堕ち人
無理を言って定時で帰り着いてから、僕は長いこと暗号について考察していた。ネットでもいろいろ調べたけど、そもそもどういう暗号が使われてるのかわからないから復号のしようがない。かといってそういう類のプロに依頼するのもなあ……。
あれこれ考えていると、僕の携帯が四十七ばんどうろを奏で始めた。Oからだ。
もう飯食った?
時計を見てから八時を過ぎていることに気づいた。僕はまだ何も食べていない。「まだ」と送信すると一瞬で返事が来た。
ラーメン行こう。
またラーメンか。でもあそこのラーメン屋もいつ潰れるかわからないし、今のうちにたらふく食べておくか。スープも。
奴らはあてにならないけど、一応暗号も持っていこう。何か閃くかも。
駅に近づくにつれて、路上に座り込んでいるホームレスが増えてきた。彼らもこの不況に呑まれた人たちだろう。皆同じように帽子や空き缶を置いて銭を欲している。申し訳なく思いつつも、僕は彼らを無視して足早に駅へ向かった。
しかし、僕の足はすぐに止まった。数歩先にうずくまっている制服の少女がいた。僕が通っていた学校のものだ……。
僕は彼女に近づき、顔を確かめようとしたが叶わなかった。死んだようにピクリとも動かない。あふれる同情心に逆らえず、財布を取り出して、何かのご縁があるようにと五円を空き缶に入れた。ケチっているわけではない。何かのご縁があるようにだ。断じてケチっているわけでは――。
「ありがとうござ……」
「……!」
顔を上げた少女と目が合った。同時にゆっくりと見開かれる。髪はぼさぼさで頬もこけていたが、この人はまさしく僕の知り合いだった。
「Ⅲさん……?」
「M君……」
まぎれもないⅢさんだった。
「何してんの……」
「ふふ、ふふふふっ。没落したんだ……」
彼女は不気味に笑った。目がギラギラといやに光っていた。
「全部、H君の……、Hのせいだ。あいつが、あいつが……、いや違う、あんな風にしたのは私だ……。私のせいでこんな世界になったんだよ」
「何を……」
「もう生きていけない。働き口もない。家も貯金も、私はみんな失った。自業自得だ。天罰だ」
若干の微笑みをたたえて話す彼女に僕はうろたえた。事情はわからないがいたたまれなくなり、メモ帳を取り出して連絡先を書いた。
「何これ」
「Nさんの番号。あの人なら助けてくれるでしょ」
「もう携帯もないよ」
「じゃあはい十円! 公衆電話使って」
Ⅲさんは瞳を輝かせて僕を見た。我ながらお人よしだ。
「何かお礼を」
「いいよ。どうせ何もできないでしょ」
Ⅲさんが舌打ちをしたと同時にあることを思いついた。藁にもすがる思いだがいけるかもしれない。
ああ、でも社外秘だった。どうしよう。Sに怒られる。
まあいっか。
「そうだ、Ⅲさん、これわかる?」
「何この紙……、うーん、文字列? 暗号っぽい」
話が早い。使えそうだ。
「解けるかな」
「解けるよ、多分。“あそこ”で聞けばね」
あそこ? どこだ? っていうか解けるのか!
「本当に! じゃあこれ預けるからお願いできる?」
「うーっす」
Ⅲさんは荷物を持って立ち上がり、電話の方へだらだらと歩き始めた。背中が汚かった。
ようやく進展した。あとは彼女の連絡を待つだけだ。