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魔導士物語  作者: 湖南 恵
第四章 魔法王の森
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六 惨劇

 見た目は十五、六歳の美少女だった。

 貴族の娘が着るような薄物のガウンだけを羽織り、未成熟な裸体が透けて見えていたが、少女は恥じることなく堂々としていた。


 こんな寂れた街道沿いの原野に、立っていること自体が場違いである。

 だが、ニコルは彼女が少女だからといって、軽く見る気持ちにはなれなかった。

 彼女の持つ圧倒的な存在感は、恐怖すら感じるものだった。


 少女の美しく整った顔には何の感情も浮かんでいなかった。視線は冷たく、ニコルを虫けらのように見下している。

 ニコルは無言で腰の長剣を抜いた。

 彼の前に整列していた十数名の部下たちも、すでに異変に気づいて身構えている。


「お前が……村人を襲って吸血鬼にした犯人だな?」

 ニコルは掠れた声を絞り出した。


 少女はそれには答えず、わずかに顔をしかめた。

「質問しているのは私だ。

 理解できていないようだから、もう一度訊く。

 なぜ命令に背いて、爆裂魔法を使わなかった?」


 ニコルは怒鳴った。

「貴様に教えるいわれはない!

 なぜ命令のことを、そして魔法のことを知っている?」

 

 少女は〝やれやれ〟といった仕草で溜め息をついた。

「駄目だ、話にならん。これだから愚かな人間は……。

 教育してやらねば分からぬか」

 彼女はそう呟くと、顔を上げた。


 いきなり少女の姿が消え、次の瞬間には部下の隊列の中に、その白く小さな姿が現れた。

 彼女は両手を広げてくるりと回ってみせた。


 突然のことに驚き、目をむいた若い兵士の首が飛んだ。

 悲鳴を上げる暇もなく、その隣りにいた者の首もぽんと撥ね上がった。

 三人目の男の首は、飛ばずに真下に落ちた。


 重く鈍い音とともに三つの首が地面に落ちた。

 きれいに切断された首からは噴水のように鮮血が吹き出し、三つの身体が重なって倒れた。


 彼らの反対側にいた三人の兵士も、それに続いて倒れた。

 一人は耳の下あたりを切られ、押さえた手の間から鮮血を溢れさせていた。

 一人は喉笛を切断され、気道からひゅうひゅうと息が洩れた。

 一人は下顎が切り飛ばされ、口から大量の血を吐き出していた。


 六人の兵士が倒れる前に、少女は軽やかに飛び上がり、離れた場所に寝かされていた重傷者の列へと降り立った。

 彼女はその列を駆け抜けながら、身動きのとれない負傷兵の頭を、次々と踏み潰していった。


 そのころには兵士たちも少女が吸血鬼、それも段違いの化け物だと認識していた。

 とにかく単独で当たっては勝負にならない。

 ある者たちは槍の穂先を揃えて突進する構えをみせた。

 数人が背中合わせになり、敵の攻撃に備える者もいた。


 こうした対応を指示しながら、十人を切った兵たちを率いたのは三人の小隊長である。

 だが、そうした必死の抵抗を嘲笑うように少女は舞い、死体の山を築いていった。

 彼女の白い指先からは爪が長く伸び、それを振るうだけで人間の身体を易々と切り刻んだ。


 鋭く尖っているとはいえ、わずか五、六センチの爪が鉄の剣を受け止め、硬い槍の柄を切断した。

 あっという間に兵士たちは切り伏せられていき、第三小隊長のフォルカー少尉が腹を切り裂かれ、腸を撒き散らしながら斃れた。

 若いエルマー准尉は、すれ違いざまに首を刎ねられた。


 虐殺の狂宴の中からオイゲン少尉が抜け出し、ニコルの前に駆け寄ってきた。

 彼は頭から顎までを大きく切り裂かれ、片方の眼球と耳を失っていた。

 血まみれの顔で、彼はニコルに向かって怒鳴った。


「中尉殿、お逃げください! ここは自分が――」

 それが最後の言葉だった。すべての兵士を殺し尽くした少女がオイゲンの背後に現れ、腕を振るったのだ。

 少尉の太い首から血が噴き出し、踏み荒らされた地面に頭部がぼとりと落ちた。

 それでも、彼の身体はニコルを守るように立ち続けていた。


 少女は軽く首をかしげると、素足を上げてオイゲンの尻を軽く蹴った。

 彼の身体は棒のように倒れて泥を撥ね上げた。


 中隊は十分に満たない戦闘で全滅した。

 中隊長であるニコルは、結局何もできなかった。

 吸血鬼の少女は目で追えないほど動きが素早く、魔法の狙いがつけられなかった。

 当てずっぽうで撃っては、乱戦となっている部下を巻き添えにしそうだった。


 だが、もうそれを心配する必要はなくなった。

 部下たちを殺戮した少女は、すぐ目の前に立っていたのだ。

 その距離はわずかに三メートルほどである。

 こんな至近距離でファイアボールが炸裂すれば、ニコル自身が巻き込まれて消し炭になってしまう。


 だが、そんなことは関係なかった。

 苦楽を共にし、信頼する部下たちをなぶり殺しにされたのである。この女を殺せるのであれば、自分はどうなってもいいと思えたのだ。


「よくもやりやがったな!」

 そのくらいは叫んでやりたがったが、敵に逃げる隙を与えるほど馬鹿ではない。

 ニコルは何の予備動作もなく、最大級の魔力を込めたファイアボールを撃った。


 輝く光球は、もの凄い勢いで少女の胸に吸い込まれたかに見えたが、彼女はそれを爪で弾き飛ばした。

 光球は横に逸れたが、意志があるように反転して、今度は吸血鬼の無防備な背中を襲った。

 少女は後ろに目があるかのように、ぴょんと横に跳んだ。

 軽く跳ねたように見えたが、着地した時には十メール以上も移動していた。


 ニコルの魔法は一瞬目標を失ったが、すぐに急角度で進路を変え、なおも少女を追う。

 吸血鬼はうんざりした顔で、それを待ち受けた。

 もう逃げるつもりはなさそうだった。

 光球は今度こそ吸血鬼を直撃し、爆散して炎のドームで少女の細い身体を包み込んだ。


 燃え上がる巨大な火の玉を見届けると、ニコルは初めて叫んだ。

「再生できるならしてみるがいい! 俺の炎は何度でも貴様を焼き尽くしてやる!

 思い知れ、この化け物がっ!!」


 絶叫しながら、彼は膝をついた。

 そして、狂ったように笑い出した。

「死ね、死ね死ね死ね! 死んでしまえっ!」


 その時である。泣き笑いで叫び続けるニコルの耳元で、誰かがそっとささやいた。

「気が晴れたか?」


 呆然として振り返ると、彼の後ろから少女がかがみ込んでいる。


「な……んでだ?」

 ニコルの口から出たのは、それだけだった。


 少女は身体を真っ直ぐに伸ばすと、蔑むようにニコルを見下した。

「馬鹿か? あんな至近距離で魔法を爆発させたら、貴様が死ぬではないか。

 まだ死なれては困るから、適当な所まで誘導したまでだ。

 私はあれしきの魔法で滅びたりはしないが、伯爵様にいただいた絹の衣服を燃やしてはならぬからな」


「さてと……。

 何度も言うようだが、お前は魔法であの村を完全に破壊するよう命じられたはずだ。

 村人を救おうなどというくだらぬ動機で命令に逆らうとは、役立たずにもほどがある。

 今からでも戻って、やり直してもらうぞ」


「……断る」

 ニコルはむすっとして答えた。もうこの少女に歯向かっても無駄だと諦めたが、言いなりになる気はなかった。


「では、その気になるよう説得してみるか。

 おい、誰でもよい……いや、子どもがいいな。

 五人、前に出ろ!」

 少女が振り返ってそう声を上げた。


 ニコルもつられて彼女の背後に目を遣ると、そこにはいつの間にか村人たちが集まっていた。

 彼らは皆ぼんやりとした表情で突っ立っている。


 村人たちは疲労で眠りこけていたが、さすがに少女と兵士たちの戦闘で目を覚ましたはずだった。

 それなのに逃げもせず、武器も手にしていない。ただ、ぼおっとして立ち尽くしていた。


 そして、その集団の中から、五人の子どもが前に出てきて、少女の前に整列した。

 三人の男の子と二人の女児で、いずれも十歳以下の小さな子だった。

 吸血鬼の少女は子どもたちの背後に回ると、再びニコルに話しかけた。


「もう一度訊く。命令どおり、村を魔法で破壊しろ」

「嫌だ」


 ぼとっ。

 鈍い音がして、左端の男の子の首が地面に落ち、小さな身体がくたりと崩れ落ちた。


「やめろ! 子どもに何の罪がある!」


 ニコルの絶叫に応えるように、二人目の子どもの首が落ちた。

 おさげ髪を両側に垂らした女の子だった。

 三人目の男の子の頭にぽんと手を乗せると、吸血鬼は無表情のままに口を開いた。


「お前が『やります』と言うまで、何人でも続けるぞ。どうせ皆殺しにする予定だったからな。

 さあ、言うとおりにすると誓え」

「気でも狂ったか! 相手は子どもだぞ! 何の――」


 ニコルの叫びが終わらぬうちに、次の子の首が落ちた。

 吸血鬼の少女はその髪の毛を掴んで拾い上げると、ニコルの方へ放り投げた。

 受け止めた頭は、思ったより重かった。

 泥に汚れた顔には苦痛も恐怖も浮かんでおらず、ただうつろに開いた目が、ニコルをじっと見上げている。


 ニコルはその首を抱きしめ、うずくまって泣き叫んだ。

「頼む、やめてくれ! ……言うとおりにするから!

 お願いだ!」


 少女は〝ふん〟と鼻を鳴らした。

「初めからそう言えばよいのだ。

 よし、それでは立て。村に戻るぞ」


 生き残った二人の子どもは、のろのろと村人の集団へ戻っていった。

 自分たちのすぐ隣りで、同じ村の子たちが殺されたというのに、何も感じていないようだった。


 ニコルもすすり泣きながら立ち上がった。

 もうこれ以上、何も考えることができなかった。


      *       *


 薄物を着た少女が先に立ち、その後をニコルが追い、数十人の村人の集団がぞろぞろと続いた。

 ニコルは絞首台に曳かれる囚人のようだった。

 村人たちは手ぶらで、せっかく村から持ち出した大事な荷物は、兵士の死骸とともに原野に置き去りにされた。


 この奇妙な集団は街道に戻ると、逃げ出してきたマリコフ村に向かって歩き出した。

 誰も明かりなど持たなかったが、先頭を行く少女には道がはっきりと分かるらしく、その他の面々は、ただ少女の白い身体の後を付いていくといった感じだった。


 少女は裸足だったが、砂利混じりの道を気にすることなく歩いていく。

 白い足は泥や埃で汚れることなく、まるで滑るように進んでいった。

 だが、二十分もしないうちに、その足取りがぴたりと止まった。

 街道の前方に明かりが見えたのだ。


 明かりの主もこちらに気づいたのか、暗闇のなかどんどん近寄ってくる。

 それとともに、軽やかな蹄の音も響いてきた。

 そして、その相手は姿を現した。


 黒い馬の鞍に二つの松明を差され、黒いマントに黒い帽子を被った女が乗っている。

 ニコルがマリコフ村に向かう途中で出会った、確かアデリナ・ライエンと名乗っていた女だ。


 彼女はひらりと馬から降りると、無造作に近づいてきた。

 吸血鬼の少女は形のよい眉を上げ、驚きと不快を示すように顔をしかめた。


「闇の迷路に堕としたはずだが、どうやって出てきた?

 そう慌てなくても、事が片付いたら始末をしてやったのだが……せっかちな奴だな」

「お陰さまで、ずいぶんと苦労させていただいたわ。

 そのせいで失わずに済んだ命を助けられなかった……この報いは受けてもらうわよ」


「ふん、ぬかせ。

 汚らわしいダンピール風情が、実の父に逆らうとは、とんだ親不孝だ。

 貴様、ベラスケスの下っ端を狩りまくって、ずいぶんと恨みを買ったらしいな。

 奴の眷属が血眼になってお前を追っていると聞いているぞ。

 尻尾を巻いて逃げてきたのなら、分相応に大人しくしていればよいものを……」

「言いたいことはそれだけか」


 アデリナはそう吐き捨てると、背中にかけた剣を抜きはなった。

 刃渡りが百二十センチはあろうかという、長大な剣である。

 片刃で反りがあり、細身の刀身には不規則に揺れる波紋が浮かんでいた。

 黒づくめの女は、その剣を片手で軽々と振ってみせた。

 中肉中背で、そう逞しい体つきでもないのに、恐るべき怪力である。


 戦いはいきなり始まった。

 吸血鬼の少女が長い爪を振るい、信じがたいスピードで襲いかかるのに対し、アデリナは片刃の長剣で完璧に受けきってみせた。

 それだけでなく、鮮やかな身のこなしで斬撃を繰り出し、吸血鬼を後退させる場面もあった。


 ニコルの部下たちとの戦いでは、少女は繰り出される槍や長剣の攻撃を、ほとんど防ごうとはしなかった。

 例え刃を身に受けても、瞬時に傷口が塞がり、再生してしまうからである。


 だが、アデリナの振るう長剣に対して、少女は細心の注意を払って攻撃を弾き、避けようと努めた。

 どうやら、ただの剣ではないようだ。


 二人の動きはあまりに目まぐるしく、目で追うことも容易ではなかった。

 アデリナは吸血鬼と同等の能力を有しているらしく、戦いは互角のように思えた。

 しかし時間が経つにつれ、次第にアデリナの方が押されていることがはっきりしてきた。

 力もスピードも、わずかに吸血鬼の方が勝っているのだ。

 そして、アデリナが肩で息をしはじめているのに対し、少女の方は息ひとつ乱していない。


 アデリナが無言で戦い続ける一方、吸血鬼は余裕が生まれてきたのか、からかうように声をかけるようになった。

「どうしたダンピール? いかに伯爵様の血を引こうと、所詮は人間だな。

 私に勝ちたいのなら、人の血を吸ったらどうだ?

 そこにいる村人どもは、私の魅了チャーム木偶でく人形になっている。

 二、三人なら分けてやるぞ」


 だが、アデリナは何も答えず、額に汗を浮かべて剣を振るい続けた。

 二人はステージで舞う踊り子のようにくるくると回り、飛び跳ね、死のダンスを踊り続けた。


 戦意を失い、抜け殻同然となっていたニコルは、アデリナの戦いを目の当たりにするうちに、体内に闘志が湧き出てくるのを感じていた。


 自分は何もできず、目の前で部下たちを殺された。

 いたいけな子どもの首が刎ねられるのを見せつけられても、ただ泣き叫ぶだけだった。

 もうこれ以上、手をこまねいて見ているのはこりごりだ。


 アデリナを巻き込まず、吸血鬼に察知されずにダメージを与える魔法はないか?

 頭がねじ切れそうになるほど必死に考えた挙句、彼はひとつのアイデアにたどり着いた。

 〝あの魔法〟なら、養成学校で習ったことがある。

 自分の専門分野ではないが、使うことはできたし、呪文も記憶していた。


 ニコルは口の中で高速で呪文を唱え始めた。

 右手を伸ばし、激しく動き回る吸血鬼の頭上に向けた。

 攻撃魔法のように、音や軌道でそれと気づかれない魔法。いかに怪力の吸血鬼であろうと無力化できる魔法である。


 詠唱はあっという間に終わり、ニコルは祈るような気持ちでチャンスを待った。

 吸血鬼とアデリナが激しく打ち合った挙句、互いに大きく後ろに跳び下がった。

 この一瞬を逃せば後はない。


 ニコルは全魔力を一気に放出した。

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