十 エルフ
ユニの姿が消えると、マリウスはエイナの方に向き直った。
彼は自分よりもユニに関心があるのではないか……エイナにそんな考えが浮かんだが、きっと気のせいだろう。
「さて、突然いろいろなことを聞かされて、君も混乱しているだろうね。
ご両親のことは、帰ってからゆっくりと整理してみればいい。
もし、『そう言えば』と思い出したことがあれば、ケイトを通して報告してくれたまえ」
エイナは「はい」と答えたが、まったくマリウスの言うとおりだった。
今は頭が真っ白で、何も考えがまとまらなかったのだ。
「君が膨大な潜在魔力を有していたのは、明らかに魔導士だった父親の遺伝だろうね。
君の父上は、幼い君を抱きながら爆裂魔法の呪文をよく唱えていたのだろう。
それが君の潜在記憶に残り、マグス大佐の呪文がそれを呼び起こす引き金になったに違いない。
そう考えれば、爆裂魔法に対する君の執着にも、納得がいくのではないかな?」
エイナは深くうなずく。散らかった玩具が、整理箱にきれいに収まったような、すっきりした感じだった。
同時に、なぜこの場にユニが呼ばれ、自分の両親の秘密が明かされたのかも、腑に落ちたのである。
「ご両親の件に関しては、これで話は終わりだ。
後は君自身の問題だから、誰かに話すかどうかは君の判断に任せよう。それでいいかな?」
「ご配慮感謝したします」
エイナは短く答えた。つまり、相棒であるシルヴィアに話すかどうかは、エイナ次第だと言っているのだ。彼女が遅れて来るというのは、そういうことだろう。
「よろしい。では話を先に進めよう。
私は先ほど、『爆裂魔法に近づく道は、ほかにもある』と言った。
ここからの話には、シルヴィアにも加わってもらう」
「彼女がこの件に何か関わっているのですか?」
「これから関わるのさ」
マリウスは楽しそうな笑みを浮かべ、テーブルの上に置かれたベルに手を伸ばしてチリンと鳴らした。
すぐに秘書官室に通じる扉が開き、ユニに伴われたシルヴィアが入ってきた。
その後ろから、大型犬ほどの大きさのカー君がついてくる。
シルヴィアはエイナの隣に座るように促され、ユニは再びマリウスの側に腰を下ろした。
カー君はオオカミに近づき、互いの臭いを嗅ぎあって挨拶をしている。
シルヴィアは頬を上気させ、ユニの動きを見逃すまいと目で追っていた。
彼女は昔からユニに憧れていたから、その当人が目の前にいる幸運に酔っているようだった。
マリウスは〝心ここにあらず〟といったシルヴィアの注意を惹くため、ぱんと両手を打った。
「シルヴィア、君はなぜここに呼ばれたか、承知しているかね?」
彼女はぶんぶんと首を横に振った。
「見当もつきません。
……ですが、横にエイナがいて、モーリス大尉殿がいらっしゃるということは、新しい任務の話でしょうか?」
マリウスの目が、糸のように細くなる。
「うん、いい読みだ。
実はエイナから〝爆裂魔法を習得したい〟という申し出があってね。
エイナと組んでいる君も一緒に、その知識を持った人物に会いに行ってもらいたい。
つまり、これが君たちの次の任務――というわけだね」
マリウスはさらりと述べたが、シルヴィアは目を丸くして飛び上がった。
「エイナ、なに大それたことを考えてるの?
マグス大佐なんかに会いに行ったら、今度こそ殺されるわよ!
と言うよりマリウス様、これは自殺行為です! 参謀本部のご命令とは、私には信じられません!」
ケイトが怖い顔をして、シルヴィアの背中を掴んで引き戻した。
「シルヴィア! 口の利き方に気をつけなさい!」
マリウスは笑い声を上げた。
「いいよ、ケイト。僕も堅苦しいのは嫌いだからね。
いいかいシルヴィア、参謀本部は別に『マグス大佐に弟子入りしてこい』と言ってるわけではないんだよ。
ユニさん、お願いします」
ユニはちらりとマリウスに目を遣ってから、観念したように話し始めた。
「爆裂魔法がこの世界に初めて確認されたのは、今からおよそ三十年前のことよ。
その実現者は言うまでもなくマグス大佐で、彼女はまだ二十歳を過ぎたばかりだったわ。
でも、そんな駆け出しの魔導士が、あの大魔法を生み出した……ちょっと無理のある話だと思わない?」
言われてみればそのとおりである。
エイナは躊躇いながら、自分の意見を述べた。
「爆裂魔法の術式自体は帝国に伝えられていて、ただそれを使いこなす者が現れなかった、ということではないでしょうか?」
「そうね。でも、そうだとしたら先代の魔女、サシャ・オブライエンが最初の使い手になっていたはずよ。
彼女が爆裂魔法に成功したのは、マグス大佐の数年後で、サシャは百歳になっていたわ。
もし術式が以前から知られていたものなら、全盛期のサシャが試さないはずがないでしょ?」
「なるほど……」
「実は帝国では魔法の爆発的な発展期があって、爆裂魔法の開発もその終盤に当たるの。
帝国は秘密にしているけど、その発展を支えたのは、エルフの王だったことが分かっているわ」
「エルフが!? なぜ彼らが人間の、それも帝国の手助けをするのですか?」
「それについては、いろいろと事情があるのよ。
エルフは人間に対する不干渉を掟にしているけど、エルフ王はそれを破って国を出奔し、帝国へと亡命したのよ。
そのきっかけは、サシャ・オブライエンとの接触だった……証拠はないけど、あたしはそう推測しているわ。
サシャが世界各国を遍歴して帰国したのと、エルフ王が姿を消した時期がぴったり符合しているの」
「では、エルフ王が人間に爆裂魔法の術式を伝えたということですか?」
「その可能性は高いわね。
ところで、王が国を捨てたことで、エルフたちは新しい王を立てなくてはならなかったの。
その新王を、私たちはアッシュと呼んでいるわ。エルフの名は人間に発音できないから、便宜的な呼び名ね。聞いたことがあって?」
ユニは首を傾げたが、シルヴィアが「あっ」と声を上げた。
「魔導院で習ったことがあります!
今から十年ほど前、エルフの女王がレテイシア陛下を表敬訪問されたはずです」
「そのとおり。さすが首席で卒業しただけあるわね。
この王国にエルフが現れたのは、後にも先にもそれ一度きりよ。
早い話、アッシュ女王とレテイシア陛下は面識がある。そして、あたしとマリウスも、アッシュとは顔見知りなの」
「ユニさんが? ……凄いです!
エルフなんて話に聞くだけで、お伽噺の世界だと思ってました。さすが伝説と呼ばれる召喚士だわ!」
シルヴィアがすっかり興奮してしまったので、エイナが話を引き戻した。
「つまり、そのアッシュ女王に会えば、爆裂魔法を教えてもらえるかもしれない――ということですね?」
「そのとおりだね」
マリウスは話を引き取ると、ソファから立ち上がった。
「爆裂魔法を手に入れれば、わが国の戦力は大幅に充実するだろう。
軍としてはこの話、是が非でも実現したい。
エイナとシルヴィアには、アッシュ女王が住む〝西の森〟への特使を命じる。
相手も『はい、そうですか』とは応じてくれないだろうから、今回は案内役として、ユニも同行する。
出発は三日後、準備を怠るな。以上だ!」
ケイト、エイナ、シルヴィアの三名は、バネ仕掛けのように立ち上がり、揃った敬礼で了解の意志を示した。
* *
執務室からエイナたちが退出すると、ユニは立ち上がって空になった席へと移動した。
「別に隣のままでもいいじゃないですか?」
マリウスが口を尖らせるが、ユニは〝ふん〟と鼻を鳴らして、彼の不満を一蹴した。
「向かい合った方が話しやすいでしょ?
あんまり馴れ馴れしくすると、エイミーに言いつけるわよ」
彼女は残り少なくなった瓶から、五杯目の酒をグラスに注いだ。
「それにしても、あの娘に本当のことを知らせなくて、本当によかったのかしら?」
マリウスの顔には、笑みが貼りついたままだった。
「少なくとも、嘘は言っていませんよ。
両親が帝国人、それも父親は爆裂魔法を使う天才魔導士、母親は吸血鬼狩りの剣士。
これだけでもエイナにとってはお腹いっぱいでしょう。
この上、自分が吸血鬼の混血児だと言われたら、どうなると思います?」
「まぁ、そうよね」
ユニは溜め息を吐いて、グラスの酒を口に含んだ。
「そもそも、彼女にこの事実を告げる権利は、我々にはありません。
それが許されるのは、リーナ……エイナの母親だけでしょう」
「ええ、それは分かっているわ。
でも、エイナは頭がいい、って言うより勘のいい娘だから、いずれあたしたちの説明に疑念を抱くかもしれないわね」
マリウスもティーカップの酒をちびりと舐めた。
「彼女が吸血鬼に対して、変な憎しみをもたなければいいのですが……。
それは自分自身を苦しめることになるでしょうからね」
「そうね。父親はあくまで事故死。吸血鬼の仕業だなんて、絶対に教えられないわ」
「それと心配なのは、オルロック伯爵の動向ですね。
彼は明らかにエイナの出自に気づいていたはずです。
それなのに何も言わなかったのは、何か含むところがあるような気がしてなりません」
ユニがじろりと下から睨んだ。
「マリウス、あんたまさか伯爵の誘いに乗ったんじゃないでしょうね?」
マリウスは苦笑いを浮かべて首を振った。
「僕はユニさんに嫌われたくはありません」
「どうだか……」
半目で睨むユニに対し、彼は急に真顔になった。
「ただ、レテイシア陛下は分かりません。
あの方は、いまだに自分だけの力を欲しておられます。
裏で何をするのか十分に気をつけていないと、足元を掬われるかもしれませんね」
「あんたのことだから、ちゃんと見張ってるんでしょう?」
マリウスは笑顔のまま、それには答えなかった。
そこへ、扉がノックされて秘書のエイミーが入ってきた。
エイナたちが帰ったので、茶器を下げにきたのだ。
銀のお盆を胸に抱えた秘書官は、ほとんど空となった瓶と、マリウスのカップに注がれた琥珀色の液体を目にすると、息を呑んで目をつり上げた。
エイミーの雷が落ちる中、ユニはライガを連れ、こそこそと執務室を退散していった。
* *
その夜、エイナとシルヴィアが下宿しているファン・パッセル家の食堂は、いつも以上に賑やかだった。
二人とともに食卓を囲むのは、家主であるロゼッタと十歳になる息子のアレックスである。
いつもはアレックスが話す、学校の出来事が話題の中心だったが、今日に限ってはシルヴィアの独壇場だった。
シルヴィアは憧れであるユニと会えたばかりか、任務にかこつけて一緒に旅ができると知って興奮しきっていたのである。
彼女は食べることも忘れて、ユニがいかにすばらしい女性であったかを、延々と喋り続けた。
給仕についているメイドが、冷めていくシルヴィアのスープを怖い顔で睨んでいた。
すでに食べ終わってしまったエイナが、見かねて話を遮った。
「いい加減にして、シルヴィア!
あんたが食べないと、食後のお茶がもらえないのよ。
それにロゼッタさんは、あんたよりユニさんのことをよく知っているんだから。
見てごらんなさい、呆れてらっしゃるわ」
ロゼッタは笑いながらナプキンで口元を拭った。
「そうね、彼女とは十五年近い付き合いになるものね。
でも、懐かしいお友達の話を聞くのは楽しいわ。
ユニさんね、以前はちょくちょくこの家にも遊びに来てくれたのよ」
「そうなんですか!」
シルヴィアが目をきらきらさせて喰いついてきた。ユニのことなら何でも知りたいのだ。
「ええ。でも、ユニさんはだんだん森で過ごすことが多くなって、あんまり王都には出てこなくなったのよ。
マリウス様が気の毒だったわ」
「えと、あの……あの二人って、付き合っているんですか?」
エイナは気になっていたことを、思い切って訊いてみた。
シルヴィアが身を乗り出し、〝うんうん〟と激しくうなずいている。
「う~ん、どうなのかしら?
マリウス様がユニさんを好きなのは間違いないし、ユニさんの方もまんざらではないと思うんだけど。
あの二人の仲って、昔から変わらないのよねぇ……。
でも、これは私の勘なんだけど――」
ロゼッタは急に小声になると、ちらりと息子の席を見た。
アレックスはユニの話には興味がないらしく、とっくに食卓の椅子から逃げ出してカー君と遊んでいた。
ロゼッタはそれを確認して、さらに声をひそめた。
「二人に大人の関係があったのは、間違いないと思うのよ!」
エイナとシルヴィアは、口元を押さえて声を殺し、『キャーッ』と叫ぶ仕草をした。
「それなのに結婚しないんですか?」
エイナも小声で疑問を口にした。彼女は男女のことでは、意外に古風な考え方を持っていたのだ。
だが、ロゼッタは笑みを浮かべたまま、首を横に振った。
「それはないと思うわ。
何しろユニさんは魔導院を出ているもの。
シルヴィアは知っているでしょう? 魔導院がどういう教育をしているのか」
「ええ……うんざりするくらい!
エイナは魔法科だから実感がないでしょうけど、召喚士科の女子は結婚や出産を望んではいけないって、何も知らない六歳の時から、繰り返ししつこく叩き込まれるのよ」
エイナもその話は聞いたことがあった。ただ、シルヴィアの言うとおり、自分のことではないので、その意味をこれまで深刻に捉えていなかったのだ。
気まずい沈黙が、その場の空気を重くした。
エイナは無理やり別の話題を持ち出した。
「ロゼッタさんは、アッシュ女王が訪問された時のこと、知っているんですよね?
どんなお方なんですか?」
ロゼッタは懐かしそうに目を細めた。
「それはもう、とてもお美しい方だったわね。
独特の雰囲気があって、それは言葉でうまく説明できないの。あなた方も、お会いすれば分かると思うわ」
「ユニさんとマリウス様も、アッシュ女王とは〝顔見知り〟だと聞かされましたが、どういう経緯なんですか?」
「そうねぇ……」
ロゼッタは悪戯っぽい笑みを浮かべ、人差し指を顎に当て首を傾げてみせた。
彼女はもう四十代の後半だったが、その仕草がたまらなく可愛らしく見えた。
「それはユニさんから直接聞いてちょうだい。
重要な軍機に触れることだから、私からは話せないの」
――ということは、ロゼッタはその機密を握っているということだ。
軍の内部を知りつくした、この美しい女性の本性に触れた気がして、エイナは背筋が寒くなった。