手がかり
同僚三人と社長が帰ってから二時間。僕はいつものように残業をしていた。とっくにゲームは買ったけど、文字を打つだけでお金が貰えることが楽しくなってきていた。今日も終電ぎりぎりまで頑張ろう。
途中経過を保存しようとすると突然、僕のデスクの電話が鳴った。こんな時間に誰だろう。不思議に思いながら僕は受話器を取った。
「……はい、有限会社タカモリコーポレーションです」
「あ、よかった、まだいた。もしもし、M君?」
この声……Ⅲさんか。ということは。
「Ⅲさん?」
「うん、ごめんね。Nがさ、S君の会社の番号しか知らなかったから」
なるほど。無事にNさんに引き取ってもらえたのか。Hが来たのが一週間前だから再会からちょうど二週間……。そんなに時間がかかるのか、あの暗号は。
「暗号解けた?」
「一応ね。Nにパソコン買ってもらってたから時間かかっちゃった」
「解くのにパソコンがいるの?」
「いや、ネットの人たちに解いてもらってたんだ。ネットの悪い人たちにね」
そうか、“あそこ”ってのはネットのことだったのか。ってかやばい。あれ社外秘なんだけど。
「あの暗号、誰かに教えちゃったの」
「え? ああ、漏らすなって言われてるんでしょ。大丈夫、あそこは見つからないから。それで、本題なんだけど……」
Ⅲさんは一呼吸おいて話し始めた。
「この暗号、世界中で話題になってるみたい。M君らみたいな未成年……、正確には十六から十八までの所謂高校生と呼ばれる人たちが、国からの指示で暗号を打たされてるらしいよ。しかも情報漏洩にすごく敏感で、知恵袋なんかに書こうものなら一発逮捕だって」
「ええ……。なんでそこまで」
「内容が問題なんだよ。この暗号、一見難しそうに見えるけどめちゃくちゃ簡単なんだ。この暗号が初めて送られてきたときには、すでに悪い人たちに解かれてたよ。送信者以外はね」
Ⅲさんの声がいきなり低くなった。背筋に悪寒が走り、僕は暖房を入れた。
「なんで送信者がわかんないの?」
「さあね。どこの誰の文書なのかがまったく特定できない。匿名化ソフトを何十、何百と重ねて完全に秘匿にしてるんだ」
謎だ。必死に隠れて意味不明な文を送っている謎の人物。
「で、さっそく解き方を教えよう。この暗号はヴィジュネル暗号を応用したものだ」
「ヴィジュ……、え?」
「まずAからZまでのアルファベットを縦と横に並べる。座標みたいな感じでね。次に、縦のAと横のAが交わるところにa、縦のAと横のBが交わるところにb……って感じで並べて表を作るんだ。縦の文字がBのときはbから始めてaで終わる。縦の文字がCのときはcから。ここまでわかる?」
「いや、全然わかんない」
「まあ詳しいことはヴィジュネル方陣って調べれば出るから。それで、前貰った暗号文なんだけど、今から言うからメモして。いくよ」
僕は急いでメモ帳を取り出してペンを持った。
「6、A、U、B、B、C、K、B、A、A、C、F、I、S、G、D、I、N、B。書いた?」
「うん」
「よし。この文の最初の数字の六は、文字を何個ずらすかを表してる。シーザー暗号みたいにね」
「あ、それ知ってる」
「ああ、この紙に書いてあるしね、六個ずらしたやつ。でもずらすのはそこじゃなくて、縦と横が交わってる部分だ。つまり――」
と、そこまで言ったところで電話が切られた。「え? もしもし?」と声をかけるが反応がない。
電話線が抜けたのだろうかと、僕は電話本体を持ち上げたりひっくり返したりしてみた。そして見つけてしまった。
「……なにこれ」
電話の裏側に取り付けられた小さな機械。前までこんなのはなかった。そして、それがどういう用途で使われるのかも僕はすぐにわかった。
僕は機械を取り外して叩き潰した。誰かに聞かれていたんだ。僕への警告で電話を切った。一体誰が……?
僕は一瞬であいつの顔が思い浮かんだ。そして、あいつが来たときに僕のデスクを触っていたことも思い出した。
僕は暖房を消してすぐに家に帰った。