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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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十三 召喚の間

 リディアとの会談は、わずか三十分ほどで終わった。

 国の四分の一を支配し、軍事と民政の最高責任者である赤龍帝は、分刻みの予定で動くほどに多忙である。

 エイナたちは、そこへいきなり割り込んだのだから、これは止むを得ない。


 ただ、リディア自身はお喋りへの未練たっぷりで、三人に対して今夜は赤城内に泊まるよう強要した。

「夜に女子会をやるのじゃ!」

 彼女は小鼻を膨らませて、そう宣言した。


 エイナとシルヴィアのような下っ端に、誘いを断る選択肢は用意されていない。

 ユニは〝タダ酒〟が飲めるなら、文句はなかった。

 赤城の城内には醸造所があり、自家製のエールは味が良いことで有名だったのだ。


 赤龍帝の副官(長身のいい男だった)が時間を気にしてき立てるので、リディアは渋々三人を部屋から送り出した。

 執務室の外の廊下では、若い士官が待ち構えていた。エイナたちをゲスト用の寝室に案内するためである。


「お三方の荷物は、すでに部屋の方へ運び込んでおきました。

 どうぞ、ご案内します」

 若い少尉が敬礼をして、にこやかな表情で先に立った。三人は何も考えずに後に続く。


 だが、その背中に声がかかった。

「あー、待て待て」

 彼女たちは立ち止まり、リディアの方を振り返った。


「ほかの者たちは行ってよいが、シルヴィアとカーバンクルは私と一緒に来てもらうぞ」

「え?」

 シルヴィアがげんな表情を浮かべた。


「言わなかったか? ドレイクの奴がカーバンクルに会いたがっていると。

 地下の召喚の間に案内するから、ついてまいれ」

 リディアはそう言うと、エイナたちとは反対方向へすたすた歩いていく。


 シルヴィアは救いを求めるようユニの顔を見たが、返ってきた言葉は素っ気なかった。

「ほら、早く行きなさい」


 エイナも追い打ちをかける。

「いいなー、私も龍を見てみたい。後で話を聞かせてね!」


 見捨てられたシルヴィアは、慌ててリディアの後を追った。カー君もついていく。

 見送るユニとエイナの頭の中に、はしゃぐカーバンクルの声が響いてきた。

『すげー、龍だって! 僕、わくわくするぞ~!』


      *       *


 赤城の地下にある召喚の間の扉は、呆れるほどに大きかった。

 そもそも地階の造りからしておかしい。

 廊下の幅は十メートル近く、天井は二階分の吹き抜けのように高い。

 廊下というよりは、長大な広間が連続しているようだった。

 これは召喚された赤龍が、外へ出るための通路を兼ねているためである。


 扉は一枚が高さ十二メートルほど、幅が五メートルはある巨大なものだった。

 その前には、ハルバートをかかげた警備兵が二人立っていた。

 彼らはリディアを認めると、黙って扉の前から立ち退いた。

 赤龍帝が扉のハンドルに小さな手をかけても、助けしようとはしなかった。

 

 少女のように小柄なリディアに、この巨大な扉が動かせるとは、とても思えなかった。

 シルヴィアは衛兵が手伝わないことに内心腹を立てながら、慌てて彼女のもとに駆け寄った。


「閣下、お手伝いいたします」

 そう声をかけて差し出した手を、リディアはぴしゃりと打ち払った。


「触るでない!」

 赤龍帝の厳しい叱責に、シルヴィアは二、三歩後ずさり、打たれた手をさすった。

 彼女はリディアの力の強さに驚いた。打たれた手の甲がじんじんと痺れ、赤くなっていたのだ。


「悪く思うな。この扉は私以外の者の手では、開かないようになっておるのだ。

 うっかり触れると、大変なことになるぞ」

「どっ、どうなるのでしょうか?」


「うむ、お主は呪いでヒキガエルになるところだった」

「ひっ!」


「しかも、その呪いを解くには、若い貴公子の熱い接吻を受けるしか方法がないのだぞ」

「ひぃぃぃーっ!」


 震えあがるシルヴィアの頭の中に、カー君の声が響いてきた。

『リディア様、あんまりうちのシルヴィアをからかわないでくださいよ。

 この扉、呪いなんか掛かってないでしょう?』


「え、うそ?」

『ほら、衛兵のおっちゃんたちを見てみなよ。

 さっきから後ろを向いて肩を震わせているじゃない』


 ぽかんとするシルヴィアの顔にこらえかね、とうとうリディアは吹き出した。

「すまんすまん。カー君は呪いの有無が分かるのか?」

『僕はそういうのに敏感なんだ』


「そうか、大したものだな。

 だが、この扉に魔法的な処理が施されているのは本当だぞ。

 見てみよ」

 リディアが軽く手を引くと、巨大な扉が音もなく開いた。

 まるで油を差しているように、軋み音ひとつしない。


 五十センチほど開いた扉の先は、薄暗くて何も見えなかった。

「さあ、入るがよい」

 リディアが形のよい顎を上げて、シルヴィアたちに入室を促す。


「え? リディア様は入られないのですか?」

「私には公務が待っているのだ。ドレイクとは、お前たちだけで話すがよい。

 私がいなくとも扉は赤龍が開けてくれるし、部屋へ案内する者もここに待たせておく」


 赤龍帝にそう言われては、従うしかなかった。

 シルヴィアはまずカー君を先に押し込み、その後から恐る恐る入っていった。


      *       *


 召喚の間に一歩入ると、後ろで扉が音もなく閉まった。

 地階なので部屋には窓がなく、遠く離れた壁際にぽつんと小さな明かりがあるだけで、ほとんど見通しが利かなかった。

 ただ、ここがとんでもなく広く、天井も高いことだけは、空気感で何となく感じ取れた。

 恐らく魔導院の召喚の間に匹敵する広さがあるのだろう。


 夜目の利くカー君は、特に恐れる様子もなく、すたすたと中に進んでいった。

「ちょっ、カー君! そんなに先にいかないで」

 シルヴィアはへっぴり腰でその後を追う。


 数メートル進んだところでカー君が立ち止まったので、シルヴィアはやっと追いつくことができた。

「もうっ、置いていかないでよ。

 それにしても、全然周りが見えないわね。赤龍様はいらっしゃるのかしら?」


 カー君は彼女の声が耳に入らないのか。大理石の床に座って上を眺めている。

 シルヴィアもつられて天井を仰いだが、上はさらに暗くて何も見えない。

「ねえ、何か見えるの?」

『でかっ!』


「えっ、何が?」

『う~ん、人間ってのは不便だなぁ。

 ねえ、シルヴィアはあんたが見えないみたいだから、明かりを貸してくれる?』


『そうか……ちょっと待て』

 不意にカー君とは別の声が頭に響いた。カー君よりも重々しく、低い地鳴りのような声である。


「えっ、誰かいるの? ひょっとして赤龍様?」

 不安に駆られたシルヴィアは、座っているカー君にしがみつこうと手を伸ばした。

 その時である。ずっと奥の方で灯っていた明かりが不意に動き、ゆっくりとこちらに向かって近づいてきた。


 シルヴィアは小さな悲鳴を上げて、その場にしゃがみ込んだ。

「なになになに、なにぃ?」


 明かりは左右に揺れながら、どんどん近づいてくる。

 距離が詰まるにつれ、明かりの正体が大型のランプだということが分かった。

 そして、ランプを吊り下げる太い針金の輪から、何か細長いものが突き出ていた。


 「え! ……ひょっとして、尻尾?」

 ぶらぶらと揺れるランプが彼女の前に差し出され、やっと床の模様やカー君の姿がはっきりと見えるようになった。

 だが、シルヴィアの目の前には、赤く輝く光点がずらりと列をなし、彼女の視界を埋め尽くしていた。


 ひし形に規則正しく重なり合うそれは、金属光沢を放つ鱗だった。その一枚一枚がランプの明かりを反射して、きらきらと輝いていたのだ。

 シルヴィアの目の前には、赤い鱗が上下左右に広がり、絶壁となって立ちはだかっていた。

 シルヴィアはあまりに龍に近寄り過ぎていて、その巨大な体躯の全貌を把握できなかったのである。


 彼女は慌てて上を見上げた。

 鱗に覆われた逞しい胸板が続き、その遥か上方に長い首が伸び、天井に近い暗闇の中から大きな瞳がシルヴィアを見下ろしていた。


 彼女はのろのろと立ち上がり、何歩か後ろに下がった。

「赤龍……ドレイク様」

 そう呟くのが精一杯だった。


 シルヴィアはこれほどまでに巨大な生物を見たことがなかった。

 その圧倒的な質量を前にすると、恐怖よりも先にどうしようもない無力感に襲われてしまう。

 人間である自分の存在が、いかに小さいかを思い知らされるのだ。


 どう挨拶してよいのか分からないシルヴィアは、赤龍の顔を見上げながら機械的な敬礼をした。

 赤龍はしなやかな首を曲げ、彼女の目の前まで頭を近づけてくれた。

 そして、敬礼をしているシルヴィアをしげしげと眺めた後で、〝ふん〟と鼻息を洩らした。

 温かい息が吹きつけられただけで足許がもつれ、危うく尻餅をつきそうになる。


 低く重々しい声が、再び頭の中で鳴った。

『俺は誇り高い龍族であって、お前たち人間の軍に所属した覚えはないぞ。

 その敬礼は不愉快だ』


 シルヴィアはだらりと手を下ろした。

「では、どのようにして、あなた様に敬意を捧げればよいのでしょうか?」


 赤龍の大きな瞳を瞬膜が覆い、再び開いた。人間で言えば瞬きに当たるのだろう。

『そうだな……龍には乙女の口づけこそがふさわしいのではないかな?』


 カー君が半眼で『え~?』という声を上げたが、赤龍は聞こえない振りをした。

 だが、シルヴィアはふらふらと前に出てくるのを見た彼は、少し慌てて頭をひょいと上げた。

 それだけで地上から三メートルほどの高さになる。


『本気にするな、馬鹿者。リディアに知られたら折檻されるではないか。

 よいか、お前を呼んだのは、あくまでカーバンクルを見るためのついでだ。

 その辺で座って大人しくしているがいい』


 龍にからかわれたのだと気づいても、シルヴィアは怒る気にも、笑う気にもなれなかった。

 彼女はただ、圧倒的な存在の言いなりになる以外、何の気力も湧かなかったのだ。


 シルヴィアが床にへたり込むと、赤龍はカー君の方に首を向けた。

『さてと、お前がカーバンクルか。

 初めて見るが、思ったよりも獣のような姿をしておるのだな』


 カー君はふんふんと赤龍の体の臭いを嗅ぎながら、頭も上げずに答える。

『僕のことはカー君と呼んでくれていいよ。

 獣って言うけど、僕らはみんなこんな感じだよ?』


 龍は頭を斜めに傾ける。

『それは魔石を得ていない幼生の話だろう。

 成長したカーバンクルはいなかったのか?』

『ああ、そういう意味か。

 うん、何個も魔石を食べた同族は、群れから出て独立するからね。

 身体も大きくなるから、一緒に暮らすには何かと不便なんだよ』


『では、出ていった大人が戻ってくることはないのか?』

『そうだね。別に僕らも気にしないし』


『ふむ……。

 あー、そこの娘……シルヴィアとか言ったか?』


 ふいに話しかけられたシルヴィアは、びくんと反応した。

「はい」


『お前はこのカーバンクルの力を何と見ているのだ?』

「カー君ですか? そうですね、魔石を食べてから火球の威力が上がりましたから、二級召喚士の相棒としては、そこそこ役に立つとは思います」


『ほう、こ奴は魔石を食べたのか。何色だった?』

「確か、黄色だったと思います。あの……魔石の色に何か意味があるのですか?」


『大ありだ。

 まぁ、魔石は何色であっても、カーバンクルの基礎体力や能力を上げる。

 だが、その色によって特別に強化される能力が決まっているのだ。

 黄色は主に知力を上げる効果があってな。有体に言って一番しょぼい奴だ。

 攻撃力を上げたいなら赤、防御力なら緑が役に立つだろう』

「そう言われましても、魔石をどうやって手に入ればよいのか、私もカー君も分からないのです」


『当たり前だ。魔石がそこら中に転がっていたら、大変なことになる。

 だが、幻獣界に比べれば、この世界には魔石が多い。

 このカーバンクルがそなたの召喚に応じたのも、魔石を求めてのことだろう。

 つまり、こいつは〝見込みがある〟ということだ』


『おう、さすがは龍だ! お目が高い』

 シルヴィアはカー君の頭を殴って黙らせる。


『お前たちはエルフの里へ向かうのであったな?』

「はい」


『それならば、ドワーフの住む山を通るはずだ。

 あいつらは鉱石の専門家だ。魔石に関する知識も深い』


 シルヴィアは身を乗り出す。

「では、そこで魔石が手に入るのですか?」

『可能性は高いな。ただ、ドワーフという種族は欲が深い。

 人間の力で奪うのは難しいぞ』


 赤龍の言い方は、どうにも穏やかでなかった。

 そもそもドワーフと龍族は仲が悪い。

 龍は黄金や宝石、宝物類を集めたがるという悪癖があり、ドワーフよりもよほど欲深かった。

 そして、しばしばドワーフの棲家を襲っては、彼らの宝物を奪うことが知られていた。


 もちろんシルヴィアは、ドワーフから魔石を奪おうなどとは考えていない。

 だが、魔石集めのヒントを得たのは大きい。

 今回の旅は、明確な敵がいるわけではなく、シルヴィアとカー君はただエイナと組んでいるから同行を命じられたに過ぎない。


 彼女たちにはどうしても〝おまけ〟という意識があって、今ひとつ気分が盛り上がらなかったが、カー君の成長につながるのなら、話は別である。


 シルヴィアとカー君は顔を見合わせ、力強くうなずきあった。

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