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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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十二 表敬訪問

 エルフの女王が支配する西の森は、大陸の南西側にある広大な原生林である。

 そこを目指すには、まず王国南部の古都、赤城市を経由して、ハラル海と呼ばれる岩石砂漠に入る。

 そして、コルドラ大山脈の南端に位置するオアシス都市アギルから船でユルフリ川を下り、西沿岸の都市国家セレキアで降りてさらに南を目指す。

 陸路でドワーフが住まう寂寥山脈を越えれば、やっとたどり着くという長旅である。

 その距離はゆうに千五百キロを超え、片道だけでも一か月を要するだろう。


 王都を出発したユニとエイナたちは、ひとまず東の白城市に出て、そこから赤城市に向かう街道を南下することになる。

 巨大なオオカミの群れは、旅人を驚かせないよう、街道沿いの原野や畑をひた走った。

 急ぐ旅ではなく、またエイナとシルヴィアが騎乗に不馴れということもあって、オオカミたちの速度は控えめなものだった。

 それでも時速二十キロは出ていたから、幻獣であるオオカミの持久力スタミナは大変なもので、馬よりも遥かに優れていた。


 彼らは赤城市まで三百キロ以上の距離を、三日で駆け抜けてみせた。

 この間の宿泊はすべて野宿であったが、国内であるから基本安全だし、とにかくユニが手慣れていたので、かなり楽しく快適な旅となった。


 王国南端の大都市である赤城市は、エイナとシルヴィアが見てきたどの都市とも、まったく異なる景観をしていた。

 大城壁に囲まれた城塞都市という点では、王都や他の三古都と変わらないが、一歩門をくぐると異文化圏に入り込んだことを実感させられるのだ。


 家々は赤いレンガで造られていて、街全体が赤茶けて見える。

 都市の中心にそびえる赤城も、赤御影石で建てられていて、四本の尖塔には特徴的なドームを戴いている。


 赤城市は三百年ほど前まで、南に存在していたサラーム王朝に支配されており、現在でもサラーム教文化が色濃く残っているのだ。

 そのため、市民の中にもサラーム教徒が多く、行き交う人々のよそおいも、他の地域とはだいぶ異なっていた。


 エイナとシルヴィアは、異国情緒に溢れた大通りを、物珍しそうに眺めながら歩いていた。

 ユニのオオカミたちは、国に登録されている幻獣のライガを除いて街に入れないので、城壁外で別れていた。

 二人ともずっとオオカミの背に揺られて走ってきたので、股関節がこわばって知らないうちにガニ股になってしまう。

 それを互いに指摘して笑い合っていられるのは、やはり若い娘だからだろう。


 遅れがちになるエイナたちを、ユニは時々振り返って、迷子にならないよう声をかけていた。

「あんたたち、もうちょっと早く歩いてちょうだい。

 さっきから田舎者丸出しで、あたしまで恥ずかしくなるわ」

「いいじゃないですか、実際珍しいんですもの。

 まだ宿に入るには早い時間だし、ゆっくりできるんですよね?」


 シルヴィアが気安い口調で答えた。旅を始めた当初は緊張していた彼女だったが、一緒に野宿を繰り返したことで、ユニとの距離が相当近づいていた。


「そうでもないわ。宿の前に行くところがあるのよ」

「どこへ……ですか?」

 無邪気に訊ねられたユニは、黙って前を指さした。


 放射状に伸びる大通りは、すべて街の中央に向かっている。

 その先には壮麗な城が聳え、四つの尖塔に青いタイル張りのドームが、陽の光を受けて輝いていた。


「何か、玉ネギがのってるみたいですね」

「あれが有名な〝あおのドーム〟よ。

 お願いだから、赤龍帝の前で玉ネギだなんて言わないでね。無礼討ちにされるわよ」


 シルヴィアをたしなめるユニの言葉に、エイナが驚いたように反応した。

「ひょっとして、私たち赤城に向かっているんですか?」

「そうよ」

 ユニがあっさりと答える。


「あなたたちは国の特使なのよ。赤龍帝に挨拶もせずに、通り過ぎるわけにはいかないでしょう?

 表敬訪問ってやつよ。あたしもリディアに会うのは久し振りだから、楽しみだわ」


 二人の若い娘は、思わず顔を見合わせた。

「ででで、でもっ! 私たち礼装に着替えてないんですけどっ!」


 慌てるエイナを、ユニは鼻で笑い飛ばした。

「その軍服で十分よ、任務中なんだから。

 今年任官したばかりのひよっこが四帝に拝謁できるなんて、幸運だと思いなさい」


 それまでの物見遊山気分が、あっという間にしぼんでしまった。

 彼女たちは、それまでにも蒼龍帝、白虎帝、黒蛇帝とは会ったことがある。

 ただ、それは職務上必要に迫られたからで、ただ訊ねられたことに答えればいい、配下の扱いであった。


 表敬訪問というからには客人であり、自分たちから挨拶をしなければならないということだ。

 赤龍帝リディアは四帝唯一の女性で、その美しさは王都にも聞こえていた。

 そんなひとの前で、恥をかきたくない。


「どどっ、どうしようエイナ!

 あんた、何て挨拶するつもりなの?」

「は? 挨拶するのはシルヴィアの役目でしょう!

 貴族の娘なんだから、それくらいできるはずよ」


 おたおたする二人を、ユニは面白そうに横目で見ていた。

 彼女は二人を道端の露店に引っ張っていき、冷たいココナッツジュースを奢ってやった。

「これでも飲んで落ち着きなさい」

 ユニはそう言って、白い液体が注がれた椀を渡した。


「あんたたち、どっから来なすった。

 でっかいオオカミとよく分からん獣を連れているってことは、召喚士様なんだろう?」

 恰幅のいい露店の主人が、笑いながら話しかけてくる。南方人は明るく、人懐っこい性格をしているのだ。


「王都からよ。

 ちょうど赤龍帝の噂をしていたんだけど、リディア様はお元気なんでしょうね?」

「応ともさ。姫様は赤龍帝になられてから、一度も病気なんざしていねえんだ」


「あたしはここ(赤城市)に来るの、六年ぶりなんだけど、その間に側近のヒルダ中佐が旅立たれたって聞いたわ。

 リディア様は、さぞかしお力を落とされたのでしょうね」

 ヒルダという名を聞いた途端、店の主人はがっくりと肩を落とした。


「ああ、あん時は見ている俺たちの方が辛かったよ。

 姫様が人前で泣かれたのを見たのは、後にも先にもあの一度だけだ。

 ヒルダ様は本当によく尽くされていたからなぁ……。臣下の鏡だったよ。

 だけど、その後の姫様は大人になられた。

 何て言うか、それまでも立派な赤龍帝だったんだが、それ以来、貫禄がついたっていうか、頼りがいのあるお人になったよ。

 俺は昔の危なっかしい姫様も好きなんだがな」


 ユニは少し寂しそうな笑みを浮かべて呟いた。

「そう……あのは立ち直れたのね」

 召喚士の宿命とはいえ、よく知る人物がこの世界から消えていくのは辛い。

 ユニにもその時が近づいていたから、よけいにこたえるものがあった。


 うつむくユニの目の前に、店主の太い腕がにゅっと差し出された。

「不景気な顔をするんじゃねえよ、姫様には俺たちがついているからな」

 彼は力瘤を見せつけると、豪快に笑ってみせた。


 空になった木の椀を店主に返し、三人は再び歩き始めた。

 ユニと店主の話に出てきたヒルダという名は、エイナたちも記憶していた。

 飛翔能力を持つグリフォンを召喚した国家召喚士で、赤龍帝の副官を務めていた女性である。

 口ぶりからして、ユニとも顔見知りだったのだろう。


 それから赤城の正門に着くまで、誰も口を開かなかった。


      *       *


 街の中央に位置する赤城は、都市を丸ごと囲む大城壁とは別に、独自の城壁を持っている。

 その正門には当然衛兵が配置され、出入りする者の確認を行っている。

 ユニは軍人ではなく、まったくの部外者であるが、城の衛兵たちには知られているらしく、顔を見ただけで皆が笑顔になった。

 むしろ軍服を着用したエイナとシルヴィアの方が、胡散臭い視線を浴びることとなった。


「ユニ殿、そちらのお二方は?」

 衛兵は、まるでユニが上司であるかのように訊ねた。


「エイナ、命令書を見せてあげなさい」

 ユニに促され、エイナは慌てて内ポケットから油紙に包まれた書類を取り出した。

 衛兵は襟章から伍長と知れたが、士官である彼女の方が格下のような気分だ。


 伍長が書面を確認する間に、ユニが口頭で説明を加えてくれた。

「この子たちは頼りなく見えるでしょうけど、参謀本部の命令で遠国へ赴く特使なの。赤龍帝には表敬のために伺ったというわけ。

 あたしはそのお守りみたいなものね。約束も取らずに来ちゃったけど、リディア様には会えるのかしら?

 もちろん、都合がつかないなら宿で待機するつもりよ」


 伍長は羊皮紙を丁寧に畳むと、油紙に包み直してエイナに返した。

「了解です。すぐに伝えますので、少々ここでお待ちください」


 彼女たちは、城からの連絡を待って、衛兵の詰所で雑談に興じることになった。

「セレキアに通じる街道は、かなり整備されたって聞いたけど、どんな感じなの?」

 ユニの問いに、衛兵は笑顔で答える。


「ああ、以前に比べると見違えるようですな。

 十年前にケルトニアとの交易が始まって以来、両国の合意で整備したんですよ。

 アギルまでの間にも三か所の中継所が開かれましたから、水や食糧の補給ができますな」

「それは助かるわ。

 でも、そこまで大がかりな整備をしたら、サラームの国々が黙っていないじゃない?」


 衛兵は少し考え込みながらうなずいた。

「私も工事の警備に出たことがありますが、連中はまったく手出しをしてきませんでした。

 奴らは本質的に商人ですから、交易が盛んになるのは歓迎なんですよ。アギルが潤えば、そこから上がる冥加金が増えますからね。

 ただ、今でも監視が続いているのは不気味ですな」

「やっぱり鳥なの?」


「そうです。あればかりは、自分たちにはどうしようもありません。

 ヒルダ副官が健在の頃は、グリフォンが追い払っていたのですが……」


 ユニと衛兵の会話が続く内に、城内に向かった使いの兵が戻ってきた。

 若い部下の耳打ちを聞いた伍長は、振り向いて笑顔を見せた。


「リディア様がお会いになります。たいそう喜んでおられたということです」


      *       *


 城内に案内された三人(ライガとカー君も同行を許可された)は、赤龍帝の執務室へと案内された。

 奇しくもこの日は一月一日の新年であった。

 特別な行事があるわけではないが、城の中は華やかな飾りがそこかしこに見られ、行き交う兵士たちの表情も、どことなく浮きたっているように見えた。


 リディアの執務室はそうした雰囲気とは無縁で、ひっそりと静まり返っていた。

 案内の兵士が分厚い扉をノックすると、中からいらえがあったらしく、兵士は扉をそっと開いてユニたちに入るよう促した。


 三人が中に入ると、大きな執務机に向かっていた赤龍帝は、飛び跳ねるように椅子から立ち上がって駆け寄ってきた。

 まるで少女のような振る舞いは、エイナとシルヴィアが想像していた姿とはまるで違っていた。


 やや浅黒い肌に長い黒髪、黒目勝ちの大きな瞳は生き生きとして、小さな唇は薔薇の花色に染まっている。

 小柄なエイナよりも十センチ以上は背が低く、まるで高級な愛玩人形が動いているようだった。

 露店の店主は〝姫様〟と呼んでいたが、確かにそれ以外に表現しようのない愛らしさである。


 現在の赤龍帝が就任したのは、もう十数年も前の話だから、リディアはもう三十歳をとっくに超えているはずである。

 しかし、目の前で息を弾ませ、ユニの手を握ってぶんぶん振っている彼女は、エイナよりも年下の少女にしか見えなかった。


「久しいではないか、ユニ!

 ちっとも来てくれぬから心配しておったぞ。

 あー、そなたたちも大儀であった。とにかくソファにかけるがよい」

 リディアはユニの手を引いて、応接セットの方に引っ張っていく。

 エイナとシルヴィアは、〝ついで〟という扱いだった。


 リディアのペースに巻き込まれそうになりながら、二人はどうにか自分たちの役目を果たそうとした。

 ソファに座る前に、直立不動で再敬礼を行ったのだ。

 はしゃいでいた赤龍帝も、さすがにこれを無視できずに答礼を行った。


 シルヴィアが代表して官姓名を名乗り、赤龍帝に拝謁できる悦びを堅苦しい言葉で申し述べた。

 しかつめらしい顔で彼女の挨拶を受けたリディアは、我慢しかねたように表情を崩した。

「うん、お役目ご苦労。立派な口上であったぞ。

 だが、そんな棒みたいに突っ立ていられては、私も窮屈だ。

 私もまだ挨拶が残っておるから、そなたたちは座って待っておれ」


 赤龍帝はそう命じると、ソファの横で大人しく伏せているライガに襲いかかった。

 大きな頭を両手で抱え込み、「ライガぁ~、久し振りぃ~!」と叫びながらわしゃわしゃと剛毛を掻き回す。

 ライガに顔中を舐め回され、すっかり満足したリディアは、続いてカー君を捕まえた。


「お主がカーバンクルか! 名は何と申す?」

 物おじしないカー君も、さすがに引き気味であった。


『えーっと、僕らに名前ってないんだけど、シルヴィアはカー君と呼んでます』

「おお! そなた言葉が通じるのか? 賢いのお!

 この額の宝玉は外せるのか?」


『駄目だよ! これは大事なもので、生まれた時から嵌っているの!』

「そうかそうか、見れば見るほど面白い生き物じゃ。

 ドレイクが会いたがっておったのも道理じゃ」


「赤龍が?」

 ユニが少し意外そうな声を出した。

 床の絨毯にべったり座り込んでいたリディアは、ぴょんと跳ね起きてソファに飛び移った。


「そうなのだ。赤龍ドレイクもカーバンクルを見たことがないらしくてな。

 後で連れてこいとうるさいのよ」

「龍が他種族に興味を示すなんて、珍しいわね」


「うむ、私もドレイクに聞いて驚いたんだが、カーバンクルと龍族は――おっと、これは秘密だった。

 済まぬ、聞かなかったことにしてくれ」


リディアは小さな舌をぺろりと出して笑ってみせた。

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