惑星X
「今日も、あんなところで寝てるわ」
遠くから、自分の冷えた体を眺める。
あーあ。道端でお亡くなりになったんだね。。
最後の思い出はなんだい?
一番最後に嬉しかったことはなんだい?
目を閉じる前に、全身の皮膚から感じた発酵熱の温もり。
生ゴミが腐ってガスを発生させた、その発酵熱が、最後の記憶さ。
今朝、見た景色は、自分以外の奴が、道端でくたばっている様子だった。
まさか、今夜は自分の番になるだなんて、夢にも思わずに。
この星では、自分が遭遇している光景は、珍しくもなんともない。
いつも、世界の誰かが、命を落としているように。
何光年も生きる生命体で構成されたこの世界では、そんなできごとは、些細な問題として片付けられる。
夏が終わって、セミがくたばっていても、なんとも思わないだろ?
それと、同じさ。
自分から見たら、この世界は、長寿命生命体によって、管理されているようにしか思えない。
自分たちが、いくら、命を繋いで、子孫を残したとしても、その構造が変化することはない。
「クソだな」
僕は、生ゴミに包まれて幸せそうな顔をしている自分を見て、そう吐き捨てた。
未練も何もなかったが、しばらく、自分の姿を眺めていると、一匹の子猫がやってきた。
子猫は、僕の周りをぐるぐるぐるぐる歩き回る。
ほんとに、くたばってしまったのかと。
信じられない様子で、どこか、命の残響が残っていないのかと、探し回る。
「なにしてんだ。あいつ」
僕は、笑った。
その子猫は、たしか、先日パンを分け与えてやった猫だった。
別に、感傷的になったわけではない。
ただ、小さい癖に、路地をさまよっているそいつを見て、何かを探すように、歩き回っているそいつを見て、その行為の続きが気になって、くたばっては見られないと、パンを分け与えてやったのだ。
別に自分が優越感に浸りたかったわけではない。
何か、施すことができる存在だと、奴らに証明してやりたかったわけではない。
ただ。
ただ。こちらに少しだけ振り向いて欲しかっただけなのだ。
誰かに、認識してほしかっただけなのかもしれない。
僕が、ココにいることを。
もう幽霊になって、そんなこと言うなんて、とてもオコガマシイにも程があるが。
僕は笑う。
長寿命生命体と違って、僕は時間という制約がある。
僕が残せるものは、たかが知れている。
その僕が、残したものが、パン切れ一枚。
なんとも、惨め。
しばらく、普段はしない感傷に浸っていると、思考を遮るように、毎日不定期に流れる長寿星界の放送が流れる。
「明日は、晴天也。この地区には、量子領域の拡張工事を命ずる。長寿星界に新たなメンバーが入ることになった。稼働領域の拡張にはランニングコストとして、材料が必要也。M型小惑星に鉄とニッケルがたくさん含まれている。必ず採掘して置くように。
小惑星自体は、火星と木星の間の軌道に余るほどあるはずだ。よいか。的確に実行するように。
それから、星の衛生管理はしっかりやるように。」
大音量の長寿星界の放送が済んで、街には静けさが戻る。
静けさの中から、コツコツ革靴と地面が擦れる音が聞こえてくる。
だんだんと大きくなってくるその足音は、僕がいる路地で、立ち止まった。
衛生処理班か。
衛生処理班。なんとも、ふざけた名前。
言いたくない聞き触りの悪い言葉は省略する。
大きいビニール袋を担いだ彼らは、死体処理が主な仕事だ。
僕は、今まで、何人も袋に入れられて、運ばれるのを目撃した。
そして、次に運ばれるのは、間違いなく僕の番だった。
周りを回っていた子猫は、ぐるぐる回るのをやめて、僕を奪われまいと、彼らの前に立ち塞がる。
彼らは、護身用に所持しているスタンロッドをブンブン振り回して、子猫を牽制する。
シャー。子猫が毛並みを逆立てて、威嚇する。
僕はそんな無駄な抵抗はやめろと、口を挟みたくなる。
瞬間、猫は彼らに勢い良く、飛びかかった。
そして、彼らは、自分の身を守るために、真っ先に顔を両手で覆った。
自分の顔に傷でも付けば、何光年も一生、付き合うことになる。そんなの、御免だと。
****
「はぁ。はぁ」
「はぁ。はぁ。はぁ。はぁ」
荒い吐息が聞こえる。
地面を強く蹴り上げて、街の中を疾走する足音が聞こえる。
僕が目を覚ますと、そこには、一部、猫の姿をした彼女がいた。
「てれそだがらぬせ」
彼女は、僕を抱えながらそう話す。
「てれそだがらぬせ。ああぐるじゃぬ」
街の雑音が気になって、彼女の声が聞こえなかった訳ではなかった。
彼女が何を話しているのか、分からなかった。
僕の知識が問題だったわけではない。
僕と彼女の生命体としての差が、生んだことだった。
しかし、彼女は話し続ける。
「ああぐるじゃぬ。れれれぐど」
彼女は暗い路地の壁に寄りかかっている僕に続けて話しかけてくるので、僕は彼女の言葉を借りて返事をする。
「れれれぐど。れれれぐど」
すると、彼女は、頭に生えた猫耳をピンと立てて、ニコっと笑い。
お尻から生えている尻尾を振り、喜んでいるように見せる。
彼女は、一世期前に開発された出来損ない。
キメラだった。
そう、あちこちが遺伝子の継ぎ接ぎで出来た存在。
「なんで、僕を助けたんだよ。お前も馬鹿だな」
僕は笑って、彼女に話しかける。
「てれそだが。じゃぬ。じゃぬ。」
彼女は、伸ばした爪を少し引っ込めて、なるべくやわらかい指先で、僕の頬に触れる。
誰かに触れられたのは、初めてだった。
彼女の僕を見つめる瞳は、涙で潤んでいて、僕には、その現象が意味することが理解しきれなかった。
彼女は、そっと僕との距離を縮める。
彼女の背中越しからは、表通りから裏路地に続く血痕の跡が確認できた。
足を少し引きずっていたのか、彼女のふくらはぎの付近から、血が滲んでいた。
「馬鹿だな。お前」
「れれ。れれ。」
お互い会話が通じていないはずなのに、なぜだか、不思議な雰囲気のせいか通じ合えている気がする。
彼女の体温を身近に感じる。
毛並みの不思議な手触りは、僕の消えかけの意識と相まって、心地よい感覚になる。
彼女は唇を僕に近づけた。
生命を感じる。
熱い吐息が肌に当たる。
パンを分け与えた日から、何かを予感していたのだろうか。
何か、近いものを感じたのだろうか。
目と目があった瞬間に、なにかが生じたのだろうか。
僕らの出会いは、必然だったかのように、時間が流れた瞬間。
表通りが裏路地に差す光を遮るように、撒いたはずの彼らが登場した。
そして、普段は無言で片付ける彼らが、珍しく喋りだす。
「なんだ。お前ら。」
「片方は、俺らに銃で撃たれて足を引きずって。
片方は、死にかけで内蔵を引きずって。」
クク。
「はやく、くたばっちまえば良いのに。惨めだな。」
そして、隣りにいる銃を構えた相方が、笑い出す。
「それになんだ。
お前ら、性器も切り取られて、乳房も切り取られて、捨てられたのか。
どうしたんだよそれ。
もう。これは、男も女もないな。」
「ククク。まぁ、珍しい光景でもないけど、さすが、長寿星界は考えることが違うな」
あーあ。
「俺も、この仕事が終われば、そんな奴らの仲間入りだ。ふふ。
さすがに、長く生き過ぎると、頭がおかしくなってくるのか。ネ。」
彼らは、笑いながら、この物語に幕を引こうと銃を構えた。
そして、銃声がなる直前。
彼女は、僕と唇を重ね、言葉を交わすことなく、お互いの舌を噛みちぎった。
意識が途絶える最後の瞬間に、初めて、彼女の血の味を知った。