヤは驚いてへたり込んでしまった。


 ユニはカー君の長い毛を掴むと、自分の傍に引き寄せた。

「情けない顔してないの!

 ほら、あんたの感じる邪悪な気配って、どこなのよ?」

『……ここ』


 カー君は顔を明後日の方向に背けながら、前脚を上げて祭壇の壁を指し示した。

 ちょうどユニの腹の辺りである。


「よし」

 ユニは少し降りて位置を調整すると、ロープを腰に巻いて身体を固定した。


「この辺ね……」

 彼女はカーバンクルが指した辺りの石壁を手で探りはじめた。

 カー君は四肢をばたばたさせて、そこから逃れようとするが、その尻尾をユニが掴んで引き戻す。


「この石、動きそうだわ」

 ユニはそうつぶやき、石の中央をぐっと押し込んだ。

 すると石が勝手に引っ込んでいき、〝ごとん〟という音を立てて下に落ちた。

 その跡には、縦十五センチ、横三十センチほどの穴が現れた。


『わあぁぁぁっ! 駄目っ、それ駄目! 絶対に呪われるよぉ!』

 ひんひん鼻を鳴らしながら喚くカー君を、ユニが殴りつけて黙らせる。

 オオカミたちと暮らす彼女は、獣の扱いには馴れたものだった。


「うるさいから、あんたはちょっと黙りなさい!」

 ユニはそう言いながら、腰から投げたのとは別のナガサを引き抜いた。

 彼女はそれを穴の前にかざし、じっと見守った。


 何も変化がないと判断したユニは、ナガサを鞘に戻すと、無造作に穴の中に手を入れた。

『駄目ーーーーーーーっ! 呪われるってばぁ!!』

 カー君が喚くのを、ユニが怖い顔で睨みつけ、再び黙らせる。


「今度うるさくしたら、鼻の上を殴るわよ!

 いい? あたしのナガサにはエルフの呪文が刻まれているの。

 もし、あたしに害をなす存在が近づけば、刀身が青く光るのよ。

 そうじゃなかったってことは、危険はない。安心しなさい」

 ユニはカー君にそう言い聞かせて、さらに腕を深く入れた。


 ごそごそと奥を探った後、ユニは腕を引き抜いた。

 その手には灰色の岩の塊が握られている。

 大きさは縦横二十センチほど、ごつごつとした形状で、加工された感じはなかった。


 ユニはそれをベルトに結んでいた袋に入れると、ぐいぐいと祭壇を登っていった。

 カー君の尻尾は握ったままである。


 祭壇の上まで登り切った彼女は、水晶の土台に絡んでいたロープを外し、ついでに祀られている紫の宝石をじろじろ眺めた。

 ユニはカー君の首を掴んで水晶に近づけた。

「これはどう? 力の存在とか、神聖な感じとかする?」


『ただの水晶だと思うよ。って言うか、僕が分かるのは闇か呪いだもん』

 カー君は完全に不貞腐れていた。


「あっそう」

 ユニはそう言うと、浮かんでいるカー君を無造作に蹴って、その背中に飛び乗った。

 祭壇から離れたカー君は、ユニの重みでゆっくりと下降していった。


 下から見上げていたシルヴィアは、感動の眼差しでユニを迎えた。

「さすがです、ユニさん! カー君の扱い方、勉強になります!

 言うことを聞かないときは、鼻の上を殴ればいいんですね?」


 地面に足がついて行動の自由を取り戻したカー君は、エイナに飛びついて鼻づらを彼女の胸に押しつけた。

『暴力女なんか嫌いだ~!』


「どうどう、シルヴィアはユニさんを尊敬しているんだから、諦めなさい」

 エイナは苦笑いを浮かべてカー君を引き離した。


 その肩に、ライガの前脚がぽんと置かれた。

 オオカミの目には同情の色が浮かんでいる。彼はユニの被害を受ける先輩として、ありがたい忠告を与えてくれた。


『そうか、お前、今まで甘やかされていたんだな。

 あのなぁ、鼻を殴られると……死ぬほど痛いぞ』

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