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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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十一 出発

 翌日、エイナとシルヴィアは普段どおりに出勤した。

 南塔の門をくぐって衛兵に挨拶をすると、「総務課に顔を出すように」という伝言が来ていることを伝えられた。


 二人は更衣室で軍服に着替えながら、何の用件かしらと話し合ったが、出張費の支給だろうという結論になった。

 始業の五分前に参謀たちが集まる士官室に寄って先輩たちに挨拶し、総務に呼ばれていることを断ってから、一階の総務課へと向かった。


 総務課に入ると、顔見知りの女性職員(シェリルという名だった)が駆け寄ってきた。

 二人の予想どおり、彼女は出張費の入った革袋を渡してくれた。

 受取にサインをすると、シェリルは素早く左右を伺った上で、小声でささやいてきた。


「ちょっと、あんたたち。何をやらかしたの?」

「何の話です? これを受け取るのが、そんなに問題なんですか?」

 シルヴィアが手にした革袋をぶらぶらさせ、不思議そうな表情を浮かべた。


 シェリルはさらに声を潜めた。

「違うのよ!

 あんたたちが来たら、応接室に案内するよう部長から言われたの」

「え、課長じゃなくて?」


「そうなのよ!

 それでね、さっき部長と一緒に陛下の侍従長が見えられたの。

 二人とも応接に入ったから、あんたたちと会うつもりなんだわ。

 侍従長が南塔まで来るなんて、聞いたことがないわよ!」


「シェリル君!」

 部屋の奥から、課長の苛ついた声が飛んできた。

「何をしているのかね? さっさと二人を応接に案内せんか!」


 シェリルは首をすくめ、エイナたちを手招きしながら課長の席の方へ向かった。

 課長の席が事務室の一番奥で、部長室に続く扉はその先で、応接室はさらに次の部屋となっている。

 エイナたちは、むっつりとしている課長の横を頭を下げながら通り過ぎた。

 何だか自分たちが悪いことをして、これから叱られにいくような気分だった。


 空っぽの部長室を横切り、応接の分厚い扉をシェリルがノックする。

 彼女は扉の隙間に耳を押し当て(そうしないと中の声が聞こえないのだ)、入室の許可を確認したらしく、扉を開けてエイナたちに入るよう促した。


 中に一歩入ると、絨毯を踏む足の感触からして違っていた。

 足首まで沈み込むのに驚きながら後ろ手に扉を閉め、彼女たちはその場で直立不動の敬礼をした。


 そのままエイナたちが出頭した旨を申告すると、少佐でもある総務部長は大儀そうに立ち上がり、軽く答礼を返した。

「そう固くなる必要はない。そんな所に立っていられては話もできん。

 こちらへ来てかけたまえ」


 二人が恐る恐る応接セットに近寄ると、豪華な肘掛椅子にかけていた白髪の男性が立ち上がった。

 軍服は着ておらず、黒のタキシード姿だったので、彼が侍従長であることはすぐに分かった。

 侍従長はソファの前で立ち止まったエイナたちに自ら歩みより、握手を求めるように手を出した。


 その手を握ってよいものかどうか、エイナもシルヴィアも判断しかね、二人は反射的に敬礼をしてしまった。軍人の哀しいさがである。

 侍従長はさりげなく手を戻し、軽く頭を下げて二人に座るように促した。

 あくまでエイナたちを敬うべき女性として扱う仕草に、二人はすっかりのぼせ上り、すとんと応接のソファに腰を下ろした。


「きゃっ!」

 二人が声を揃えて悲鳴を上げる。身体が深々と沈み込んだことに驚いたのだ。

 総務部長は声を殺して笑っていたが、侍従長は何も見ていなかったように静かに口を開いた。


「朝からお呼びたてして申し訳ありません。

 私の用件は単純です。あなた方にお預けしたい物がありまして、持参した次第です」

 彼はそう言うと、テーブルの端に置かれていた物を中央に寄せた。

 上質の油紙にくるまれた二つの包みである。


「これは……?」


 シルヴィアがとまどいながら訊ねると、侍従長は片方の油紙を開いてみせた。

 中身は刺繡も美しい絹織物でくるまれており、それも解くと桐の平べったい木箱が現れた。

 横が十五センチ、縦が四十センチ、厚みは五センチほどで、蓋の継ぎ目の上下二か所が赤い蝋で封されていた。

 封蝋には蛇を踏みつける獅子の図柄の印璽が押されている。王国民なら誰でも知っている王家の家紋である。


「レテイシア陛下から、エルフの女王に宛てた親書でございます。

 これをあなた方に託します。どうか大切に扱ってください」


 二人は震えあがった。

「どどどど、どうして私たちがこんな……、無理です、できません!

 こういう大事なものは、もっとちゃんとした偉い人が持っていくべきです!」


 侍従長は首をかしげた。

「はて、あなた方はエルフの住まう西の森に、わが国の特使として赴くのだと聞いておりましたが、違いましたか?」

「……いえ、それはそのとおりですが」


「国の特使が女王陛下の親書を持参しない。それは礼を失する行為でしょう。

 あなた方はレテイシア様のお顔に泥を塗るおつもりですか?」


 固まったまま、言葉が出ないエイナたちを見て、総務部長が苦笑いを浮かべたまま助け舟を出した。

「侍従長殿、そのくらいで勘弁してやってください。

 彼女たちは任官してまだ一年に満たない駆け出しです。自分たちが命じられた任務がどういう意味を持つのか、自覚するには時間がかかるのです」


 部長はそう言うと、エイナたちの方に視線を向けた。

「どうだね? 君たちの任務は物見遊山ではないのだ。少しは理解できたかな?」


 言葉の出ない二人は、ぶんぶんと首を縦に振って応えた。

「よろしい。そしてもう一つはエルフの女王への贈り物だ。

 私はエルフが酒好きだと知らなかったが、ことのほかケルトニア酒を気に入っているらしい。

 箱の中には綿を詰めているが、くれぐれも割れないように、扱いには気を配りたまえ。

 何しろ三十年もの最高級品だ、弁済するには君たちの年俸三年分でも足りないぞ」


 部長も侍従長も、この若い娘たちを脅すのを楽しんでいるようだった。

 侍従はさらに追い打ちをかけてきた。


「そうそう、陛下からの伝言です。

 親書にしたためてはおりますが、使者の口上でも陛下がエルフ王に再会したいと願っていることを、直接伝えてもらいたいということです。

 よろしいですね?」

「はい? こっ、口上ですか?」


「当たり前です。陛下の親書を無言で渡す気ですか?

 まぁ、向こうに着くまでひと月はかかりましょう。時間はたっぷりありますから、口上の内容を考える時間には十分でしょう」


 青ざめた顔で震えているエイナたちに、部長は静かに言い渡した。

「君たちを呼んだ用件は以上だ。もう退出してよろしい。

 親書と贈り物は、君たちの退勤時間まで総務課で預かっておくから、帰りに寄って受け取りたまえ」


 ここで、やっとシルヴィアが声を出した。

「あの、出発は明後日です。

 ですから、明日まで預かっていただけないでしょうか?」


 部長はげんな表情を浮かべた。

「何だ、聞いていないのかね?

 君たちには明日、休暇が出ているはずだぞ」

「はい? そんな申請はしていませんが……」


「何を言っておる。遠国への出張だぞ。必要な物を買い揃えるだけでも一日がかりになる。

 君たちの下宿先はファン・パッセル家と聞いている。総務課に置いておくより、よほど安全だろう。

 分かったら退出したまえ。下っ端と言えども、留守中の引き継ぎが山ほどあるはずだ。時間は貴重だぞ」


 部長に追い立てられ、エイナとシルヴィアは涙目になって応接室を出たのである。


      *       *


 総務部長の言ったとおりで、その日は引き継ぎや書類提出で終始した。

 そして休暇をもらった翌日は、有能な秘書であったロゼッタが用意してくれたリストを持って、必要な物資を買い揃えることになった。


 ロゼッタのリストには、一体何に使うのだろうと首を捻るような物も多々あったが、買い物自体は女子の大好物である。

 彼女たちは足を棒にしながら、一度も訪れたことのない店を回って、それなりに楽しい時を過ごした。


 昼食は二人が贔屓している、店構えは古臭いが安くて美味しい食堂でとった。

 その時、初めてエイナは自分の出自をシルヴィアに打ち明けた。


 ユニから聞かされた両親の秘密は、エイナにとって確かに衝撃だった。

 ただ、彼女はもう子どもではなく、魔導士として、また軍の士官として働く大人であった。

 二晩をかけ、エイナは知らされた事実を咀嚼し、どうにか消化していたのだ。


 話を聞いたシルヴィアは驚いたが、一方で納得もした。

「なるほどね~。あんたの馬鹿げた魔力は、お父さんの遺伝だったのかぁ……」


 エイナはその反応に少し不満そうだった。

「でも、魔力の遺伝は帝国でも立証されていないんだって。

 魔導士の子が魔法の才能に恵まれる確率は、すごく低いらしいわよ。

 それより私がショックだったのは、お母さんの方だわ」


 シルヴィアはデザートのケーキを頬張りながら、首をかしげた。

「どうして? 吸血鬼狩りの凄腕の剣士だったなんて、滅茶苦茶カッコいいじゃない」

「他人からすればそうでしょうけど、私にとっては美人で優しくて、お料理が得意な、自慢のお母さんだったのよ。

 剣を振るって吸血鬼を倒してたなんて、どうやっても想像できないわ。

 ねえ、シルヴィア。あなた例の拉致事件後に、監禁されていた小屋で見せられた犯人のことを覚えてる?」


 シルヴィアはとたんに顔をしかめた。

「忘れるわけないでしょ!

 生まれて初めて人の生首を見せられたのよ。今でも夢に見るくらいのトラウマだわ。

 それがどうかしたの?」

「ユニさんが言ってたんだけど、帝国の工作員たちを殺害したのは、私のお母さんだろうって」


「ウソ! 本当に?」

「ええ。私のお母さんが、密かに私のことを見守っている証拠だって。

 お母さんは私たち二人を救いに来たんだけど、ほら、私たちは闇の通路に入って脱出していたでしょう?

 それで入れ違いになったんだろうって。

 一刀で首を刎ねるのは、吸血鬼と戦ってきて身についた癖だとも言っていたわ」


「……何か、もの凄く説得力があるわね」

「うん。自分のお母さんが、そんな血生臭いことをするって、簡単には信じられないわよ」


「まぁ、そうよね。

 でも、吸血鬼を狩るほどの剣士って、普通じゃないわよね。

 何でお母さんはそんなに強かったのかしら?」

「そこまでは説明してくれなかったわ」


「でも、さすがはユニさんだわ! たった一年半でそこまで調べ上げたのよ。

 しかも三度も帝国に単身で侵入したなんて、凄いとしか言いようがないわ!」


 結局、シルヴィアの結論はユニの賛美で終わるのであった。


      *       *


 十二月二十六日、時刻は五時。夏ならば夜も明けているだろうが、冬の今はまだ真っ暗である。

 王都リンデルシアの正門を出たエイナとシルヴィアは、遠くに光る松明の明かりに向かって歩いていった。

 背負った荷物の重みが肩に喰い込み、まるで教練で行軍訓練を課されているようだった。


 街道を外れて五、六百メートルの野原に、巨大なオオカミたちの群れが呑気に寝そべっていた。

 彼らに囲まれ、地面に突き立てた松明の傍に座っていたユニが立ち上がった。


「お早う。時間どおりね。

 あんたたちが来るのを見てたけど、まるで荷物がひとりでに動いているみたいだったわよ」

 ユニは笑いながら、二人の荷物を下ろすのを手伝ってくれた。

 彼女はエイナ同様、暗闇の中でも夜目が利くようだった。


 ユニはてきぱきと荷物を仕分け、重要ですぐに使うものを厳選して背嚢に詰め直した。

 エルフ王への親書と贈り物には、あまりよい顔をしなかったが、黙って背嚢に入れてくれた。

 選に洩れた荷物は、群れのオオカミたちに取り付けられた振り分け鞄(馬用のものだ)に収められた。


 ユニはパンパンと手の埃を払い、腰に手を当てた。

「これでよしと。

 エイナはロキに、シルヴィアはトキに乗ってもらうわ。

 あんたたち、オオカミの乗り方を忘れていないわよね?」


 二人はうなずいた。

 エイナは十一歳の時、故郷の村から連れ出され、蒼城市までユニと同行したことがある。

 その時、少女のエイナを乗せたのが、若い白狼のロキであった。


 一方のシルヴィアも、昨年の演習でロキに騎乗した経験があった。

 もちろんオオカミに乗るのは初めてであったが、彼女はロキから「勘がいい」という高い評価を得ていた。

 シルヴィアを乗せることになったトキはロキの父親で、群れで三番目に大きなオスである。

 性格が穏やかで、人間に対してもフレンドリーだったから、初心者を乗せるのにはうってつけだった。


「馬と違ってオオカミたちには鞍をつけていないわ。

 腰を浮かせていないと、大事な所があっという間に腫れ上がることになるわよ。

 膝をバネにして、うまく振動を殺すことがコツだけど、こればっかりは経験するしかないの。

 まぁ、あんたたちならすぐに馴れるでしょうけど、最初は苦労するわよ。

 オオカミたちには加減するよう言ってあるけど、我慢できなくなったら遠慮せずに言ってちょうだい」


 ユニはそう注意を述べると、巨大なオオカミに軽々と跨った。

 彼女の幻獣にして群れのリーダー、ライガである。

 エイナとシルヴィアも、それぞれのオオカミにどうにかよじ登る。


 二人の騎乗を確認したユニが、弾んだ声を出した。

「それじゃ、行くわよ!」


 まだ暗い無人の野原を、オオカミたちが一斉に走り出した。

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