八 面会
二人一組で木剣を打ち合っていたのは、今年の魔法科六年生だった。
つまりエイナの一つ後輩たちで、全員よく知った顔である。
エイナは授業を邪魔しないよう、運動場の端の木陰でそっと見守っていたが、しばらくする内にある違和感に捉われた。
後輩たちが下手なのだ。
彼らは六歳から軍事教練を受けている召喚士科には及ばないが、もう五年以上教練を経験している(召喚士科は十二年制、魔法科は十二歳からの六年制)。
もうじき卒業を迎える六年生たちは、それなりの技量を身につけているはずだった。
それなのに、目の前で行われている打ち合いは、どうにもお粗末だった。
余裕で受け流せそうな打ち込みを、不用意に喰らって顔をしかめたり、うずくまっている者が多過ぎる。
木剣は〝切れない〟というだけで、危険性では真剣とさほど変わらない。
受け損ねれば酷い打撲となるし、骨折することも珍しくない。当たり所が悪ければ、命を落とすことすらあるのだ。
だからこそ、木剣試合は極限まで集中力を高めて臨まなければならないのだ。
それなのに目の前の生徒たちは、その大切な集中力に欠けているように見える。
試合は数分続いたかと思うと、突然に片方が勝利を宣言して終わるという、不思議な形式だった。
そして相手を変えてまた打ち合うのだが、短い試合でも肩で息をしている者が多い。
この奇妙な練習は十五分ほど続いて終了した。
生徒たちは疲弊しきった顔でケネスの前に集まってきたが、待っていたのは辛辣な言葉だった。
「よぉし! 貴様らの無様な腕前はげっぷが出るほど堪能した。これ以上見るに堪えん。
卒業までにはどうにか恰好をつけてみせろ! そうでなければ留年だぞ。
分かったら運動場を駈け足十周! しかるのち解散せよ。
健全なる魔力は強靭な肉体に宿ることを忘れるな。 以上!」
生徒たちは「はいっ!」と声を揃えると、一斉に走り出した。
ケネスはしばらくその姿を見守っていたが、やがて踵を返し、校舎へ向かって戻ってきた。
その途中で、やっとエイナの存在に気づいたようだった。
彼は白い歯をにかっと見せて、表情を崩した。
「エイナじゃないか、久しぶりだな!
お前、北へ派遣された任務で余計なことをして、こってり絞られたそうじゃないか?」
ケネスのあたりを憚らぬ大声に、エイナは顔を赤くして慌てた。
「大声を出さないでください! 後輩たちに聞かれたら、みっともないじゃありませんか」
大尉は笑い声を上げながら、小柄なエイナの頭をぽんぽんと叩いた。
「まぁ、生きて帝国から戻ったんなら、それだけでも上等だ。
今日はどうしたんだ? 俺が恋しくなったわけでもあるまい」
「えとあの、まぁ何て言うか、ちょっと相談がありまして……。
少しお時間をいただけますか?」
口ごもるエイナの背中を、ケネスはバンバンと叩いた。
エイナは咳き込み、涙目で乱暴な教官を見上げた。
「それにしても、今の授業は何ですか?
どう見ても軍事教練で、魔法実技には見えませんよ。それに、妙に生徒たちの剣捌きが稚拙です」
「ああ、あれか。
連中には、簡単な攻撃魔法の呪文を唱えながらの試合を命じた。
先に呪文を唱え終わった方が勝ち、という単純な遊びだな」
「何て無茶なことを!」
エイナは思わず非難の声を上げた。
呪文の詠唱は特に集中力を必要とする。過度な集中で周囲が見えなくなることも珍しくない。
エイナにもその傾向があり、ケネスとの旅では何度もそのことを注意されたものである。
そんな詠唱をしながら、同様に集中を要する危険な木剣で打ち合うというのは、あまりにも危険であった。
だが、この練習の意図するところは、エイナもすぐに理解できた。
実戦では、魔導士が常に安全なところで呪文を唱えられるとは限らない。時には乱戦の中で、自分の身を守りながらの詠唱という場面も出てくるだろう。
すなわち、これはかなり実戦的な訓練だと言える。
ケネスはエイナの欠点を指摘した経験から、この訓練を思いついたのかもしれない。
恐らく現在のエイナなら、この訓練を容易にこなすことができるだろう。
呪文を詠唱しながら周囲の状況に対処する技術を身につけるには、それこそ血反吐を吐くような努力が必要だった。
それを考えれば、こうした訓練を在学中に受けられるのは幸せなことである。
エイナは改めて、ケネスの教官としての能力に感心したのである。
ケネスの後に付いて教官の控室に入ると、彼はエイナに一つしかない椅子をすすめ、自らは立ったまま壁に寄りかかった。
「それで、相談ってのは何だ? 言ってみろ」
エイナは意を決して打ち明けた。
「私は爆裂魔法を学びたいのです!」
ケネスは口を半開きにしたまま、しばらくエイナを見詰めていた。
「……お前、何を言っているんだ。気は確かか?」
「いたって真面目です。
実は今回の帝国行きで、私はこの目で爆裂魔法を見たんです。
それはもう凄まじい威力で、身体が震えるほどでした。
呪文は恐ろしく複雑で、ほんの一節ですら理解できませんでした。
美しい魔法陣が七つも視覚化していましたから、七種類の大魔法を融合したものだという予想はつきます」
「お前、ひょっとしてマグス大佐に会ったのか?」
エイナはこくんとうなずいた。
ケネスはますます呆れ顔となった。
「それこそよく生きて帰ってこれたな?
マグス大佐は正真正銘の化け物だぞ」
「それには同感です。
でも、あの大魔法と、それを易々と扱うマグス大佐に感銘を受けたのも間違いありません」
「それで、爆裂魔法を学びたいと?」
「はい。無茶は承知です。
帰国してから、魔導院の蔵書を片端から調べてみましたが、爆裂魔法に関する記述は一行もありませんでした。
モーリス大尉にも訊ねてみましたが、何も知らないと……。
ただ、ケルトニア人であるケネス大尉殿だったら、何か知っているかもしれないと言われました」
「そういうことか。
残念だな。爆裂魔法は何度か喰らったことがあるから、その馬鹿げた威力については骨身に染みている。
だが、その術式に関しては何も分からん。
あれは帝国にとっても最高軍事機密だ。知っているのは、高魔研という研究機関の、それも限られた上級研究員だけだという噂だ」
「やはりそうでしたか……」
「ここに来るより、お前んとこの大将には訊いてみたのか?」
「うちの大将というと……マリウス様ですか?」
「ああ。あいつは元帝国の魔導士、それも間違いなく天才の一人だ。
呪文は知らなくても、それに近づくヒントくらいは知っているんじゃないか?
ケイトはマリウスの弟子なんだろう? どうしてそう言わなかったんだろうな……」
エイナもその点は変だと思っていたのだが、こうして第三者から指摘されると、改めて疑念が膨らんできた。
* *
「そう、ケネス殿もご存じないですか……」
ケイトは机に肘をつけ、組んだ両手に顎を乗せてそう呟いた。
あまり意外そうには見えないから、彼女自身、結果に期待していなかったのだろう。
エイナは上司の執務机の前で立ちながら、身を乗り出した。
「それで、マリウス閣下にお目通りをお願いしたいのです」
「そうね……」
ケイトは形のよい眉の片方を上げ、エイナの顔を下から覗き込んだ。
自分の部下である若い魔導士の目は真剣で、固い決意に満ちている。
ケイトは溜め息をついて、視線を逸らした。
「分かりました。マリウス様には報告があって、午後に面会する予定です。
その時に、ご予定を伺ってみましょう」
「報告というと、今回の出張のですか?」
「そうよ。第四軍管区でかなり有望な候補生が何人か見つかったの。
蒼龍帝閣下とも話したのだけど、他の地域に比べて東部には魔導士の適性を持った子が多い気がするわね。
辺境の存在と何か関係があるのではないか……シド様はそう示唆されていたわ。
そう言えば、エイナも辺境の出身でしたね?」
「はい」
「魔力というのは、生存を脅かされた人間が、必要に迫られて身につけたものなのかもしれないわね」
「魔法先進国の帝国にも、オークが出るのですか?」
ケイトは苦笑いを浮かべた。
「あの国は年中戦争をしているでしょう? それこそ生き延びようとする防衛本能が働くはずよ」
「まぁ、これは私の勝手な妄想に過ぎないから、気にしないでいいわ。
マリウス様との面会については、後で結果を知らせます」
彼女はそう言うと、机の上に山積みとなっている書類の束に手を伸ばした。
ケイトは魔導士候補生のスカウトのため出張しがちで、参謀本部に戻ると書類の処理に追われるのが常だった。
暗に『もう用件は済んだから、退出しなさい』と言っているようなものだ。
エイナは「失礼します」と敬礼をして、ケイトの執務室を出た。
* *
その日の夕方、エイナは一日の仕事を終え、参謀本部が入っている王城南塔を出ようとした。
塔への入退出は、近衛師団の兵士によってチェックされていたが、エイナと彼らは顔見知りなので、名簿にサインをするだけで、特に何かを訊かれるということはなかった。
だが、その日はエイナの顔を見た衛兵が声をかけてきた。
「よう、エイナ。お疲れさん。
帰る前に総務へ顔を出すよう伝言が来ているぞ」
「ありがとうございます」
エイナはぴょこんと頭を下げて引き返した。
総務課は南塔正門を入った最初の部屋だから、すぐ目の前である。
中に入ると、彼女はカウンターの向こう側にいる事務員に声をかけた。
「エイナ・フローリー准尉です。
出頭するようにとの伝言をいただきました」
事務員はエイナに愛想笑いを向けると、カウンターに置かれた書類箱の中から一枚のメモを引っ張り出した。
「えーっと、ああ、あったあった。モーリス大尉からの伝言です。
マリウス閣下と面会の約束が取れたそうです」
「そうですか!」
エイナの表情がぱっと明るくなる。
ケイトはなぜかこの件に気乗りがしない感じだったので、その日のうちに連絡があるとは思わなかったのだ。
「それで、日時は?」
「今月二十三日、時間は一三一五、マリウス閣下の執務室へ出頭とのことですね」
「了解しました」
エイナは連絡票に受領のサインをし、事務員に礼を言って退出した。
明るかった彼女の顔は、やや曇っていた。
今日は十二月七日である。二十三日ということは、半月も先のことだ。
参謀本部のトップであるマリウスが忙しいのは分かるが、故意に後回しにされたような気がしたのだ。
* *
新年を控えた十二月の後半は、何かと慌ただしい。
リスト王国の場合、軍や役人の定期異動も、学校の新年度も一月からなのでなおさらである。
参謀本部にとっては、魔導院の召喚儀式が一大関心事となり、マリウスもよほどのことがない限り立ち会うことにしていた。
その年に国家召喚士が生まれるかどうかは、軍の戦力に大きく影響するからだ。
毎年の召喚儀式は二十五日と決まっている。
エイナが指定された面会日の二日後である。
「こんな忙しい時期に時間を割けるくらいなら、もっと余裕のある中旬にしてくれればよかったのに」
エイナはそんなことを考えながら、執務室と続きになっている秘書官室の扉をノックした。
マリウスの秘書官であるエイミーが、いつもと変わらぬ笑顔で彼女を迎え入れてくれたが、部屋に入るとすぐにケイトの姿が目に入った。
ケイトは忙しく、今日の面会に立ち会ってくれるとは意外だった。
「大尉殿もいらしたのですか。私一人だと思っていたので、少し驚きました」
エイナはそう挨拶して、上司の隣りに座った。
ケイトはテーブルに置かれたカップを手に取り、残っていたお茶を一息に飲み干した。
「私も驚いているのよ。
シルヴィアも呼ばれていて、後から来るらしいわ」
「シルヴィアが? 彼女には関係ないことだと思いますが……」
「それは話を聞けばわかるわ。そろそろ時間よ。行きましょう」
ケイトは立ち上がり、隣りの執務室へ続く扉へと向かった。
エイナも慌てて後に続く。
マリウスの執務室に入るのは、黒死山の事件を報告して以来、二か月ぶりだった。
入ってみると、ここにも先客がいた。
応接のソファに狩人のような服を着た女性が、くつろいだ様子で腰かけていたのだ。
彼女の傍らには、体長三メートルを超す巨大なオオカミが、高価な絨毯の上で悠々と寝そべっている。
「ユニさん! えと、あの……ご無沙汰しています。
どうしてここに?」
女召喚士は肩越しにちらりとエイナを見ると、軽く片手を上げた。
「その口ごもる癖、相変わらずね。元気そうで安心したわ」
わけが分からずまごついているエイナを他所に、ケイトはマリウスの執務机の前に進み出て、きれいな姿勢で敬礼をした。
「モーリス大尉並びにフローリー准尉、出頭いたしました」
エイナが慌ててケイトの横に並び、敬礼に加わると、マリウスは椅子から立ち上がり、軽く答礼を返した。
にこにこした笑顔で、目が糸のように細められている。彼のいつもの表情だ。
「ご苦労。二人ともソファにかけたまえ」
マリウスの言葉に従い、二人はユニの隣りに腰をおろした。
ケイトはユニの存在にまったく驚いていなかったので、最初から彼女の同席を知っていたのだろう。
マリウスがエイナたちと対面するソファに腰を下ろすと、秘書のエミリーがお盆を手に入ってきた。
彼女はテーブルの上にお茶のカップを並べ始めた。小皿には可愛らしいクッキーも数枚のっている。
「エイミー、ユニにはケルトニア酒を出してくれ。陛下にいただいた上等の奴だ。
グラスは――」
「グラスはひとつです! まだ勤務中ですよ、閣下。
ユニさんが来るたびに酒盛りを始めるのはお止めください。部下に示しがつきません」
エイミーはぴしゃりと撥ねつけると、酒を取りに戻っていった。
「やれやれ、うちの秘書は厳しいな」
「あの娘はロゼッタに仕込まれてるもの、当然でしょ。
あたしにかこつけてサボろうとする、あんたが悪いわ」
ぼやくマリウスにユニが茶々を入れた。
軍の実質的なトップであるマリウスに対し、民間の二級召喚士であるユニの言葉には、まったく遠慮がない。いかにも気の置けない間柄といった感じである。
マリウスは溜め息をつくと、身を乗り出した。
「さてと……、ケイトから聞いたが、エイナは爆裂魔法のことを知りたいそうだね?」
いきなりの本題にエイナは背筋を伸ばし、『気後れしてなるものか!』と自分に気合を入れた。